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2012/10/28

広島旅行(その6)宮島・大願寺、弥山、大聖院

 厳島神社の潮が引く間、宮島をあちこちめぐりました。宮島には厳島神社しかないかと思いきや、弥山など見どころがあり、海あり山あり十分1日楽しめます。

 まずは、厳島神社を出てすぐのところにある宝物館を見学(写真なし)。この厳島の地で平家納経を見たかったけれど、残念ながらレプリカでした。本物は春秋の企画展でしか公開されないそうです。東京で見ておいてよかった。本物とレプリカは放つパワーがまったく違う……当たり前だけど。

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 大願寺。真言宗の古刹で、明治の神仏分離令までは厳島神社の普請奉行として修理・造営を担っていました。秘仏・厳島弁財天は日本三大弁財天のひとつ。厳島神社の祭神である市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)が弁財天と習合していた名残ですね。ほかにも、五重塔や千畳閣から仏像が遷されています。

 幕末の長州戦争の際、本堂奥の書院で勝海舟と長州藩の代表との講和交渉が行なわれました。実はこれ、今、知った(汗)。書院も見たかった!

 豊国神社(千畳閣)にも行きそびれました。やっぱり、下調べが甘い。

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 ロープウェイで弥山に上りました。弥山(みせん)は宮島の最高峰標高535メートルの霊山で、弘法大師が開基したと伝えられています。山頂には、弘法大師が修行をしたと伝わる場所に弥山本堂が建ち、「消えずの火」が1200年以上も燃え続けている……らしい。山頂までは行ってないんです。1時間以上歩くと聞いてめげました(時間も足りないし……言い訳)。ロープウェイを乗り継いで獅子岩展望台まで行っただけですが、それでも景観は十分楽しめました。少しもやっていましたが。

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 この景色を見ながら、あなごめし(前の記事参照)の昼食。ベンチで控えめにお弁当を広げて食べ始めたら、後から何組もあなごめし持参の人がやって来て、あなごめし屋のようになりました。あなごは柔らかいけどしっかりした身で、思ったよりあっさりした味付けでどんどん箸が進みました。大空の下で食べると美味しさ倍増です。が、私には分量が多すぎ、残した分は広島空港で食べました。

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 大聖院。弥山の麓にある真言宗御室派の大本山で、明治の神仏分離令までは厳島神社の別当寺として祭祀を司っていました。弘法大師が弥山を開基して以来1200年の歴史を持つといわれ、山頂の堂宇もこの大聖院所属です。

 厳島神社の本地仏・十一面観世音菩薩、弥山の守護神・三鬼大権現、豊臣秀吉が奉納した波切不動明王など、さまざまな仏像が安置されています。チベット密教の金色の弥勒菩薩まであり、2006年にダライ・ラマ14世が開眼法要が行なったというから驚きました。境内には五百羅漢もあって、神仏大集合の様相。1か所で何倍もありがたいお寺です。

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 この旅の最後にお参りしたのは、清盛神社。大きな台風が来たらひとたまりもなさそうな小さなお社です。せめて画像は大きくしてみました。没後770年を記念して昭和29年(1954)に創建されたそうですが、清盛さんは苦笑いしていそうな気がします。そうそう、大河ドラマの低調さについてもね。清盛さん、ラストスパートを応援してください。

 この後、大鳥居まで歩いたわけです(前の記事参照)。そして、お土産屋さんや飲食店が並ぶ表参道で、広島の味覚の最後を飾る焼き牡蠣を食しました。どうです、「牡蠣屋」の焼き牡蠣! 

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 こうして3日間の日程は無事終了しました。ひさびさの女子旅はやっぱり楽しかった! ひとり旅、夫との旅、それぞれのよさがあるけれど、もっとテンション高く楽しめる感じ。また次の旅をしたくなっています。今回はワケあって友人と別に申し込んだため、ホテルはシングルの別室でしたが、案外それが気楽でよかった。友人とは何度も旅行をしていて、余計な気を遣う仲ではないけれど。

 実はその友人はこのブログのことを知りませんが(家族や友人には一切話していない)、この旅行記を読んでもらいたくなりました。どういう反応か、楽しみ。Sさん、旅行中はたいへんお世話になりました。ぜひコメントをくださいね!

