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2006/04/16

浅草の観音さま

 昨日、実家に行った際、「浅草で食事をしよう」ということになり、実母と二人で出かけました。週末でもあり、雷門から浅草寺あたりはかなりの人出で、昼食には遅い時間にもかかわらず、目ぼしいお店はどこも順番待ちの列ができている状態。お目当てのもんじゃ焼き屋も数組待っていましたが、仕方なく待つことにしました。

 ひところの浅草は、お正月をはじめ、三社祭やほうずき市や羽子板市などの時期を除けば、閑散としていたものですが、昨今はだいぶ人が戻ってきたようです。ということを母に話して同意を求めたら、「昔はこんなもんじゃなかった」と言います。母のいう「昔」とは戦前の浅草黄金時代の話なのでした。そりゃあ、戦前の浅草は東京屈指の歓楽街でしたからね。

 時代は違えども、浅草に程近い川向こうで生まれ育った母も私も、子供の時からお出かけと言えば浅草が定番でした。私が乳幼児のときの写真の多くは、浅草で撮ったもの。ものごころが着くずっと前から、観音さまにお参りし、ハトに豆をやり、花やしきで遊んでいたようです。

 記憶に残っているのはもう少し大きくなってからのことですが、だいたいが食べもの絡み。浅草寺境内のお茶屋のみそおでん、松屋デパートのお子様ランチ、セキネのシューマイランチ、王様のギョーザなど、覚えているのは当時の我が家の生活状況を思わせるエコノミーなものばかりです。セキネも王様も平成の今も健在なのは嬉しいかぎり。

 さらに成長するとミーハー絡みになって、ヨーロー堂でレコードをあさり、マルベル堂でブロマイドを眺める時代到来(ヨーロー堂もマルベル堂も健在!)。あこがれのマチャアキもヒデキも、最初にライブの舞台を見たのは、今はない国際劇場でした。このあたりは母の青春時代もたいして変わらず、ある時はマルベル堂でアラカン(嵐寛寿郎)のブロマイドを買い集め、ある時は松竹少女歌劇に熱を上げて国際劇場に通いつめたようです。

 何年ぶりかもわからないほどひさしぶりに、母と一緒に観音さまにお参りして、二人で回顧モードにひたったひとときでした。

 おみやげに買ってきた舟和の芋ようかんを食べながら、この記事を書きました。

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コメント

浅草で撮られた乳幼児のときの多くの写真。今の若い夫婦ならディズニーランドなのかも知れません。花やしきより小さな遊園地が併設されている水族館が地元にあって小さな時の写真はそこで撮られたものが多い自分です。カメラを持ってお出かけ、ささやかでも外食。普段着じゃないちょっとだけ良いよそ行きの服を着せてもらって、昭和の庶民のささやかな楽しみ。そんな光景を懐かしく思い出しました。

投稿: | 2006/04/18 23:06

>惑さん

 こんばんは。

>昭和の庶民のささやかな楽しみ

 そうそう、そのとおり。日本全体も各家庭も決して豊かではなかったけれど、それでも小さな幸せを感じていたんですよね。

 惑さんが育ったオホーツクと、東京下町のごちゃごちゃした町並みとは、環境はまったく違うけれど、確かに同じ時代を生きてきたということですね。

投稿: Tompei | 2006/04/19 01:14

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