« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012/05/31

桜子さん

201205301136000 ひょんなことから名付け親になりました。桜子さん――こちらのピアノの名前です。この春、満開の桜とともに、桜桃さんのお家にやってきたヨーロッパ生まれの木目のグランドピアノ。上品でちょっとすました深窓のご令嬢という雰囲気。とびきり素敵な音を響かせます。

 物に名前をつけるのが桜桃さんの流儀。ピアノが桜子さん、パソコンが桃子さん、デジカメが定額給付金くんとホワイトくん……。なかなかユニークです。

 昨日、お招きいただき、お江戸オフ仲間とお邪魔しました。桜桃先生の『月の光』の演奏のあと、伴奏に合わせて唱歌や讃美歌を歌ったり、なんと連弾までさせていただいちゃいました。ずっと同じ音か、二つの音を交互に弾くだけ、ですけど。いいですね、音楽は。日常のきわめて俗っぽい生活から少し離れて、心がうるおっていくのがわかりました。近くだったら桜桃先生にピアノを習いたい、とピアノもないくせに思うのでした。

201205301239000 桜子さんお披露目の後はたこ焼きパーティ。たこ焼き器は関西人の必須アイテムですね。カオスな世界を竹串1本できれいに丸める、たこ焼き作業は面白い。カオスなまま食べるもんじゃ焼きとはまるっきり違います。たこ焼きもチーズフライも茄子の煮ものもピクルスも美味しかった。hichaさんの手作りのキャベツ煮もトマトとアボカドと帆立のサラダも美味しかった。皆さん、お料理がお上手です。

 そして、お部屋はきれいに片付いている! お友達の家に招かれると、片付けも料理もダメなわが身を自覚し、激しく反省することになります。反省が新鮮なうちに片付けなければ! 

 桜桃さん、お忙しい中、楽しいひとときをありがとうございました。ピアノというライフワークがあってうらやましい。桜子さんと二人三脚で素晴らしい時間を積み重ねてください。hichaさん、ゆれいさん、お世話になりました。どうもありがとう!

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2012/05/28

長州紀行(その9)壇ノ浦と源平合戦

 長州紀行に戻ります。ようやく3日目。5月3日、連休初日でもあり、下関の海峡まつりでもあり、道路が渋滞する前に下関入りするべく、7時に湯田温泉のホテルを出発しました。

<みもすそ川公園>

Img_1616

 やってきました、壇ノ浦! みもすそ川公園の源義経・平知盛像です(手前にタッキーほかの手形とサインあり)。ガイドブックなどでよく見るこの景観を目の前にして、下関まで来たことを実感しました。海の香りを含んだ風が気持ちいい!

Img_1617 壇ノ浦は関門海峡の最も狭い海域で、源平合戦と幕末の下関(馬関)戦争の舞台になった場所。義経・知盛像の隣りには砲台のレプリカがあります。かつてこの場所に長州藩の砲台があり、列強4国と戦いました。壇ノ浦の上に関門橋がかかり、下に関門トンネルが通っています。

 車は公園近くの関門トンネル人道口に駐車して、バスで唐戸まで行き、下関の中心部を見物しました。この記事では源平合戦ゆかりの地を記録します。

<赤間神宮>

Img_1621201205271357000




 平家一門とともに壇ノ浦に入水した安徳天皇(数え年8歳)を祀る神社で、明治維新までは阿弥陀寺というお寺でした。第二次大戦で社殿を焼失し、昭和40年に龍宮城をイメージした水天門などの新社殿が完成しました。孫の安徳天皇を抱いて海に身を投じた二位の尼(平清盛の妻・時子、大河では深田恭子)が「浪の下にも都の候ぞ」と言ったという伝説に由来しています。

 この日は「先帝祭」という年に1度のお祭り。安徳天皇の命日(つまり平家滅亡の日)5月2日に合わせて行なわれる神事で、3日には「上臈参拝」というメインイベントがあります。これは、壇ノ浦合戦で生き残った平家の女官たちが遊女に身を落としながらも毎年安徳天皇の命日に参拝したことにちなんだ行事で、上臈姿の女性が稚児や官女を引き連れて参拝します。

Img_1629Img_1624

 境内には上臈参拝のための「天橋」が架けられ、水天門前ではすでにかなりの人が場所取りをしていました。ちなみに、この日は境内に入るのに入場料500円がかかり、先帝祭のうちわをもらえます。上臈参拝を見てみたいけれど、ここで数時間も時間を費やすわけにはいきません。参拝した後、平家一門の七盛塚と「耳なし芳一」像に手を合わせて赤間神宮を後にしました。

Img_1626Img_1627


<海峡まつり>

 5月3日は「下関海峡まつり」のクライマックス「源平まつり」が行なわれ、下関が1年で1番賑わう日。源平武者行列や船合戦、上臈道中、市民各団体による総踊りなど、いろいろなイベントがあるので、中心部は車が渋滞し、観光客が押し寄せ活気づいていました。

