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2011/11/30

第30回お江戸オフ≪等々力渓谷・九品仏≫その2

こちらの続き)

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①「等々力」駅改札11時集合→②満願寺→③玉川神社→④等々力渓谷→⑤等々力不動尊→⑥伝乗寺→⑦宇佐神社→⑧「D&DEPARTMENT DINING TOKYO」でランチ→⑨九品仏→⑩ベニス(ラ・ヴィータ)→⑪「自由が丘」駅

 「今回のコースは起伏が多くて距離の割にくたびれた」という感想が多々あったので、グーグルアースの地形図で検証してみました。歩いた順に番号をふってあるので、拡大して見てくださいね。

 確かにかなり凸凹しています。等々力渓谷から不動尊に一気に上がるし、お不動さんから伝乗寺へは小さい谷を2、3越えるし、ランチ場所までまた上がるし、ベニスはひときわ高い場所にあるし(知っていたら行かなかった)……足腰に来るわけです。地形図ってなかなか面白いですね。

満願寺

Img_0785 お寺らしくない近代的な本堂ですが、室町時代に世田谷城主・吉良氏によって中興されたお寺で、等々力不動はここの別院に当たります。「細井広沢先生の墓」と書かれたお墓がありましたが、調べたら、柳沢吉保の儒学の先生で堀部安兵衛とも親交があったそうです。

玉川神社

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 やはり吉良氏が勧請したと伝えられ、当初の名は熊野社でしたが、明治末に付近の神社を合祀して玉川神社と改称されました。立派な拝殿(写真左)の脇に、「獅子が子を千尋の谷に突き落とす」という故事にちなんだ石獅子(右)があります。

等々力渓谷

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 矢沢川が武蔵野台地を侵食してできた全長約1キロの渓谷です。環八の喧騒の下にこんな緑豊かな別世界があるのがたまりません。斜面からの湧水が多いため、シダ類などが生育し、独特の雰囲気があります。

 紅葉狩りのスタートは一面緑の世界でした。渓谷には色づく木々が少なく、紅葉するのは不動尊の辺りだけのようです。

等々力不動尊

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 満願寺の別院で正式名称「流轟山明王院」。平安末期に紀州根来寺の興教大師が夢のお告げにしたがって開山したと伝えられています。不動の滝は役の行者ゆかりの霊場とされ、そばに不動明王堂(写真左)が建っています。滝の横を上がった所に不動尊の本堂がありますが、不動尊の山門(右)から一歩出ると車の往来激しい目黒通りなのが不思議な感覚でした。

 不動尊から渓谷を見下ろしたあたりにモミジが多く、あと1週間から10日もすると紅葉を楽しめそうです。この日はまだ1分程度の色づきでした。

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続く

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2011/11/29

真っ赤なモミジを求めて(その2)豪徳寺

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 そして、ついに見つけました、真っ赤なモミジ! この色のモミジを見たかったんです。国分寺から豪徳寺まで車で移動して、ようやく念願の紅葉を見ることができました。前日訪ねた等々力や九品仏と同じ世田谷区内で5キロ余りしか離れていないのに、何故、こんなに色づいているのか、不思議! わかっていたら、オフはこちらにしたのに……。

 曇ってきたうえ、夕方に近づいて、やや薄暗いのが残念ですが、このお寺の佇まいにはそれが似合っているようにも感じました。ここの風情は好きだなぁ! 人が少なくて、静かに紅葉を愛でられるのも嬉しい。秘密にしておきたい紅葉の穴場です。

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Img_0843 前回訪問時に解体修理中だった井伊直弼のお墓をお参りしてきました。今年は彦根に行って直弼が住んでいた埋木舎も見られたし、ご縁があった年でした。右手後方には「桜田殉難八士之碑」があります。


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真っ赤なモミジを求めて(その1)殿ヶ谷戸庭園

 というわけで、東京の紅葉の見頃は12月に入ってかららしい……けど、翌日もまた紅葉を求めて出かけてみました。

 真っ赤なモミジが見たい! 先週出かけた高尾山のモミジの色はいまひとつ物足りなかった。もっと燃えるような紅のモミジを見たい。東京では無理なのか、今年はダメなのか、それとも、まだこれからなのか?

