『グレート・ギャツビー』(フィッツジェラルド著・村上春樹訳)
随分前に読んで記録を残しておきたいと思いつつ、時間が経過してしまいました。村上氏の次の翻訳本『ロング・グッドバイ』が話題になっている今頃になってアップします。
この『グレート・ギャツビー(華麗なるギャツビー)』はずっと昔、映画も観たし、宝塚の舞台も観たし、別訳の原作も読んでいますが、だからこそ村上春樹の翻訳に興味を持ったようなわけです。
まず、長めの「訳者あとがき」から読みましたが、これが非常に面白い。村上氏の『グレート・ギャツビー』に対する格別の思い入れと、翻訳に際しての方針が熱く語られていて、この本を読む意欲と期待が高まりました。何と言っても、あの村上春樹が「人生で最も重要な一冊」として挙げている本なのです!
村上氏の翻訳の方針
①「現代の物語」にする
古風な言い回し、時代的な装飾をできるだけ避ける
会話に命を持たせる
②文章のリズムを重視する
フィッツジェラルドの文章は美しいリズムが特徴
*「小説家であることのメリットを可能な限り活用」して翻訳
以上のことを念頭に置いて一読したところ、確かに、古めかしい表現やいかにも翻訳らしい文章はなく、今までの訳よりは読みやすいように感じました。そして、1920年代のアメリカのギャツビーがやや近しい存在に思えたような……あくまでも「ような」というレベルですが……。翻訳物の純文学から遠ざかっている私にはなかなか手強かった、というのが正直な印象です。
今までの訳とどこがどう違い、どんな工夫がされているか、とても興味がありますが、全てを検証する気力も時間もありません。最初の1~2ページだけ原文と訳文を読み比べてみたら、原文の構造を重視せずに語順を変えたり、段落を区切ったりしていることが目に付きました。また、言葉を補ったりして、かなり意訳をしている箇所も見られます。
自分のための覚え書きとして、冒頭と結末の部分の原文と3人の翻訳者による訳文を記録しておきますので、興味のある方はご覧になってください。
In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind ever since.
"Whenever you feel like criticising anyone," he told me, "just remember that all the people in this world haven't had the advantages you've had."
村上春樹訳(中央公論新社・村上春樹翻訳ライブラリー)
僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
野崎孝訳(新潮文庫『グレート・ギャツビー』)
ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。
「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と、父は言うのである。「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」
大貫三郎訳(角川文庫『華麗なるギャツビー』)
今より若く心が傷つきやすい若者だった時に、父が忠告してくれたことを、その後ずっと繰りかえし考えつづけてきた。
「ひとのことをとやかく、批判したくなっても」と、父は言った。「ひとなみすぐれた強みをもっている人なんて、めったにいないんだってことを、忘れるんじゃないよ」
Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter -- to-morrow we will run faster, stretch out our arms farther ... And one fine morning --
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.
村上訳
ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
野崎訳
ギャツビーはその緑色の光を信じ、ぼくらの進む前を年々先へ先へと後退してゆく狂騒的な未来を信じていた。あのときはぼくらの手をすりぬけて逃げて行った。しかし、それはなんでもない――あすは、もっと速く走り、両腕をもっと先までのばしてやろう……そして、いつの日にか――
こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。
大貫訳
ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年々僕たちの前からあとじさりしてゆく底抜け騒ぎの未来を信じていた。そのときになれば、肩透かしを喰うのだが。そんなことはかまわない――明日になればもっと速く走ろう。さらに遠くへ腕をさし伸ばそう。……そしてある晴れた朝――
だから、過去のなかへ絶えずひき戻されながらも、僕たちは流れに逆らって船を浮かべ、波を切りつづけるのだ。
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コメント
二冊とも夫から与えられた課題図書です・・・^^;
>原文と3人の翻訳者による訳文を記録しておきますので
面白いです!
原文は完全にスルーですが(~_~;)三人三様すごい。
ますます読まなくては・・。江戸もアメリカもあっちもこっちも大変です。
投稿: 桜桃 | 2007/03/31 09:06
>桜桃さん
ご主人と同じ本を読んで語り合うなんて素敵! あこがれちゃいます。
>三人三様すごい。
それぞれの訳を読み比べると面白いですよね。ここの部分はこっちの訳が好き、でもここの部分はそっち……と思ったりします。
投稿: Tompei | 2007/04/01 13:25
ギヤッビイの書き出しの比較は素敵です。自分は大貫さんの物が一番ですが、実は二十三刷りまでのものと今読めるものは違います。そこまでの古い訳は『夢淡き青春』で古本として読めれば幸いですね。これが一番原文のリズムを超訳しています。村上は理解しすぎていて、本人の小説としてて読めば味わいがありますが。
投稿: 太郎 | 2011/03/18 11:12
>太郎さん
はじめまして。ご訪問とコメントありがとうございました。お返事が遅くなって申し訳ありません。
ギャツビーに『夢淡き青春』という訳書があるのは初耳でした。タイトルからして興味をそそられます。図書館や古本屋で探してみたいと思います。教えてくださってありがとうございました。
投稿: Tompei | 2011/03/22 18:19