 長々と読んでいただき、ありがとうございました。


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2012/10/27

広島旅行(その5)宮島・厳島神社

 10月14日。旅行3日目、早くも最終日です。この日は朝から夕方まで宮島で過ごし、広島19:20発の飛行機で帰京の予定。

 厳島神社は潮の干満によって景観が変わります。旅行前にこの日の潮の状況を調べたら、
  満潮時刻  8:36  潮位 329cm
  干潮時刻 14:46  潮位  62cm
干満の差が大きい大潮の日でした。
  厳島神社が海に浮かんで見える潮位  250cm以上
  大鳥居の根元まで歩いて行ける潮位  100cm以下
これを両方クリアしていて、時間的にも理想的な日だったのです。これはもう両方とも見るしかない! そのために帰りの飛行機を1便遅らせたうえ、9時半頃までに厳島神社に着くためにホテルを8時に出ました。

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 宮島に渡る前に寄らねばならない場所がありました。JR宮島口駅前の「うえの」という、あなごめしのお店です。宮島名物「あなごめし」発祥のお店で、明治34年に駅弁として売り出したのが始まり。現在はお店でも食べられますが、いつも順番待ちの列が絶えないそうな。お弁当は9時から販売しているとガイドブックで知り、待たずに入手するために前日予約を入れておきました。お昼に食べたお弁当を一足早くアップ。1470円也。

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 いよいよ厳島神社。日本三景の一つで世界遺産、日本屈指の観光地です。これは連絡船から撮った写真。連絡船はJRと広電2航路ありますが、JRのほうが大鳥居に近づきます。

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 鹿くんのお出迎え。宮島には野生の鹿がたくさんいます。おとなしそうに見えて、実は観光客の食べ物を狙う油断ならないヤツ。鹿のためにもエサをやってはいけないそうです。

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 宮島は古代より島そのものが神として信仰の対象とされてきたとされ、6世紀末に土地の有力豪族が社殿を創建したと伝えられています。平安末期、平清盛が平家一門の繁栄を願って、莫大な私財を投じて厳島神社の再建に着手しました。大鳥居を建て替え、美しい寝殿造りの海上社殿を造営して、荘厳華麗な姿に蘇らせます。その後、2度の火災で全てを焼失し、現在の社殿は1240年以降に造営されたもの(本社本殿は1571年建築)。台風や高潮の被害を受けるのは宿命的であり、そのたびに大規模な修復を行なって維持しています。主要な建築物すべてが国宝または重文指定。

 海上の大鳥居は平安時代から数えて8代目で、明治8年に再建されました。支柱には樹齢500年の楠が使われ、海中に置かれているだけで、総重量約60トンの自重で立っています。

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 この日の夜、放映された大河ドラマには清盛がこの厳島神社でロケをした場面がありました。後日、録画したものを見ましたが、絶妙なタイミングが嬉しい。NHKのサイトからその画像を持ってこようとしたら、当然ながらガードがかかっていました。

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 まだ10時頃なのに、観光客は大勢いるわ、結婚式の新郎新婦はいるわ、境内は賑やかで厳かな雰囲気はありません。ご朱印をいただいたら、「ご朱印帳には名前を書いておいたほうがいいですよ。書きましょうか?」とわざわざ書いてくださいました。

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 大鳥居をくぐる観光船があるんですね。ということは、大鳥居周辺はまだそれなりの水深があるようですが、能舞台のあたりはだいぶ水が引いてきました。大潮なので引き潮が速い。

 そして、およそ4時間後の午後2時過ぎの景観が下の写真。大鳥居はすっかり地上に出ています。(途中の4時間あまりの行動は次の記事へ)

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 ぬかるみの浅い場所を選びながら、大鳥居に接近。ついに大鳥居をくぐりました。根本の海水につかる部分にはフジツボがぎっしりついています。柱はそれぞれ1本の太い幹であることがわかりますね。

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 鳥居に書いてある神社名の表記が表裏で違います。表の海側は「嚴嶋神社」、裏の陸側は「伊都岐島神社」。厳島は古来、神を斎(いつ)きまつる島という意味で「伊都岐(いつき)島」と称されていましたが、清盛の時代に造営された際、「嚴嶋」になったそうです。