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 まず訪ねたのは国分寺の殿ヶ谷戸庭園。お初の場所です。国分寺駅前のさほど広くない庭園ですが、モミジの本数が多く、モミジ密度がとても高い。しかも、国分寺崖線の南の縁にあって、段丘崖を利用した作りなので、紅葉亭(茶室)あたりでは池のまわりの紅葉を見下ろして3Dで眺められます。ちょっと遠出して見に行く価値あり! でもね、やっぱり少し早かったようで、まだパステルカラーでした。

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 この殿ヶ谷都庭園は大正初めに後の満鉄副総裁江口氏の別邸として造られ、その後昭和4年に三菱財閥の岩崎彦弥太氏(弥太郎さんの孫)に買収されました。昭和49年に東京都が買収するまで、岩崎氏の別邸だったのです。池之端の旧岩崎邸、六義園、清澄庭園のほかに武蔵野にも別邸があったんですね。現在は全て都の庭園になっています。

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 小規模ながら竹林もありました。左側のモミジが真っ赤に色づいたらさぞかし綺麗でしょうね! 近くだったら、紅葉の季節には何度も出かけて、色の変化を楽しみたいところです。

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2011/11/28

第30回お江戸オフ≪等々力渓谷・九品仏≫その1

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 一昨日はお江戸オフの紅葉狩り、改め黄葉狩りでした。紅葉を求めて歩いたものの、都内のモミジはようやく色づき始めたばかりで紅葉を愛でるという状況には至らず、見頃を迎えたイチョウなどの黄葉を堪能してきました。詳しい記事は後程まとめることにして、まずは写真をアップします。

 上の写真は九品仏の総門前。境内にある都天然記念物のイチョウ(写真下)をはじめ、九品仏は黄葉の美しいお寺です。モミジはまだ1~2分の色づき。鳥のさえずりを聞きながら、落ち葉を踏みしめて静かな境内を歩いていると、京都にやって来たような嬉しい錯覚を覚えました。

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 満願寺(写真左)や等々力不動(右)のイチョウも鮮やかな黄色でした。青空を背景にきらきら光るイチョウは天然のビタミンカラーで人の心を癒してくれます。

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続く


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2011/11/22

高尾山薬王院

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 好天に恵まれた昨日、高尾山に行ってきました。京王線沿線の我が家から高尾山は便利で、都心に出る位の時間で行かれます。10時に思い立って、12時前には高尾山の麓に立っていました。

 紅葉情報で「見頃」になっていたので、36不動の1つ薬王院を詣でようと思いついた次第。往復ともケーブル利用で薬王院まで歩いただけ(山頂までは行かず)でしたが、色づいた木々の中を歩いて自然の気をいっぱい吸い込んできました。ただ、高尾山は"紅葉"というより"黄葉"が中心で、真っ赤なもみじが少ないのがちょっと残念。色づきがいまひとつなのは気温差が少ないから?

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 高尾山5回目にして、初めてケーブルカーに乗りました。135人乗りの大型ケーブルが7分間隔で運転中で20分程の待ち時間。平日の中途半端な時間なのに結構な人出です。この分だと週末は待つより歩いたほうが早そう。そうそう、このケーブル、一部の勾配が日本一だそうで意外でした。

 ケーブル駅近くから新宿方面を眺めたズーム写真です。スカイツリーもはっきり見えています。夏のビアガーデンはこの辺りに設けられるのかもしれませんね。ビールオフにどうでしょう?

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 正式名称「高尾山薬王院有喜寺」は天平年間(744)に聖武天皇の勅令により薬師如来を本尊として開山されたと伝えられています。その後、南北朝時代(1375)に今の本尊「飯縄大権現」を祀って中興され、修験道の道場として繁栄しました。飯縄大権現は神仏習合の神で不動明王の化身とされ、さらに、歓喜天、迦楼羅天、荼枳尼天、宇賀神(弁財天)の五相合体の姿をしています。本堂(写真左)のほかに飯縄権現堂(右、神社なので鳥居がある)があるのは神仏習合ならでは。また、高尾山は飯縄大権現の眷属(随身)である天狗信仰の霊山としても知られています。