Img

 行列をゆっくり見ている時間はなかったけれど、「源平や上臈を一目見たい」と右往左往して何とかカメラに収めました。順番に、信号待ちをする安徳天皇、勝鬨をあげる源氏一行、上臈道中(途中数回「外八文字」披露があるが見逃した)、市民総踊り。お祭りというものはやっぱり気分が高揚しますね。

Img_1659Img_1656

Img_1664Img_1665


<和布刈(めかり)神社>

Img_168520120503




 壇ノ浦をはさんで下関の対岸、門司側にある神社。九州最北端に位置します。社記によると西暦200年創建。壇ノ浦合戦の前夜、平家一門が勝利を祈願して、願文を奏上したと伝えられています。

 和布刈とは「ワカメを刈る」という意味で、毎年旧暦元旦の未明に三人の神官が神社の前の海に入り、ワカメを刈りとって神前に供える和布刈神事が行われます。昔読んだ松本清張の『時間の習俗』に出てきましたっけ。帰ってからひさしぶりに読んでみました。

Img_1684Img_1680

 海に向かって鳥居が立っていて、石段が海に続いています。和布刈神事の際はここから下りて行くんでしょうね。潮の流れが早く、今にも渦を巻きそう。潮流の音が大きく響いて、なんとも言えない雰囲気です。

<火の山展望台>

Img_1708

 和布刈神社の脇から関門トンネル人道(「その10」参照)を歩いて下関に戻り、車で火の山展望台に上りました。なんと、源平船合戦の真っ最中ではありませんか! 見物人が大勢カメラや双眼鏡を向けていました。船合戦は時間の関係で見るのをあきらめていたので、これは嬉しい想定外。展望台から遥か壇ノ浦を見下ろしつつ、800年以上前の源平合戦に思いをはせました。

HeikeGenji

 ズームで撮った写真をさらに拡大したら、源平の船が見えました。左の赤が平家、右の白が源氏。平家の御座船には先頭に知盛、屋根の下には安徳天皇や女性たちが見えます。一方の源氏の船には白い頭巾の弁慶とその隣りが義経ですね。

 混雑する海峡まつりを避けてスケジュールを変えようかとも考えましたが、年に1度のこの日に下関を訪れることができてよかったです。大河ドラマが『平清盛』の年に行かれたのも何かの縁と思います。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2012/05/25

ディナーショー『YUHizm』 (パレスホテル)

 金環日食で始まり、スカイツリーがオープンした今週は、私にとってもお祭り週間。一昨日はオープン翌日のスカイツリーに上り、昨日は新装オープンして1週間のパレスホテルのディナーショー(DS)に出かけ、お楽しみ続きでした。

 宝塚のごひいき、大空祐飛さんのDS『YUHizm』。7月1日の退団を控えて最後のDSなので「チケットが取れるはずない」とあきらめていたところ、友人の奮闘のおかげで観られることになりました。感謝! DSは11年ぶり。それはゆうひさんの初めてのDSで、実は「最初で最後かも」と思って出かけたのでした。ファンでさえ、こんなに魅力的な男役に成長して、一時代を築くトップになるとは夢にも思わず……。華麗なる逆転満塁ホームランに乾杯!

 なつかしい歌の数々を聴き、楽しいトークに大笑いし、幸せなひとときでした。とりわけ、『黒い瞳』のプガチョフの歌は感慨深かった! 代役のプガチョフを見て、ビビビときたんです。それに、『ザ・ラスト・パーティ』の主題歌。初めてのバウ主演がこの作品だったことがその後の道を開いたように思います。『大江山花伝』の歌を聴けば博多座で初めてトップ姿を見たときの興奮がよみがえり、『ヴァレンチノ』の歌を聴けば震災で中止になった公演が再演されたときの感激がよみがえり……。

 来週末には東京公演が始まり、ラストデーまであと1ヵ月あまり。大空祐飛ならではの男役の美学――YUHizm――を堪能しつくしたいと思います。

 新しいパレスホテルは欧米風のやや暗めの間接照明で、高級感が溢れるシックな雰囲気。見違えるように変身しました。ホテル最大の宴会場「葵」で初めて行なわれるディナーショーとあって、宴会係総出でOJT研修のような印象。少し早めに入場したら、会場内外にものものしいほどの係員が立っていて、口々に「いらっしゃいませ」とお辞儀され緊張しました。が、先方も緊張していたようで、言葉をかわすと敬語が心もとなかったりして、建物だけでなく人も新しいことを実感しました。

 そうそう、DS後、1階のラウンジでお茶をしていたら、別の方がリクエストした『As time goes by』をピアニストが弾いてくださって、しばし余韻にひたりました。

Img_1926Img_1927


| | コメント (10) | トラックバック (0)

2012/05/24

スカイツリー&ソラマチ 2012.05.23

 今日もしつこくスカイツリーねたで恐縮です。ネットの抽選予約で「23日15:30入場」が当たったので行ってきました。30分刻みの入場時間を第8希望まで申し込めたので、オープンの22日と23日を4つずつ入力したうちの1つ。支払いはカード決済で、当日はそのカードを持参してチケットと引き換えます。つまり、事前にチケットを手にできないのでダフ屋行為がしにくいシステム。

