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2010/01/29

ホットカーペットのリコール

 今週の月曜日、パナソニックからホットカーペットのリコールが告知されました。「念の為」と我が家のカーペットの製品番号をチェックしたら、なんとご当選……いや該当してまして……。15年物の使い古しでそろそろ替え時と観念していたんですよ。こんな寿命寸前のものを交換してもらえる? もしかしてラッキー?! パナソニックのサイトから専用受付フォームを送信する私の頬はちょっと緩んでいたかもしれません(笑)。

201001291133000 4日後の今日、でっかい箱が届きました。同じ広さの新品カーペット入りです。ヒーターだけでなくカバーまで。古いカーペットは届いた箱の中に入れて返送するそうで、着払いの伝票(記入済み)と封緘シールが入っていて、至れり尽くせりです。途中買い換えた安物のカバーも引き取っていただいて、何だか申し訳ない気持ち。

 さすが旧松下電工、危機管理システムがしっかりしています。受付フォームを送信しただけで、交換品を送ってきたことにもびっくり。確認の電話くらいあると思っていました。新しいカーペットに気をよくしているのは確かですが、パナソニックの印象もアップしました(単純!)。

 そういえば、今年は年賀状も3等が2枚ありました。なかなか幸先いい滑り出しです。

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2010/01/21

第19回お江戸オフ《品川宿 後編》その3

こちらの続き)

寄木(よりき)神社
Img_1841 南品川猟師町の鎮守。「江戸名所図会」には、海辺の漁村に面した神社の絵が掲載されています。
 石蔵造りの本殿には、左官の名工、入江(伊豆)長八による鏝(こて)絵が残っています。鏝絵とは、漆喰の壁面に鏝で盛り上げて描き、彩色した絵。残念ながら、光が反射してよく見えなかったので、運よく中を見せていただいた方のブログで写真を拝見しました。

品川宿本陣跡
Img_1845 品川宿の本陣(参勤交代の大名や公家などが利用した宿泊施設)があった場所。明治元年に明治天皇が初めて東京に下った時にも利用されたため、聖蹟公園と名付けられました。


利田(かがた)神社
 この神社の前身は洲崎弁天といい、 かつて大きく北に曲がっていた目黒川の河口の突端にありました。江戸百景「品川すさき」の絵のように、海に囲まれていました。
Img_1846Photo

 寛政年間にこの辺りに迷い込んできた鯨(体長16.5m)を供養した鯨塚(写真左)があります。現在の海岸線はまだまだ先ですが、目黒川の名残りの運河が当時をしのばせてくれます。

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土蔵相模跡
 品川宿を代表する大旅籠「相模屋」があった場所。海鼠壁の外観が土蔵のように見えたので「土蔵相模」と呼ばれていました。現在はマンションの前に小さな看板が立っているだけ。右の写真は、昭和初期の土蔵相模。
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Photo_2 桜田門外の変の前夜、水戸浪士がここに終結して別れの盃を交わしたほか、長州藩士が英国公使館焼き討ちの計画を練ったのもこの旅籠でした。
 諸説ありますが、江戸百景「月の岬」に描かれている座敷はこの土蔵相模とも言われています。




問答河岸跡
Img_1852_2 江戸時代、東海寺の沢庵和尚がこの辺りの河岸(荷揚げ場)に徳川家光を案内した際、無理問答を交わしたとされています。『徳川実記』にもそれが収められており、「問答河岸」と呼ばれるようになりました。
家光:海近くして東(遠)海寺とは是如何
沢庵:大軍を率いて将(小)軍と謂うが如し




 旧東海道の品川宿入口には標柱が立っています(写真左)。2回に分けて歩いてきた品川宿をようやく歩き終えました。八ツ山橋(右)を渡り、しばらく歩くとこの日の終点品川駅です。
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 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。次回オフの前にまとめることができて、ほっとしています。次回は引き続き、品川駅から高輪方面を歩く予定です。

