« 特別展「五百羅漢」(江戸東京博物館) | トップページ | 近江紀行(その5)安土城 »

2011/05/23

近江紀行(その4)彦根

Img_0345

 近江の旅ようやく2日目です。月が変わらないうちに終わらせたい。

 彦根と言えば、彦根城。彦根城は、関ヶ原の合戦後、井伊直政が近江北東部を拝領して築城して以来(直政は1602年に関ヶ原の戦傷が癒えずに死去)、幕末まで井伊家14代の居城でした。多くの建物が創建当時の姿をとどめており、天守は国宝に指定されています。

 天守は3階3重構造。梯子のような急な階段をよじ登って最上階まで上がりました。戦闘時に矢を放つための穴や鉄砲用の穴が多数ありますが、戦いの舞台になることはありませんでした。京極高次が築いた大津城の天守を移築した可能性があるらしい。何度か解体修理をしているとはいえ、400年前のお城の内部は重々しく風格があり、空気が違いました(内部は撮影禁止)。

Img_0355

 玄宮園(下屋敷庭園)から仰ぎ見た天守。この日はあいにく雨の予報でしたが、なんとか傘をささずに城内を回れました。天守の後、西の丸三重櫓、佐和山多門櫓、馬屋などを見学。この玄宮園で抹茶をいただきながら一服しました。

Img_0362Img_0370

 ひこにゃんの撮影タイムや井伊の赤備え隊による火縄銃実演などのイベントがあり、GWの行楽客で賑わっていました。また、彦根城博物館は復元した表御殿や能舞台を巧みに取り入れた構造で、展示物も充実していました。

 井伊と聞いて思い浮かべるのはやっぱりこの方、井伊直弼ですよね。直弼は11代直中の14男として彦根城で生まれましたが、兄弟が多い上に庶子であったために養子の口もなく、父の死後、17歳から32歳まで城外の屋敷で過ごしました。直弼が自らを花の咲かない埋もれ木に例えて「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた屋敷が現存し、公開されています。

Img_0360Img_0373




 直弼はこの埋木舎で茶道や和歌、能などを楽しみながら、若くして世捨て人のような暮らしをしていました。当時付いたあだ名が「チャカポン(茶・歌・鼓)」。ところが、世子の死去にともない、期せずして藩主後継者となり埋木舎を後にして江戸に向かいます。その後は36歳で藩主、44歳で幕府大老、46歳で桜田門外の変で殺害……幕末の歴史の波に翻弄されて生涯を終えました。直弼が一生チャカポンでいたら、日本の歴史は変わっていたかもしれませんね。

 午前中いっぱいゆっくり彦根城界隈を見学できて満足。井伊家の彦根城は江戸時代の空気を感じられる名城でした。昼食後、次の目的地、多賀大社へ向かいました。

Img_0377110501




 多賀大社は古事記・日本書紀の時代に歴史をさかのぼる古社。古くから「お多賀さん」と親しまれ、伊勢、熊野とともに庶民の参詣で賑わいました。秀吉の信仰も篤く、江戸時代には幕府や彦根藩から手厚い寄進を受けました。

|

« 特別展「五百羅漢」(江戸東京博物館) | トップページ | 近江紀行(その5)安土城 »

コメント

おお!ひこにゃん!
(歴史が弱いので、そのあたりしか食いつけないみたいな…

投稿: ゆれい | 2011/05/23 16:25

>ゆれいさん

 食いつきありがとうございます!

 実は、2月に江戸博でひこにゃんに会ったことがこの旅行のきっかけのひとつになってます(^^ゞ。
http://tompei.way-nifty.com/diary/2011/02/index.html

投稿: Tompei | 2011/05/23 16:54

彦根城って、ずいぶん綺麗なお城ですね。
400年前のものなのですか?
少し雨ですか?濡れているように黒々とした瓦と真っ白な壁のコントラストがすごく綺麗!

ところで、井伊直弼ってあまり良いイメージが無かったのですが、この前の「篤姫」(また大河ドラマなんですけど)の時に、殺害される少し前に篤姫とお茶席で会話する場面があったんですよ。
その時に、詳しい内容は忘れましたが、確か井伊大老は、幕府に楯突く者を次々殺害していましたよね?私には非情で傲慢で残忍な感じのイメージでしたが、何か井伊直弼なりの国の行く末、幕府の行く末を案じているからこその行いだったのだと感じさせる内容でした。
少し、心打たれました。

あの時代は、誰もが国を本気で思うからこそで、それぞれ考え方は違ってぶつかり合うけれども、その立場なりの真実があったのだなぁ~と感じました。
結果的には、どんどん新しい方向に日本が向かっていたから、殺されるようなことになったけれど・・・

ドラマだから、あの場面は無かったのでしょうけれど、まるっきり根拠が無いことも無いでしょうし、歴史の中の出来事って、見る視点によって変わるのだろうと思いました。

そうすると、今現在起こっている出来事は、後世にどう描かれるのだろうか?と思ったりします。
また長くなりました。すみません

投稿: Nawo | 2011/05/24 00:32

>Nawoさん

 長文コメントありがとうございます。

 私も「篤姫」のその場面を覚えています。井伊直弼の印象がアップするような場面でしたよね。

 薩長が江戸幕府を倒して明治という時代が始まり、現代の日本もその延長にあるので、歴史の授業では「薩長が正しく、幕府は間違っていた」という歴史観を教えられてきたように思います。だから、井伊直弼=悪というイメージが定着しているんですね。強引に開国し、安政の大獄で多くの反対派を弾圧したから、桜田門外の変で殺害されて当然、というような捉え方。

 本当のところはどうだったのか、私にはわかりませんが、たぶん井伊直弼も彼なりの信念に基づいて職務を全うしたんじゃないかと思います。歴史が違う方向に進めば、違う評価を受けていたかもしれません。

 今の世の中が後々どう描かれるか……うーん、どう考えても高評価は得られない気がしますね。幕末ほどじゃないにしても、かなり大きな歴史の分岐点にあるように思えるのに、「これぞ日本人」と言えるような政治家が見当たりません。坂本龍馬のような人物が出てこないものでしょうか。

投稿: Tompei | 2011/05/24 14:52

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 近江紀行(その4)彦根:

« 特別展「五百羅漢」(江戸東京博物館) | トップページ | 近江紀行(その5)安土城 »