第17回お江戸オフ《品川宿 前編》 その2
(こちらの続き)
鈴ヶ森から先はいよいよ旧東海道です。その前に品川宿について少々お勉強。(勉強はパスして次へ)
これは歌川広重「東海道五拾三次之内」の「品川」。江戸時代、品川宿は東海道の最初の宿駅で、目黒川を境とする北品川宿と南品川宿、北品川の北側に新たに加わった歩行新宿(かちしんじゅく)の3つの宿から成り立っていました。上の絵は、歩行新宿の北の入口(八つ山付近)から品川湊の方角を望んだ絵。品川宿は海沿いの道だったんですね。
南北2キロ程にわたって旅籠や水茶屋などが立ち並び、江戸四宿(品川、板橋、千住、内藤新宿)の中で最も賑やかな宿場でした。大名や幕府役人が宿泊する本陣は当初、北品川と南品川の両方にありましたが、江戸後期には北品川だけになり、南品川と歩行新宿には脇本陣が置かれました。品川で宿泊せずに食事だけして江戸に入る大名が多くなったためです。
品川宿には食売女(めしうりおんな=遊女)をおいた食売旅籠が90軒以上あり、それを目当てにやって来る客が多いことも特徴のひとつ。江戸城の北に位置する吉原が「北国(ほっこく)」と呼ばれたのに対し、「南国(みなみ)」と呼ばれた程です。また、海が近く風光明媚な上、桜の御殿山、紅葉の海晏寺などの名所もあるので、江戸から遊びに来る遊山客も絶えませんでした。
「江戸名所図会」 品川の駅
(続く)
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コメント
先日はお世話になりました。
なんだか、皆様を急がせてしまったみたいでごめんなさい。
さすがにこちらに来ると、いろいろお勉強になりますね。
東京は、すっかり埋め立てられて、様相がずいぶん違ってしまったのですね。。。
今度はちゃんと最初から出たいと思いますのでよろしくお願いします。
今度は大山楽しみにしています。
投稿: hicha | 2009/10/07 17:55
そうなんだ!と勉強になります。
「宿」とつく地名って、どこでも昔は「宿場」だったのでしょうか。
葛飾区は「新宿(にいじゅく)」があります。
最初、漢字で見たので「葛飾区に新宿?」と思ったのですがこれも宿場だったのでしょうか。
品川は見所が盛りだくさんですね。
お江戸の本拠地の千代田区より、もっともっと市民の暮らしの中からうまれたあれこれがいっぱいあって楽しそうです。
続きも待っています!
投稿: 陶片木 | 2009/10/07 21:57
hichaさん、陶片木さん、こんにちは。
先日はありがとうございました。
>hichaさん
いえいえ、気持ちは急いでも、見たいところを見て、遊びたい場所で遊んでしまいました(^^;)。
東京湾はどんどん狭くなっていますね。お江戸の砲台跡のお台場地区にあんな街ができたのを見たら、江戸人はびっくりするでしょうねぇ。
大山詣で、青空のもとで紅葉が見られますように! またよろしくお願いします(^^)。
>陶片木さん
葛飾区の新宿、お調べいたしました(^^)。やっぱり、水戸街道の千住の次の宿場だった! 昔は「あらしゅく」と呼んでいたけど、今は「にいじゅく」になったらしい。ちなみに、次は松戸。
こういうことって知っているからってどうなるもんでもないけれど、ちょっと視野が広がって好奇心が深まりますよね(^^)。
投稿: Tompei | 2009/10/08 11:23
>やっぱり、水戸街道の千住の次の宿場だった! 昔は「あらしゅく」と呼んでいたけど、今は「にいじゅく」になったらしい。ちなみに、次は松戸。
へぇ~~~
お勉強になります。
>「宿」とつく地名って、どこでも昔は「宿場」だったのでしょうか。
戸塚にも原宿っていう箱根駅伝の難関で有名な中継地点があるんですけど、こっちは残念ながら違うのよね~~。
投稿: ぶんぶん | 2009/10/08 14:09
へ~、あちこちでお勉強になります。
品川の次のお題決まったね!
千住、小塚っ原、
鈴ヶ森が南の玄関なら北の玄関行かなくちゃ^^
投稿: 桜桃 | 2009/10/08 14:39
ぶんぶんさん、桜桃さん、こんばんは。
>ぶんぶんさん
「宿」と付くからといって、必ずしも宿場ではないわよね。原宿だって違うし……と思って調べたら、江戸時代以前に鎌倉街道の宿場町があったんだって! びっくりしました。
みんなのコメントでますますお勉強になります(^^)。
>桜桃さん
小塚原も行かなくちゃね。市中引き回しはWikipediaによると、小伝馬町から江戸城を一周してまた戻って処刑をするコースと、小伝馬町から江戸城の外郭五ヶ所を巡って小塚原か鈴ヶ森に至るコースがあったらしい(こっちが重罪)。後者は20キロも歩くらしい!
投稿: Tompei | 2009/10/08 22:12