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 神様がおわします神聖な海に人間がずかずか入っていき、一気に俗世間になってしまいました。でも、これがなんともエキサイティングで楽しい経験でした。歩けてよかった。

 土台まで露わになった厳島神社はちょっと間が抜けた印象でしょう? 地面の緑色は海藻。巻貝などの小さな生物が蠢いていました。

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<追記>

 広重の「六十余州名所図会」の「安芸 厳島祭礼之図」。鳥居の扁額には「伊都岐島大明神」と書いてあります。

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2012/10/24

広島旅行(その4)広島市内ふたたび

こちらの続き)

 岩国から広島に戻ったのが15時半頃。原爆ドーム近くの観光客御用達のカフェでお茶した後、友人はいそいそとコンサート会場に向かいました。そして、私はアストラムラインに飛び乗った。広島には路面電車だけでなく、地下鉄(途中から地上に出る)もあるのです。下車駅は「不動院前」。

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 安国寺不動院。この金堂は広島市内で唯一国宝に指定されています(厳島神社は廿日市)。楼門(左下の写真)と鐘楼堂(右下、修理保存工事中)は重要文化財。金堂も翌々日から2年間の大規模修理工事に入るところでした。

 足利尊氏が日本全国68か所に建てた安国寺の一つで、戦国時代の戦乱による荒廃後、毛利氏の外交僧で豊臣秀吉の直臣大名の安国寺恵瓊が復興しました。恵瓊は後に関ヶ原の戦いで西軍につき、石田三成と共に晒し首になります。

 ガイドブックでチェックしていたものの、訪ねるのはスケジュール的に難しいと思っていましたが、こうして明るいうちに参拝でき、ご朱印もいただけてよかった! 

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 中心部に戻り、また原爆ドームまでやって来ました。ライトアップされると物悲しさが色濃くなります。なのに、なんとなく立ち去りがたい。

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 ホテルに戻る途中、アンデルセンでスープとパンの軽食をとりました。ベーカリーのアンデルセンは広島が発祥の地なんですよ。ご存じでしたか? 私はてっきり青山が本店と思いこんでいました。広島アンデルセンは青山の数倍の規模で、ベーカリーショップ、イートインコーナー、レストラン、パン作り教室、パーティスペースなどを備えています。

 ここまではすべて順調でしたが、アンデルセンを出た後、道を曲がりそこねて、あらぬ方向に行ってしまいました。1キロ以上余計に歩いて、ホテルのベッドでバタンキュー。9時過ぎに友人がコンサートから戻ってくるまで一眠りしました。

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 この日最後のミッションはお好み焼き。広島に来たからにはやはりお好み焼きははずせません。事前にガイドブックとネットで調べまくり、ホテルから歩ける範囲で評判のよいお店をいくつかピックアップ。その中から「越田」に入りました。詰め合ってスペースを作っていただいたので、待ち時間なし。

 遅い時間なので、越田スペシャル(右の写真)を2人でシェアしました。丁寧にじっくり焼くので、思いのほか時間がかかります。焼き上がったときの嬉しさよ! ハフハフしながら、あっと言う間に完食しました。美味しかった~! 広島焼きにはイカ天が欠かせないことを初めて知りました。おつまみにあるでしょ、味付きのイカのフライ。これがすごくいい仕事をするのです。

 コンサート帰りの友人はハイテンションで幸せそう。いいよね、ミーハーのときめき。その気持ちは十分想像できても、一緒に盛り上がれなくて物足りないような感じでした。


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2012/10/21

調布市花火大会2012

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 昨夜は2年ぶりの調布市花火大会でした。昨年は震災のため開催されなかったのです。いやー、やっぱり地元で見る花火は格別です! 澄んだ秋の夜空に咲く花火もなかなかオツなもの。月との共演も天の粋なはからいでした。下の花火の右下に月が写っていますよ。

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 最近はハート型や星型、にこにこマークやネコの顔などの花火がありますが、きれいに見えるように開くかどうかは運まかせ。しかも、それをカメラに収めるタイミングが難しい。小さな星がきれいに撮れていて、大吉のおみくじを引いた気分です。

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 花火の爆音で近くの駐車場の車のアラームがたびたび鳴るのも例年のこと。この日はどこか別の場所に駐車するなり、アラームを切るなりしておいてよ、と思いつつ、これぞ地元の花火と苦笑しました。

