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2013/05/25

信濃紀行(その6)松代象山地下壕

その5の続き)

 これは城下町松代とはあまりに異質なので、別記事にします。


Img_3488

 以下、パンフレットより引用します。


 松代象山地下壕は、太平洋戦争の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに、大本営、政府各省等を松代に移すという計画の下に構築したものです。着工は昭和19年11月11日午前11時。翌20年8月15日の終戦の日まで、約9か月の間に当時の金で約2億円の巨費とおよそ延べ300万人の住民及び朝鮮の人々が労働者として強制的に動員され、1日3交替徹夜で工事が進められました。食糧事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を強いられ、多くの犠牲舎を出したと言われています。

 松代地下壕は、舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)を中心に皆神山、象山の3か所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10キロメートル余に及んでいます。全行程の75%の時点で終戦となり工事は中止されました。

 戦後は、訪れる人も少なく忘れ去られようとしていましたが、太平洋戦争の遺跡として多くの人々にこの存在を知っていただくため、平成元年から見学できるように整備したものです。

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 松代めぐりの一つとしてお気楽に足を伸ばしましたが、事実を知り現場を見て大きなショックを受けました。戦時中にこういう施設を作っていたことなど、まったく知なかったのです。ヘルメットを被って足を踏み入れましたが、数10mで戻ってきました(500m程歩けるらしい)。私はふだん霊気など感じないたちなのに、ぞくぞくとして怖かった。ある意味では原爆ドームよりも無気味でした。

 数百人から千人もの犠牲者が出たようで、入口付近には立派な追悼平和祈念碑が建っていました。こんなところに皇居や政府機関を移転しようと本気で考えた時点で、敗戦は決まっていたようなものなのに、その非現実的な計画のためにさらに大勢の犠牲者を出すなんて……戦争というものは悲惨でむごたらしく、ひたすら愚かしい。


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 地下壕入口のすぐ近くにある恵明寺は、真田家3代藩主が開基したお寺。地下壕建設の一部始終を見つめてきたはずです。犠牲者の方々のご冥福と世界平和をお祈りしました。


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コメント

そんな歴史の事実があったのですね。
平成元年から公開されるようになったとはいえ、全く知りませんでした。びっくりです。
日本としては隠しておきたいからあまりTVで放送したりはしないのでしょうか?

戦争は本当に二度と起こしてはいけませんね!

投稿: ぶんぶん | 2013/05/28 13:55

>ぶんぶんさん

 コメントありがとうございます。

 そうそう、隠しておきたい、なかったことにしたい、できれば壊してしまいたい、ものなんでしょうね。近くには慰安所もあったようです。まさに今、問題になっていることですよね。

投稿: Tompei | 2013/05/29 10:22

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