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第19回お江戸オフ《品川宿 後編》その2

 今更ですが、年越ししてしまった12月のお江戸オフの記事を続けます。

 この日は前回の続きで東海道品川宿のうち目黒川以北の北品川宿界隈を歩きました。江戸時代を通じて本陣が置かれていた品川宿のメインストリートです。

京急「新馬場」駅13時集合→①東海寺→②東海寺大山墓地(沢庵和尚、賀茂真淵の墓)→③品川神社→(お茶)→④荏原神社→⑤寄木神社→⑥品川宿本陣跡→⑦利田神社→⑧土蔵相模跡→⑨問答河岸の碑→品川駅→(JR)→新橋(忘年会「近どう新橋店」)

 新馬場に集合する前に、一つ先の青物横丁から東海道を歩いてきましたが、それは前回の記事に追記しておきます。品川寺の六地蔵(前回ピンぼけ)と梵鐘(前回忘れた)の写真を撮ってきました。

東海寺(東海禅寺)
 江戸初期、徳川家光の命によって沢庵和尚のために創建されたお寺。紫衣事件に抗議して流罪になった沢庵は赦免後、家光に重用され江戸に呼び寄せられました。以降、東海寺は幕府の手厚い庇護を受け、敷地5万坪にもおよぶ大伽藍を有していました。明治維新後は財産基盤を失った上、敷地内に鉄道や道路が敷かれたため、一気に縮小してしまったそうです。
 「世尊殿」(写真左)は昭和5年に建立された禅宗寺院建築の仏殿。鐘楼は元禄年間に鋳造されたもので、綱吉の母桂昌院が寄進したと言われています。また境内には、寺院造営にあたった佐倉藩主堀田氏の墓などがあります。

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東海寺大山墓地
 東海寺から200m程歩いたJRの線路脇にあります。江戸時代はここまで東海寺だったんですね。幕末までは沢庵和尚のお墓だけがありましたが、明治になって東海寺のいろいろな墓地がここに集められたそうです。沢庵のお墓(写真左)も、近くにある賀茂真淵のお墓(右)も大きな自然石を置いただけの簡素なもの。まるで漬物石みたい。ふと、たくあん漬けを考案したのは沢庵という言い伝えを思い出しました。

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品川神社
 南北に分かれていた品川宿のうち、北品川の総鎮守。かつての祭神「牛頭天王(ごずてんのう)」から「北の天王さま」と呼ばれています。対する南品川の総鎮守が④荏原神社で「南の天王さま」。両社の祭礼をあわせて品川天王祭といいます。ちなみに、天王洲の天王も牛頭天王に由来。
 牛頭天王は神仏習合の日本の神で「祇園神」とも言われていましたが、明治の神仏分離で弾圧され、改組、改名させられました。でも今なお、ここは「天王さま」と呼ばれ、八坂神社は「祇園さん」と呼ばれているんですね。そもそも江戸時代、この天王社は東海寺と密接に結びついていたようだし、神仏が混沌となって両立していたわけです。

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 品川神社の正面石段の中腹左側に富士塚があります。高さが10m程あり、富士塚らしい富士塚。約1mおきに「1合目」から「10合目」まであり、急な石段を登ります。頂上からの景観はご覧の通り。昔はもっと海が近かったので、さぞかしいい眺めだったでしょうね。

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 本殿右奥に阿那稲荷社(下の写真左)があり、一粒万倍の泉で500円硬貨をすすいできました。いかにもご利益がありそうです。
 品川神社とは直接関係ありませんが、神社の裏手に板垣退助のお墓(写真右)があります。「板垣死すとも自由は死せず」と刻まれた石碑もあり。

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荏原神社
Img_1821 北品川の品川神社に対して、こちらは南品川の総鎮守。なのに、現在は目黒川より北の北品川にあります。昭和3年の目黒川の改修工事で川筋が変わったためです。
 古来より貴船社、天王社、貴布禰大明神、品川大明神などと呼ばれ、源義家が奥州征伐に向かう途中、戦勝を祈願したと伝えられています。

続く

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2010/01/18

増上寺 黒本尊御開帳

 1月15日、増上寺の黒本尊御開帳に行ってきました。この黒本尊阿弥陀如来像は徳川家康の念持仏で、1月、5月、9月の15日に年3日だけ御開帳されます。昨年の夏、訪ねた時にはいろいろ見落としたので、御開帳の日を狙って再訪しました。黒本尊は本来、大殿の隣りの安国殿に祀られていますが、安国殿は現在再建中のため、大殿での御開帳でした。黒本尊の写真は増上寺の公式サイトから拝借。