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2012/10/18

広島旅行(その3)岩国

 10月13日。旅行2日目は岩国まで足を延ばしました。岩国市は山口県ですが、広島市と接していて広島からJRで50分程。8時半過ぎにホテルを出発しました。

 岩国は江戸時代を通じて、毛利氏一門の吉川(きっかわ)氏が領主を務めた長州藩の支藩格の城下町。初代当主の吉川広家は関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍に内通し、毛利家不戦による所領安堵を画策した人物で、関ヶ原の戦いにおけるキーマンの一人です。ちなみに、吉川晃司は吉川家の末裔らしい。

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 錦川に架かる錦帯橋は日本三名橋の一つ。岩国3代領主・吉川広嘉(写真右の銅像)が洪水に耐えうる橋を目指して造らせた5連の木造アーチ橋で、定期的に架け替え工事を行なってその姿を保ってきました。昭和25年、台風により崩壊流失し、3年後に再建。平成13年から16年にかけて、架け替え工事が行われました。

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 ご覧のとおりの青空でとっても気持ちがよかった。川面が陽の光を受けてきらきらしていて、川底が見えるほど水が透き通っていました。橋を渡るのに入橋料300円が必要。我々は、駅からのバス代往復、入橋料、岩国城ロープウェイ往復、岩国城入場料が込みになった周遊券1150円を買い求めました。

Img_2408_2 川の向こう側の横山の山頂に岩国城があります(左上の写真を拡大すると見える)。現在の天守閣は昭和37年に復元されたものですが、江戸初期に吉川広家が建てた天守閣がこの場所にありました。しかし、幕府の一国一城令により破却されたので、わずか7年間存在したのみ。

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 岩国城からは錦帯橋をはじめ旧城下町から瀬戸内海の島々まで一望できました。

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 山から下りて、吉川資料館と白蛇観覧所を見学。岩国の白蛇は天然記念物だそうで、100円払って見てきました(友人はパス)。白いので蛇の質感が強調されるような……。来年には白蛇神社なるものが完成し、神様として祀られるようです。

Img_2420 佐々木小次郎の像があったので、不思議に思って調べたら、吉川英治の『宮本武蔵』で小次郎は岩国出身という設定らしい。小次郎の出身地についてはいろいろな説があるようだけど、これはたぶん創作。



Img_2423 お昼は錦帯橋のたもとの「平清」で岩国寿司。ピンからキリまで各種あるセットのうち一番カジュアルなセットを注文しました。レディースランチにはちょうどいいサイズ。ここのお店は2階がテーブル席になっていて、正面の大きな1枚ガラスに錦帯橋が絵のように見えて素晴らしい景観でした。


201210181402000_2 今回の旅行で買ってきたおみやげのうち、唯一食べ物以外の品「岩国石人形」。実際の大きさもこの画像より一回り大きい程度です。人形といっても人が作ったものではなく、錦川の敷石や橋の石垣に付いたものを人形に見立てています。ニンギョウトビケラという昆虫が川底の小石や砂を集めて作るそうですよ。不思議でしょ?


続く


<追記>

 錦帯橋を描いた歌川広重の浮世絵を見つけたので貼っておきます。「六十余州名所図会」の「周防 岩国錦帯橋」。

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2012/10/17

広島旅行(その2)広島市内

 10月12日。羽田12時発のANA677便で広島に飛び、リムジンバスと路面電車を乗り継いで、15時前に宿泊先の三井ガーデンホテルに着きました。チェックイン後、まもなく出発。この日の予定は、広島城、原爆ドーム、原爆資料館を見学して、18時半に夕食の予約あり。資料館は18時閉館なので、17時には入りたいところです。

 路面電車・広電が走る広島の街はなつかしい感じがして好ましい。が、ちんたら走る電車をじれったく感じてしまう。先を急ぐので、広島城までタクシーを使いました。

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 広島城、別名鯉城(だから、広島「カープ」なんですって)。現在の天守閣は昭和32年に復元されたもの。戦国末期、中国地方の大半を支配した戦国大名・毛利元就を継いだ孫の輝元が築いた旧天守閣は原爆で倒壊しました。爆心地から1キロ程。