 オープン2日目の昨日は、前日とはうってかわってスカイツリー日和の好天で見晴らしも良好。夕方にかけて薄雲が出てきたのはちょっと残念でしたが、これで文句を言ったらバチが当たるというもの。なんでもスカイツリーは「雨タワー」で肝心なときに雨が降り、天皇陛下もレディー・ガガも王監督も雨にたたられたそうです。

Img_1860

 前回5/6はよく見えなかった都心方面もご覧の通り。よかったら拡大してくださいね。隅田川の清洲橋、永代橋の向こうに佃島のリバーシティ、さらに東京湾。中央の奥にはうっすら東京タワー、右奥には皇居の緑が見えています。

Img_1864

 こちらは北方面。隅田川の先に横たわるのは荒川。荒川の手前、左奥には北千住。右奥にぼんやり見える白い線は外環道路でしょうか。

Img_1869Img_1879_3

 さらに未踏の地上450m天望回廊まで上昇。こちらへは天望デッキでチケット(大人1000円)を買って専用エレベーターで上がります。エレベーターを降りるとフロア445で、そこからスロープ状の回廊をほぼ1周したところがフロア450。左の写真は回廊のスタート地点からゴール地点を見上げたところ、右はゴールからスタートを見下ろしたところ。

 景観は――350mとそれほど変わらなかったような……。頭の上から足元までガラス張りになっているので、青空や夕焼けがきれいだったり、夜景だったら、効果的かもしれませんが、薄曇りの夕方は回廊の長所をあまり実感できませんでした。次回はぜひここから夜景を見たい!

Img_1883Img_1886

 展望台最高点451.2mのソラカラポイント。こちらでは空間演出が施されます。ミラーになっていて我ら母娘の姿も写っているので拡大なし。地元押上が新タワーの候補地になっていることを知った7年前にまず思ったのは、「押上に新タワーが建つのなら、ぜひ母親を上らせたい」。それが実現し、2人で450mポイントに立てて感慨もひとしおでした。

 が、その母、展望台から下りたら、体調不十分で帰ってしまいました。隣りのビルの31階で記念のディナーを考えていた私は1人取り残され、ソラマチを探検し、食事をし、十間橋まで写真を撮りに歩きました。我ながら、よく飽きないわ。

 おみやげはキルフェボンのタルト。押上でキルフェボンのタルトが買える日が来ようとは! ソラマチについてもいろいろ書きたかったけれど、今日は時間切れでここまで。

Img_1923Img_1908_4

Img_1895Img_1910_4


| | コメント (7) | トラックバック (0)

2012/05/22

祝! スカイツリー開業

Img_0972


   東京スカイツリー開業おめでとうございます!


20060329Img_1798

コンクリート工場があった場所にスカイツリーとソラマチが建って、

20091120aImg_1797

「スカイツリー前」が付いた押上駅は少し気取った感じになって、

Img_1866Img_1806

臭くて真黒な北十間川の水は見違えるようにきれいになって、

Img_1154_3Img_1809_2

川っぷちに遊歩道が通ってこじゃれた親水公園になりました。

Img_1775

生まれ育った押上の劇的な変貌ぶりに目を瞠り、興奮しています。

願わくは、スカイツリーがいつまでも日本中の、世界中の人々に
愛され続けますように!

うーん……オープンの日はこんな青空が欲しかったなぁ。

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2012/05/21

長州紀行(その8)瑠璃光寺

Img_1596_320120502_2




 雨の瑠璃光寺。国宝の五重塔がかすんで見えます。これでもいくらか降りが弱まってきたところで、着いたときは文字通りの土砂降りでした(下の写真)。 萩から瑠璃光寺のある山口市まで南下する山越えのドライブはずっと大雨で緊張を強いられました。
Img_1593_2

 この五重塔は室町時代(1442年)に大内氏が香積寺境内に造営したもの。香積寺は後に毛利輝元が萩に引寺しましたが、五重塔は地元の人々の要望で跡地に残され、その後仁保から移転してきた瑠璃光寺のものとなりました。高さ31.2メートル。法隆寺、醍醐寺の五重塔と並ぶ日本三名塔の一つです。堂々として風格があり美しい。実際の高さよりずっと高く見えます。

Img_1595Img_1597

 境内は香山公園と呼ばれ、きれいに整備されています。奥には毛利家廟所(13代、14代)がありますが、雨の中を歩く気力はなく車に引き返しました。隣りにある毛利元就の菩提寺、洞春寺も割愛。もっとも5時を過ぎていたので入れなかったと思われますが……。

Img_1614 この日の宿泊地は山口から程近い湯田温泉。近代的な温泉旅館のビルが立ち並ぶ賑やかな温泉街です。いったん宿に行き、食事をすませた後、ライトアップされた五重塔を見にふたたび瑠璃光寺に向かいました。アルコールなしでもOKな夫婦なのでね。五重塔は神秘的な美しさを放っていたけれど、あたりは真っ暗で人気(ひとけ)がなく怖かったです。

