2017/01/20

東海道踏破オフ (jt.1) 神奈川宿

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   広重「東海道五拾三次之内 神奈川(臺之景)」

 昨年は数えるほどしか更新しませんでしたが、今年もそんなペースで細々続けたいと思います。昨年内に更新できなかった記事がいくつかありまして、今回は3か月程前の東海道歩きの記録(苦笑)。せめて東海道の記録と旅行記ぐらいは残しておきたい。

 2016年10月23日。珍しく日曜日にぶんぶんさんと二人で神奈川宿を歩きました。まず、この記事のタイトルの(jt.1)とは何ぞや、ですが、これはjoint(繋ぎめ)の略。我々の東海道踏破計画は、みんなで歩くオフのほか、メンバーの誰かが歩いて繋いでいく形で進めていきますが、オフ以外をjointと呼ぶことにしました。ちなみに、本来の(jt.1)は桜桃さんとゆれいさんが新子安から保土ヶ谷まで歩いてくれたので、この日は見どころが多い神奈川宿だけ歩きに行きました。

 神奈川新町駅11:00集合→神奈川宿散策→横浜にてランチ

 神奈川宿は神奈川湊を持つ宿場として賑わい、幕末の黒船来航後、横浜が開港されるまで諸外国の公使館や宿舎が置かれて外交の舞台となりました。以下は、かつて公使館などが置かれていたお寺。滝の川をはさんだ宿場の中心付近に点在しています。

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(左上から順に)
①成仏寺(アメリカ宣教師ヘボンの宿舎跡)
②慶運寺(フランス領事館跡)
③浄瀧寺(イギリス領事館跡)
④宗興寺(ヘボンの施療所跡)
⑤甚行寺(フランス公使館跡)
⑥本覚寺(アメリカ領事館跡)

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 神奈川宿の本陣は、滝の川に架かる滝の橋をはさんで東に神奈川本陣、西に青木本陣がありました。当時は左下の説明板の絵図のような様子でしたが、現在は真ん中の状況。滝の川だけ昔のままです。

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 日本橋から品川、川崎とほぼ平坦な道を歩いてきましたが、第一京浜から宮前商店街に入り、JRの線路に架かる青木橋を越えるとなだらかな上り坂が始まります。上記の⑥本覚寺はその入口の高台に位置しており、門前からの見晴らしがよいです。

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 広重が描いた神奈川宿は、その上り坂を少し入ったあたりになります。臺之景の臺は台の旧字で台町の意味。台町は海沿いの景勝地で多くの茶屋が軒を連ねていました。浮世絵に描かれた「さくらや」という茶屋が幕末に「田中家」と名前を変え、現在も同じ場所で営業しています(左下の写真)。龍馬の妻のおりょうさんが龍馬亡き後、ここで働いていたらしい。

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 田中家から少し行ったところに神奈川関門跡碑(上中央)が建っています。開国後、幕府が警備強化のために設けた関門の一つ。この日最後の訪問場所は勧行寺。天然理心流の開祖・近藤内藏之助の墓(右上)がありました。新選組局長の近藤勇は4代目に当たります。

 この後、横浜駅の近くでランチをして解散しました。神奈川宿だけなのでたいして歩かないと高をくくっていましたが、起伏のある道を3時間近く歩いて思ったよりくたびれました。iphoneのヘルスケアを調べたら、のべ20284歩、階段21階分!

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2017/01/10

武蔵野吉祥七福神めぐり

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 2017年が明けて早10日。今更ではありますが、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 2010年に始めた七福神めぐりも今年で8年目。2か所巡った年もあるので、今回が10か所目になります。今年は7日に夫の実家から程近い武蔵野吉祥七福神を巡ってきました。ちなみに、武蔵野七福神というのは埼玉県にありまして、こちらは吉祥寺の吉祥が付きます。

Image1 この武蔵野吉祥七福神めぐりは地元商工会議所が主催するイベント色の高い七福神めぐりで、紙袋入り色紙セット(2000円)には、色紙のほか、バス無料乗車券、手ぬぐい、地粉うどんが入っています。6か所の寺社のうち、2つはやや遠いので、1月1日から7日まで七福神めぐり用の特別バスが運行していて、このバスを利用できるというわけ。七福神めぐりは歩いてこそと思いつつ、3回利用してしまいました。この日ののべ歩数11227歩。

井の頭線「井の頭公園」駅→①井の頭弁財天<大盛寺>⇒②杵築大社(恵比寿神)⇒③延命寺(寿老人、毘沙門天)⇒④大法禅寺(福禄寿)→⑤武蔵野八幡宮(大国様)→⑥安養寺(布袋尊)→「吉祥寺」駅
(⇒はバス利用)

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①井の頭弁財天<大盛寺>

20170107_170110_0014_2 井の頭公園の中にある弁財天。詳しいウンチクはこちらの記事へ。昔の記事を読むと、「へぇ、そうなんだ」と新鮮な気持ちで読めるほど忘れています。

