目黒オフ《復習編・その1》
先日のオフの記事は、桜と夜景に浮かれてお勉強の部分をカットしてしまいましたが、目黒は思いのほか興味深いところなので復習しておきたいと思います。毎回、オフ前に下調べをしているのにほとんど頭に入っていないため、後からわかることが多く「もっと真剣に見てくるんだった」と後悔することばかりです。
目黒と言えば、目黒不動。江戸検定(第1回2級)にも出題された「江戸の三富」の1つの有名なお寺なので、ここはぜひ訪れたいと思っていました。(三富とは、今の宝くじにあたる富くじで人気のあったお寺で、あと2つは湯島天神と谷中の感応寺(現・天王寺)。)逆に言えば、目黒不動さえ行けばいいだろうと高をくくっていましたが、なかなかどうして興味をそそられるお寺がいくつもありました。
コース順にまず安養院。チベット美術館なるものがある不思議なお寺で、ユニークな石仏がたくさんありました。調べてみると、チベット仏教と関係があるわけではなく、先代の住職さんが趣味で収集したものらしい。尾張屋板切絵図には「養安院」とありますが、誤植のようです。
次は蛸薬師成就院。蛸薬師と言えば、京都の蛸薬師(通りの名にもなっている)を思い浮かべますが、由来がまったく違う別物で関連はないようです。万病が治る「おなで石」が有名で、寛政の改革の松平定信もこれでイボを治したそうな。現在も1500円也の「おなで石」入りお守りを売っています。
また、この成就院にはお静地蔵というお地蔵様が7体並んでいます(実は私、現地でこれを見逃し、看板を撮った写真に頭だけ写っていたという罰当たり者)。このお静地蔵は2代将軍徳川秀忠の側室、お静の方の発願によって奉納されたとのこと。徳川家関係の話となれば、しっかり押さえておかなければ! 今年の江戸検定のお題が「江戸城(将軍と大奥)」なのでとりあえずね。以下、自分のためのメモ代わりなので、興味のない方は飛ばしてください。
秀忠の正室は、浅井長政とお市の方の三女お江与(小督)。恐妻家として知られる秀忠は正式には側室を持たなかったものの、乳母の侍女だったお静に手を付け懐妊させてしまいます。そして生まれた子が後の保科正之ですが、お静は懐妊を願って観音像を3体、子の成長を願って3体、城主となった大願成就のお礼に阿弥陀如来像を納めたとされています(成就院公式サイトより)。
さらに、このお寺にはもう一つエピソードがあります。3代将軍家光が目黒の鷹狩の途中、このお寺に参拝し和尚と話をした時に異母弟の存在を知ったというもの。その後、家光は有能な保科正之を可愛がり取立てて会津藩主にしたほか、死に臨んで次期将軍・家綱の後見を依頼したということです。
このあたりの話をちゃんと把握してから実際に訪ねれば、もっと興味を持って見物できたのに……。どこまでが史実でどこからが脚色かは定かではないけれど、歴史を楽しみ散策を楽しむには面白い話ですよね。
(続く)
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コメント
「その1で(続く)」にしましたかぁ(笑)。
一気に書こうと思ったが意外に内容が多く、ちょっと予定以上に時間もかかったし、全部まとめて長い記事をあげるよりは、ここまでを「その1」であげちゃおう。これであと1~2回はこの記事で・・。という安易な姿勢は「東博でお花見」を③で打ち切った自分の場合の話で後からしまったぁと思いました。そんないいかげんな自分とは違って既に回数とその主題、アップする予定日も固まっているんでしょうねぇ。期待しています。
投稿: 惑 | 2008/04/06 12:36
>惑さん
予定稿が仕上がっていますのでご心配なく……ってわけがないとよくご存知で(^^;)。そのうち「その1」と「続く」が消えるかもしれません。期待していてください。
投稿: Tompei | 2008/04/06 21:43
>そのうち「その1」と「続く」が消えるかもしれません。期待していてください。
って、可笑しすぎる会話を2人でしないでください(笑)
Tompeiさん、ちゃんとその2を書いてくださいね。
投稿: ぶんぶん | 2008/04/07 13:13
>ぶんぶんさん
「その2」は5行程書いたところで止まっています(^^;)。脳内では「その4」くらいまでの長編が出来上がっているんですが……。もし「その4」まで続いたら、誉めてやってくださいね。
投稿: Tompei | 2008/04/07 19:24