第14回お江戸オフ《新宿・四谷》その3 お岩さんの謎
(こちらの続き)
内藤新宿を後にした一行が向かった先は、於岩稲荷田宮神社。東海道四谷怪談のお岩さんゆかりの神社です。ところが、この於岩稲荷の斜向かいにある陽運寺にも於岩稲荷があるから、話はややこしい。一体どうなっているの?!
田宮神社と陽運寺 さっそくググってみたら、とあるブログにたどり着きました。田宮神社と陽運寺の謎をさぐろうと、双方に電話取材(?)なさった行動的な方の記事です。実に興味深い! そして面白い! どうやら、お寺のほうがインチキ……らしいです。 ところで、この於岩稲荷、てっきりお岩さんの霊を慰めるためのお稲荷さんかとばかり思っていたら、全然違いました。そもそも、四谷怪談は鶴屋南北作の歌舞伎狂言、あくまでもフィクションですからね。お岩さんの祟りなんてあるはずない……たぶん。 田宮神社でいただいてきた由緒書によれば――江戸初期、四谷左門町に住む働き者のお岩さんが屋敷社(かみ)を信仰したおかげで一家の暮らしが豊かになったため、近所の人々がそれにあやかろうと「お岩稲荷」と呼んで信仰するようになったそうな。さらに、約200年後、このお岩人気にあやかろうとして、鶴屋南北がお岩という名前を使って歌舞伎を書いたらしく……。その際、名前だけ借りて、大衆受けを狙ってどぎつい脚色を加えたということですが……。 一方では、四谷怪談は真実に基づいた話とも言われているようです。『四谷実録集』という書物に記録が残っているとか……はたして真相はいかに? Wikipediaに「四谷怪談の元になった実話については、東京四谷のお岩稲荷に1827年に記録された文書が残されている」と書いてあるけれど、このお岩稲荷って、もしや陽運寺のこと? ということは……? ただ、鶴屋南北がお岩という名前だけじゃなくて、田宮という名字も父や夫の名前までそのまま使って怪談を書いたのがどうも解せないんですよ。『東海道四谷怪談』と東海道をつければ(四谷は本来、甲州街道)、パロディになるってものじゃない気がするんですが……。 あー、今日はお岩さんの話だけで終わってしまった! もう1回書かないとオフの記事をしめられない(汗)。 (続く)
田宮神社と陽運寺 さっそくググってみたら、とあるブログにたどり着きました。田宮神社と陽運寺の謎をさぐろうと、双方に電話取材(?)なさった行動的な方の記事です。実に興味深い! そして面白い! どうやら、お寺のほうがインチキ……らしいです。 ところで、この於岩稲荷、てっきりお岩さんの霊を慰めるためのお稲荷さんかとばかり思っていたら、全然違いました。そもそも、四谷怪談は鶴屋南北作の歌舞伎狂言、あくまでもフィクションですからね。お岩さんの祟りなんてあるはずない……たぶん。 田宮神社でいただいてきた由緒書によれば――江戸初期、四谷左門町に住む働き者のお岩さんが屋敷社(かみ)を信仰したおかげで一家の暮らしが豊かになったため、近所の人々がそれにあやかろうと「お岩稲荷」と呼んで信仰するようになったそうな。さらに、約200年後、このお岩人気にあやかろうとして、鶴屋南北がお岩という名前を使って歌舞伎を書いたらしく……。その際、名前だけ借りて、大衆受けを狙ってどぎつい脚色を加えたということですが……。 一方では、四谷怪談は真実に基づいた話とも言われているようです。『四谷実録集』という書物に記録が残っているとか……はたして真相はいかに? Wikipediaに「四谷怪談の元になった実話については、東京四谷のお岩稲荷に1827年に記録された文書が残されている」と書いてあるけれど、このお岩稲荷って、もしや陽運寺のこと? ということは……? ただ、鶴屋南北がお岩という名前だけじゃなくて、田宮という名字も父や夫の名前までそのまま使って怪談を書いたのがどうも解せないんですよ。『東海道四谷怪談』と東海道をつければ(四谷は本来、甲州街道)、パロディになるってものじゃない気がするんですが……。 あー、今日はお岩さんの話だけで終わってしまった! もう1回書かないとオフの記事をしめられない(汗)。 (続く)
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コメント
お岩稲荷、2つ向かい合って異様な感じでしたね。
紹介してくださったサイトの方、実際聞かれたなんてすごいですね~。
すごく面白かったです。お互い反目しあっているというのがなんとも・・・^^;
>ただ、鶴屋南北がお岩という名前だけじゃなくて、田宮という名字も父や夫の名前までそのまま使って怪談を書いたのがどうも解せないんですよ。
あの話では田宮家って断絶しちゃっているけど、
実際は今でもご子孫が稲荷を守っているわけだから、やっぱり創作なんじゃないかと私は思いますが・・・
あと、確かに田宮神社と陽運寺を比べると
空気が違うっていうか、重々しい空気があったのは田宮神社なんですよね
投稿: ぶんぶん | 2009/03/31 20:43
おもしろいですねぇ~
改めて、もう一度行ってみたくなりました。
投稿: TOKIKO | 2009/03/31 23:08
ぶんぶんさん、TOKIKOさん、おはようございます。
>ぶんぶんさん
於岩稲荷が2つあることこそ、四谷怪談かも……。こういうのは"偽装"として問題にならないのかしらね。
>あの話では田宮家って断絶しちゃっているけど、
あ、そういえば、そうよね。何だかすっきりしないけれど、あんまり深く詮索しないほうがいいのかも……。そのうち、中央区にある田宮神社や、お岩さんのお墓がある妙行寺にも行って拝んできましょう。
>TOKIKOさん
こうした事情がわかっていれば、もっとじっくり観察してきたのにね。そうだ、陽運寺に井戸があったっけ……あれは何なのでしょう?
投稿: Tompei | 2009/04/01 07:54
あらためて知って、驚くことが多いです。
ホントに不思議な光景でした。
斜め向かい合ってのおいわさんをお祀りしてあるというのは。
お岩さんは二人いたってことですか?
(ほとんど脳が解けていますので、間違っていたら笑って・・(^^;))
四谷はそもそも甲州街道なのですね。
ってことは東海道にも四谷があったってこと?
(,_'☆\ バキ
と、動かぬ頭をひねってややこしくしてごめんなさい。(^^;;;
投稿: 陶片木 | 2009/04/01 15:04
>陶片木さん
思えば、あの日はお疲れも極地のうえ、アルコールも入っていたのに(^^)、よくぞ最後までついてきてくださいました。そして、夜もしっかりアルコールを……(^^ゞ。
お岩さん人気、お岩稲荷人気にあやかろうとして、人の欲が2つのお岩稲荷を生み出してしまった、ということじゃないかと……。お岩さんもお稲荷さんも予想外の展開にびっくりしているでしょうねぇ。
投稿: Tompei | 2009/04/01 17:07