近江紀行(その3)石田町から長浜へ
今回の近江旅行のきっかけのひとつはこれ→。気恥かしいので小さな画像で。
石田三成は近江の土豪の家の生まれで、石田という苗字は地名に由来しています。滋賀県長浜市石田町(当時は、近江国坂田郡石田村)に屋敷跡があるので、琵琶湖に戻る道すがら寄ってみました。
これは三成の生家に程近い観音寺という寺院。このお寺の小僧だった三成は、鷹狩りで立ち寄った秀吉にお茶を3杯献じて、秀吉に才能を見い出されたと言われています(どこの寺か諸説あるが、地元なのでここの可能性が高い)。「三成水汲みの井戸」もありました。立派なお寺ですが、今はほとんど手入れされておらず、そのうち朽ちてしまいそうな雰囲気でした。
ちなみに、JR長浜駅前に「秀吉・三成出会いの像」があったのでこちらに貼っておきます。この出会いがなければ、三成は歴史の舞台に立つこともなく、地元で静かな一生を終えていたかもしれませんね。
そして、こちらが三成屋敷跡。今は石田会館になっていますが、午前中のみ開館のため、中には入れませんでした。上のポスターが貼ってありました!
実はこの石田会館のすぐ近くに石田神社があって、三成の供養塔があるのに、不覚にも行きそびれてしまいました。残念無念! 事前のリサーチが甘かった……反省。
石田町経由で長浜に出て、長浜城歴史博物館を見学しました。NHK大河ドラマのお江関連の展示で盛り上がっていました。長浜城は小谷城陥落の後、秀吉がその功により信長から浅井氏の旧領を拝領した地に築城したお城。現在の建物は博物館用に再建されたものです。ここから5キロ程の小谷城跡では「浅井三姉妹博覧会」開催中ですが、今回のコースには入れませんでした。
長浜の街には「黒壁スクエア」という古い家並みの観光スポットがあり、ガラスを扱うショップや体験教室などが並んでいます。その一角にあるお店で一服。つぶら餅というたこ焼き風の餡子餅が美味しかった! 豊国神社にお参りした後、宿泊地の彦根に向かいました。
彦根は関ヶ原の合戦後、井伊直政が開いた城下町ですが、それ以前は石田三成の居城、佐和山城がありました。佐和山城は合戦の3日後に落城したのでした。佐和山と佐和山城表門(現在は宗安寺赤門)の写真を貼って、三成を偲ぶ記事を終えます。
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コメント
勉強になります^^
>この出会いがなければ、三成は歴史の舞台に立つこともなく、地元で静かな一生を終えていたかもしれませんね。
本当にね~。結局歴史って人との出会いで変わっていくものなんでしょうね。
三成さんは不器用な方だったようですね~。世渡りにはずるがしこさも必要なんですよね。
ブックオフで「関ヶ原」を手に入れることをあきらめて中巻から買いました^^;
投稿: ぶんぶん | 2011/05/14 09:15
>ぶんぶんさん
こんばんは。お義母さんとのデート、いいお天気に恵まれてよかったですね。
三成は世渡りが下手なんでしょうね。トップに立つよりトップを支える参謀向きなのかも。
ブックオフって、欲しい本が結構ないのよね。私は最近、ブックオフで買うのももったいなくて、図書館で借りてばかりです。旅行前に『関ヶ原』を読んでおいてよかったわ。
投稿: Tompei | 2011/05/14 22:41
CSのゆうひさん、カッコ良かったですね~。楽しみ。
だからこそ、あの毎週日曜に登場する三成さんとは別物に仕上がることを期待してますが^^;;
それにしても、石田会館のちょっとマイナー感が彼の立場を語ってるようでちょっと泣ける。
投稿: 桜桃 | 2011/05/16 00:35
>桜桃さん
おはようございます。
実は最近、CSをほとんど見てないのです。カッコいい? それは楽しみです(^^)。いい作品に仕上がっているといいなぁ。今の大河の三成はちょっと……ね。小栗くんかゆうひかという位でありますように。
マイナーすぎて石田会館を探すのに手間取りました。ナビにはそこに至る路地まで載ってないので、私だけ車から降りてやっと探し当てたのよ~。なので、供養塔まで頭が回らず……。悔しいわ。
投稿: Tompei | 2011/05/16 07:27