 関ヶ原の戦い後、敗れた毛利氏は萩に移され、代わって東軍の福島正則が入城。しかし、福島氏はわずか19年で芸備二国を没収され、その後、和歌山の浅野長政が広島の領主となり、明治の版籍奉還まで約250年間、浅野家が城主を務めました。

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 復元とはいえ立派な天守閣を見たら、GWに訪ねた萩城址の小ささを思い出し、あらためて毛利家の無念さが察せられました。そして、原爆で街のシンボルを壊された広島の人々の無念さも……。天守閣内部は資料館になっていて、最上階から市内を展望できます。

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 原爆ドームに向かう道すがら、美しいうろこ雲に見とれて何度も立ち止まりました。金木犀が香るこんなよい季節に広島に来られてよかった。

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 原爆ドーム。煉瓦は崩れ落ち、鉄骨はひしゃげ、壁面には黒い線が残っています。広島の中心部の雑踏の中でここだけ空気が違う。映像や写真でおなじみの場所なのに、現場に立って初めて知ったような気がしました。言葉をなくし、胸がしめつけられ、ただ手を合わせるのみ。手前の石碑に書かれた文章を引用しておきます。

昭和20年8月6日、史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である。 爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した。その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が失われ、半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した。この悲痛な事実を後世に伝え、人類の戒めとするため、国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し、これを永久に保存する。

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 平和記念公園の原爆死没者慰霊碑。碑文は「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。アーチの中央に平和の灯と原爆ドームが直線に重なるようになっています。

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 ここまででかなり気が滅入りましたが、資料館を見学したら追いうちをかけられました。音声ガイドのうち、吉永小百合さんの朗読による「遺品は語る」などのコーナーがとりわけつらかった。子供や学生の遺品が多いのでたまりません。途中からだいぶ端折ってしまいました。修学旅行生や外国人を含めて、かなりの見学者がいましたが、館内はしいんと静まりかえっていました。出口を出るまで、友人とも一言も交わさず。見学後、もう一度慰霊碑に手を合わせました。

 日本はなんとか平和を保っているけれど、世界にはいま現在も紛争中の国々があって、その犠牲になっている庶民が大勢いるんですよね。人間は懲りない。愚か。

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Img_2392 慰霊碑の次がこんな写真ですみません。気を取り直して、夕食のお店に向かいました。ネットで調べて予約を入れた「人有喜 蔵」。評判がよく、ホテルに近くて便利なので選びましたが、ここが大正解。ちょっと高級な居酒屋といった風情で雰囲気もよく、お料理も美味しく、コストパフォーマンスもよかった。注文したもの――お造り盛り合わせ、豆腐の味噌漬け、里芋のころころコロッケ、牡蠣の朴葉味噌、豆腐と茄子の揚げ出し、銀杏、稲庭うどん。ビール1本、熱燗1合。


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2012/10/15

広島旅行(その1)

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 10月12日から14日まで広島に行ってきました。12日お昼の飛行機で広島に飛んで、その日は広島市内、13日は岩国、14日は宮島を見物する日程。のんびりした旅になるかと思いきや、思いのほかハードスケジュールで、見るところと食べるもの、どちらもぬかりなく堪能してきました。

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 この旅行のきっかけは、旧友の韓流追っかけ遠征。学生時代の友人が広島にコンサートを観に行くというので、私がその予定に合わせて出かけ、2人で広島を回ろうということになりました。あ、私はコンサートはパスなので、念のため。

 昔々、私は広島に行く予定をキャンセルしたことがありました。何を隠そう、それはヒデキの故郷広島でのコンサートを観に行く計画でしたが、都合が悪くなって行かれなくなったのです。以来35年程、広島とは縁がなく、行きたいと思いつつ機会に恵まれなかったので、今回、友人の話に乗った次第。折しも今年は清盛イヤーだし、GWには壇ノ浦にも行ったので、厳島神社を参拝するのにこれほどふさわしい機会はないと思いました。

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 というわけで、根っからのミーハーとにわかミーハーのおばさん2人の旅の記録が始まります。よろしかったら、お付き合いくださいませ。

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2012/10/02

第36回お江戸オフ≪レインボーブリッジと屋形船≫その2

 屋形船に乗る前に、レインボーブリッジを歩いて渡ることにしました。何回となく車で首都高を渡っているけれど、歩くのは初めて。こんな機会でもなければ、レインボーブリッジを歩くことはなさそうです。

JR「浜松町」北口改札14:00集合→芝離宮庭園→レインボーブリッジ→台場公園→海浜公園→りんかい線「東京テレポート」→(天王洲アイル)→モノレール「大井競馬場前」→立会川「大山丸」

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 まず、浜松町駅近くの芝離宮に寄りました。この庭園は17世紀後半に江戸幕府の老中・大久保忠朝の上屋敷内に作られた庭園を起源としており、何度か所有者が変わった後、幕末には紀州徳川家の別邸「芝御屋敷」になりました。明治に入って有栖川宮家の所有を経て、宮内省が買上げて芝離宮となり、その後、大正末期に東京市に下賜されました。こじんまりとした回遊式泉水庭園です。

 という歴史はどうでもよくなるほど、暑くて日差しが強くて、とても庭園をのんびり散策する気分ではありませんでした。台風を心配していたのに、ピーカンの青空――晴れ女軍団の威力、恐るべし。そんななか、そこここで彼岸花のつぼみが膨らみ始め、秋の訪れを控えめに告げていました。

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 そして、いよいよレインボーブリッジ。橋のたもとにある「芝浦アンカレイジ」(吊り橋を固定させる橋台)の7階までエレベーターで上がって、遊歩道を歩き始めました。レインボーブリッジはご存じのとおり、2階建てになっていて、上部は首都高、下部は中央をゆりかもめが走り、それを挟んで国道が上下2車線ずつあり、その外側が遊歩道になっています。だから、ノースルート(都心側)とサウスルート(東京湾側)があります。

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 私たちが歩いたのはノースルート。遊歩道と言っても、ほとんどは金網に覆われていて、国道をびゅんびゅん飛ばす車の横を歩くことになります。橋桁の部分だけ、そのまわりを迂回して展望スポットになっています。徒歩の人だけがゆっくり楽しめる絶景をどうぞ!

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 橋の中央付近で両ルートを行き来できる構造になっていますが、現在は使用不可(当初、遊歩道が有料だった頃、使っていたらしい)。お台場が近づき、歩道が下降し始めるあたりでルートを変えることができ、サウスルートでお台場に下りました。

 下の写真は、サウスルートから台場公園越しにフジテレビ方面を撮ったもの。この台場公園こそお台場の地名の由来となった品川台場です。品川台場とは、幕末のペリー来航に際して、幕府が命じて建設させた海上砲台のこと。品川沖に全部で11基造る計画のうち、完成に至ったのは5基のみで、2基が未完成、残る4基は未着手。これは第三台場で、もう1つレインボーブリッジの南側に第六台場(次の写真)が残っています。

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 遊歩道の全長1.7キロを含めて、のべ4キロ程歩いて、そろそろお茶タイムにしたかったけれど、「お江戸オフなんだから、お台場を見なくては!」と桜桃さんにお尻をたたかれて、台場公園まで足を延ばしました。行ってよかった! 行かなければ、お台場が凹型になっていて、中央の低い部分に陣屋があったこと(写真左:陣屋跡)も知らずに終わるところでした。敵船から見えないところに陣屋や爆薬庫があったんですね。

 右の写真は砲台跡。ここに砲台を据えて黒船を追い払おうとした幕府の焦りが痛々しい。とは言え、2度目の来航時に品川沖までやって来たペリーはこれを見て横浜まで引き下がったそうな。多少は効果があったようです。幕命で突貫工事に携わった人々の技術と熱意に拍手! わずか8カ月で高輪の八つ山や御殿山を切り崩して埋め立てたのはたいしたものです。そんな台場公園は現在、穴場のデートスポットになっているらしい。11人でがやがやお邪魔して失礼しました。

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 この後、りんかい線とモノレールを乗り継いで、勝島運河の船宿に向かい、屋形船に乗り込んだわけです。歩いたばかりのレインボーブリッジやお台場を今度は船上から眺めました。

 ちなみに、この日乗船した大山丸を3年前に写真に撮っていました!(こちらの記事の⑥の写真) このときからご縁があったのかもしれません。大山丸さん、ありがとうございました。

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