あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2012年は明るく穏やかな1年でありますように。
谷中七福神の福が皆様のもとに届きますように。

一昨年から我が家の恒例行事になった七福神めぐり、今年も行ってきました。今年は「江戸最古」という谷中七福神。2日の実家訪問の前にあわただしく休憩なしで回りました。ご朱印をいただく待ち時間を含めて、のべ3時間半あまり。万歩計を忘れたけれど、5キロ以上歩いたはずです。 ここのご朱印は七福神の絵が描かれた和紙にいただくのが正式ですが、我が家は色紙にしました。色紙500円、ご朱印各300円。
初めて回った日本橋七福神は都心、目黒は山の手、隅田川は下町、そして谷中は昔ながらの風情が残った寺町とそれぞれ雰囲気が異なり、それぞれのよさがあります。昭和の匂いが漂う谷中を歩き、広大な谷中霊園を横切り、上野動物園の狭間を通り、変化に富んだ道のりでした。谷中の七福神様は「江戸最古」のキャッチフレーズにふさわしく威厳のあるお姿が多い印象でした。
七福神のご利益をいただけて、ご朱印集めは楽しく、街歩きは面白い。ますます七福神めぐりの魅力にはまりました。ご開帳期間のうちにもっと回りたい気もしますが、また来年のお正月のお楽しみとしましょう。
JR田端駅→①東覚寺(福禄寿)→②青雲寺(恵比寿)→③修性院(布袋尊)→④長安寺(寿老人)→⑤天王寺(毘沙門天)→⑥護国院(大黒天)→⑦不忍池弁天堂(弁財天)→上野駅
(下の地図とは逆に歩きました)


①東覚寺(福禄寿)



室町時代に創建されたお寺で、福禄寿は近くにあったお寺から明治時代に遷座されました。
不動堂前の仁王像(写真左)は江戸寛永年間(1641)に建てられたもので、赤紙仁王尊と呼ばれ、赤紙を自分の患部と同じ場所に貼って病気の治癒をお願いします。お線香2本と赤紙2枚が1セットで200円。私も胃のあたりに赤紙を貼ってきました。本堂の裏手には傾斜を利用したこじんまりとした庭園もあり、なかなかユニークなお寺です。
②青雲寺(恵比寿)

佐倉藩主堀田氏が創建に関わった禅寺で、修性院とともに花見寺と呼ばれていました。江戸時代に「ひぐらしのさと」と呼ばれた日暮里周辺には月見寺や雪見寺もあり、雪月花の景勝地でした。
文化7年(1810)に建てられた滝沢馬琴の筆塚(写真右)があります。
③修性院(布袋尊)

身延山久遠寺系の日蓮宗の寺で、天正年間に石神井に創建され、寛文3年(1663)に現在地に移転されました。花見寺の一つで、その中でも随一の花見客で賑わったといいます。
布袋像はどっしりとした大きなもので、寺を囲む塀には微笑ましい布袋様の絵が描かれています。
④長安寺(寿老人)

寿老人像を安置した長安軒という小さなお堂がこの寺の基で、寛文9年(1669)、老山和尚が長安寺を開創しました。それより400年も前の年号が刻まれた板碑が残されています。
⑤天王寺(毘沙門天)



(左から、本堂、毘沙門堂、五重塔跡)
鎌倉後期に日蓮聖人の弟子が開創、元禄12年(1699)天台宗に改宗。天保4年に天王寺と改称されるまで感応寺といい、江戸三富の一つとして(他は、湯島天神、目黒不動)賑わいました。広大な伽藍は幕末の上野戦争で灰燼に帰し、明治初期に寺域の大半が都営の谷中霊園になりました。上野戦争で焼け残った五重塔は昭和32年(1957)、心中による放火で焼失しました。
毘沙門天は比叡山から移された、伝教大師作といわれるもの。
歴史あるお寺ですが、現在の本堂などは新しく建てられたものでかつての面影はまったくありません。残念!
<徳川慶喜墓所>
七福神とは関係ありませんが、ぜひ記録しておきたい!


「私は前に見たからいい」と言ったんですが、夫が行きたがって再訪しました。そうしたら、なんと、オフのとき見たものとは違う? 前回見たのはお隣りの一橋家のお墓だったようです。薄気味悪くてよく見てなかったんですね。
これが正真正銘の徳川慶喜のお墓。美賀子夫人のお墓と並んでいます。神式の円墳。慶喜は自分の葬儀を神式で行うように遺言したそうです。
⑥護国院(大黒天)

寛永寺を創建した天海僧正の弟子・生順が開創し、その後数回の移転を経て現在地に至っています。本堂は享保7年(1722)に再建されたもの。大黒天は像と画像があり、画像は徳川家光から贈られたものと伝えられています。
上野戦争や第二次大戦で焼失を免れた本堂は300年近い歴史の重みを感じました。
⑦不忍池弁天堂(弁財天)

寛永寺建立の際、不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島に似せた中の島を築いて弁財天が祀られました。当時のお堂は昭和20年の東京大空襲で焼失し、昭和33年に現在の建物が再建されました。
弁天堂のまわりにはふぐ供養碑、包丁塚、めがねの碑、鳥塚など、たくさんの石碑が建っています。
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