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2012/01/25

41年ぶりのタイガース

4195sgx35nl__sl500_aa300_ ひさびさにミーハーネタです。今回はこちら→ザ・タイガース――昭和40年代前半に一世を風靡したグループサウンズです。このブログでも何度か書きましたが、私は小学校時代にタイガース、なかでもジュリー(沢田研二)のファンでした。いわば、ミーハーTompeiの原点。とは言っても、何しろ小学生なのでライブを観に行くことはかなわず、テレビを見たりレコードを聴いたり雑誌の切り抜きを集めるのがせいぜいでした。

 あれから40数年、「タイガースを生で観たい」という当時の願いが昨日、実現しました。昨秋から始まったジュリーのライブツアーにサリー(今の岸部一徳)、タロー(森本太郎)、ピー(瞳みのる)がゲスト参加して、タイガースが蘇ったのです。とりわけ今回の話題はピーの復活。タイガース解散後、芸能界を引退して、慶応高校で教師をしていたピーがジュリーたちの呼びかけで戻ってきました(ここに至るまでのいきさつは著書「ロング・グッバイのあとで ―ザ・タイガースでピーと呼ばれた男―」)。さらに昨日は病気療養中のシロー(岸部シロー)も駆けつけて1曲歌ってくれました。

 1971年1月24日に武道館で解散してから丸41年、同じ日同じ場所に5人集合したタイガースを観られて興奮と感激のひとときでした。小学生の柔らかい頭に刻みついた歌詞は今なお消えることなく、心の中で口ずさみながら往年のヒット曲を聴きました。みんな還暦を過ぎた初老のおじさんだけどいいんです。外見は変わっても歌声は変わりません。ときめきは変わりません。

 時はあまりにもはやく過ぎゆく
 喜びも悲しみもすべてつかのま

 時はあまりにもはやく過ぎゆく
 ただひとつ変わらない愛の世界

 こんな歌詞が身に沁みるのは今だからこそ。年を重ねるってこういうことなんだな、としみじみ実感しました。50を過ぎてタイガースに興奮する日が来ようとは思わなかった……だから人生は面白い。

 ジュリーいわく「かつみが加わってこそタイガース。メンバー全員でやれる日を信じています」。トッポ(加橋かつみ)の『花の首飾り』が聴ける日を期待することにしましょう。


ゴールデン☆ベスト ザ・タイガース
実はこれ、ポチッとしてしまったsweat01

<追記>
 2013年12月27日。東京ドーム。ついに、トッポを加えた本物のタイガースを観ることができました。トッポの「花の首飾り」や「廃墟の鳩」を聴けて幸せ。病中のシローも登場し、車いすのシローを5人で囲むシーンに胸を熱くしました。

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2012/01/23

第32回お江戸オフ≪川崎大師≫

 最高気温3.7度、この冬一番の寒さを記録した21日土曜日、川崎大師に行ってきました。今年初めてのオフは「初大師」のご利益をいただくべく川崎大師にお参りしてから、川崎宿跡を少し歩く予定でしたが、寒いわ雨は降っているわ、とても歩く気にはなれず、予定を縮小して川崎大師詣でだけにしました。

 あの寒さの中、神奈川、東京、埼玉、千葉から川崎に集まっただけでもたいしたものですよね。「寒いからパス」という人は誰もいません。軟弱な私もヒートテックにホカロンを貼りつけて、気合いを入れて出かけました。

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 川崎大師の正式名称は「金剛山金乗院平間寺」。弘法大師像を本尊として、平安後期に創建されました。『江戸名所図会』にも「厄除大師堂」として記載されていて、「霊応著しく、つねに詣人絶ゆることなし。正・五・九月の二十一日、別して三月二十一日は御影供修行あるゆえに、おほいに賑はへり」と書かれています。

 全国有数の初詣客を誇る川崎大師ですが、初大師の日も例年、それにひけをとらない人出で賑わい、参道にはたくさんの屋台が並びます。が、さすがにこの日は屋台もほとんど出ておらず、参拝客もさほど多くありませんでした。とは言え、1時間に1度のお護摩はお堂一杯の人。私たちもお護摩に参列して、大師様のご加護をお願いしてきました。寒かったし、足は痛かったけれど、宗教の儀式は日常とは違う厳粛な気分になりますね。

Img_1091 お護摩の後は門前の「住吉」でくず餅休憩。毎月20、21日は半額の200円です。冷えた体に黒蜜の甘さとお茶のあったかさが嬉しかった!

