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2012/11/13

第37回お江戸オフ≪深川≫その2

こちらの続き)

<清澄庭園>

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 仙台堀川を渡ってすぐの伊勢屋で一服する予定でしたが、喫茶の営業は終わっていたので(ランチ営業のみ?)、お団子を買って清澄庭園で食べることにしました。みたらしとあんこと1本ずつ買ったら、かなりのボリュームだった……けど、完食。

 清澄庭園は紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、享保年間以降は下総国関宿藩の下屋敷でした。明治になって、荒廃していた邸地を岩崎弥太郎が買い取り、社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園「深川親睦園」を開園。2代目社長・岩崎弥之助の時代にはジョサイア・コンドル設計の洋館が建てられましたが、関東大震災で焼失。3代目・岩崎久弥が庭園の東半分を東京市に寄贈し、昭和7年に清澄庭園として開園しました。

 コンドルの洋館の写真はないかとネットで調べたら、隣りの清澄公園(親睦園の西半分。こちらに洋館が建っていた)の立て看板に写真があるようで、勝手に拝借してきました。左下の写真です。素晴らしい洋館ですね。湯島のほうは残っているのに、焼けてしまって残念。右の写真は、唯一残っている明治建築の岩崎家の建物「涼亭」。

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 お江戸オフでは初訪問ですが、子供の頃、祖母に連れられて都電で来たことがあります。何にも覚えてないけれど、「きよすみていえん」という響きが耳に残っているんです。

 向島百花園程度の小さな庭園を想像していましたが、中央に大きな池がある広々とした庭園で、下町のオアシスのような心地よい空間です。好天に恵まれたせいか、結構人が出ていました。親子亀(?)が重なって甲羅干しをしていましたよ。親亀の背中に子亀をのせて…♪ 知らないでしょうね、こんな歌。

 右は芭蕉碑。芭蕉は37歳のときに深川に移り住み、大阪で病没するまで本拠としていました。近くに芭蕉記念館がありますが、今回は寄る時間がなかったので、また改めて訪問したいと思います。

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<霊巌寺>

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 寛永元年(1624)、霊巖島に創建され、明暦の大火(1657)により焼失後、現在地に移転しました。江戸六地蔵の第5番目が鎮座。寛政の改革を行なった老中で白河藩主の松平定信のお墓(左下の写真)があります。その他、今治藩松平家など大名のお墓が多い由緒あるお寺です。 

 この大名のお墓の近くに、この日ご一緒した陶片木さんのお父様が眠っていらっしゃるので、お参りさせていただきました。最初のオフのときは闘病中でいらしたのに……。

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<深川江戸資料館>

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 江戸末期の深川佐賀町の町並みを実物大で再現した常設展示が見どころです。前回のオフではざっと眺めただけでしたが、今回はガイドの方に詳しく説明していただき、この展示が細部までこだわって、忠実に再現されていることがわかりました。ただそれらしく造ってあるのかと思いきや、見えない部分まで本格的に造ってあり、びっくりするやら感心するやら。例えば、店先の隠し戸とか、蔵の扉の鍵まで、細かい細工がしてあるんです。

 ガイドさんは江戸の暮らしに造詣が深く、小一時間、あれこれ熱心にお話しして下さいました。印象に残っているのは――足先の部分しかない足半(あしなか)というわらじ。火の見櫓は定火消以外は黒塗り。屋台のおそばはしゃがんで食べる。"お染風邪"にかからないように「久松るす」と書いた、おまじないの貼り紙。竹かごを被った犬の置物=「竹の下に犬」で「笑」→子供が笑って成長できるように願いをこめたもの。

 芭蕉記念館などに寄る時間をすべてつぎこんで説明していただきましたが、それでも時間は足らず、後ろ髪を引かれる思いで資料館を後にしました。ガイドさん、ありがとうございました。

Img_2693 そして、向かった先は新宿線の小川町駅から程近い、居酒屋「みますや」。明治38年創業の老舗で、昭和初期に建てられた店舗が今なお健在です。お料理も気取らない素朴な品ばかりで、次から次に注文しました。冷やしトマト、揚げ出し豆腐、肉じゃが、かきフライ、げそフライ、玉子焼き、さばの塩焼き、揚げなす、柳川鍋、さくら鍋、やきとり。飲んで食べてしゃべって、今回もおおいに盛り上がりました。参加の皆様、ありがとうございました。

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コメント

あれ、清澄庭園はお江戸オフで行きませんでしたっけ?私2度行ってる筈なんですけど、違うメンバーだったのかな?

>親亀の背中に子亀をのせて…♪ 知らないでしょうね、こんな歌。

知ってますよー。

霊巌寺の六地蔵、あの時は興味がなくて気付かなかったんですよね。ここで拝ませていただくことにします^^

江戸資料館のガイドさんの詳しい説明、私も聞きたかったなぁ~。

投稿: ぶんぶん | 2012/11/13 16:03

ぶんぶんさん、私は初清澄庭園だったのでオフでは初めてかなと思います。

江戸資料館はしっかり説明していただきおもしろかったですよね。
私も後ろ髪を思いっきりひかれました。(∩_∩)ゞ

部屋の戸に漢字で名前が書いてあったり、久松るすと書いてあったりで、江戸時代の識字率ってどのくらいと帰ってから調べちゃいました。(笑)
かなり高かったようで、それでマッカーサーは(江戸からかなり経つけど)日本語を英語にしようという計画をあきらめようとしたとか・・・
そのとき日本語が消えていたらと思うと、江戸時代からしっかり寺子屋で学んできたことがよかったと思えました。(^^;

カメラの違いだからでしょうか?Tompeiさんの親子亀のお写真の方が色がきれいですね。

投稿: 陶片木 | 2012/11/13 18:53

ぶんぶんさん、陶片木さん、こんばんは。
こちらにもコメントありがとうございます。

>ぶんぶんさん

 第1回目のときは両国に移動したので、清澄庭園はパスしちゃったんです。

 「親亀こけたら、子亀孫亀、ひー孫亀、こーけた」っていうの。でも、コントをやってた人の顔は思い出せません。

 六地蔵、残りの1つは吉原の近くにあるんだわ。この前、お不動さん巡りで近くまで行ったのに、まったく意識してなくて残念。

>陶片木さん

 ガイドさんのお話が上手だったから楽しめたんですよね。みんなが江戸の話に興味を持ってくれて嬉しかったです。

 おお、マッカーサーまで出てきましたか! 識字率が高かったとは聞いていたけど、そんな話は知らなかった。教えてくれてありがとう。国語が英語になったり、ローマ字表記になったりしなくてよかったですよね。言葉は文化そのものなのです。

 陶片木さんもウンチク好きになってきた? 期待しています(^^)!

投稿: Tompei | 2012/11/13 23:15

先日はお世話になりました。
天気も良くて気持ち良い日でしたね♪
江戸の生活に密着した話は
とって~~~も楽しかったので
もっと、聞きたくなりました(^^)

投稿: TOKIKO | 2012/11/15 11:54

>TOKIKOさん

 こちらこそお世話になりました。

 TOKIKOさんの記事でガイドさんのお話をさらに思いだしましたよ。記憶力、すごい! 私たちの子供時代の暮らしは、まだ江戸の名残のつましさがありましたね。

投稿: Tompei | 2012/11/15 13:38

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