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Img_0777 「願いが叶う輪くぐり」や「石車まわし」など若者に受けそうな趣向が新設され(少なくとも30年前はなかった)、行列ができていたのが印象的でした。パワースポット流行りの昨今はこういうわかりやすい呼び物が必要なんでしょうね。

 ご朱印集めも似たようなものかもしれません。36不動のうち、27か所まわって、あと9か所になりました。


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2011/11/10

第29回お江戸オフ≪神楽坂界隈≫

 パソコン修理のためにアップできなかった10月1日のお江戸オフの記事です。今更感いっぱいにつき、手短にまとめます。

大江戸線「牛込神楽坂」駅A2出口13時集合→①光照寺 →(地蔵坂) →②善国寺(毘沙門天) →(大手門通り)→ ③若宮八幡宮 →(小栗横丁、神楽坂見番)→ティータイム「神楽坂茶寮」 →④寺内公園(行元寺跡)→ (兵庫横丁<石畳>、三年坂) →⑤筑土八幡神社 →⑥小石川後楽園→18時~宴会「ラ・カシェット」

(新宿区観光協会の散策マップを参考にして、神楽坂の横丁をくまなく歩きました)

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 神楽坂といえば、粋な花街というイメージですが、石畳の狭い路地には今もなおその風情が残っていて、ほかの繁華街とは一線を画しています。坂道であることが独特の雰囲気を高めている印象。一見さんお断り風の高級料亭から若者向け居酒屋まで、飲食店が立ち並び、ぶらぶらするより飲み食いしたい街でした。

 江戸の寛政年間に毘沙門天の善国寺が馬喰町から移ってきてから門前町として栄え、後に岡場所として発展、これが花街の原型となりました。大正の最盛期には700人もの芸妓が在籍していましたが、現在は30人程が花街神楽坂を支えています。

光照寺

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 この一帯は戦国時代に地域の領主・牛込氏の居城があった場所。光照寺は江戸初期に神田から移転してきました。
 この光照寺の前に「新暦調御用所(天文屋敷)跡」の説明板(写真右)があります。明和2年(1765)、当時使われていた宝暦暦の不備を正すために設置された天文台で、その後、天明2年(1782)に鳥越に移転しました。

善国寺(毘沙門天)

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 寛政5年(1793)に現在地に移転して以来、「神楽坂の毘沙門天」として江戸庶民の信仰を集めました。神楽坂はこの門前町として発展し、明治・大正期には山の手随一の繁華街となり「山の手銀座」と呼ばれました。
 毘沙門天信仰から虎を重視したため、狛犬の代わりに石虎が鎮座しています。

若宮八幡宮

Img_0644 源頼朝が奥州藤原氏征伐の際、当所で下馬宿願し、奥州平治後に鎌倉鶴岡の若宮八幡を分社したと言われています。



「神楽坂茶寮」でティータイム

Img_0647_2 こちらのブログでこのお店を知って以来、行ってみたいと思っていました。30分程待って、さんざん迷って注文したのが「黒洲きな粉のくずもち」。美味しかった!

寺内公園(行元寺跡)

Img_0648_4 この一帯には鎌倉末期から行元寺という寺があり、本尊の千手観音像は太田道灌や牛込氏に信仰されていました。行元寺が明治40年に西五反田に移転した後、跡地は「寺内」と呼ばれ、花街として賑わいました。

筑土八幡神社

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 起源は古く、平安時代までさかのぼると伝えられています。文明年間(15世紀後半)に当地を支配していた上杉朝興が社殿を作り、この地の鎮守としました。
 石段の途中にある石造鳥居は新宿区最古の鳥居(享保11年建造)。珍しい二猿の庚申塔(寛文4年銘)、作曲家田村虎蔵の顕彰碑があります。

小石川後楽園

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 時間が余ったので小石川後楽園まで足を延ばしたら、都民の日で無料開放されていました。後楽園は何度か訪れていますが、この季節は初めて。そこここに咲く鮮やかな彼岸花が目を引き、深まりゆく秋を満喫しました。

 この後、神楽坂に戻り、おみやげに五十番の肉まんと不二家のペコちゃん焼きを買い求め、例のごとく宴会となりました。

 以上、駆け足でざっと記録しました。お仕事をひとつ終えてほっとしています。ご一緒してくださったメンバーには1ヵ月遅れのTBを送らせていただきます。


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