 参道でおみやげを買った後、京急で川崎に移動して、ラゾーナ川崎の「音音」で新年会。土鍋で炊いたたこ飯が絶品でした。川崎駅は大きく様変わりしていて、きょろきょろうろうろ。20年ぶり位だから当然かしらね。

 晴れ女集団にしては稀に見る悪天候で始まった2012年のお江戸オフ……たぶんこの先はまた晴れ続きでしょう。今年はどんな場所を歩けるか、楽しみです。

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2012/01/15

第31回お江戸オフ≪赤坂≫その3

こちらの続き)

 昨年のオフの記事がまだ終わってないのでした。今年はこういうことがないようにしたいものです。

日枝神社

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 大田道灌が江戸城築城にあたって川越日枝神社を勧請したことに始まり、徳川家康が江戸入府後、江戸城の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守としました。江戸城の裏鬼門にあたる現在地に遷座したのは4代将軍家綱の時。古くは日吉山王社、江戸山王大権現などと呼ばれ、祭礼の山王祭は神田明神の神田祭とともに天下祭とされていました。
 茅の輪が設置されていたので、初めて茅の輪くぐりを体験しました。年に2回、6月と12月にこの輪をくぐって罪や穢れを祓い、心身を清めるそうです。

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 現在は外堀通りからのエスカレーター付き大階段(写真左)が正面入口になっていますが、江戸時代は山王側が表参道(右)でした。鳥居は破風が付いた山王鳥居。この神社の神使は猿で、神門(最初の写真)の拝殿側と拝殿前に夫婦猿の像が安置されています。

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末社、稲荷道


勝海舟邸跡

Img_0918 勝海舟が50歳から77歳で亡くなる明治32年まで住んでいた場所。海舟は明治維新後、政府の要職を歴任し、晩年はこの地で『氷川清話』などを書いて暮らしました。幕末から明治の初めにかけては少し離れた元氷川坂下に住んでいました。



氷川神社

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 平安時代の創建と伝えられる古社で元は一ツ木にありました。紀州藩邸の産土神だったことから8代将軍徳川吉宗が深く崇敬し、現在の地に社領200石を寄進して社殿を造営しました。
 境内にある四合(しあわせ)稲荷(写真右)は4つの稲荷を合祀した神社で、勝海舟の命名。海舟筆の「四合稲荷社」という扁額も現存しているそうです。
 赤坂の繁華街から程近いこの地に、江戸時代から変わらない神社の凛とした空気と緑の森が残っているのは貴重です。

Img_0691 元禄の頃にはこの地に浅野家の屋敷があり、忠臣蔵の浅野内匠頭が切腹した後、夫人の瑤泉院がここで暮らしました。さらにそれ以前、盛岡藩南部家の屋敷があったので、近くに南部坂の名称が残っています。

Img_0925 この日、日枝神社と氷川神社を詣でて、お江戸オフで東京十社めぐりを完了したことになります。東京の元准勅祭社10社を東京十社として、東京十社めぐりが企画されたのは昭和50年のことで新しいものなんですけどね。東京の主な神社をめぐり終えて、オフの歴史を実感しました。



檜町公園

Img_0927 ミッドタウン、檜町公園の一帯は江戸時代、長州藩の下屋敷(中屋敷とも?)でした。周辺に檜の木が多かったことから檜屋敷とも呼ばれ、後の檜町という地名の由来にもなりました。現在の公園は藩邸の庭園そのものではなく、ミッドタウン建設時に整備したもの。六本木ヒルズの毛利庭園も同様ですが、開発のために旧跡を壊し、後からそれらしく見せかける手法は何だか、ね。

