2010/02/08

第20回お江戸オフ《高輪》その2

こちらの続き)

 高輪は台地の縁にあるため、アップダウンが多く、道がややこしい。地図上では隣りなのに迂回しなければ行かれなかったり、地図にはない狭い路地で繋がっていたり……。こんな道も通りました。左は東禅寺から桂坂に出る洞坂。坂道マニアのタモリさんご推薦の坂道です。右は二本榎通りから泉岳寺に下る途中の路地。ちょっと探検隊気分です。

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東禅寺
 プリンスから路地経由で裏手から到着。
 この東禅寺には幕末の安政6年(1859)、最初のイギリス公使館が置かれました。開国以来、攘夷の風潮が根強く、文久元年(1861)と2年(1862)に2度の襲撃を受けています。最初の襲撃事件は水戸浪士によるもの、2度目は警護担当の松本藩士によるもの。
 ついでながら――その後、安全を求めて御殿山への移転が決まり、立派な公使館が建設されましたが、完成間近の文久2年暮、高杉晋作ら長州藩士による焼き討ちに遭います。
 今はそんな動乱の時代が嘘のようにひっそりと静まり返っています。本殿の「海上禅林」という額は、正式名称「海上禅林佛日山東禅興聖禅寺」から。

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二本榎
 プリンスホテルの山側を第一京浜と並行して走っている道路を二本榎通りと言いますが、由来は江戸時代、街道沿いの上行寺(現在は移転)に大きな榎が2本あって目印になっていたことによります。何故か、桂坂との丁字路にも(写真左)承教寺にも(右)碑が立っていました。

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 この道は戦災に遭わなかったそうで、戦前の古い建物が残っています。左は高輪消防署二本榎出張所、右は和菓子の虎屋。虎屋で買ってきた栗饅頭が美味しかった! 羊羹の虎屋とは別のお店です。

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承教寺
Img_2051 元禄時代の画家、英一蝶(はなぶさいっちょう)のお墓がある日蓮宗のお寺。








大石内蔵助切腹の地(旧熊本藩細川氏下屋敷跡)
 実はここ、行きそびれました。というのも、二本榎通りを歩いていたら、「大石良雄等自刃ノ跡」という石碑(写真左)を見つけたので勘違いしまして……。この石碑の後ろに写っている都営高輪アパートの奥に「大石良雄外十六人忠烈の跡」があるようです。wikipediaの画像を貼っておきます。あいかわらず詰めが甘いですね。

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 二本榎通りをさらに歩くと、高松宮邸の少し先に「松島屋」という豆大福の名店があります。こちらで教えていただいて以来、ずっと気になっていたので寄ってみましたが、残念ながら売り切れでした。どうやら午前中に行かないと買えないらしい。

(続く)

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2010/02/04

第20回お江戸オフ《高輪》その1

 2010年最初のお江戸オフは記念すべき20回目。ここまで続けてこられたのも参加メンバーのおかげです。難しいお年頃ゆえ、それぞれ面倒な問題頻発の日常をこなしつつ、オフを楽しみにしている次第。このところ参加者が少なめでちょっと淋しいけれど、何とかフォローし合って細く長く続けたいと思います。

 さて、今回は品川の続き、高輪。品川駅の西側の高台一帯です。ちなみに、品川駅の住所表示は品川区ではなく港区高輪。古くは高縄と記され、高輪の字が使われるようになったのは江戸時代だそうです。

「品川」駅13時集合→①高山稲荷→(柘榴坂)→②元和キリシタン殉教の碑(カトリック高輪教会)→③高輪プリンス日本庭園・旧竹田宮邸→④東禅寺→(洞坂・桂坂)→⑤二本榎→⑥承教寺→⑦大石内蔵助切腹の地(旧熊本藩細川氏下屋敷跡)→⑧泉岳寺→⑨高輪大木戸跡→⑩御田八幡神社→⑪済海寺→⑫亀塚稲荷→⑬薩摩藩上屋敷跡(NEC本社脇)→⑭西郷・勝会見の地(三菱自動車本社北東端)→⑮鹿島神社→⑯雑魚場跡(本芝公園)→田町駅

高山稲荷神社
 品川駅の向かい側にある小さなお稲荷さん。「おしゃもじさま」と呼ばれる石灯籠は縁結びの神として知られています。この石灯籠は、かつて高輪の高台にあった石神社から合祀されたもの。

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元和キリシタン殉教の碑(カトリック高輪教会)
 柘榴坂の坂上にカトリック高輪教会があり、その前庭に碑が建っています。
 元和9年(1623)、幕府のキリシタン弾圧によって「札の辻」付近で50人が火刑に処されました。殉教の地に近い教会ということで、ここに碑が建てられています。右の絵は高輪教会のサイトから拝借。

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 田町駅に近い刑場跡にも殉教碑があるので、そちらにも行くべきでした! 近くを歩いているのに通過してしまって残念です。

高輪プリンス日本庭園・旧竹田宮邸
 高輪・新高輪プリンスの敷地は江戸時代、薩摩藩ほかの下屋敷で、その後、皇族の竹田宮邸、北白川宮邸になり、戦後、西武鉄道が買収しました。に続いて、また西武の登場!(詳細はこちらのサイト
 竹田宮本邸の建物(写真左)が現存し、高輪プリンスの宴会場として使われています。明治42年(1909)竣工のルネッサンス様式。

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 高輪プリンスの敷地内に足を踏み入れるのは初めてでしたが、庭園が美しく、静かで落ち着いた雰囲気のホテルでした。河津桜が咲き始めていました。桜の季節、ちょっと贅沢なランチに利用してみたい!

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2010/02/01

龍馬と品川

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 京浜急行「立会川」駅前の坂本龍馬像と浜川砲台跡の写真です。昨日の大河ドラマ『龍馬伝』の史跡紹介コーナーに登場したばかりですね。タイムリーにも一昨日のお江戸オフ(高輪散策)の集合前に立会川まで足を延ばしたので、さっそくご紹介します。

 土佐藩の抱屋敷(かかえやしき:拝領ではなく藩が独自に取得した屋敷地)が立会川河口付近にあったため、ペリー来航後、藩は幕府の許可を得て砲台(浜川砲台)を造って警備に当たりました。坂本龍馬もこの警備に参加したと言われています。警備陣は現在の大井公園の場所にあった下屋敷(こちらの記事参照)を宿所とし、砲台との間を毎日通ったそうですから、龍馬もこのあたりを歩いたはずです。

 実はこの龍馬像、土佐の桂浜にある銅像のレプリカで重々しさはありませんが、「大河ドラマで明日放映予定」ということで結構賑わっていました。地元商店街には龍馬のポスターやのぼりが目立ち、龍馬ブームに乗ろうと盛り上がっています。

 ところで、昨日のドラマでは龍馬と桂小五郎が黒船を間近で見るシーンがありました。史実ではないと思いますが、「あってもおかしくない」ことなんでしょうか。気になるので調べて見ました。
 ペリー来航     1853年6月3日 
 坂本龍馬(17歳) 1853年3月 江戸へ
 桂小五郎(19歳) 1852年9月 江戸へ
二人とも江戸にいたことは間違いないようですね。

 そういえば、6年前の大河『新選組!』では近藤勇と土方歳三も黒船を見てましたっけ。あのドラマでは龍馬や桂小五郎とも交流がありました。二人は何歳だったのか?
 近藤勇(18歳)
 土方歳三(17歳)
みんな同年代のハイティーン。うーん、なかなか興味深い! そのほか、吉田松陰、西郷隆盛、大久保利通は20代前半。後の徳川家茂6歳、慶喜16歳。幕末って若者が活躍した時代なんですね。

 と、横道に逸れたところでこの記事はおしまい。次はオフ本編の記録につなげます。

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2010/01/29

ホットカーペットのリコール

 今週の月曜日、パナソニックからホットカーペットのリコールが告知されました。「念の為」と我が家のカーペットの製品番号をチェックしたら、なんとご当選……いや該当してまして……。15年物の使い古しでそろそろ替え時と観念していたんですよ。こんな寿命寸前のものを交換してもらえる? もしかしてラッキー?! パナソニックのサイトから専用受付フォームを送信する私の頬はちょっと緩んでいたかもしれません(笑)。

201001291133000 4日後の今日、でっかい箱が届きました。同じ広さの新品カーペット入りです。ヒーターだけでなくカバーまで。古いカーペットは届いた箱の中に入れて返送するそうで、着払いの伝票(記入済み)と封緘シールが入っていて、至れり尽くせりです。途中買い換えた安物のカバーも引き取っていただいて、何だか申し訳ない気持ち。

 さすが旧松下電工、危機管理システムがしっかりしています。受付フォームを送信しただけで、交換品を送ってきたことにもびっくり。確認の電話くらいあると思っていました。新しいカーペットに気をよくしているのは確かですが、パナソニックの印象もアップしました(単純!)。

 そういえば、今年は年賀状も3等が2枚ありました。なかなか幸先いい滑り出しです。

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2010/01/21

第19回お江戸オフ《品川宿 後編》その3

こちらの続き)

寄木(よりき)神社
Img_1841 南品川猟師町の鎮守。「江戸名所図会」には、海辺の漁村に面した神社の絵が掲載されています。
 石蔵造りの本殿には、左官の名工、入江長八による鏝(こて)絵が残っています。鏝絵とは、漆喰の壁面に鏝で盛り上げて描き、彩色した絵。残念ながら、光が反射してよく見えなかったので、運よく中を見せていただいた方のブログで写真を拝見しました。

品川宿本陣跡
Img_1845 品川宿の本陣(参勤交代の大名や公家などが利用した宿泊施設)があった場所。明治元年に明治天皇が初めて東京に下った時にも利用されたため、聖蹟公園と名付けられました。


利田(かがた)神社
 この神社の前身は洲崎弁天といい、 かつて大きく北に曲がっていた目黒川の河口の突端にありました。江戸百景「品川すさき」の絵のように、海に囲まれていました。
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 寛政年間にこの辺りに迷い込んできた鯨(体長16.5m)を供養した鯨塚(写真左)があります。現在の海岸線はまだまだ先ですが、目黒川の名残りの運河が当時をしのばせてくれます。

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土蔵相模跡
 品川宿を代表する大旅籠「相模屋」があった場所。海鼠壁の外観が土蔵のように見えたので「土蔵相模」と呼ばれていました。現在はマンションの前に小さな看板が立っているだけ。右の写真は、昭和初期の土蔵相模。
Img_1851Sagami

Photo_2 桜田門外の変の前夜、水戸浪士がここに終結して別れの盃を交わしたほか、長州藩士が英国公使館焼き討ちの計画を練ったのもこの旅籠でした。
 諸説ありますが、江戸百景「月の岬」に描かれている座敷はこの土蔵相模とも言われています。




問答河岸跡
Img_1852_2 江戸時代、東海寺の沢庵和尚がこの辺りの河岸(荷揚げ場)に徳川家光を案内した際、無理問答を交わしたとされています。『徳川実記』にもそれが収められており、「問答河岸」と呼ばれるようになりました。
家光:海近くして東(遠)海寺とは是如何
沢庵:大軍を率いて将(小)軍と謂うが如し




 旧東海道の品川宿入口には標柱が立っています(写真左)。2回に分けて歩いてきた品川宿をようやく歩き終えました。八ツ山橋(右)を渡り、しばらく歩くとこの日の終点品川駅です。
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 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。次回オフの前にまとめることができて、ほっとしています。次回は引き続き、品川駅から高輪方面を歩く予定です。

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