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2012/05/17

長州紀行(その5)吉田松陰①

 毛利家の次は、吉田松陰ゆかりの場所をまとめます。

<松陰神社と松下村塾>

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 萩の観光スポットで一番人気はここではないでしょうか? 吉田松陰を祀った松陰神社。明治23年に松陰の実家、杉家が建てた祠が前身で、その後明治40年に伊藤博文など松下村塾出身者の運動によって山口県の県社として創建が許可されました。

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 (写真、左上から順に)

 松下村塾
 松下村塾(講義室)
 幽囚の旧居


 境内には松下村塾と松陰が幽囚されていた実家旧宅が現存しています。幽囚が解けた後、実家の納屋で講義を始めたのが松下村塾で、講義室は最初8畳の部屋のみ。後に10畳の部屋が増築されました。ここでわずか2年足らずの間に高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など幕末維新の志士たちが松陰の教えを受けました。

 萩のはずれの貧しい民家の納屋から明治維新の胎動が始まったんですね。その現場に立っていると思うと感慨深かったです。境内にある宝物殿誠館」には、刑死の前日に松陰が塾生にあてて書いた「留魂録」などが展示されていました。細かい字でびっしり書かれた遺言書は胸に迫るものがありました。同じものを2通書いたそうで、死を前にしてなお心を乱さない精神力の強さに感服するばかりです。それにしても、幕府はなぜこういう人物を刑死してしまったのか。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 (辞世)

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<吉田松陰誕生地と墓所>

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 松陰神社から坂を上った見晴らしのよい場所に松陰の誕生地があります。松陰の実家はもともとこの場所にあり、松陰はここで生まれ、18歳の時に松陰神社の場所に引っ越すまで暮らしました。寅次郎(松陰の通称)少年は左の写真のように萩城や城下、日本海を眺めながら育ったわけです。

 誕生地にある銅像は、密航を企てて下田沖のペリー艦隊を凝視する松陰の隣りに、弟子の金子重輔が望遠鏡を手にして跪いています。2人は夜間小舟を漕ぎだし黒船に乗りこんで渡米を懇願しましたが、あえなく拒否され岸に戻されました。自首して拘禁された2人はその後、萩に送還され、重輔は萩の岩倉獄(次の記事参照)で病死しました。

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 誕生地の近くに松陰(写真左)、高杉晋作(写真右)、久坂玄瑞ほか、杉家、吉田家、玉木家などの墓所があります。松陰の墓所は百か日の法要に際して杉家が遺髪を埋めて造ったもの。墓石前の花立て、灯篭などは門人17人が供えました。

<玉木分之進旧宅>

Img_1538 松陰神社と誕生地の中間あたりに、松陰の叔父にあたる玉木文之進の旧宅があります。文之進はこの家で松下村塾を開いたので、ここが松下村塾発祥の地です。それを後に松陰が引き継ぐことになります。

 兵学師範の吉田家を継いだ松陰は幼少期、玉木宅に通い、文之進に厳しい教育を受けました。そのおかげで才能が開花し、11歳の時に藩主に御前講義をして認められます。11歳……講義をするほうも聞くほうもすごい!

<伊藤博文旧宅と別邸>

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 松陰神社のすぐ近くにあるので、こちらに記録します。

 伊藤博文は貧しい農家の出で、博文が9歳の時、一家はこの旧宅(写真左)に移住しました。10代半ばで浦賀警備に派遣された後、ここに戻って松陰の松下村塾に入門します。

 右の写真は、明治40年に伊藤博文が東京大井に建てた別邸を移築したもの。67歳で公爵になったこの年の2年後、ハルビンで暗殺されました。みずぼらしい実家と、玄関だけでそれより広い立派な別邸が並んでいるのを見ると、大出世した後に悲劇的な最期を遂げた伊藤博文の人生を思わずにはいられません。

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 こんなに詳しく書くつもりじゃなかったのに、書き始めたら松陰の人生を追うことになってしまった――恐るべし、吉田松陰。まだ続きます。

 


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コメント

旅行の時、なにせツアーなものだから松陰神社の宝物殿は見学してないんです。遺言書があったのですか~。見たかったわぁ。

現地のガイドさんが東京に来た時は必ず世田谷の松陰神社にお参りしますと話されていたので、いまでも松陰さんの精神は受け継がれているんだなぁと感じました。

本当に惜しい人を処刑しましたよね。

投稿: ぶんぶん | 2012/05/18 11:14

>ぶんぶんさん

 こんな地味な記事にコメントをいただけて嬉しいです。行ったことなければ、あまり興味がわかない話よね。

 宝物殿は入館料が500円するので一瞬ためらったけれど(^^;)、入ってよかったです。「留魂録」のほかにも家族や友人にあてた遺言書もありました。

 萩の人にとっては、今も松陰は特別な存在なんでしょうね。

投稿: Tompei | 2012/05/18 12:57

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