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2010/08/26

清瀬のひまわり畑

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 残暑お見舞い申し上げます。ひまわりの黄色はビタミンカラー。連日の暑さで夏バテ気味の皆様にお届けします。

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 猛暑の中、元ひまわり娘5人で清瀬市のひまわり畑に行ってきました。10万本のひまわりが咲く都内最大のひまわり畑です。この写真は畑のごく一部。畑全体が一斉に咲いたら、さぞかし圧巻でしょうが、残念ながらこの一角以外は見頃を過ぎていました。

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 ほら、こんな感じ。暑さにうんざりしてうなだれているみたい。猛暑のせいで花の時期が早かったうえ、雨が少なく下を向いてしまったようです。何だか自分たちの姿とダブるような……。この畑の暑さは尋常ではなく、直射日光と熱気と照り返しであっという間に汗まみれになり退散しました。

Img_2795 そしてファミレスでゆっくりランチ。涼しさとお食事で生き返りました。ここで嬉しいサプライズ。hichaさんがお手製の陶器をプレゼントしてくれました。陶器市みたいでしょ? 車を出していただいたうえに素敵な器をいただき、ありがとうございました!

 元気を回復した一行はさらに新座の平林寺に寄りました。この平林寺、境内に天然記念物の雑木林がある広いお寺で実に歩き応えがありました。木陰とは言え、一番暑い時間に2キロ近く歩けば汗が噴き出します。もみじが多いので、紅葉の季節にまた出かけたい!

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 境内には松平信綱をはじめ、大河内松平家の霊廟があります(写真左下)。松平信綱は徳川家光の小姓から老中に出世し、家光、家綱を補佐した大名。官職の伊豆守から「知恵伊豆」と呼ばれ、最後は川越藩主になりました。平林寺は、信綱の遺言によって、岩槻からこの野火止の地に移築されました。山門、仏殿などは寛文3年(1663)に移築された時の姿をとどめています。

 猛烈な暑さで大汗をかきましたが、やろうと思えば活動できるのです。たまには気合いを入れて冷房の部屋から出なくては! 大汗仲間の皆さん、どうもありがとうございました。今回の記事は「お江戸オフ記録帳」にまとめておきます。

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2010/08/06

第23回お江戸オフ≪雑司ケ谷~面影橋≫ その2

こちらの続き)

 お散歩も後半になると、ただただ暑くて歴史もウンチクもどうでもよくなりました。そのうえ「面影橋まで行けばカフェがあるから一休みできる」とわが身を励まして歩いたのに、カフェはつぶれていてがっくり。甘泉園、水稲荷はとりあえず通過して写真を撮っただけとなりました。

山吹の里
201007311617000 面影橋の手前にひっそりと「山吹の里」の石碑が立っています。太田道灌が雨に遭い、雨具を借りようと農家を訪ねたら、少女が何も言わずに山吹の枝を差し出したという伝説の舞台です。蓑さえないことを「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき」という和歌に託して伝えたという話。でも実は、「山吹の里」を自称する場所はほかにも数か所あるようです。ま、伝説ですからね。

面影橋
 面影橋は神田川にかかる橋で、江戸時代からこの名前がついています。ところが、かつてこの近くにあった姿見橋と混同され、切絵図には姿見橋と記されています。広重の「江戸百景」の一つ、この橋を描いた「高田姿見のはし俤(おもかげ)の橋砂利場」も、これを姿見橋としています。一方、「江戸名所図会」はこの誤りを指摘しています。

 面影橋の北側ではかつて砂利が取れたので、砂利場村と言われていました。広重の絵は新宿区側から見た構図です(写真は逆方向)。

 そういえば、昔、『面影橋から』というフォークソングがありましたね。

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甘泉園
 江戸時代の御三卿、清水家の下屋敷跡。「山吹の井」と呼ばれる池を中心にした回遊式庭園です。甘泉園の名前は湧き水がお茶に適していたためと言われています。昭和初期から30年代までは早稲田大学の敷地でしたが、土地交換により、現在は新宿区が管理し無料で公開しています。

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水稲荷(みずいなり)
201007311651000 昭和30年代の早稲田大学拡張工事以前は今の早稲田キャンパスの位置にあり、上記の土地交換にあたって、甘泉園に移転しました。その際、最古とされる富士塚(高田富士)も分解され移転……しているはずですが、見逃しました。堀部安兵衛の碑のこともすっかり忘れていました。そのうちまた訪ねなくては!