Img_1607


| | コメント (5) | トラックバック (0)

2012/05/20

長州紀行(その7)萩城城下町

 だらだら続くこの旅行記、その7にしてまだ2日目です。わずか2泊3日の旅行なのに、準備と記録にその10倍以上の時間を費やす――そこが旅行の醍醐味と思いつつ、ちょっと面倒になってきました。さっさとまいります。

Img_1550_2

Img_1544_2Img_1569

 萩城の外堀から広がる城下町は昔のままの町筋が残り、武家屋敷や商家が立ち並んでいます。白壁、土塀、黒板塀、なまこ壁などが手入れをしながら大切に保存されていて、タイムスリップした気分で散策しました。そこここで夏みかんがたわわに実っていて、萩ならではの景観を楽しめました。

  左下の写真は、敵の侵入を防ぐために見通しを悪くした路地「堀内鍵曲(かいまがり)」。

Img_1565Img_1562

 この城下町の一画に高杉晋作と桂小五郎(私にとっては、木戸孝允よりこっちのほうが馴染みがある)の旧宅があります。双方は路地2つを隔てるだけで徒歩3分の距離。小五郎は1833年生まれ、晋作は1839年生まれで2人とも20歳近くまでここで暮らし、明倫館や内藤道場に通ったわけですから、互いに知っていたことは間違いありません。この辺りは中流の武家屋敷が並ぶ地域で、高杉家は家禄200石で当時は500坪の敷地があり、小五郎の実家は藩医で、養子先の桂家は150石。2人ともいいとこの坊っちゃんと言えそうです。町から離れた山のほうで生まれ育った吉田松陰や伊藤博文とは大違い。

<高杉晋作旧宅>
Img_1546Img_1549

<木戸孝允(桂小五郎)旧宅>
Img_1553Img_1555

 このほか、重要文化財の菊屋家をはじめ、青木周弼(幕末の蘭医学者)や田中義一(大正の陸軍大将、総理大臣)の旧宅も近くにあり、ゆっくり見学していたらこのあたりだけで1日かかりそうでしたが、残念ながら通り過ぎるだけで終わりました。

 見学は端折っても、食べるものにはこだわります。昼食はあらかじめ調べておいた「畔亭」でお庭を見ながら小萩弁当をいただきました。

Img_1556Img_1557

 おみやげにもこだわります。「光圀本店」の夏蜜柑丸漬が美味しいという情報を得て、朝一で出向きました。ここでしか買えないそうなんです。丸漬のほか、マーマレード缶と皮の砂糖漬けも購入。確かに美味しいけれど、ほかのお店との違いはわかりません。

Img_1492Img_1740

 ちょうど萩焼まつりの開催中でそちらも気になりましたが、訪ねる時間がなかったことが惜しまれます。散策の途中、萩焼の窯元で両親へのおみやげを買いました。

 ふぅ、やっと萩まで終わった! あと3~4回は続きますので、悪しからず。


| | コメント (8) | トラックバック (0)

2012/05/18

長州紀行(その6)吉田松陰②

<藩校明倫館>

 明倫館の旧跡は明倫小学校の敷地内にあります。訪問したのは生徒の下校時間でしたが、小学校の受付で記名をして見学させていただきました。

 明倫館は1718年に創建され、1849年(嘉永2)にこの地に移転し、1867年(慶応3)まで長州藩士の子弟を教育しました。吉田松陰はなんと9歳で明倫館の兵学師範になっています。

Img_1582 Img_1574_2

Img_1579_2Img_1577

(左上から順に)
  観徳門:孔子廟の中門
  南門:旧正門(2005年に移築復元)
  有備館:武道場
  吉田松陰先生講学之跡碑

Img_1583 明倫小学校の校舎は昭和10年竣工の木造校舎。生徒は学年ごと、学期ごとに違う松陰の言葉を毎朝、朗唱しているそうです。今もなお松陰の精神が受け継がれているわけですね。

<野山獄・岩倉獄跡>

Img_1493Img_1495

 密航に失敗した松陰は萩に送還され、この場所にあった野山獄(写真左)に収監されました。そこでも仲間の囚人を教育したらしい。野山獄は上牢として士分の者を収容し、道路を挟んで向かい側の岩倉獄(写真右)は下牢として庶民を収容。松陰の従者金子重輔は岩倉獄で病死します。

 松陰は野山獄を出た後、実家に幽囚の身となり、前の記事の松陰神社の項に続くわけです。そのまま松下村塾で教育にいそしめば、穏やかな後半生を送れたかもしれませんが……日米修好通商条約を激しく非難し、老中暗殺を企て、再投獄されます。さらに、幕命により江戸に送られ、伝馬町の牢獄で絞首刑に処せられるのです。なんというか、一本気すぎて要領が悪いですね。それが松陰の松陰たるところなんでしょうけれど。

515voacsmbl__sl500_aa300__2 私の中の松陰のイメージは今やすっかり『風雲児たち』の寅次郎。右下の絵のほうね。絵はこんなだけど、松陰の熱い心が伝わってきます。途中までしか購入していないので、まだ松陰は死んでいません。この機会に読まなくちゃ!

