「恥ずかしながら」という言葉
7月30日付けの記事に対して、yosihokaさんからトラックバックをいただきました。「恥ずかしながら」という言葉に違和感を感じるという内容の記事でたいへん興味深かったので、私もこの言葉を検証してみることにしました。
1972年にグアム島から帰国した横井庄一さんの第一声「恥ずかしながら、帰ってまいりました」はあまりにも有名で、「恥ずかしながら」はこの年の流行語になっています。これを境に、この言葉の使われ方に変化があったかどうか、実際のところはわかりませんが、これをきっかけに、より普及したと考えても差し支えないかと思います。
私は、この「恥ずかしながら」を、「恥ずかしいことですが」という意味の前置きの言葉として使っています。つまり、「残念ながら」「勝手ながら」「不本意ながら」「僭越ながら」「遺憾ながら」などと同じような使い方です。しかし、これらはすべて形容動詞の語幹に接続助詞「ながら」がついたもので、形容詞の語幹「恥ずかし」+「ながら」とは形が異なります。
形容詞の語幹に「ながら」が付く場合は通常、逆接に用いられます。yoshiokaさんが例にあげている「身はいやしながら、母なむ宮なりける」(伊勢物語)も、「(男の)身分はいやしいけれども、(その男の)母は皇女だった」と逆接の意味になっています。「この車は小さいながら、よく走る」も同様です。
こう考えると、私を含めて、最近の「恥ずかしながら」の使い方は微妙にずれているのかもしれません。横井さんの言葉は、「恥ずかしくてたまらないけれど、帰ってきた」という思いが凝縮されていますが、私の使い方にはそれがありません。
ちなみに、青空文庫(インターネットの電子図書館)で、「恥ずかしながら」を検索したところ、太宰治の『花吹雪』に1例、佐々木味津三『右門捕物帖』『旗本退屈男』に3例ありました。最後に、太宰治の使い方を引用しておきます。
十九、恥ずかしながらわが敵は、廚房(ちゅうぼう)に在り。之をだまして、怒らせず、以てわが働きの貧しさをごまかそうとするのが、私の兵法の全部である。
追記(2007年8月31日):
「僭越ながら」という言葉を検索して、この記事にたどり着く方が多いようです。「僭越ながら」は、「自分のような者が出過ぎたことをして恐縮ですが」という謙遜の意味で使います。例えば、結婚式の祝辞で「ただいまご紹介に預かりました○○と申します。僭越ながら一言ご挨拶させていただきます」などと言います。今やほとんど紋切り型の社交辞令になっている気がします。
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コメント
鋭い考察でフォローしてくださり、ありがとうございます。
「残念ながら」「僭越ながら」なども、逆接であることには違いがないと思うのですが、現代の用法では逆接の意味が弱まって、ただの「前置き」になってしまっているのですかね。
たしかに
「残念ながらこちらでは対応しかねます。」
と言っているひとがあまり「残念」そうではなかったり、
「僭越ながら一言ごあいさつを....」
と言っているひとが全然「僭越」とは思ってなさそうだったりしますが(^_^;)。
投稿: yoshioka | 2004/08/02 20:28
>yoshiokaさん
>現代の用法では逆接の意味が弱まって、ただの「前置き」になってしまっているのですかね。
そうそう、それを言いたかったのです。わかりやすくまとめてくださって、ありがとうございます。
「恥ずかしながら」にしても、「僭越ながら」にしても、まずそれを言ったり書いたりすることで、次に続くことを言いやすくしているんです。そう考えると、言い訳めいていて、使い手本位の言葉といえますね。
投稿: Tompei | 2004/08/02 21:23