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2013/06/17

三渓園オフ

 先週金曜日、お江戸オフ仲間と横浜の三渓園に行ってきました。園内の重要文化財建造物全10棟が4年ぶりに一挙公開されるということで、ゆれいさんが企画してくださった番外オフです。小さな台風が居座って雨が長引き、予定通り決行できるかやきもきしましたが、ラッキーにも傘をささずに半日過ごせました。いや、途中から日傘として出番があったほど、陽がさしてきました。さすが、晴れ女軍団。

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 三渓園は、明治初期に生糸貿易によって財を成した原財閥の本邸跡で、初代・原善三郎が購入した土地に、善三郎の孫娘と結婚して原家に入った三渓(本名・富太郎)が本格的に造園して古建築を収集した庭園です。三渓は、民営化後の富岡製糸場など、製紙工場を各地に所有し、帝国蚕糸の社長や現・横浜銀行の頭取を歴任した実業家。元は跡見女学校の教師で、原家の孫娘は教え子だったというから、実に興味深い!

 約30年ぶりの三渓園でしたが、こんなに広くて、さまざまな建物があるという記憶はありません。そのときは一部しか歩かなかったのかも。上の写真の山の上にある三重塔を含めて園内を一周したら、かなり歩きました。花菖蒲と紫陽花がちょうど見頃で、花びらに雨粒を残した花々がしっとりと咲き誇っていました。

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 臨春閣(上、左下)。紀州徳川家初代藩主が和歌山・紀ノ川沿いに建てた別荘(1649年建築)。8代将軍吉宗は幼少期、ここで遊んだそうです。聴秋閣(右下)。徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わります(1623年建築)。

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 月華殿(左上)。徳川家康が伏見城内に建てたと言われます(1603年建築)。茅葺き屋根から煙のようなものが上がっているのは、雨あがりに陽ざしがあたって立ち上る水蒸気。

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 旧燈明寺三重塔(左上)。京都にあった燈明寺(廃寺)の三重塔(1457年建築)。関東地方にある木造の塔では最古のもの。旧東慶寺仏殿(右上)。縁切り寺として知られる鎌倉・東慶寺にあった仏堂(1634年建築)。

 写真を見ると、京都にでも行ってきたみたいでしょう? そんな気になって歩いてきました。が、山の上の展望台から外を見ると、すぐそこまで石油コンビナートが迫っているのでした。昔はすぐ海で絶景を眺められたんでしょうね。

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2013/06/13

歌舞伎座 柿葺落六月大歌舞伎 第三部

 第5回歌舞伎教室。待望の海老蔵さんの助六です! 本来なら市川団十郎さんが勤めるはずだったこの役を海老蔵さんが演じると知って楽しみにしていました。

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 カッコよかった~! 3階後方端っこの席からオペラグラスで釘づけ。ミーハーの血が騒いで、もうメロメロですわ(爆)。江戸っ子が役者の錦絵を買い集めた気持ちがわかりましたよ。検索したら助六の絵が山ほどあったので、市川団十郎の絵を貼っておきます。今も同じ扮装をするのがすごい。赤い襦袢に黒小袖、紫の鉢巻き、黄色の足袋に下駄という粋な助六ファッションが素晴しくお似合いでした。華やかで押し出しが強くて主役の風格があって、文句のつけようがありません。色気があり、かつ愛嬌もあって、助六そのもの! 

 この演目『助六由縁江戸桜』は市川宗家(成田屋)のお家芸として選定された歌舞伎十八番の一つで、このタイトル(外題)を使えるのは成田屋だけ。ほかの役者が助六を演じる場合はタイトルが少し変わるそうな。つまり、成田屋は代々、一番の助六役者であることを期待されているわけですね。梨園というのはたいへんな世界です。海老蔵さんの子ももう期待されています。

 実はこの助六は曽我五郎。先日観た『壽曽我対面』でも海老蔵さんが演じていました。助六は、養父が紛失した源氏の宝刀「友切丸」を探しています。これを見つけないうちは仇討ちができないので、夜毎に吉原に現れては喧嘩を売って刀を抜かせているのです。舞台は吉原の大籬(おおまがき)三浦屋の前。たった一幕「三浦屋格子先の場」だけで2時間以上上演されます。

