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2013/07/31

第42回お江戸オフ≪皇居外苑≫その2

こちらの続き)

⑤桜田門

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 桜田門から皇居の外に出ます。左の写真が内側の渡り櫓門、右がお濠に面した高麗門。二つ合わせて枡形門といいます(何度も書いている気がするけど、すぐ忘れる)。

 桜田門といえば、警視庁の通称。警視庁は昭和初期に桜田門前の現在地に移転されました。もう一つ、桜田門といえば、桜田門外の変。これについては井伊邸の項へ。

⑥柳の井戸跡

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 桜田門を出て、桜田濠を半蔵門に向かって600m程歩いたところに「柳の井戸」の立て看板があります。ちょうどその下あたりに柳の木が立っていますが、いつ植えられたものでしょうか。井戸の形跡はまったく見えません。

⑦桜の井戸(井伊邸跡)

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 そして、こちらが「桜の井戸」。元はお濠寄りにありましたが、道路工事の際、原形のまま現在地に移設復元されました。江戸初期には加藤清正邸、幕末には彦根藩井伊邸があった場所。桜の井戸は加藤清正が掘ったと伝えられています(明治神宮の清正井も――清正って、井戸掘りの名人?)。

 「桜の井戸」「柳の井戸」は江戸の名水として知られ、広重の『名所江戸百景』の『外神田弁慶堀糀町』にも描かれています。手前の赤丸が桜の井戸、奥の赤丸の辻番所の裏に柳の井戸。

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 桜の井戸の後方に見える赤門の立派なお屋敷が井伊邸。桜田門から目と鼻の先です。安政7年(1860)3月3日、上巳の節句の登城日の朝、このわずかな距離を行く井伊家の隊列が襲われ、井伊直弼は暗殺されました。桜田門外の変です。桜田門の橋の手前が襲撃現場(古地図の赤マーク)。右下は現・桜の井戸から桜田門方面を眺めた写真。

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 2010年公開の映画『桜田門外の変』(観たけど、あまり印象に残っていない)で使われたオープンセットが今年の春まで一般公開されていました。その公式サイトからセットの写真を拝借してきました。だいぶ縮小されてはいますが、雰囲気はわかりますね。桜の井戸もちゃんとありますよ。

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 このあたりの内堀通りはたまに車で通りますが、井伊邸周辺を歩いたのは初めてでした。井伊直弼の故郷・彦根や、お墓のある豪徳寺は訪ねたのに、事件現場に立ってないことが気になっていたので、今回行かれてよかったです。一本の線に繋がりました。

⑧法務省(上杉邸跡)

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 重要文化財指定の法務省旧本館です。明治28年(1895)完成。関東大震災ではほとんど被害がありませんでしたが、東京大空襲でれんが壁を残して焼失しました。戦後、改修工事が行なわれ、さらに平成6年(1994)外観が創建時の姿に復元されました。

 江戸時代は米沢藩上杉邸があった場所。写真の右奥に警視庁が見えます。

⑨日比谷公園

 明治維新後、旧武家地の大名屋敷が壊されて更地となり、練兵場として使われた後、明治36年に日比谷公園が開園しました。寺社の境内を利用した公園(上野、芝など)ではなく、一から新しい公園を造成した第一号。地盤が弱く大規模な建物の建設に向かなかったことが公園化の一因らしい。

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 右上の地図を見るとわかるように、江戸時代には内濠と外濠をつなぐ鍵型の濠がありましたが、明治になって埋立てられました(外濠は戦後、埋立て)。その濠の名残りが日比谷交差点近くの心字池です(左上)。池の向こう側の石垣は旧日比谷門の遺構。このあたりだけ、江戸時代をしのぶことができます。

Img_3729 大噴水の向こうに帝国ホテル(右側)と宝塚劇場(左側の塔があるビル)が見えます。下の浮世絵、『江戸百』の『山下町日比谷外さくら田』は、帝国ホテルと宝塚の間の道を進み、JRと首都高のガードをくぐったあたりから日比谷公園方面を描いた絵です(右上の古地図の星印)。

Edo100yamashita_4 お濠の向こうに見える赤門のお屋敷は肥前佐賀・鍋島藩の上屋敷。これが現在の日比谷公園です。左側の松に隠れてうっすら見えるお屋敷あたりが帝国ホテル。日生劇場、宝塚劇場、シアタークリエなどはかつてのお濠の上に建っているわけです。






⑩エビスバー

Img_3732 これを美味しく飲むために歩きました。1万歩は軽く超えたらしい。暑い中、少し欲張りすぎでしたね。皆様、お疲れ様でした。




 ぼんやり歩いていたのに、嫌々PCに向かったのに、いざ書き始めたら盛り沢山になりました。江戸城のパワーでしょうか。

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2013/07/29

第42回お江戸オフ≪皇居外苑≫その1

 隅田川の花火大会も途中中止になったほどのゲリラ豪雨に見舞われた7月27日、真夏恒例のビールオフがあり皇居外苑を歩いてきました。我々はこの日も雨知らず雷知らず。雷雨のピーク時はエビスバーの奥まった個室に隔離されていて、雷鳴さえ聞こえませんでした。晴れ女軍団、恐るべし。

大手町駅16時集合→①将門塚→②和田倉噴水公園→③楠木正成像→④二重橋→⑤桜田門→⑥柳の井戸→⑦桜の井戸(井伊邸跡)→⑧法務省(上杉邸跡)→⑨日比谷公園→⑩宴会「エビスバー」コリドー街店18時~

 Google Earthの空中写真と1858年(安政5)の古地図を貼っておきます。安政5年、江戸城には13代将軍・家定と篤姫がお住まいでした。井伊直弼が大老になって、安政の大獄が始まった年です。会津藩主・松平容保は和田倉門近くの上屋敷(下の地図の「松平肥後」の部分)でまだ穏やかに暮らしていたはず。歴代大河ドラマの面々の顔が浮かんで、イメージが湧いてきませんか? 

