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2004/12/01

2004秋の京都(その3・新選組)

 今回の旅は、母と京都の紅葉を愛でるのが目的でしたが、私としては、せっかく京都まで行くのに新選組の史跡をまわれないのは残念、という思いがありました。春に、新選組発祥の地である日野の史跡を見学しており、京都での新選組の足取りも追ってみたいとずっと思っていたのです。

 だから、2日目に予定が少し早く終わって時間ができた時、壬生の屯所に行こうと思い立ちました。お疲れモードの母にはホテルで休憩していてもらうことにして……やや不満そうでしたが。

 少々無理をしても、行ってよかった! "現場"の空気を肌で感じることは、知識として知っているのとはまったく違う体験です。新選組隊士たちが暮らし、芹沢鴨らを粛清した部屋に座っているだけで、何だかぞくぞくするような不思議な感覚がありました。案内係の方がいろいろお話を聞かせてくださいましたが、「この屯所にいた頃、新選組は最も輝いていた」という言葉がとても印象に残っています。

 八木家が和菓子屋になっているのは意外でした。屯所餅と抹茶をいただき、屯所跡を出た頃には、あたりはすっかり暗くなっていて、八木家の外観や周辺のようすをよく見られなかったことが心残りです。またいつか、壬生周辺を訪問したいと思います。

 新選組の史跡としては、この屯所しか行かれませんでしたが、京都は至るところに幕末の名残りがあって、当時を偲ぶことができました。

 まず、宿泊した「京都ホテルオークラ」は長州藩邸跡なので、桂小五郎の像が立っていたし、向かい側には旅館「幾松」も見えました。食事をした「志る幸」は、池田屋事件の発端となった古高俊太郎が潜伏していた枡屋跡。また、高台寺では「御陵衛士屯所跡」も見ました。壬生の屯所を含め、これらの位置関係を見るだけでもなかなか興味深いものがありました。

 京都にいると、幕末は"ほんの少し前"の時代と感じ、確かに今と繋がっていることを実感できます。

その4に続く)

関連記事:2004秋の京都(その1・お寺)
       2004秋の京都(その2・グルメ)

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