 椿山荘近くの水(すい)神社とつながりがあると勘違いしていましたが、まったく関係ありません。あっちの「水」は神田上水、こっちの「水」は榎から湧き出した霊水。水稲荷はもともと冨塚稲荷、将軍稲荷と呼ばれていましたが、元禄時代に霊水が湧き出た後、改名されました。


 この後、高田馬場跡碑を経由して西早稲田まで歩く予定でしたが、それは割愛して甘泉園前のバス停からバスで新宿に向かいました。そして、ビヤホールで乾杯! この瞬間のこの一口のために歩いてきたようなものです。ビールが進み、おつまみのお皿を次々に空にし、おおいに盛り上がった2時間でした。そのようすや画像は他のメンバーのブログ記事でどうぞ!(陶片木さんぶんぶんさん桜桃さんTOKIKOさん

 真夏のオフはもうこりごり……とは、みんな思ってないはず(たぶん)。来年の会場は「森のビアガーデン」とすでに決まっています! またよろしくお願いします。その前に、秋、冬、春のオフもね。

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2010/08/03

第23回お江戸オフ≪雑司ケ谷~面影橋≫ その1

 7月31日は真夏恒例のビールオフでした。ビールを美味しく飲むためのお散歩です。陽が照ってないので楽と思いきや、休憩なしで2時間ぶらぶらしたら干からびそうになりました。お茶をしたくてもお店がないんです。お目当てのカフェは閉店していたし……。結局、予定を端折って新宿行きのバスに乗り込みました。

 おまけに、充電中のバッテリーを入れ忘れてデジカメが使えず、暑さボケもいいところ。携帯カメラで撮ったぼんやりした写真ばかりで悪しからず。

東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷」駅15時集合→①雑司ヶ谷鬼子母神→②金乗院(目白不動)→③南蔵院→④氷川神社→⑤山吹の里→⑥面影橋→⑦甘泉園→⑧水稲荷→(都バス)→新宿「アサヒスーパードライ新宿」にて宴会

雑司ヶ谷鬼子母神
 昨年1月のオフで寄った際、閉門後で入れなかったので再訪しました。池袋寄りにある法明寺の飛び地に当たります。鬼子母神の正しい発音は「きしぼじん」ではなく「きしもじん」。安産と子育ての神様です(鬼子母神伝説の詳細はぶんぶんさんの記事で)。

 本殿の鬼子母神堂は江戸初期1664年に造営された区内最古の建物です。本殿造営後、熱心な参拝客や物見遊山客で賑わうようになり、門前には料理屋が軒を連ねていたそうな。境内にある駄菓子屋「川口屋」は江戸時代の飴屋「川口屋」の名残りらしい。写真のイチョウの木は樹齢700年の御神木。

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金乗院(目白不動)
201007311553000 現在の正式名称は、真言宗神霊山金乗院慈眼寺。古くからこの地にあった金乗院に、戦災後、目白不動が移ってきて合併しました。

 山門前の石標「長谷寺」は目白不動の旧名。元は今の文京区関口(椿山荘の近く)にありましたが、戦災で焼失しました。2代将軍徳川秀忠が伽藍を建立し、3代家光が「目白」の号をつけて、五色不動の1つとして江戸の庶民の信仰を集めていました。

 本堂、不動堂とも戦後の再建ですが、境内には江戸時代の石造物が数多く残されています。

南蔵院
201007311608000 室町時代に歴史をさかのぼる古刹。「江戸名所図会」には徳川家光が訪れ、梅を植えたことが記されています。彰義隊の首塚があります(後から知った)。




氷川神社
 高田の総鎮守。写真はない……撮った気がしますが。

続く

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