 余談ながら、この日、井の頭公園はサイホーンの巣でした(笑)。

②杵築大社(恵比寿神)

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 杵築大社(きずきたいしゃ)は出雲大社の旧名。この杵築大社は、江戸初期に出雲の松江藩初代藩主・松平直正が当所を御用屋敷と定めたのが始まりとされています。高さ10mの富士塚があるから見ようと思っていたのに、すっかり忘れてしまいました。

③延命寺(寿老人、毘沙門天)

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 寛文10年(1670)、関前村の開村にあたり、神仏習合のもと、鎮守八幡神社として造立され、明治維新の神仏分離令により、延命寺と関前八幡神社(隣接)に分離されました。

④大法禅寺(福禄寿)

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 寛永10年(1634)、江戸麻布桜田町(現・六本木)に開創され、昭和7年に現地に移転しました。吉祥寺の繁華街から少し入った住宅街の中にあります。

⑤武蔵野八幡宮(大国様)

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 延暦8年(789)、坂上田村麻呂が江戸水道橋付近に創建したと伝えられます。江戸初期、水道橋付近にあった吉祥寺という名のお寺とその門前町が大火で焼失し、吉祥寺は駒込に移転(訪問時の記事)、住民は武蔵野の地に移住させられ、そこを「吉祥寺村」と名付けました。それが吉祥寺という地名の由来です。移住に際して八幡社を遷座し、吉祥寺村の鎮守として祀ったのがこの武蔵野八幡宮の始まりです。

⑥安養寺(布袋尊)

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 武蔵野八幡宮付近にはお寺が多く、安養寺、光専寺、蓮乗寺、月窓寺を総称して「四軒寺」と呼ばれています。この安養寺の開山は寛永元年(1624)ということなので、吉祥寺村の開村以前からあったようです。


 そうそう、色紙の中央の金文字、これは当たりなんですって。普通のは黒い墨字ね。賞品の入浴剤1個はともかく、酉の字が金色で幸先いい! 年女の1年、穏やかな日々でありますように。


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2016/11/10

第3回 東海道踏破オフ≪蒲田~川崎~新子安≫ その2

こちらの続き)

 短い休憩後、ピッチを上げて先を急ぎました。

Img_1484  川崎宿を出てまもなく京急八丁畷駅の手前に芭蕉句碑があります。元禄7年(1694)、芭蕉が故郷伊賀への帰途、見送りの門人と別れた場所。別れを惜しんで、「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」という句を詠みました。

Img_1485 右の写真は、八丁畷駅の裏にある人骨慰霊碑。江戸時代にこの辺りで人骨が多数出土したため、建てられた慰霊碑です。八丁畷とは長い直線道路を意味しています。


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Img_1489 さらに、熊野神社、市場村一里塚を通りすぎ、鶴見川橋を渡った頃がちょうど日没でした。ゴールまであと4キロ程。急げ急げ。



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 橋を渡ってすぐ鶴見橋関門旧跡碑があります。生麦事件(後述)後に川崎宿と保土ヶ谷宿の間に20ヶ所設けられた見張り番所の一つ。真ん中の写真は、咳の特効薬「苦楽丸」で知られた鶴居堂跡。鶴見の商店街に入った頃には薄暗くなってきました。

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 JR鶴見線の国道駅のガードをくぐると、生麦の魚河岸通りに入ります。シャッターが下りた魚屋さんの店舗が並ぶ薄暗い道筋を行くおばさんたち(笑)。奇祭「蛇も蚊も祭り」が行なわれる動念稲荷の鳥居がちょっと不気味に感じられました。

 生麦という地名は、徳川二代将軍秀忠の行列がこの地を通過する際、道がぬかるんで通れなかったので、村人たちが街道脇の生麦を刈り取って道に敷いて通らせたことに由来する、とwikipediaには書いてあります。秀忠が生麦という地名を与え、村人に漁業を営む権利を与えたとのこと。いやいや、秀忠ではなく家康の入国時だ、とか、この地で取れた生貝をむき身にしたから「生むき」になった、とか、諸説あって真相はわかりませんが、興味深いので書いておきます。生麦の地にキリンビール工場があるのも面白い!

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 生麦といえば、生麦事件。幕末の文久2年(1862)、薩摩藩の島津久光の行列の前を騎乗の英国人リチャードソン他3名が横切ろうとしたところ、薩摩藩士に切りつけられ死傷した事件です。これがきっかけとなり薩英戦争が始まり、敗北した薩摩はやがて長州と同盟を結び、倒幕につき進んでいきました。現場に説明板があり、少し先に生麦事件碑が建っています(現在、横浜環状道路工事中のため、移設中)。

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 キリンビール工場の一角にある「SVB YOKOHAMA」に到着。予約の18時に無事間に合いました。ビールもお料理も美味しく、不便な場所にあるのに満席なのが納得できるビアホールでした。

