2016/09/14

第2回 東海道踏破オフ(品川~蒲田)

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    広重「東海道五拾三次之内 品川(日之出)」

 2016年9月3日。9月になれば少しは暑さが落ち着くかと思いきや、まだまだ暑い。雨の心配をしていたのに日差しが強くて、晴雨兼用傘を日傘にして歩き始めました。

15:00JR品川駅集合→品川宿→(休憩:大森海岸「UCCカフェ」)→京急蒲田→18:00宴会「キリンシティ」

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 品川駅から第一京浜を南下してまもなく、八ツ山橋の交差点から左の脇道に入ると、旧東海道品川宿の道筋が始まります。上の浮世絵の右側の崖が八ツ山。江戸時代の東海道は海沿いの道だったことがよくわかります。

 品川宿については、お江戸オフで歩いた時に詳しく書いているので、その記事をリンクしておきます。この時は大森駅から歩いたので、今回とは逆に鈴が森方面からの記録になっています。また、今年のお正月の東海七福神めぐりでもこの界隈を歩いているので、そちらもあわせて記しておきます。

Img_1398品川宿
鈴が森~鮫洲
龍馬と品川
南品川
北品川
東海七福神めぐり

 というわけで、品川宿についてはもう書き尽くしたという思いなので、今回はお気軽に歩いただけ。写真もあまり撮っていません。要は手抜きです。でも、歩いた道の写真はもっと残しておきたいと今になって思っています。

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本陣跡、品川寺、鈴が森刑場跡

 旧東海道の道筋は鈴が森の先で第一京浜に合流し、後は蒲田までひたすら第一京浜を進みます。と思いこんで歩きましたが、なんてこった、途中の一部は脇道に入らなければいけなかったのです。2回目にしてもう道を間違えました。第一京浜の写真が1枚もないし、また大森に行ってこようか。教訓:道の確認は念には念を入れよ。

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磐井神社、大森神社、貴菅神社

 貴菅神社は5年前の第一京浜拡幅の際、現在地に移動したとのこと。大正時代に第一京浜が造られた時に旧地から移転して以来2度目。現在、この神社の先から蒲田まで第一京浜の拡幅工事が行なわれています。

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 蒲田梅屋敷公園。江戸時代、和中散(道中の常備薬)を売っていた山本家が屋敷内に梅の木などを植えて茶屋を開いたことが起源。梅の名所として賑わい、将軍やシーボルトも立ち寄りました。後に明治天皇が9回行幸しています。日本橋から三里十八丁と書いた道標が復元されていました。1里=36町=約3.9キロなので、約13.7キロ。

Img_1411 梅屋敷から500m程先の京急蒲田駅が今回のゴール。ということは、のべ14.2キロ程度ですね。15キロは歩いたと思っていたのに。東海道の2.9%完了。私たちの行く道ははてしなく遠い。

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2016/09/06

第1回 東海道踏破オフ(日本橋~品川)

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     広重「東海道五拾三次之内 日本橋(朝之景)」

 3ヵ月ぶりの更新。前の記事のお伊勢参りから4ヵ月が経過しました。リオ五輪とポケモンGOと台風の夏が過ぎ、あっという間に9月です。夏休みらしいイベントもなく、のんべんだらりと過ごした2016夏でしたが、一大チャレンジが始まったことだけは記録しておかなければなりません。

 2016年7月2日。お江戸オフ通算60回の還暦記念に(?)、一行は京を目指して日本橋を旅立ちました。新企画「東海道踏破オフ」の始まりです。旧東海道のべ492.1キロを歩くんですよ。そりゃあ、無理でしょう、って思いますよね。私も思いました。いや、今もかすかに思っています。でも歩き始めたからには、なんとか体裁を整えて(笑)ゴールの三条大橋に立ちたい! チームお江戸として襷をつないでいけば、きっと達成できる! 

15:30日本橋三越集合→福徳神社→日本橋→(休憩:大門「上島珈琲」)→品川→18:00宴会「塚田牧場」


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 この酔狂な企画をよりにもよって夏に始めた酔狂な私たち。多少は暑さがやわらぐ3時半に集合して、まず福徳神社にお参りし「東海道を無事に歩けますように」と手を合わせました。コレド室町の一角に真新しい社殿が建つこの神社は平安時代からこの地に鎮座しているらしい。参拝後、いよいよ日本橋を出発! ビルの電光温度計は32度を示していました。

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 さぞや照り返しがきついだろうと覚悟していましたが、日本橋から銀座、新橋に至る中央通りはビルの谷間になっていて思ったほど暑くはなく幸いでした。この通りはご多分にもれず、ビルの解体、新築が進んでおり、かつての面影が少しずつなくなっていきます。それを残念に思う私も、川に架かる京橋(左上は往時の欄干)や新橋を知らず、さらに昔の東海道の時代を想像しても実感がわきません。