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 黒本尊御開帳の日には徳川家墓所と経蔵も公開されます。徳川家墓所はこじんまりとまとめられていますが(経緯などは前回訪問時の記事へ)、それでもやはり威厳が漂い、空気が違う気がしました。こちらに埋葬されているのは、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、13代家茂ほか、正室5人、側室5人、その他多数。写真のお墓は、左が家茂、右が和宮。将軍以外で独立したお墓があるのは和宮(静寛院)のみで、その他は合祀されています。

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 こちらは経蔵。経典を安置するための蔵で、1605年創建後、改造移築されました。全18531巻の三大蔵経を収蔵していましたが、現在は別に保管されています。内部中央には八角柱の輪蔵(回転式の棚)があり、今も回すことができます。必死に押したら何とか動きました。

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 東日本最大級の大梵鐘(1673年完成)や熊野神社ももれなくチェック。増上寺裏手の宝珠院の弁天様と閻魔様をお参りして、赤羽橋駅から帰りました。

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 これで新年の神社仏閣巡りも一段落。月末のお江戸オフまでには前回のオフの記事をまとめたいと思います。

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2010/01/17

『アバター』で3D体験

 昨日、映画『アバター』を観てきました。ディズニーランドや科学博などでは3D映像を観たことがありますが、映画では初めて。夫がメガネ常用なので、事前に3Dメガネについて調べて、クリップオン型がある(300円で購入)マイカルシネマをチョイスしました。

201001171554000 3D映画には Real D、XpanD 、Dolby 3D 、IMAX 3D と4種類の方式があって、普及しているのは Real D か XpanD 。クオリティが高いとされるIMAXやDolbyは今のところ映画館が限られます。マイカルシネマはReal D、いつも利用しているTOHOシネマはXpanD。大きな違いは、Real Dのメガネはプラスチックの安価なもので持ち帰り可なのに対し、XpanDのメガネは電池が内蔵されているため大きめで重く、使用後は返却します。

 軽いメガネなので疲れることなく、ずり落ちることもなく、3D映像を堪能できました。クリップオンタイプの夫も特に問題はなかったようです。ちなみに、通常の3Dメガネを自分のメガネの上からかけることも可能なので、どちらを使うかは好き好きかと……。Real D方式の見え方は座席の位置が影響するとも聞きますが、会場のほぼ中央だったのがよかったのかもしれません。美しく迫力ある3D映像のおかげで、映画を観るというより体験するというほうがふさわしい印象でした。

 肝心の映画はジェームズ・キャメロン監督作品らしいSF娯楽大作に仕上がっていて、2時間40分を長く感じさせません。ただし、途中からストーリーが読めてしまうのが難。それに、『もののけ姫』に似たところもあるし……。いかにもハリウッドらしいこういう映画はあれこれ考えず単純に楽しむに限ります。

 予告編で見た『アリス・イン・ワンダーランド』もぜひ3Dで観たい! これからは3D映画がどんどん増えそうですね。

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2010/01/12

山手七福神めぐり

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 三連休にまた七福神めぐりに出かけました。不況ゆえかゴルフのお誘いもなく暇そうな夫を連れ出して……。今回は「江戸最初」という触れ込みの元祖山手七福神。確か「江戸最古」は谷中七福神と聞いていたけれど、最初と最古はどちらが先? ま、どっちでもいいけど(笑)。ちなみに、「元祖」に対して、「新宿」山手七福神というのもあります。

 私は七福神ダルマだけでよかったんですが、夫が御朱印も欲しいと言い張りまして、ご覧の通り両方いただいてきました。御朱印をいただくのは初めてでしたが、お寺の名前や日付を筆で書いてくださるので有難みがあります。御朱印300円、ダルマ500円、かなりの出費ではあります。ダルマはおみくじ入りで、その内訳は大吉3、吉1、中吉1、小吉2でした。

 コースは、東急目黒線「不動前」駅から①目黒不動、②蟠龍寺、③大円寺、④妙円寺、⑤瑞聖寺、⑥覚林寺の順に回って、南北線の「白金高輪」駅まで歩きました。妙円寺に神様が二人いるので6つです。お寺でいただいたチラシによると、この回り方は「商売繁盛祈願」、逆回りは「無病息災、長寿祈願」だそう。後から知りました。

