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2011/09/20

總願寺と忍城

 今日の東京は20度を下回り冷たい雨が降っていて、昨日までの残暑が嘘のようです。真夏のような3連休の中日、東京よりさらに暑い埼玉北部に出かけました。

 ひさびさの36不動巡り、加須市の總願寺です。調べてみると行田に近いので忍城址にも寄ることにして、ばたばたと家を出たのがもうお昼近く。ゆっくり朝寝坊して起きてから思い立ったので遅いスタートになりました。

<不動ヶ岡不動尊 總願寺>

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 関東三大不動の一つとも言われています。高幡不動と成田山新勝寺は必ず入るけれど、あと一つはこの總願寺のほか、大山寺などを加える説もあるらしい。写真左は山門、右は天保15年に建てられた不動堂。風格ある立派な不動堂ですが、かなり傷んでおり、まもなく平成の大改修が行われるようです。

Img_0612 この写真は黒門。かつては忍城の北谷門で、明治の忍城解体時に移築されました。

 一番暑い時間に到着したせいか、境内には人気がなく蝉がうるさく鳴くばかり。とにかく暑かった!

<忍城址(行田市郷土博物館)>

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 『のぼうの城』の舞台となった忍城址にある博物館です。忍城は明治に入り廃城となって解体されたので跡形もありません。三階櫓その他の施設は博物館用に建設されたものです。

 本来ならこの時期に『のぼうの城』の映画が公開予定でしたが、震災の影響で来年秋に延期されました。水攻めの場面が津波の災害と重なるので当然の配慮ですが、思わぬところにも影響が及んでいるのですね。実は私、この小説を未読だったので、昨日ざっと斜め読みしました。

<水城公園>

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 忍城のお堀の跡を利用した公園。暑さにもめげず、のどかにつりをしている人がたくさんいました。あおいの池のホテイアオイの花がきれい! 行田名物「ゼリーフライ」にチャレンジしようと売店に並んだら、目の前で売り切れました。

<石田堤>

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 石田三成は忍城水攻めの際、28キロにも及ぶ堤を1週間で築かせたと言われていますが、その堤の一部が現存しています。「石田三成」と聞けば、行かないわけにはいきません。カーナビのない車ゆえ、探すのに苦労しましたが、なんとかたどり着きました。それにしても、この水攻め、三成らしからぬ無謀な戦略ですね。

 駆け足で予定をこなし、渋滞の中、戻ってきました。さきたま古墳群や古代蓮の里にも興味はあったけれど、当然ながら時間切れ。ま、あの暑さの中、日陰のない古墳散策は無理でしたが……。

 2年半前に行田を訪れ、丁寧な記録を残している桜桃さんにTBをお送りします。こちらをチェックしてから出かけるべきでした。

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2011/09/12

大宮八幡宮と妙法寺

 またしても、1ヵ月のご無沙汰でした。日差しの強さも熱気も真夏並みだけど、蝉の声はだいぶ弱々しくなりました。目にはさやかに見えねども、秋はそこまで来ているらしい。いいかげんにアレコレやる気を出さなくちゃ!

 Amazonから届いたばかりの『江戸の名所』という本を見て、昨日さっそく杉並の大宮八幡宮と妙法寺を訪ねました。この本は今年の江戸検定のテーマ「江戸の名所」のテキストなので、とりあえず入手した次第。『江戸の名所』に出てくるスポットの多くはすでにお江戸オフで訪問済みで嬉しいかぎり。残るは杉並のこの2つと赤坂界隈くらいです。

<大宮八幡宮>

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 和田堀公園に隣接する大宮八幡宮は、明治神宮、靖国神社に次いで都内で3番目に広い神社。かつてはもっと広く、広大な神域ゆえ「大宮」という地名が付けられたそうです。大宮氷川神社、秩父神社と並ぶ武蔵国三大宮の一つ。

 由緒では、奥州征伐に向かう源頼義が京都の石清水八幡宮から分霊を勧請したとされています。江戸時代には徳川家康が参詣して社領30石を寄進し、以降歴代将軍よりご朱印が下されました。現在は安産・子育ての八幡さまとして庶民の信仰を集める一方、東京のほぼ中央に位置することから「東京のへそ」を名乗っています。

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 井の頭線の西永福駅から徒歩圏内で、我が家からは割合便利な場所なのに、こんな立派な神社があるとは知りませんでした。緑が豊かで広々とした境内は神社らしい清々とした空気が漂っています。善福寺川を挟んだ和田掘公園は自然が程よく残っていて、カワセミを狙うアマチュアカメラマンが集っていました。境目あたりには弥生時代の大宮遺跡があります。

<妙法寺>

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 江戸初期に真言宗から日蓮宗の寺院に改められ、元禄年間に碑文谷の法華寺(現・円融寺)から日蓮上人の木像を移して本尊にしました。その日蓮像が「厄除け祖師」「おそっさま」と言い広められて、祖師参りの参拝客で賑わうようになりました。『江戸名所図会』に「当寺は遥かに都下を離れたりといえども、霊験著しきゆえに、諸人遠きを厭わずして、歩行を運び渇仰す」と記されています。

 仁王門(写真左)は天明7年(1787)の再建。左右の金剛力士像は4代将軍徳川家綱が日吉山王社(当寺の地頭所)に寄進したものと言われています。厄除け祖師様が安置されている祖師堂(写真右)は文化9年(1812)の再建。祖師堂の後方にある本堂は改修修理中でした。

Img_0606 見学はできませんでしたが、歴代の徳川将軍が使った御成の間も残っています。そこに続く大玄関の手前に、コンドル設計による和洋折衷様式の鉄門があり目を引きました。

 江戸時代の門や御堂が現存していて、風格があり心落ち着くお寺でした。実は名前さえ知らなかったけれど、本のおかげでおそっさまにお参りすることができてよかったです。お江戸はまだまだ奥が深いようです。



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