 東京の松陰ゆかりの地を訪問したときの過去記事のリンクを貼っておきます。
   伝馬町牢屋敷: 収監され処刑された
   小塚原刑場: 処刑直後、埋葬された
   松陰神社: 高杉晋作らが改葬した


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012/05/17

長州紀行(その5)吉田松陰①

 毛利家の次は、吉田松陰ゆかりの場所をまとめます。

<松陰神社と松下村塾>

Img_150220120502



 萩の観光スポットで一番人気はここではないでしょうか? 吉田松陰を祀った松陰神社。明治23年に松陰の実家、杉家が建てた祠が前身で、その後明治40年に伊藤博文など松下村塾出身者の運動によって山口県の県社として創建が許可されました。

Img_1503Img_1500

Img_1501
 (写真、左上から順に)

 松下村塾
 松下村塾(講義室)
 幽囚の旧居


 境内には松下村塾と松陰が幽囚されていた実家旧宅が現存しています。幽囚が解けた後、実家の納屋で講義を始めたのが松下村塾で、講義室は最初8畳の部屋のみ。後に10畳の部屋が増築されました。ここでわずか2年足らずの間に高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など幕末維新の志士たちが松陰の教えを受けました。

 萩のはずれの貧しい民家の納屋から明治維新の胎動が始まったんですね。その現場に立っていると思うと感慨深かったです。境内にある宝物殿誠館」には、刑死の前日に松陰が塾生にあてて書いた「留魂録」などが展示されていました。細かい字でびっしり書かれた遺言書は胸に迫るものがありました。同じものを2通書いたそうで、死を前にしてなお心を乱さない精神力の強さに感服するばかりです。それにしても、幕府はなぜこういう人物を刑死してしまったのか。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 (辞世)

Img_0001


<吉田松陰誕生地と墓所>

Img_1535Img_1533

 松陰神社から坂を上った見晴らしのよい場所に松陰の誕生地があります。松陰の実家はもともとこの場所にあり、松陰はここで生まれ、18歳の時に松陰神社の場所に引っ越すまで暮らしました。寅次郎(松陰の通称)少年は左の写真のように萩城や城下、日本海を眺めながら育ったわけです。

 誕生地にある銅像は、密航を企てて下田沖のペリー艦隊を凝視する松陰の隣りに、弟子の金子重輔が望遠鏡を手にして跪いています。2人は夜間小舟を漕ぎだし黒船に乗りこんで渡米を懇願しましたが、あえなく拒否され岸に戻されました。自首して拘禁された2人はその後、萩に送還され、重輔は萩の岩倉獄(次の記事参照)で病死しました。

Img_1529Img_1530

 誕生地の近くに松陰(写真左)、高杉晋作(写真右)、久坂玄瑞ほか、杉家、吉田家、玉木家などの墓所があります。松陰の墓所は百か日の法要に際して杉家が遺髪を埋めて造ったもの。墓石前の花立て、灯篭などは門人17人が供えました。

<玉木分之進旧宅>

Img_1538 松陰神社と誕生地の中間あたりに、松陰の叔父にあたる玉木文之進の旧宅があります。文之進はこの家で松下村塾を開いたので、ここが松下村塾発祥の地です。それを後に松陰が引き継ぐことになります。

 兵学師範の吉田家を継いだ松陰は幼少期、玉木宅に通い、文之進に厳しい教育を受けました。そのおかげで才能が開花し、11歳の時に藩主に御前講義をして認められます。11歳……講義をするほうも聞くほうもすごい!

<伊藤博文旧宅と別邸>

Img_1541Img_1540

 松陰神社のすぐ近くにあるので、こちらに記録します。

 伊藤博文は貧しい農家の出で、博文が9歳の時、一家はこの旧宅(写真左)に移住しました。10代半ばで浦賀警備に派遣された後、ここに戻って松陰の松下村塾に入門します。

 右の写真は、明治40年に伊藤博文が東京大井に建てた別邸を移築したもの。67歳で公爵になったこの年の2年後、ハルビンで暗殺されました。みずぼらしい実家と、玄関だけでそれより広い立派な別邸が並んでいるのを見ると、大出世した後に悲劇的な最期を遂げた伊藤博文の人生を思わずにはいられません。

     ------------------------------------------

 こんなに詳しく書くつもりじゃなかったのに、書き始めたら松陰の人生を追うことになってしまった――恐るべし、吉田松陰。まだ続きます。

 


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012/05/16

長州紀行(その4)東光寺・大照院

 毛利家つながりで長州紀行に戻ります。

 2日目は朝から本降り。「1日中やみそうにないな」と覚悟を決めて宿を出ましたが、やがて小降りになり、雨が上がり、陽が出てきて暑いくらいになりました。萩は北にある分、雲が切れたようです。夕方、山口まで南下したらまた土砂降りに逢いました。