 こちらの七福神は日本橋とは逆で、すべてがお寺さん。目黒や白金に古くからある由緒あるお寺ばかりです。目黒不動と大円寺は2008年3月のお江戸オフ以来、ほかは初めて詣でました。目黒不動と五百羅漢寺(七福神ではないけれど寄った)で小一時間かかったので、休憩30分を含めてのべ4時間半位でした。御朱印をいただくのに少々時間がかかったお寺もあり。

Map

目黒不動<瀧泉寺>(恵比寿神)
Img_1941Img_1952 西暦808年創建の古い寺院で、1624年に3代将軍徳川家光が本堂を再建後、徳川幕府の庇護を受けて繁栄しました。江戸時代には庶民の行楽地として親しまれました。
 恵比寿様は仁王門横の弁天堂(写真右)に祀られています。

蟠龍寺<岩屋弁天>(弁財天)
Img_1955Img_1954 1709年、行人坂付近にあった称明院がこの地に移転、改名して再建されました。ご本尊は阿弥陀如来。弁天様は岩窟内に安置され「岩屋弁天」と呼ばれています(写真右)。
 美人・美肌にご利益がある「おしろい地蔵」があるそうですが、何てこった、お参りしそびれました。

大円寺(大黒天)
Img_1958 江戸初期に建てられた大日如来堂に始まると伝えられています。江戸の三大火の一つ、行人坂の火事の火元と言われ、その大火の犠牲者を弔う五百羅漢の石像が並んでいます。本堂に安置されている大黒天は江戸三大大黒天の一つ。

妙円寺(福禄寿尊・寿老人尊)
Img_1964Img_1963 妙見大菩薩をご本尊として、江戸初期に開かれたお寺で、「白金の妙見様」として親しまれてきました。
 七福神めぐりの中間にあるせいか、参拝者が集中して、御朱印をいただくのに時間がかかりました。雑然とした中で淡々と筆を走らせる若いご住職(?)に感服。

瑞聖寺(布袋尊)
Img_1965 1670年に江戸で最初に建立された黄檗宗の寺院。仏殿は1757年の再建と推定され、昭和末期に4年にわたる解体修理が行なわれました。品川寺の鐘などと共に、このお寺の半鐘がジュネーブで発見されました。

覚林寺(毘沙門天)
Img_1972Img_1969 加藤清正の位牌や像を安置していることから、「白金の清正公(せいしょうこう)さん」と呼ばれています。加藤清正が朝鮮出兵から帰国した際、連れ帰った王族の子が長じて出家し、熊本藩の中屋敷だったこの土地に開山しました。清正公堂(本堂)は1865年再建の権現造り。

Img_1961 休憩は庭園美術館のカフェ「茶洒」にて。料亭「金田中」が手がける和風カフェです。 白玉とコーヒー!(お抹茶もあったらしい)をいただきました。美味しかった! 庭園を散策したかったけれど、先を急ぐため、お茶のみ。次回はゆっくり美術館鑑賞と庭園散策、そしてこちらでお食事をしたいです。

 ほかにも少し寄り道したので、いつかご披露するつもりです。思えば、品川も日本橋もまだ完結していないのだった(大汗)。ま、のんびりまいります。よろしかったら、お付き合いくださいませ。

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2010/01/07

日本橋七福神めぐり

201001071110000

 昨日、日本橋七福神を巡ってきました。七福神めぐりは一昨年のお江戸オフで隅田川七福神を回って以来2度目。今回は正式に新年の七草までに出かけてご神像をいただいてきました。ご神像一体300円、宝船1600円也! ま、縁起物ですからね。

 七福神がある人形町、小伝馬町界隈は15年程通勤していた場所で土地勘があるので、一人でも平ちゃらと思いきや、やはりウロウロしました。日本橋七福神は全て神社ですが、水天宮以外は街中の小さなお宮さんなのでかなり見つけにくい。でも、そのウロウロが楽しかった! 昔歩いた道をひさしぶりに歩いたら、当時の自分に戻ったような気がして背筋が伸びました。多少は変わっているものの、人形町のよさがまだ残っているのは嬉しいかぎり。