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 この日直進した国道15号は、日本橋から新橋の交差点までを中央通り、その先、横浜市神奈川区までを第一京浜と呼びます。それにしても、日本橋、京橋跡、新橋跡(左上)、金杉橋(右上)の頭上を首都高が走っているのはなんとも邪魔ですね。4回続けてその下をくぐって、つくづく感じました。

Img_1275 高輪大木戸跡。ここから江戸の外に踏み出します。といっても、まだ墨引内、朱引内なので江戸の管轄。

 ここから少し歩いた品川駅近くの宴会会場がこの日のゴールでした。日本橋から約7キロ。暑い中、ビールを目指して頑張って歩きました。東海道の1.4%完了(爆)。単純計算であと70回は歩かないと京都に到達できません。しかも、歩く場所はどんどん遠くなる……。でも、とにかく歩き出したことが肝心! 先の読めない平成版東海道中膝栗毛にご期待ください。

 今回歩いた道の多くは今までのお江戸オフで歩いているので、参考までにそのときの記事をご紹介しておきます。

日本橋

新橋~泉岳寺

高輪大木戸跡

三田

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2016/06/09

お伊勢参り(その7) 名古屋城と徳川園

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 「尾張名古屋は城でもつ」というフレーズにも謳われ、金のシャチホコで有名な名古屋城。徳川家康が天下普請を命じて築城し、慶長17年(1612)に完成しました。家康の9男の義直が初代藩主として入り、江戸時代を通じて御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。

 その初代天守閣や本丸などほとんどの建物は昭和20年の空襲で焼失したことを知ってびっくりしました。せっかく昭和まで残っていたのに、残念です。現在の天守は昭和31年に鉄筋コンクリートにて再建されたもの。
 
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 平成21年(2009)から本丸御殿の復元工事が始まり、工事が完了した2/3程の部分が公開されています。完成は2018年の予定。豊富な資料が残されており、忠実に再現されているそうです。

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 名古屋城を後にし、バスで徳川園まで移動しました。徳川園は、尾張藩2代藩主・光友が隠居所として屋敷を造営したことを起源とし、明治22年(1889)からは尾張徳川家の邸宅となった場所です。左上の黒門はその邸宅の遺構。ほとんどの建物は空襲で焼失してしまい、平成13年から日本庭園として再整備されて、平成16年から公開されています。

 徳川園に隣接する徳川美術館には、尾張徳川家に伝えられた数々の重宝が展示されています。浮世絵展が開催されていましたが、旅行3日目の疲れが出て集中力なくざっと回っただけでした。この日ののべ歩数:22338歩。気温が高く、日差しも強くて、ぐったりくたびれました。

Img_1229_3 帰りの新幹線の車窓から見た富士山のシルエット。6時半過ぎに通過したので、ぎりぎりで見ることができました。

 この旅行の後、サミットの行事として各国首脳が伊勢神宮を参拝したため、メディアで伊勢神宮が取り上げられることが多く、興味深く見聞きしました。そんなタイミングでお伊勢参りができてよかったです。さて、次の新しい社殿を参拝することができるかどうか……天照大神のみぞ知る、ですね。

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2016/06/06

お伊勢参り(その6) 熱田神宮

 6月になったのにまだGWの記事が終わっていません。

 5月5日。お伊勢参りの旅3日目は、熱田神宮を参拝し、名古屋城を見学するという名古屋観光初心者コースをまわりました。亡き父の郷が愛知県だったので、半世紀程前に家族で行ったことがありますが、ほとんど記憶がないため、初めてのようなものです。

<熱田神宮>

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 熱田神宮の主祭神である熱田大神とは、三種の神器の一つ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を御霊代とする天照大神のこと。景行天皇43年創建と伝えられ、2013年に創祀千九百年大祭が行なわれました。本宮の社殿は明治26年(1893)に尾張造から伊勢神宮と同じ神明造に改められ、現在の社殿は平成21年に造営されたものです。

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 下調べを怠り上記のウンチクを知らずに訪ねたので、伊勢神宮と同じような社殿に驚き、草薙剣が御神体と知って驚き、お伊勢参りの後、参拝してよかったと思いました。しかも5月5日は神輿渡御神事の日で、運よく神輿の行列を見ることができました。

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 参道や、本宮の周回の「こころの小径」の緑が美しく、すがすがしい気持ちで歩きました。この日は参道で写生大会が行なわれており、大勢の親子が熱心に写生していました。