 萩の記録は訪問順ではなく、関連毎にまとめます。まずは、毛利家の菩提寺を2つ。

<東光寺>

Img_150720120502




 中国の隠元禅師が伝えた黄檗宗の寺院で、黄檗宗に帰依した萩藩3代将軍毛利吉就が建立。吉就の死後、毛利家の菩提寺となり墓所が築かれました。朱塗りの総門はいかにも中国らしい。雨に洗われた新緑と満開のつつじが美しく、静寂な空気に満ちたいいお寺でした。

Img_1508Img_1510

Img_1523

 本堂の裏手にある毛利家廟所には、3代、5代、7代、9代、11代の藩主夫妻が祀られています(それ以外の代は大照院)。この廟所がすごい。藩主夫妻の墓石の手前に家臣が献上した石灯籠約500基が整然と並んでいて圧倒されました。写真ではわかりにくいけれど、灯籠は成人の身長程の高さがあります。華美ではなく、筋が通った質実な家風がしのばれました。

 毎年8月15日、旧暦お盆の送り火として、すべての石灯籠にろうそくの火が灯される万灯会が行なわれているそうです(13日は大照院で迎え火)。ああ、見てみたい!

Img_1513

Img_1519


<大照院>

Img_158720120502_2




 当初は訪ねる予定ではありませんでしたが、残り半分の毛利家廟所を見てみたくなって訪問しました。こちらは臨済宗南禅寺派のお寺です。東光寺に比べるとこじんまりしていて、ひなびた雰囲気。改修工事中だったので、きれいに整備されるのでしょう。

Img_1588Img_1589

 廟所は東光寺とまったく同じ形式。しかし、墓石は東光寺が角柱形なのに対し、大照院は五輪塔形。写真②で確認できます。写真②は初代藩主・秀就夫妻の墓所で、①の廟所の右手に独立しています。最古の墓所の風格があり、墓石も石灯籠も鳥居もまわりの木々も地面もすべてが苔むして、なんともいえない気が漂っていました。写真①の部分に、2、4、6、8、10代の墓所があり、12代は左手の山の上にあります。なお、輝元の墓所は萩市の天樹院。


Img_1590

Img_1591

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2012/05/14

「毛利家の至宝」(サントリー美術館)

Img_0002_2 東京ミッドタウン5周年の記念イベントとして、サントリー美術館で開催中のこの展覧会、毛利家の城下町を訪ねたばかりの身としては見逃すわけにはいきません。ミッドタウンの敷地は江戸時代、長州藩毛利家の下屋敷があったというご縁から実現した企画で、展示品のほとんどは防府市にある毛利博物館の所蔵品です。

 一番の目玉は雪舟の「山水長巻」。正式名称「四季山水図」というこの水墨画は長さ16メートルの巻物で、水墨画の最高傑作として名高い作品。もちろん国宝です。今回は全長が一挙公開されています。16メートルにわたって春から順に山水の四季の移り変わりを追ったら、水墨画に疎い私にもこの作品のすごさが少しはわかったような気がしました。水面のごく淡いブルーなどの彩色がきれい。

1103 国宝の古今和歌集(高野切)の流麗なかな文字も印象的。婚礼調度品や雛飾り、能楽と茶の湯の道具類も毛利家の格式の高さを思わせる品々でした。そうそう、婚礼調度品などには「一文字三つ星」ではなく、「沢潟」紋が使われていました。

 興味深かったのは、関ヶ原の戦い前後に徳川側から受け取った起請文。合戦前の「(戦闘不参加なら)領地はそのままにする」という井伊直政・本多忠勝連署起請文と、合戦後の「周防・長門2国を与える、輝元・秀就親子の命は保証する」という徳川家康誓紙。吉川広家の内通工作は毛利家にとってよかったのか悪かったのか。

 豊臣秀吉が五大老にあてた遺言状にもしびれましたが、「写し」とはどういうこと? 実物の体裁、字に似せて誰かが書きとったと考えていいのでしょうか。写しとは言え、重要文化財に指定されています。

<乃木神社>

Img_1850Img_1852

 ミッドタウンに行く前に乃木神社に寄りました。神社の隣りには乃木将軍の旧宅(写真右)が保存されています。明治天皇に殉じて自刃した乃木将軍夫妻の御霊を乃木邸内に祀ったのがはじまりで、後に隣地に乃木神社ができました。乃木坂の名は乃木将軍に由来しているのです。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012/05/12

「KORIN展」(根津美術館)

Img_0005

 根津美術館でかきつばたが咲きそろいました。尾形光琳のかきつばたの金屏風二つ、根津美術館の国宝「燕子花図屏風」(下の写真、上)とニューヨーク・メトロポリタン美術館の「八橋図屏風」(同、下)が100年ぶりに揃い踏み。それを祝うかのように、庭園のかきつばたが満開を迎えています。

 二つの金屏風は光琳が同じテーマを、同じ六曲一双屏風に、10数年の時をおいて描いた作品。40代半ばに描いた「燕子花図」は花を群青色で厚塗りしてあり迫力を感じ、50代半ばに描いた「八橋図」は色がやや薄いうえ花弁の脈まで表現されていて、前者に比べると繊細な印象です。並べて展示してあるのを見たら、ぞくぞくするような感動を覚えました。この展覧会は昨年震災で中止になり、ちょうど1年後に実現したもの。今年は無事開催できて本当によかった!