 この後、その1のイルミネーションにつながるわけです。2年越しでようやく書き終えてほっとしました。参加メンバーには遅ればせながらトラックバックを送ります。

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2012/01/10

国芳と広重

 連休中に六本木で浮世絵展をハシゴしました。ヒルズの「没後150年歌川国芳展」とミッドタウンの「広重 東海道五拾三次」です。同じ歌川派のこの二人、国芳は1797~1861年、広重は1797~1858年と同い年で寿命もほぼ同じ。長府藩上屋敷と長州藩下屋敷が21世紀に人気を二分する商業施設になって、そこで自分たちの浮世絵展が競い合うことになるとは思わなかったでしょうね。

Img_0001 まずは「国芳展」。前期・後期でほとんどの作品が入れ替わり、のべ421点を展示する過去最大規模の国芳展です。このチラシの絵やユーモアあふれる猫や金魚の絵など国芳お得意の戯画はもちろん、武者絵、役者絵、美人画、風景画などあらゆるジャンルの浮世絵が並び壮観でした。場所柄か若い世代を含めて大勢の入場者がつめかけ、会場は大混雑。浮世絵は近寄らないと細部まで見えないので、混んでいると非常に時間がかかってくたびれます。

 ちなみに、この展覧会の会場「森アーツセンターギャラリー」は森ビル52階にありますが、入場料の1500円のほかに1000円追加しないと展望台には入れません。52階まで上って外を見られないのは残念なので払いましたけど、何だか納得がいきません。しかも、展望台と森美術館は込みなので、とくに見たくもない展覧会もとりあえず回りました。

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 というわけで長々と滞在し、夜景まで見てしまいました。左の写真は東京タワーとスカイツリーが1枚に収まっているんですが、拡大しないと見えませんね。右は2012とライトアップされた東京タワー。

Img_0004_2 ミッドタウンに移動して一息入れた後、サントリー美術館の「東海道五拾三次」です。金土は20時まで開館しています。すでに18時を過ぎていたせいか、こちらは人が少なくゆったり見られました。音声ガイドを聴きながら、説明を読みながら、のんびり東海道を旅できて大満足。昼間はやはり大混雑のようなので、夜が狙い目です。「国芳展」も同じかもしれませんね。

 広重は生涯に20種以上の東海道物を制作していますが、最初の保永堂版(1833)が代表作とされ、通常「東海道五拾三次」と言われているのはこの保永堂版です。今回の展覧会では保永堂版と隷書版(1849)が一挙公開され、また一部は保永堂版の初摺りと変わり図が展示されています。比較的単調な東海道を、広重が季節や天候を変えて工夫をしながら描いたことがよくわかりました。東海道は川越えが多いことを実感。

 浮世絵展のハシゴは疲れました。音声ガイドを首から下げていると肩は凝るし、目はしょぼしょぼ、脚は棒のよう。美術館めぐりも体力がいります。

Img_1059 年末にイルミネーションを見た場所にスケートリンクができていました。そういえば、六本木ヒルズの52階にも小さな小さなリンクがありました。あくまでも競い合うミッドタウンとヒルズです。

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2012/01/06

谷中七福神めぐり

 あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 2012年は明るく穏やかな1年でありますように。
 谷中七福神の福が皆様のもとに届きますように。

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 一昨年から我が家の恒例行事になった七福神めぐり、今年も行ってきました。今年は「江戸最古」という谷中七福神。2日の実家訪問の前にあわただしく休憩なしで回りました。ご朱印をいただく待ち時間を含めて、のべ3時間半あまり。万歩計を忘れたけれど、5キロ以上歩いたはずです。 ここのご朱印は七福神の絵が描かれた和紙にいただくのが正式ですが、我が家は色紙にしました。色紙500円、ご朱印各300円。

 初めて回った日本橋七福神は都心、目黒は山の手、隅田川は下町、そして谷中は昔ながらの風情が残った寺町とそれぞれ雰囲気が異なり、それぞれのよさがあります。昭和の匂いが漂う谷中を歩き、広大な谷中霊園を横切り、上野動物園の狭間を通り、変化に富んだ道のりでした。谷中の七福神様は「江戸最古」のキャッチフレーズにふさわしく威厳のあるお姿が多い印象でした。

 七福神のご利益をいただけて、ご朱印集めは楽しく、街歩きは面白い。ますます七福神めぐりの魅力にはまりました。ご開帳期間のうちにもっと回りたい気もしますが、また来年のお正月のお楽しみとしましょう。

