第20回お江戸オフ《高輪》その3
(こちらの続き)
二本榎通りのクラシカルな歯医者さんの横丁を入り狭い路地を下って、泉岳寺に到着。現役の井戸がある懐かしい雰囲気の路地でした。
⑧泉岳寺
江戸初期に外神田に創建された寺が大火で焼失した後、ここ高輪の地に再建されました。家康の命による創建、家光の命による再建とも言われています。
泉岳寺と言えば忠臣蔵――四十七士のお墓があることで有名です。大石内蔵助以下赤穂浪士は吉良邸への討ち入りの後、この寺まで引き揚げ、浅野内匠頭の墓前に上野介の首級を供えました。境内には、首を洗ったという首洗い井戸や、内匠頭が切腹をした際に血がかかったという梅などもあります。毎年12月13、14日には義士祭が行なわれています。
泉岳寺を訪ねたのは2度目ですが、随分整備されて印象が変わりました。古めかしい義士館でおどろおどろしい展示物を見学した記憶がありますが、今や立派な赤穂義士記念館が建っています。前回お参りしたのは、1993年に宝塚で忠臣蔵を上演した年のことだから、もう17年も前なんですね。当時のごひいきが演じた義士のお墓に多めのお線香を手向けましたっけ(笑)。
写真は順に、山門(天保3年(1832)再建)、大石内蔵助銅像(大正10年除幕)、四十七士墓所、首洗い井戸。
⑨高輪大木戸跡
泉岳寺から第一京浜に出て、田町方面に少し歩いたところに「高輪大木戸跡」があります。高輪大木戸は東海道から江戸への入口に設けられた大木戸で、東海道の両側に石垣を築き、夜は大木戸を閉めて通行止めにしていました。江戸後期には木戸の設備は廃止され、現在は海側の石垣だけが残っています。肝心の石垣がはっきり写った写真がないので、またしてもwikipediaの画像(右)を拝借します。


江戸百景の「高輪うしまち」は、大木戸を出てすぐ右側にあった車町(通称、うし町)の絵です。江戸初期に幕府が京都から呼び寄せた牛持人足が江戸定住を許されてこの土地を賜りました。大木戸から品川宿まで道の左側はすぐ海で見晴らしがよく、月見の名所でもありました。
(続く)
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コメント
とりあえず、私の記事が泉岳寺からなので、こちらにTBを飛ばしました。
赤穂義士記念館も入りたかったんですけど、パスしてしまって・・・やっぱり寄るべきだったかも~
投稿: ぶんぶん | 2010/02/13 20:27
>ぶんぶんさん
うっかりしてまして、レスが遅くなりました。ごめんなさい。
今回、記念館には入らなかったけれど、前回見学した時は結構面白かったように記憶しています。お芝居のおかげで義士の名前を覚えたので身近に感じたのかも(^^ゞ。歴史はヅカで勉強していました(爆)。
投稿: Tompei | 2010/02/15 12:38