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①将門塚

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 前回のお江戸オフで神田祭に行ったご縁もあり、まず将門塚にお参りしました。平将門の首塚です。平安時代、謀反を起こし(平将門の乱)、討伐されて京都で晒された将門の首級が飛んできたという伝説の場所。その後、将門の怨霊を鎮めるために近くの神田明神に祀られましたが、江戸城築城に伴い、神田明神は移転し、首塚だけ大名屋敷内に残されました。

 そして今も、日本を代表する大手町のオフィス街の狭間に異空間がひっそり残っています。関東大震災で損壊し、跡地周辺に大蔵省仮庁舎を建設しようとした際と、第二次大戦後にGHQがこの地を造成しようとした際に、不審死や事故が相次ぎ、将門の祟りと恐れられました。

 石碑のまわりにカエルの置物が奉納されているのは、京から飛んで帰った将門の首にあやかって、①左遷された会社員が元の会社に帰る(カエル)、②行方不明の子供が帰ることを祈願したもの。①は戦後オフィス街になってから伝わるご利益でしょうね。

②和田倉噴水公園

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 江戸城の門の一つ、和田倉門は現存しませんが、門に渡る和田倉橋(昭和47年再建、写真左)がかつての雰囲気を伝えています。噴水公園は天皇陛下のご成婚を記念して作られた公園で、旧会津藩上屋敷の敷地まで広がっています。

 空模様がいかにも怪しい。雨雲が近づいているせいで湿度が高く、蒸し暑くてまいりました。たまに日が差すとひときわ暑く、雨傘を日傘代わりに使ってしのぎました。

③楠木正成像

Img_3706 楠木正成の銅像がなぜここに? 楠木正成は鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇の「建武の新政」を支え、その後、離反した足利尊氏と戦った人物。つまり、天皇に忠誠を尽くしたから、らしい。

 明治時代、住友家が自社所有の別子銅山の銅を用いて鋳造し、宮内省に献納したもの。高村光雲作。

④二重橋

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 二重橋と聞いて、島倉千代子さんの『東京だよおっ母さん』を思い浮かべるのは私の世代まででしょうね。あの時代は東京見物には欠かせない場所でしたが、今はどうなんでしょう。

 さて、問題です。二重橋とはどの橋を指すのでしょう? 実は私、たった今まで、橋が手前と奥と二つ架かっているから二重橋と呼ぶとばかり思っていました。正解は、奥の「正門鉄橋」(右の写真)が二重橋です! よく記念写真に撮られる手前の「正門石橋」(左の写真)は二重橋ではないんですよ。意外や意外!

 ちなみに、上の古地図では御城内の詳細は省略されています。

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 二重橋のあたりから外苑ごしに丸の内方面を眺めた写真。かつてはこのビル群一帯まで大名小路と呼ばれ、親藩や譜代大名の上屋敷が並んでいました。

つづく


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2013/07/13

松竹大歌舞伎 市川猿之助襲名披露

 お暑うございます。梅雨が明けた途端、記録的な猛暑に見舞われていますが、皆様、お変わりありませんか?

 ただでさえ途絶えがちなこのブログ、こう暑いとますます間遠になります。ノートPCのキーボードに手を乗せていると、指の先からPCの熱が伝わってきて暑さ倍増ですからね。先週観た歌舞伎の記事もつい一日延ばしになり、1週間経過してしまいました。

Img 第6回歌舞伎教室は、猿之助襲名披露興行の地方巡業をお隣りの府中で観てきました。この公演のことを知ったときにはすでにチケット完売でしたが、ラッキーにも直前に入手できました。歌舞伎の地方巡業は歌舞伎座などに比べてお安く(S席でも5000円)お得。花道がなくて少し物足りないけれど、4000円で1階席で観られて大満足でした。

 演目は、『毛抜』『襲名披露 口上』『義経千本桜』 。『毛抜』は『雷神不動北山桜』の二幕目で、文屋豊秀の家臣粂寺弾正(市川右近)が許嫁である小野春道の姫君錦の前の奇病の真相を突き止める話。お姫様の髪が逆立つ奇病は、天井に仕掛けられた大きな磁石が鉄のかんざしを引きつけるせいだったんです。なんて強力な磁石!(笑) 磁石は江戸時代に発見されたそうですよ。逆立つ髪も宙に浮かぶ毛抜きも黒子が竿を操って表現するのがなんとも歌舞伎らしい。

 そして、『義経千本桜』の川連法眼館の場、通称「四の切」。舞台は、源義経が匿われている吉野の川連法眼の館。静御前(中村梅玉)が初音の鼓を打つと、佐藤忠信に化けた狐(猿之助)が現れます。鼓の皮に使われた狐の子が親を慕ってやってきたのです。「狐忠信」の狐らしい動きや表情、早変わりなどが目玉で、先代猿之助の当たり役。通常公演では宙乗りもあります。

 亀治郎改め、猿之助さんの舞台を初めて観られて満足。狐忠信、とても楽しめました。猿之助さんはここ数年、歌舞伎座に出演されてないそうで、そのへんの事情はわかりませんが、今度はどこかで宙乗りを見てみたいです。襲名披露の口上というのも初めてで興味深かった。お披露目のご本人だけでなく、主な役者がずらっと並ぶのが壮観でした。

 下の写真は福山雅治さんデザイン、寄贈の祝い幕。携帯なのでピンぼけですみません。

 
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