Img_0006

 事前チェックをしないで出かけたので、思いがけず本物のかきつばたも見られて興奮しました。庭園はみずみずしい新緑が目映く、都心とは思えない風情。紅葉もぜひ見に来よう。

 根津美術館を出た後、もう一つのお目当て、サントリー美術館を目指してミッドタウンまで歩きました。

Img_1841

Img_1843

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2012/05/10

長州紀行(その3)萩城址

 萩に着いて最初に向かったのは萩城。といっても、天守閣をはじめ、建物は何にも残ってなく、石垣と堀の一部が昔の姿をとどめているだけ。現在は「萩城跡指月公園」になっています。明治7年、棄城令によってきれいさっぱり取り壊されたそうな。明治政府は長州藩が支配していたのだから、自藩の幕藩体制の象徴をさっさと壊してしまったんでしょうね。

 右の写真の中央に見えるのが天守台。思いのほか小さめ。交通の便が悪い萩にこじんまりしたお城しか造ることを許されなかったわけで、毛利家や家臣の無念さが伝わってくるようです。関ヶ原の戦い以前は中国地方8カ国120万石を領し、広島城に本拠を置いていたのに、2カ国36万石に減封されたうえにこの萩城。打倒徳川の怨念を抱くのもわかるような気がしました。それが250年後に倒幕につながっていくのですから、歴史の流れは面白い。

Img_1473_2Img_1474_2

Img_1472 入口に毛利輝元の銅像があります。輝元は関ヶ原の戦い後、形式上は嫡男の秀就に家督を譲ったので、初代藩主は秀就になりますが、秀就はまだ子供だったため、実質的な藩主の座にあった輝元が萩城を築きました。

 萩城のジオラマです(城址前の「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」所蔵)。後ろの指月山は日本海に突き出ていて、お城の右側も日本海。下の写真は日本海側の汐入門跡とその辺りから見た景観。

Img_1487

Img_1485Img_1483

 公園内には志都岐山(しづきやま)神社があります。萩城解体後、毛利家ゆかりの有志が建立。祭神は毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳で、歴代藩主が祀られています。毛利家の一文字三つ星紋が目立ちます。

Img_1479Img_1480

 1日目の予定はここまで。この後、宿泊の萩本陣に向かいました。今回はANAのパックツアーを利用したため、宿泊地を決めると自動的に宿泊施設が決まるシステム。こちらの旅館は、お風呂がスーパー銭湯のようにいくつもあって充実していました。温泉といっても地下水を温めているようですけどね。

追記:萩の地図を貼っておきます。

Img


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/05/09

長州紀行(その2)秋芳洞・秋吉台

 羽田からひとっ飛び、山口宇部空港でレンタカーを借りて、最初の目的地、秋芳洞に向かいました。曇っているけれど、空は明るく、幸先いいスタート。

 GWの谷間の平日のせいか、道路はスイスイ流れ、秋芳洞付近は閑散としていました。お土産屋さんが並ぶ"参道"のはずれにチケット売り場があり、新緑の林を抜けて秋芳洞の入口に出ます。洞内から流れ出る水が滝となって轟々と音をあげ、冷気と共に流れ落ちてきます。

 わくわくしながら中に入ると、そこは想像を絶する広大で神秘的な異空間。ところどころライトアップされ、最小限、足元を照らしてあるほかはほの暗く、濡れた石の道をこわごわ進みました。絶えず水が流れる音がし、たまに天井から水滴がぽつんと落ちてきて、探検心が刺激されます。気分はすっかりインディ・ジョーンズ。

Img_1427_4Img_1447_2

Img_1439_2

Img_1449_2

Img_1452_2Img_1453_2

 青天井、百枚皿、黄金柱、岩窟王、五月雨御殿などと命名されたユニークな形態の鍾乳石や石筍、石柱にいちいち目を見張りました。昔、教科書で見たけれど、やはり本物を目にしないと大自然の驚異は実感できません。3cmの石柱ができるのに400年かかり、秋芳洞は数10万年かけてできたとのこと。ここは3億年前、海のサンゴ礁だったのです。3億年……見当がつきません。それに比べれば、人間の一生なんてほんの一瞬。石柱が数ミリ高くなるだけです。

