なつかしの大阪万博
またしても「なつかしのネタ」です(カテゴリーを作ろうかしら)。「週刊現代」の今週号に「6400万人が見た『大阪万博』」という記事があって、激しく反応してしまいました。
万博は、東京から2回も行きました。しかも大阪滞在中は連日会場に通ったので、のべ4~5日は見物したことになります。主なパビリオンはほとんど見たはず。思えば、うちの家族はめげずにしぶとく待ちました。あの時から待つことの忍耐を知ったような気がします。
初めて会場に足を踏み入れた時のものすごい興奮や、太陽の塔を実際に目にした時の胸の高鳴りは、34年経った今でも忘れられません。テレビや雑誌などでしつこく"予習"して、各パビリオンの外観を覚えていたので、本物を見て確認するのが嬉しくてたまりませんでした。
アメリカ館の月の石やソビエト館の人工衛星に目を見張ったり、名も知らないような小国のパビリオンで珍しい文化に触れたり、中1の私にとってはすべてが強烈な国際体験でした。また、三菱未来館など日本企業のパビリオンでは未知の映像技術に触れ、度肝を抜かれました。IBM館のタッチパネル式のモニターが不思議で仕方なかったことも覚えています。太陽の塔の中にあった「生命の樹」という生物の進化を表したものも印象的でした。
そうそう、初めて冷麺なるものを食べたのも万博の会場でした。観覧車のようなものに乗って、フライドチキンとポテトを食べた記憶もあります。エキスポランドの遊園地も嬉しかったなぁ。あの時に集めた各パビリオンのパンフレットやスタンプ帳はどうしたかしら?
いい時代でした……社会も、そして、わが家族も。万博に携わった人や見物した人すべての思いを抱いて、太陽の塔は今もあの場所に立っています。
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コメント
大阪万博、行きましたよー。北海道から(^^)
何時間も並んでアメリカ館、ソビエト館見ました。
あとはどのパビリオンを見たか
ほとんど記憶にないですが…;
人の多さばかりやけに印象に残っています(汗)
パンフレットも買ったのにどこかへ行ってしまいましたー。
投稿: マージ | 2004/07/06 21:37
はじめまして。万博!なつかしいです。ゲートをくぐったときの走り出したくなるような興奮、初めてのささやかな国際経験は私も同じでした。
とはいえアメリカ館、ソ連館には行かず三菱未来館の一点狙いだった私は甘かった?数だけはたくさん稼いだんだけどなあ....のべ2日間で30だったかな?
科学と技術の発展、わくわくするような未来を疑わなかった1970年、小6の夏でありました。
新撰組の話題も気になっています。
これからもおじゃましますので、よろしくお願いします。
投稿: yoshioka | 2004/07/06 23:41
マージさん、こんばんは(^^)。
おお、北海道から!それはすごい。本当に人人人でしたね。あの時はただひたすら待つしかなかったんですよね。今だったら、ディズニーランドみたいなファストパスを作るんでしょうけれど。延々と待った後、人込みにもまれて見た月の石は、どこにでもあるような石だったけれど、それでも興奮したことを覚えています。
投稿: Tompei | 2004/07/07 01:06
はじめまして、yoshiokaさん。コメントをありがとうございました。
同じ年代ですね。子どもの純粋さとちょっと背伸びした好奇心が両方ともあったあの年齢だから、あんなに興奮したのかもしれませんね。三菱未来館は、荒れ狂う海と火山噴火の映像にびっくり仰天しましたっけ。ああ、なつかしい!
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
投稿: Tompei | 2004/07/07 01:08
Tompeiさん、大阪万博懐かしいですね。私は万博会場の近くに住んでいたので連日田舎から親戚が次々と泊まりがけでやってきて、その対応に母がてんてこ舞いをしていたのを思い出します。母方の従姉たちとお弁当作りを手伝って(万博会場内の食べるものはどれも高いので)バスに乗っていきました。会場はものすごい熱気でとにかく人が多かったし、外人さんが珍しくて片っ端から「ハロー」と声をかけていました。お祭り広場でバレエを見たり、ソ連館の前で長いこと行列していざ入ってみたらロシア革命の祖レーニンの展示ばかりだったのは意外でしたね。残念ながらあとはあまり覚えていません。遠足で連れて行ってもらったときは松下館や日本館、住友童話館をみました。このころは高度成長のまっただ中で夢と希望があふれていましたね。「くれよんしんちゃん」の映画「もーれつ大人帝国」で万博のシーンが再現されていました。
投稿: みかん | 2006/07/19 10:23