 食後、さらに新子安駅まで1キロ弱歩いて解散となりました。のべ歩数、24155歩。日本橋から約26.5キロ、東海道の5.4%完了。東海道歩きの面白さが少しずつ増してきました。

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2016/10/31

第3回 東海道踏破オフ≪蒲田~川崎~新子安≫ その1

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   広重「東海道五拾三次之内 川崎(六郷渡舟)」

 2016年10月15日。台風と残暑の9月が終わると、いつの間にか季節が進んで秋になっていました。とはいえ、あいかわらず気温の変動が大きく、だいぶ秋めいたかと思えば、また夏日がやってくる落ち着かない日々。この日も爽やかな秋晴れというには気温が高く、日傘をさしてのスタートとなりました。

14:00京急蒲田駅集合→川崎宿→(休憩:川崎「カフェベローチェ」)→18:00宴会「SVB YOKOHAMA」キリンビール工場内 →新子安駅解散

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 だだっ広く殺風景な第一京浜(左の写真)に旧東海道の面影を求めることはできませんが、道路に面した熊野神社(中央)や六郷神社(右)などの存在がかろうじて旧東海道であることを教えてくれます。今回は10キロ程歩く予定で時間に余裕がなかったため、参拝や寄り道はほとんどせずに先を急ぎました。道を間違えないようにしっかりチェックしながら。

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 都県境の新六郷橋を渡ると神奈川県川崎市に入ります。広重の浮世絵はこの場所を描いたもの。東海道の制定前からこの川には何度も橋が架けられたけれども、洪水のたびに流されてしまい、元禄以降は渡し船に切り替えられたそうです。

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 新六郷橋を渡り第一京浜の下をくぐって脇道に入ると、旧東海道の川崎宿に入ります。川崎宿は何も残っておらず、ただ○○跡解説板が点在するのみ。でも、当時と変わらぬ湾曲した片側一車線の狭い道筋が残っていることは幸いです。下の画像は、かわさき宿交流館でいただいた川崎宿マップ。

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(左から順に)
①六郷の渡し跡
②奈良茶飯が名物の「万年屋」があった万年横丁と
 川崎大師に通じる大師道の分岐点
③田中本陣跡
④中の本陣跡

つづく

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2016/09/14

第2回 東海道踏破オフ≪品川~蒲田≫

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    広重「東海道五拾三次之内 品川(日之出)」

 2016年9月3日。9月になれば少しは暑さが落ち着くかと思いきや、まだまだ暑い。雨の心配をしていたのに日差しが強くて、晴雨兼用傘を日傘にして歩き始めました。

15:00JR品川駅集合→品川宿→(休憩:大森海岸「UCCカフェ」)→京急蒲田→18:00宴会「キリンシティ」

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 品川駅から第一京浜を南下してまもなく、八ツ山橋の交差点から左の脇道に入ると、旧東海道品川宿の道筋が始まります。上の浮世絵の右側の崖が八ツ山。江戸時代の東海道は海沿いの道だったことがよくわかります。

 品川宿については、お江戸オフで歩いた時に詳しく書いているので、その記事をリンクしておきます。この時は大森駅から歩いたので、今回とは逆に鈴が森方面からの記録になっています。また、今年のお正月の東海七福神めぐりでもこの界隈を歩いているので、そちらもあわせて記しておきます。

Img_1398品川宿
鈴が森~鮫洲
龍馬と品川
南品川
北品川
東海七福神めぐり

 というわけで、品川宿についてはもう書き尽くしたという思いなので、今回はお気軽に歩いただけ。写真もあまり撮っていません。要は手抜きです。でも、歩いた道の写真はもっと残しておきたいと今になって思っています。

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本陣跡、品川寺、鈴が森刑場跡

 旧東海道の道筋は鈴が森の先で第一京浜に合流し、後は蒲田までひたすら第一京浜を進みます。と思いこんで歩きましたが、なんてこった、途中の一部は脇道に入らなければいけなかったのです。2回目にしてもう道を間違えました。第一京浜の写真が1枚もないし、また大森に行ってこようか。教訓:道の確認は念には念を入れよ。

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磐井神社、大森神社、貴菅神社

 貴菅神社は5年前の第一京浜拡幅の際、現在地に移動したとのこと。大正時代に第一京浜が造られた時に旧地から移転して以来2度目。現在、この神社の先から蒲田まで第一京浜の拡幅工事が行なわれています。

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 蒲田梅屋敷公園。江戸時代、和中散(道中の常備薬)を売っていた山本家が屋敷内に梅の木などを植えて茶屋を開いたことが起源。梅の名所として賑わい、将軍やシーボルトも立ち寄りました。後に明治天皇が9回行幸しています。日本橋から三里十八丁と書いた道標が復元されていました。1里=36町=約3.9キロなので、約13.7キロ。

Img_1411 梅屋敷から500m程先の京急蒲田駅が今回のゴール。ということは、のべ14.2キロ程度ですね。15キロは歩いたと思っていたのに。東海道の2.9%完了。私たちの行く道ははてしなく遠い。

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