 正直言うと、「萩に行く途中だから寄ってみるか」くらいの消極的な乗りでしたが、パスしないでよかった! 富士山の風穴くらいかと見くびっていて失礼しました。

 秋芳洞を出た後、秋吉台へ。同じ「あきよし」だけど、鍾乳洞は秋芳洞、カルスト台地は秋吉台。見わたすかぎり灰色の石灰岩と新緑で覆われたなだらかな台地が広がっています。夏みかんソフトを食べながら、山口までやってきたんだなぁと感じ入りました。休憩後、カルストロードを通り抜けて萩に向かいました。

Img_1467


| | コメント (9) | トラックバック (0)

2012/05/08

長州紀行(その1)

 前の記事とは順序が逆になりましたが、GWに山口に行ってきたので記録しておきます。

 昨年GWの近江旅行が充実していて楽しかったうえ、その後もテレビなどに行った場所が出ると「ほらほら、ここ行ったよね」と話題にして盛り上がれるので、あらためて旅行のよさを実感しました。そこで、今年も行こうということになった次第。

 目的地は山口、つまり長州。江戸好きとしては幕末の志士を多数輩出した長州に興味があるし、平家滅亡の地、壇ノ浦も見られて大河ドラマを先取りできるし……。2泊3日の短い日程にあれこれ詰め込んで、駆け足で回ってきました。予定をほぼクリアできて達成感! お天気は曇り7割、晴れ2割、雨1割と、全国的に不安定な天候の中、まずまずでした。

5月1日(火)

羽田9:40→山口宇部11:20(ANA693)

秋芳洞

秋吉台

(萩へ)
萩城址

萩泊(萩本陣)

5月2日(水)

(萩)
松陰神社、東光寺、吉田松陰誕生地、伊藤博文旧宅など

萩城下町
高杉晋作誕生地、木戸孝允(桂小五郎)旧宅、明倫館など
昼食:庭園カフェ畔亭

大照院

(山口へ)
瑠璃光寺

湯田温泉泊(ホテルニュータナカ)

5月3日(木)

(下関へ)
みもすそ川公園

唐戸市場、赤間神宮、春帆楼、亀山八幡宮など
「海峡まつり」見物

関門連絡船で門司へ

(門司)
昼食:三井倶楽部
和布利神社

関門トンネル人道で下関へ

(下関)
火の山展望台

(長府)
巧山寺、長府毛利邸、乃木神社

山口宇部19:55→羽田21:30(ANA700)

 今回のポイントは3日に下関で行われる海峡まつり。当初はそれを知らずに予定をたてましたが、下関市役所のサイトから観光パンフレットを取り寄せたら、「この日、中心部は大混雑して道路はマヒ状態になります」とメモ書きを付けてくださったので検討しなおしました。3日は朝7時に出発し、中心部を避けてレンタカーを駐車して、バスで唐戸地区に入り、散策後、あえて門司側に渡ってみました。下関駅近くの高杉晋作ゆかりの地などに行かれなかったのは残念だけど、年に1度のお祭りの日に行かれたのも何かの縁と思います。

 歴史あり、自然あり、人情あり、山口はよいところでした。この先しばらく、旅行記を書きますので、よかったらお付き合いくださいませ。

Photo


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012/05/07

東京スカイツリー 2012.05.06

Img_1769

 ついにスカイツリーに上がりました。地上350mの天望デッキから浅草方面を見下ろした写真です。地上はまずまずの晴天でしたが、眺望は全体的に白く霞んでぼんやりしていて、あまり遠くまで見えません。左上に見える白い屋根は東京ドーム。このあたりが限界でした。高さがある分、見晴らしはお天気に大きく左右されそうです。冬のきりりと晴れた日に上ってみたい。

 下の左は隅田川の上流、千住方面。手前のX字の橋がさくら橋、次が白髭橋。右は錦糸町方面です。都心の高層ビルに比べると、まわりの景観がやや単調なのが惜しまれます。

 
Img_1770_3Img_1773_2

 近隣住民を招待していただいたので、ありがたく便乗させてもらいました。実家は下の写真の少し上のほうにあります。自分の家をこういう角度から眺めることになろうとは……なんとも不思議な感覚でした。その辺の感慨はまたあらためて書くことにします。

 デッキ内部などの写真はかさばるので「続きを読む」に貼っておきます。興味のある方はご覧ください。

Img_1780

 地上に下りてきて見上げたら、タワーのてっぺんからうっすらと黒い線が見えました。タワーの影ですよね?

Img_1795

 昨夜は吾妻橋周辺で「東京ホタル」というイベントがあり、隅田川のLED流しとスカイツリーのライトアップのコラボを見られるというので、三井記念美術館の「北斎展」を見た後、浅草に戻りました。

 6時半過ぎから青いLEDが流され始めましたが、スカイツリーはなかなか点灯されません。人波に揉まれながらカメラを構えて待つこと約1時間、ようやく点灯されて必死に撮った写真がこの程度。もうくたびれはてました。と同時に、スカイツリーの門出を見届けられてなんだかほっとしました。ヘンでしょ? あんた、スカイツリーのなんなのさ?!

Img_1820_3

Img_1827_3

続きを読む "東京スカイツリー 2012.05.06"

| | コメント (11) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »