六義園、小石川植物園の紅葉
11月22日。TOKIKOさんのギャラリーにお邪魔したあと、六義園と小石川植物園で紅葉を愛でてきました。
<六義園>
六義園は5代将軍・徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保が築園した庭園で、江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもの。明治になって岩崎弥太郎の別邸となった後、昭和13年に東京市に寄贈されました。先日訪ねた清澄庭園に続き、ここも岩崎弥太郎のお邸だったわけです。
ハゼは真っ赤に色づいていましたが、モミジは3分程度。正門近くの大きなモミジ(下の写真)の上のほうはかなりいい色でした。この日の夜からライトアップが始まり、紅葉のピークを迎えます。東京の紅葉の名所として人気があるようで、個人や団体の観光客で賑わっていました。
六義園から小石川植物園までは距離にして2キロ程度ですが、白山通りから植物園の入口までのアップダウンがきつくてバテました。帰宅後、地形図で確認したら、白山通りのだらだらとした下り坂を下りた分、一気に上がらなければいけないのです。事前にわかっていれば、アップダウンを避けて回り道したのに。文京区は坂が多いので、散歩前に地形を確認するべきですね。
<小石川植物園>
正式名称、東京大学大学院理学系研究科附属植物園。植物学の教育と研究を目的とする東大の施設です。地形図でわかるように、台地の縁を利用した細長い庭園で、低地の池をめぐる部分と台地の上の部分、それを繋ぐ傾斜部分からなります。
ここは江戸時代、幕府が開園した小石川御薬園で、薬になる植物を栽培していました。8代将軍・徳川吉宗は、目安箱への投書に従って園内に「小石川養生所」を設け、貧しい病人を診療させました。左の写真は養生所の井戸。関東大震災の際は避難者の飲料水に使われたそうです。右の写真は、青木昆陽が甘藷(サツマイモ)を試作した場所に立つ記念碑。
日本庭園(上の写真)のドウダンツツジが赤く色づいていましたが、モミジはまだ2~3分の色づき。モミジの並木道(2枚目の写真)はまだ青々とした木が多かったです。イチョウをはじめ、黄葉が美しく、都心とは思えない風情でした。
<占春園>
植物園を出て茗荷谷駅に向かう途中、占春園に寄りました。江戸時代、徳川光圀の弟を藩祖とする陸奥守山藩松平家の上・中屋敷があった場所です。現在はすぐそばにある筑波大学付属小学校の自然観察園。筑波大学の前身、東京高等師範学校の校長を務めた嘉納治五郎の銅像があります。
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