『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン)
ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫)
ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)
ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)
話題の『ダ・ヴィンチ・コード』をようやく読みました。面白かった! ミステリーとしては特筆するほどではないと思いますが、ダ・ヴィンチの絵画の謎、聖杯伝説、シオン修道会、オプス・デイなどの話がとても興味深く、一気に読んでしまいました。
キリスト教や秘密結社に詳しい人が読むとアラが目立つようですが、一般人にとってはキリスト教にこういう面があることを知るだけでも面白く、好奇心が刺激されました。キリスト教を信仰している人はこの本をどう受け止めるのか、そのあたりにも興味があります。ローマ法王が逝去された時期と重なったせいもあり、欧米におけるキリスト教の影響力を再認識するとともに、もっといろいろ知りたいという気持ちになりました。
ルーブル美術館には行ったことがないのに、ルーブルの内部やその周辺が目に浮かぶような視覚的な描写が多く、著者が映画化を意識していることを感じました。その思惑どおり(?)映画化が決まり、トム・ハンクスが主演するそうですね。
この小説は、登場人物のキャラクターや心理描写、人間関係などにはあまり引き付けるものがないので、映画化にあたってそれをどう膨らませるかに注目したいと思います。私としては、映画の出来そのものより、ルーブルやサン・シュルピス教会、シャトー・ヴィレット、テンプル教会、ロスリン礼拝堂の映像に興味があるので、たぶん見に行くと思います。
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映画『ダ・ヴィンチ・コード』 (2006年5月22日)
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コメント
こんにちは、tompeiさん。
「ダ・ヴィンチ・コード」お読みになられたのですね。知り合いの方から私の好みだわよと薦められていたのです。tompeiさんの感想を読み益々読みたくなってきました。絵画や謎、聖杯伝説なんて聞くとワクワクです。視覚的な描写も楽しみです。
まだ、単行本化はされていませんよね?ハードでもよいので今日にでも本屋さんに行ってこようかしら。
投稿: kao | 2005/04/12 10:25
>kaoさん
こんばんは。
聖杯伝説や絵画に興味がおありなら、きっと楽しめるはずです(^^)。ぜひ読んでみてくださいね。ただし、文庫になるのはまだずっと先だと思うし、図書館だとかなりの順番待ちでしょうが……。
投稿: Tompei | 2005/04/12 20:08
こんにちは。私もお邪魔してます。Tompeiさんはとてもご興味の範囲が広いのですね~。
この本、私も買ってあるのですがまだ読んでいません。読まなくては。
ケン・フォレットの「大聖堂」ってお読みになりました?(村上春樹の翻訳した「大聖堂」とは別物です)この作品も中世ヨーロッパのことがよくわかる、とても興味深い作品でした。もしかして「ダ・ヴィンチ・コード」と共通点あるかな・・・?
投稿: ビアンカ | 2005/05/02 16:26
>ビアンカさん
こんばんは。
広く浅くあちこちに首をつっこんで、結局何も物になっていないんですよ(^^;)。そろそろ何かを深く究めるべく集中したいとは思うのですが……。
>ケン・フォレットの「大聖堂」ってお読みになりました?
いえ、読んでません。Amazonでレビューを見てみたら、なかなか面白そうですね。ただ、上中下と3巻ある長編なので、気軽には手を出せないのが難かな。まずは、図書館で手に取ってみます。教えてくださって、ありがとうございます。
投稿: Tompei | 2005/05/02 22:30
昨日つけさせていただいたと思ったのに、反映されていなかったんですね。確認せずに失礼しました。
ということで再度です、すみません。
またまた過去記事掘り起こしてTB送らせていただきました。
コメント欄のお花素敵ですね^^
投稿: 桜桃 | 2006/05/21 00:32
はじめまして、涼さんのところにからお邪魔致しました、ぞふぃと申します。(Tompeiさんのことは以前より存じ上げており、時折お邪魔もしておりましたので、はじめましてという言葉はなんとなく気恥ずかしい気がします。)
今回こちらを拝読して
>キリスト教を信仰している人はこの本をどう受け止めるのか、そのあたりにも興味があります。
とありましたので、キリスト教徒の端くれとして一言書かせていただきます。
多分日本人のクリスチャンにとっては、あまり問題のないものだと思います。DNAから「キリストは偉大な神であって人とはまったく違ったもの」という意識が欧米のクリスチャンにくらべると少ないと思いますので。多かれ少なかれ日本人は「処女懐胎」とか「数々の奇跡」にむしろ戸惑いを感じ、それを乗り越えた(つもり?)になって入信しているのだと思うのですよ。
でもこれはあくまで日本人の話で、ずーっと祖先からキリストが全く別の存在と思って生きている人たちには「大事なのは教えであって教祖ではない」という原則は理屈ではわかっていても受け入れがたいのではという気もします。
なんて、長々とすみません。
多分このような話は既にどなたからお聞きかともおもいましたが、おせっかいながら書き込ませていただきました。
失礼致しました。
投稿: ぞふぃ | 2006/05/25 10:26
>ぞふぃさん
はじめまして。ご丁寧なコメント、ありがとうございました。
こちらのコメントと併せて、ぞふぃさんの映画の感想も興味深く読ませていただきました。
私はクリスチャンではありませんが、プロテスタント系の学校で学び、とくに中高の6年間は毎日礼拝に出ていたので、自分の中にはキリスト教的なものが色濃くあることを自覚しています。ごく普通の日本人に比べれば、キリスト教について理解しているほうだとも思います。
でも、『ダ・ヴィンチ・コード』の原作を読んだり、映画を見たりしても、私の中のイエス像、キリスト教観にはまったく影響なく、「それはそれ、これはこれ」と異端の話をエンターテイメントとして楽しみました。これはキリスト教を信仰していないせいなのか、クリスチャンだったら抵抗があるのだろうか、とずっと疑問に思っていたわけです。ぞふぃさんの感じ方は私が想像していたとおりで、何だかほっとしました。
とは言え、フィクションだとわかっていても受け入れがたいと感じる人々がいることもまた事実なんですよね。宗教、信仰の問題は難しいです。
ぞふぃさんが書いていらしたように、
>「冒涜」うんぬんは映画会社の宣伝文句
というのが正解なのかもしれません。『ダ・ヴィンチ・コード』の世界的ヒットは、作品そのものの魅力以上に宣伝などの外的要因が大きいように思います。
投稿: Tompei | 2006/05/25 12:53