 まず口上(幸四郎)があり、花魁道中から始まります。揚巻(助六の彼女、福助)や白玉(七之助)をはじめ大夫、禿、新造、遣手、男衆など、吉原の人々が大勢登場し、一気に江戸の吉原にタイムスリップさせられます。花魁の衣装、とくに揚巻の衣装の豪華絢爛さには目を瞠りました。吉原の風景を見ているだけでも十分楽しめます。イヤホンガイドはいろいろなウンチクを聞かせてくれましたが、キリがないので省略。

 そこに登場する人々がそれぞれ個性的で面白い。とりわけ、「じぇじぇじぇ」「今でしょう!」と笑いを誘い、ツイッターでつぶやく三津五郎さんの通人は大受け、拍手喝采でした。『対面』で十郎役だった菊之助さんがうどん屋の出前持ちに扮し、ここではお父様の菊五郎さんが十郎というのも面白いご縁。団十郎さんの助六仕様なので、脇役も錚々たるメンバーでした。

Img_1234 順序が逆になりましたが、併演は『御存 鈴ヶ森』。助六とは対称的にほとんど黒一色の舞台です。夜なのでね。舞台中央に「南妙法蓮華経」のひげ題目供養碑が無気味に立っています(右はお江戸オフで訪れたときの写真)。この鈴ヶ森で幡随院長兵衛(幸四郎 )と白井権八(梅玉)が出会う話です。権八の趣向をこらした立ち回りが楽しめました。

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 今からがこの揚巻が悪態の初音。意休さんと助六さんを並べてみたところが、こちらは立派な男ぶり、またこちらは意地の悪そうな男つき、たとえて言おうなら雪と墨、硯の海も鳴門の海も、海という字は二つはなけれど、深いと浅いは客と間夫(まぶ)、間夫がなければ女郎は闇、暗がりで見ても、助六さんとお前と取り違えてよいものかいなぁ。
 (『助六』 揚巻の悪態)

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2013/06/11

歌舞伎座 柿葺落六月大歌舞伎 第二部

201306041406000 第4回歌舞伎教室。6月はいよいよ海老蔵さんが歌舞伎座に登場します。今月は演目を変えて2回観ますよ。まずは4日に第二部の『壽曽我対面』と『土蜘蛛』を観劇。

 『壽曽我対面』。曽我物です。曽我物とは、曽我十郎・五郎兄弟が亡き父親の仇を討つ物語を題材としたもの。江戸歌舞伎の正月興行は曽我物と決まっていて、この『対面』はいろいろな趣向で必ず上演されました。曽我兄弟が父の仇、工藤祐経と初めて会う場面で、視覚的にも音楽的にも様式美にあふれた一幕。しかも、歌舞伎の役どころがほとんど勢揃いします。この演目をこけら落し公演ならではの豪華出演者が演じるのだから、これは見逃せません。

 座頭の工藤(仁左衛門)、和事の十郎(菊之助)、荒事の五郎(海老蔵)、立女形の虎(芝雀)、若女形の少将(七之助)、敵役の八幡(松江)、立役の近江(男女蔵)、実事の鬼王(愛之助)。

 和事と荒事――十郎・五郎の兄弟を見たら、その違いが一目瞭然でよくわかりました。荒ぶる海老蔵、いや五郎を押しとどめる菊之助・十郎。二人とも実にはまっていて、姿がとても美しく絵になります(結局そこ)。ただ、海老蔵さんはビジュアルと声にギャップがあるように感じてしまう。歌舞伎初心者の感想なので悪しからず。

 話は単純だし、祝宴なので居並ぶ面々の装束は豪華で美しく、これぞ歌舞伎という感じ。外国からの旅行者にも楽しんでもらえるような演目です。

 『土蜘蛛』。すみません、眠くなりました。舞台転換がなく単調だったのでつい……。この演目は松羽目物といい、能を原作とした舞踊劇。能舞台のように舞台正面に大きな松を描いた板羽目が置かれ、その前に長唄囃子の雛段が並びます。つまり、舞台はほとんど変化なく進行するのです。お正月に観た『勧進帳』も松羽目物でした。

 簡単に言うと、源頼光(吉右衛門)が土蜘蛛の化身(菊五郎)と戦う物の怪退治の話。立ち回りで土蜘蛛がくもの糸を放つ演出が印象的です(この日は1度失敗あり)。途中、軽めの寸劇(いわゆる狂言)が入り、ちょっと一息つけました。

 この日ももちろんイヤホンガイド使用。歌舞伎の内容がよくわかり、ウンチク好きには楽しめます。開演前から解説が始まるので、少し早めに着いて聴き始めたほうがよさそう。幕間も解説を聴きながら飲み食い。くたびれますけどね。

