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2013/05/10

信濃紀行(その2)川中島

その1の続き)

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 おととしは関ヶ原、去年は壇ノ浦、そして今年は川中島。偶然、日本史にはずせない古戦場が並びました。川中島は、関越道の長野ICから善光寺に向かう途中にあります。島ではなく、犀川と千曲川に囲まれた三角地帯の地名なんです。知らなかった。抱いていたイメージとだいぶ違う。

 第4次川中島の戦いで武田信玄が本陣を置いたとされる場所に八幡社があり、その周囲が八幡原史跡公園として整備されています。武田軍はこの八幡社の前で敵兵の首実検を行ない、勝鬨を上げたそうな。上杉謙信・武田信玄一騎打ちの場所であることを伝える「三太刀七太刀之跡」碑(左下)があります。上の写真の石像はその対決場面。

 また、武田方の高坂弾正が辺り一帯の戦死者の遺体を敵味方なく集めて葬ったとされる首塚(右下)があります。立て看板によると、この話を知った謙信は感激して、後に塩不足に悩む武田氏に塩を送ってこの恩に報いたとのこと。これが「敵に塩を送る」という言葉の始まりだそうです。「へぇ!」と思ったので記しておきます。

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 境内にあった合戦図を上下逆にして貼ってみます(地図と逆ではわかりにくい)。左上が北です。うーん、合戦図の現在地と地図上の史跡公園が一致しない。とにかく、上杉は東側、武田は西側。翌日、松代城址(合戦図では右下の海津城)から北方向を撮った写真も貼っておきます。川中島地区の雰囲気は伝わるかと……。

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 史跡公園から南下して、千曲川のほとりにある典厩寺に寄りました。ここには第4次の戦いで戦死した信玄の弟、武田信繁のお墓があります。典厩とは信繁の通称。

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Img_3435_3 閻魔堂に鎮座する閻魔像は江戸・万延年間の制作。高さが2丈(約6m)あり、日本一大きい閻魔像らしい。


その3に続く)


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コメント

川中島の戦いって今までドラマを見てきたはずなのに、小さい島の合戦なのかと思っていました^^;
お勉強になります。何でも関心を持って見たり読んだりしないと
ただスルーしていってしまうだけなんですねー。
1番頭に入る時期に頭を使ってこなかったなあと反省^^;

まだ続きも楽しみにしています。

投稿: ぶんぶん | 2013/05/10 21:19

>ぶんぶんさん

 コメントありがとうございます。

 ね、イメージが違うでしょ? テレビドラマの川中島の戦いって、川を挟んで戦っていたような? 戦いが何度も繰り返されたから、そういう局面もあったかもしれないけれど、こんなに広々とした平地とは思いませんよね。

 最近は頭に入れようと思ってもどんどん抜け落ちていくのがつらい。でも、ささやかな抵抗をし続けなくてはね。

投稿: Tompei | 2013/05/10 23:12

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