JR田端駅→①東覚寺(福禄寿)→②青雲寺(恵比寿)→③修性院(布袋尊)→④長安寺(寿老人)→⑤天王寺(毘沙門天)→⑥護国院(大黒天)→⑦不忍池弁天堂(弁財天)→上野駅
(下の地図とは逆に歩きました)

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東覚寺(福禄寿)

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 室町時代に創建されたお寺で、福禄寿は近くにあったお寺から明治時代に遷座されました。
 不動堂前の仁王像(写真左)は江戸寛永年間(1641)に建てられたもので、赤紙仁王尊と呼ばれ、赤紙を自分の患部と同じ場所に貼って病気の治癒をお願いします。お線香2本と赤紙2枚が1セットで200円。私も胃のあたりに赤紙を貼ってきました。本堂の裏手には傾斜を利用したこじんまりとした庭園もあり、なかなかユニークなお寺です。

青雲寺(恵比寿)

Img_0998Img_0997 佐倉藩主堀田氏が創建に関わった禅寺で、修性院とともに花見寺と呼ばれていました。江戸時代に「ひぐらしのさと」と呼ばれた日暮里周辺には月見寺や雪見寺もあり、雪月花の景勝地でした。
 文化7年(1810)に建てられた滝沢馬琴の筆塚(写真右)があります。

修性院(布袋尊)

Img_1001Img_1000 身延山久遠寺系の日蓮宗の寺で、天正年間に石神井に創建され、寛文3年(1663)に現在地に移転されました。花見寺の一つで、その中でも随一の花見客で賑わったといいます。
 布袋像はどっしりとした大きなもので、寺を囲む塀には微笑ましい布袋様の絵が描かれています。

長安寺(寿老人)

Img_1011Img_1010 寿老人像を安置した長安軒という小さなお堂がこの寺の基で、寛文9年(1669)、老山和尚が長安寺を開創しました。それより400年も前の年号が刻まれた板碑が残されています。

天王寺(毘沙門天)

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(左から、本堂、毘沙門堂、五重塔跡)

 鎌倉後期に日蓮聖人の弟子が開創、元禄12年(1699)天台宗に改宗。天保4年に天王寺と改称されるまで感応寺といい、江戸三富の一つとして(他は、湯島天神、目黒不動)賑わいました。広大な伽藍は幕末の上野戦争で灰燼に帰し、明治初期に寺域の大半が都営の谷中霊園になりました。上野戦争で焼け残った五重塔は昭和32年(1957)、心中による放火で焼失しました。
 毘沙門天は比叡山から移された、伝教大師作といわれるもの。
 歴史あるお寺ですが、現在の本堂などは新しく建てられたものでかつての面影はまったくありません。残念!

徳川慶喜墓所

 七福神とは関係ありませんが、ぜひ記録しておきたい!

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 「私は前に見たからいい」と言ったんですが、夫が行きたがって再訪しました。そうしたら、なんと、オフのとき見たものとは違う? 前回見たのはお隣りの一橋家のお墓だったようです。薄気味悪くてよく見てなかったんですね。
 これが正真正銘の徳川慶喜のお墓。美賀子夫人のお墓と並んでいます。神式の円墳。慶喜は自分の葬儀を神式で行うように遺言したそうです。

護国院(大黒天)

Img_1028Img_1024 寛永寺を創建した天海僧正の弟子・生順が開創し、その後数回の移転を経て現在地に至っています。本堂は享保7年(1722)に再建されたもの。大黒天は像と画像があり、画像は徳川家光から贈られたものと伝えられています。
 上野戦争や第二次大戦で焼失を免れた本堂は300年近い歴史の重みを感じました。

不忍池弁天堂(弁財天)

Img_1030Img_1031 寛永寺建立の際、不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島に似せた中の島を築いて弁財天が祀られました。当時のお堂は昭和20年の東京大空襲で焼失し、昭和33年に現在の建物が再建されました。
 弁天堂のまわりにはふぐ供養碑、包丁塚、めがねの碑、鳥塚など、たくさんの石碑が建っています。

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