 コースは下の地図とは逆に、①寶田恵比寿神社、②椙森神社、③笠間稲荷神社、④末廣神社、⑤松島神社、⑥水天宮、⑦茶の木神社、⑧小網神社の順に回りました。そう、七福神なのに8社あって、①と②は同じ恵比寿様です(①寶田恵比寿はご神像配布なし)。以下、写真と簡単な説明をしておきます。

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寶田恵比寿神社(恵比寿神)
Img_1912 もとは今の皇居前にあった寶田村の鎮守でしたが、江戸初期の江戸城拡張に際して村人と共にこの地に移されました。10月19、20日の恵比寿講はべったら市として有名。

椙森神社(恵比寿神)
Img_1913 水天宮以外で唯一、狭いながらも境内らしい境内を持つ神社。江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、江戸名所図会にも載っています。富札興行を記念した富塚碑があります。

笠間稲荷神社(寿老神)
Img_1919  江戸末期、常陸の笠間稲荷神社より分霊して、笠間藩主牧野家の下屋敷に建てられた神社。

末廣神社(毘沙門天)
Img_1920 江戸初期に吉原がこの地にあった当時、その地主神、産土神として信仰されました。ちなみに、現在も残る「大門通り」の大門は旧吉原の大門のこと。

松島神社(大国神)
Img_1922 この辺りが海洲だった頃、松の茂る島にあった祠を松島稲荷と言っていたのが始まり。旧地名の松島町は稲荷の名からつけられました。現在はビルの1階にあります。別名、大鳥神社で11月には酉の市が行なわれます。

水天宮(弁財天)
Img_1925Img_1924  福岡県久留米市にある久留米水天宮の分社。江戸中期に久留米藩主の有馬家が三田の上屋敷に分霊を勧請したのが始まりで、明治に入り有馬家の中屋敷があった今の場所に移転されました。
 肝心の弁財天(写真右)は水天宮の境内に祀られていて、水天宮とは直接関係ありません。
  

茶の木神社(布袋尊)
Img_1926 江戸時代、この地は佐倉藩堀田家の中屋敷でその守護神として祀られていました。社の周囲に茶の木が巡らされていたため、この名がついたとされています。
 ところが、この由来は信憑性が乏しいようです。ここに堀田家の中屋敷があったことは確認されていません。

小網神社(福禄寿・弁財天)
Img_1932 約550年前に創建された古社で、地名の小網町も旧名の小網稲荷から付けられました。現在の社殿は昭和初期に再建されたもの。東京銭洗い弁天としても有名です。11月には奇祭どぶろく祭りが行なわれます。

 こうして調べてみると、七福神というのはほとんどこじつけのようですね(笑)。とは言え、新年に神仏を詣でるのはやはり気持ちがよく、物見遊山気分も満喫できて、七福神めぐりが気に入りました。ほかの七福神もぜひ歩いてみたい!

 もちろん、おみやげも買ってきましたよ。「壽堂」の「黄金芋」という焼き芋もどきの和菓子。多めにまぶしたニッキの香りがたまりません。昨日も道路の反対側を歩いていたらニッキの香りが漂ってきて、思わず引き寄せられました。店構えもいい雰囲気でしょ? 本当は「柳屋」のたい焼きも買ってきたかったんですが、30分待ちということで泣く泣くあきらめました。

201001071113000Img_1927Img_1921

 七福神めぐりのほかにも少々歩いたので、次の記事に続けます(こちらの記事)。そうそう、東野圭吾の『新参者』に出てきたお店のモデルになったお店の写真も撮ってきたので、『新参者』の記事に貼っておきます。ほかにもいろいろ思い当たるお店が見つかりました。


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2010/01/04

あけましておめでとうございます

 年末年始のドタバタを乗り越えて、ようやく自分の時間が巡ってきました。今日はこれから初観劇――自分へのお年玉です。

Img_1866Img_1872

 青空にすっくと立つスカイツリー(高さ254メートル)と箱根駅伝での母校の健闘に励まされて、2010年のスタートを切りました。晴れの日も雨の日も淡々と心穏やかに歩んでいきたい! ここに書くのはどうしても「行った、見た、食べた」記録になりがちですが、記事にならないような日常の部分をしっかり暮らしたいと思います。

 世界が平和で明るい1年でありますように! そして、皆さんにとって素晴しい1年になりますように! 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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