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 正門の近くにある上知我麻(かみちかま)神社と別宮八剣宮。


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2016/05/27

お伊勢参り(その5) 松阪

 お伊勢参りは前の記事までですが、旅はまだ続きます。

 「伊勢から名古屋までの間で見るべきものは?」と調べたら、松阪の街が面白そうでした。小さな街で3時間もあれば主な観光スポットを回れるのも好都合です。というわけで、宇治山田から近鉄特急に乗って14時過ぎに松阪に途中下車しました。18時過ぎの名古屋行き特急を予約していたので、4時間程の滞在時間がありました。

Map

 下調べ不足のため、まず駅前の観光情報センターに駆け込み、散策マップをいただいて簡単な説明をお聞きしました。

松阪駅→三井家発祥地→松阪商人の館→本居宣長宅跡→旧長谷川邸→松坂城跡→本居宣長ノ宮→夕食「洋食屋牛銀」→松阪駅

<三井家発祥地>

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 三井中興の祖で、延宝元年(1673)江戸・本町に三越の前身「越後屋」を開業した三井高利の生誕の地。元和8年(1622)生まれの高利は14歳から江戸で修行、28歳で松阪に戻って金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸に進出しました。

Img_1189 往時の建物は何もなく、左上の門は大正に建てられたもの。この近くに真新しい観光客用の休憩所があり、三越のライオンが鎮座していました。


<松阪商人の館>

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 江戸時代、商人の町として栄えた松阪には江戸店持ちの豪商が数多くいましたが、ここはその中でも筆頭格の小津家の旧家です。3代目小津長弘は承応2年(1653)に大伝馬町に紙店、元禄11年(1698)隣地に木綿店を開業しました。

 現在も創業以来の場所で営業を続けています。その「小津和紙」のビルを知っているので、昔と今とが繋がり興味深かったです。三越もしかり。後述する長谷川家も含めて、ごく近所にこうした豪商の本家があるのには驚きました。

<本居宣長宅跡>

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 「商家の並びに本居宣長の家?!」と訝ったら、本居宣長は享保15年(1730)に上記の小津家の二男として生まれたそうです。小津家の先祖は本居家という武士で、本居宣長は途中から先祖の姓を名乗りました。京都で医学を学んだ7年間を除いて、12歳から亡くなる72歳までこの地に住み、医師をしながら、35年かけて『古事記伝』を執筆しました。

 ここにあった邸宅は現在、松阪城跡に移築されています。実は見逃しました(今頃発覚)。

<旧長谷川邸>

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 豪商・長谷川家の邸宅。右の俯瞰写真はパンフレットから取り入れましたが、20室以上からなる主屋を取り囲むように5つの蔵が建っているのがわかります。建物だけでなく、生活道具や商業資料も良好に保存されています。蔵の千両箱を開けたら大判小判まで出てきたらしい。平成25年に長谷川家から松阪市に寄贈され、昨年から一般公開が始まりました。

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 歌川広重の『東都大伝馬街繁栄之図』。左手前のお店「たんもの はせ川」と書いてあるのが長谷川家の東京店です。3代目政幸が江戸に出て木綿仲買になった後、元禄15年(1702)に大伝馬町に新店を開業しました。江戸から明治にかけておおいに繁栄し、その後も会社経営が続けられましたが、2014年に解散したようです。

<松坂城跡>

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 松阪市だけど、松坂城。明治に地名の表記が松坂から松阪になったそうです。

 天正12年(1584)近江の蒲生氏郷が南伊勢を与えられて松ヶ島城に入城し、その後、新たに松坂城を築城。城下町建設にあたり、旧領の近江商人を呼び寄せたことが「松坂商人」の始まりになりました。江戸時代になり、南伊勢は紀州藩領となって松坂城代が置かれました。

 右上の写真の左側の一段高い場所が天守跡。石垣が美しく整備されて、松阪の街が一望できる気持ちのよい公園でした。城内に歴史民俗資料館と本居宣長記念館がありましたが、残念ながら見学する余裕がありませんでした。炎天下を歩いてぐったりしていたし、宿を出てから冷やししるこしか食べてなかったので、見学より食事を選んだ次第。

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  御城番屋敷






<本居宣長ノ宮>

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 本居宣長を祀った学問の神様。ご朱印には「しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山さくら花(敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花)」の歌が書いてあります。


Img_1187_2 約9時間ぶりのお食事。古い家並みが残る一画にある松坂牛の老舗「牛銀」の系列の洋食屋さんにて高級牛丼をぺろっといただきました。

 この日の歩数24101歩。7時半過ぎに名古屋駅近くのホテルにチェックインするとバタンキューでした。

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