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 今日はいかなる吉日にて、日頃逢いたい見たいと、神仏をせがんだ甲斐あって、今逢うは優曇華(うどんげ)の、花待ち得たる今日の対面。
 (『対面』 工藤と対面したときの五郎の台詞)

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2013/06/06

信濃紀行(その8)上田

その7の続き)

 6月に入ったのにまだGWの記事を引きずっています。ようやく最終回に到達したので、あと1回お付き合いくださいませ。

201305311242000 ラストは上田、真田氏発祥の地です。戦国武将の人気ランキングでは常に上位にランクインする真田幸村の出身地ゆえ、その人気にあやかるべく観光の目玉は真田一族。真田氏が故郷に近い上田城を居城としたのは関ヶ原の戦い前後の40年程に過ぎず、江戸時代の上田藩主は仙石氏、松平氏でしたが、現在の上田は真田色一色です。立派な観光マップやガイドが多数あり、当局の気合がうかがえます。

<生島足島(いくしまたるしま)神社>

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 塩田平から上田市街に出る途中、寄りました。生島大神、足島大神を祭神とする信濃の古社で、鎌倉時代には北条氏、戦国時代には武田氏、真田氏、江戸時代には代々の上田藩主が神領を寄進し、篤く崇敬したそうです。

 本社は神池に囲まれた神島にあり、ご神体は大地そのものの土間です。本社と向かい合う諏訪神社(右下)の前に夫婦榎があります。

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<上田城址>

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 上田城は天正11年(1583)真田昌幸が築城し、二度にわたって徳川軍の攻撃を守り抜きました。関ヶ原の戦いでは、真田昌幸と次男の幸村(本名は信繁)は西軍に、長男の信幸は東軍に分かれ、戦後、昌幸と幸村は蟄居となり、所領は信幸改め信之に継承されました。大坂冬の陣・夏の陣でも信之は徳川方、幸村は豊臣方に馳せ参じて奮戦後、討死。元和8年(1622)に信之は松代藩に転封になります。以降の250余年は仙石氏、松平氏が城主をつとめました。

 現在は移築復元された本丸の櫓3棟のまわりに櫓門などが復元整備され、上田城跡公園になっています。そして、櫓門の中に真田神社があります。

<真田神社>

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 歴代城主を祀って、明治に「松平神社」として建立されました。戦後、「上田神社」と改称され、さらに、真田氏、仙石氏を合祀して「真田神社」となりました。上田城は真田じゃなくちゃね、というわけですね。松平氏は苦笑いしつつ、上田の発展のために許してくださるでしょう。

 この後、城跡公園内の博物館を見学し、昼食をとった後、真田氏発祥の真田の郷を訪ねました。


<真田氏御屋敷跡>

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 真田氏が上田城を築城する以前の居館跡で、地元では「お屋敷」と呼ばれています。お屋敷跡には皇大神社(左)が祀られ、周辺は御屋敷公園として整備されています。その一角にある真田氏歴史館(右)を見学しました。

 真田一族に対する興味も知識も乏しい私はこの時はとくに感慨もありませんでしたが、最近『真田太平記』を読んでいるとこのあたりの風景や空気を思い出します。

<長谷寺>

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 「はせでら」ではなく「ちょうこくじ」。真田家の菩提寺です。真田幸隆(昌幸の父)が妻の菩提のために開山しました。幸隆夫妻と昌幸のお墓があります。この長谷寺が松代の「ちょうこくじ(長国寺)」につながります。

 もう少し早かったら、美しい枝垂れ桜を見られたのに!

<真田氏本城跡>

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 上田城築城以前の真田氏本城であったと推定される山城跡です。平時の政務機能は上記の屋敷に置かれ、この本城は真田盆地を囲む山城郡の司令部的存在だったと考えられています。

 ポンコツ車で狭い急坂を上がったら、目の前が開けて素晴らしい見晴らしでした。蓼科山まで確認できましたよ。旅の最後を飾るにふさわしい信州の風景でした。晴れて本当によかった!

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 この後、上田・菅平ICから上信越道に乗って東京に戻りました。行きはまったく見えなかった浅間山がきれいに見えて嬉しかった! 横川SAで峠の釜飯を買い求め夕飯にしました。

 信濃紀行はこれにて完結。いま旅が終わった気がします。長々と読んでくださった奇特な方がいらしたら、心から御礼申し上げます。いつか続・信濃紀行に「極楽の錠前」の感触について書く予定ですので(笑)、どうぞご期待ください!

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