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2013/10/31

ハワイ旅行2013 (5) マウイ島ハレアカラ火山(その2)

 (こちらの続きです。気を持たせてごめんなさい)

 ツアーのガイド、ヨッシー小暮さんはまだあきらめなかった! いまいましいバリケードの前から頑として動きませんでした。しばらくすると、観光客の車を縫って公園スタッフの車が続々到着。スタッフのご出勤です! 「… opening shortly …」という英語が聞こえたような――おお、入れるぞ! さらに待つこと20分。この間にツアー貸出しの防寒ウエアを着こみ、帽子・手袋・レッグウォーマーを装着。やがてバリケードが片づけられ、ついにハレアカラ国立公園に足を踏み入れました。私たちのバンは一番乗り! 自然に拍手が湧きました。

 料金ゲートを通ってビジターセンターのお手洗いに寄り、車で一気に標高3055mの頂上近くまで上がりました。5時前後になっていたでしょうか。この日は十三夜の月夜で月の入りは5:18、日の出は6:27。ゲート前の時間ロスで危ぶまれたけれど、何とかムーンセットに間に合った!

 ピンボケだけど大切な写真です。私のコンデジではこれが限界。沈みゆく月が海に映す光を3000mの山から眺めている――ぞくぞくするような感動を覚えました。脳内のBGMはベートーベンの「月光」。月も赤くなって沈みます。

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<追記>
 ツアーのお仲間、若夫婦のYoshikoさんがデジイチで撮った写真を貼らせていただきます。ご了承いただき、ありがとうございます! 私のとはえらい違い。

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 月が沈むと、満天の星空がぱっと鮮明に輝きます。天然のプラネタリウム。ぼーっと見上げているだけで、流れ星や人工衛星をいくつも見ました。そうしているうちにも東の空はしらじらとしてきます。月は西に日は東に。ホワイトヒルという展望ポイントで日の出を見るため、懐中電灯を手に真っ暗なトレッキングロードを15分程上がりました。ハイキング程度なので、運動不足のオバサンも難なくクリア。

 そして、いよいよサンライズ! 荘厳で身が引きしまるような瞬間でした。太陽の光はすごい。ご来光を迎えるのは初めての体験でしたが、それがこのハレアカラで最高に幸せ。すったもんだのあげく、夫の還暦の誕生日には1日遅れたけれど、私の誕生日の前日にあたり、私にとっても素晴しいバースデープレゼントになりました。明日はマウイ島を離れるラストチャンスのこの日、ツアーを敢行してくださったヨッシーさんに心から感謝しています。何事も最後まであきらめてはいけない。

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 駐車場にはかなりの車が停まっています。でも、公園再開のこの日はいつもよりぐっと少ないとのこと。遥か遠くに西マウイのくびれが見えます。

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 山頂付近にうっすら見えるのは、軍や大学の研究施設。

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  日の出を観た後、ハレアカラのクレーター内を30分弱トレッキングしました。宇宙飛行士が月面着陸の練習をしたり、映画『2001年宇宙の旅』のロケ地になりました。

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 シルバーソード(銀剣草)。希少な高山植物で、ここハレアカラとハワイ島マウナケア、ヒマラヤでしか見られない。左の写真のような姿で10年位過ごし、開花時期には中央部から2m程茎が伸びて黄色と紫の花をつける。右の写真は開花が終わって枯れたもの。

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 頂上から下りる途中、ネネ(ハワイガン)を見かけました。ガイドのヨッシーさんも2カ月ぶりというラッキーな遭遇。2週間以上の閉鎖中、人が来なかったので、ネネほか野生動物の楽園だったんでしょうね。


<追記>

Pa180469_2 ハレアカラからの帰り道、朝食をとったレストランにて。Yoshikoさんが送ってくださったので、記念に小さく載せておきます。とても楽しいメンバーでした。


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2013/10/29

ハワイ旅行2013 (4) マウイ島ハレアカラ火山(その1)

 そうだ、夫の還暦の誕生日10月16日にハレアカラ火山の日の出を見に行こう! そう思いついて、現地のツアーを申し込んだのが出発の1ヵ月程前でした。

 ところが、10月に入ってアメリカのshutdown(政府閉鎖)勃発。国立公園はすべて閉鎖されてしまいました。ハレアカラもその一つ。当初は「2週間も続かないだろう」と高をくくっていましたが、出発の日が近づいても一向に解決しそうにありません。絶対ダメならあきらめるしかないけれど、再開する可能性があるというはっきりしない状態なのがかえって面倒で落ち着かない。ネットでアメリカの政況をチェックしては一喜一憂する日々でした。結局、出発時には未定のまま、かさばる防寒グッズ(夜明けのハレアカラは寒いので)をスーツケースに詰め込みました。

 現地に着いても、どっちつかずの状態はさらに続きました。以下、ツアー会社の方との電話のやりとり。

14日(到着日) 
 「現時点ではまだ閉鎖中で、16日のツアーは未定です。明日の夕方4時頃、またご連絡します」

15日 
 「まだ解決していないので、明日16日のツアーは中止です。もしあさって催行できたら、参加されますか?」
 「……(しばし逡巡)……は、はい、参加します……」
  (いい加減、どっちつかず状態に疲れていたけれど、17日がアメリカの債務上限期限なので期待をこめてOKした次第)

16日
 「shutdown終了が決まり、国立公園は明日から再開されます。でも、ハレアカラに問い合わせたら、明日の早朝、日の出前にゲートが開いているかどうかはわからないそうです。ツアーは行ないますが、ゲートが開いてなければ、そのまま引き返すことになります。その場合は料金をお返ししますが、参加されますか?」
 「……(しばし逡巡)……は、はい、参加します……」
  (ここまで来ると、もう乗りかかった船という感じでしたよ。ツアーを実施するということはそれなりに勝算があるのかと思ったし。夫は終始、「どっちでもいい、まかせる」という態度でした)

 こうして17日の深夜2時前、ヒートテックとフリースを着こんでピックアップの車に乗りました。同行のお仲間は若夫婦1組とフラ美女1組と私たち夫婦の6人。ゲートが開いていることを期待して一路ハレアカラ火山に向かいました。カーブが続く真っ暗な山道をひた走るバン1台――。

 が、が、ゲートは閉まっていた! 「Because of the federal government shutdown, all national parks are closed.」と書かれたバリケードがでんと置いてありました。一同、茫然自失。さあ、どうする?!

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続く


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2013/10/28

ハワイ旅行2013 (3) マウイ島ラハイナ

 帰国から1週間。まだ洗濯物が片付きません。今週は晴天が続きそうだから、衣替えを兼ねて一気に夏物を片づけてしまおう、と小さな声で宣言してみます。

 さて、マウイ島に戻ります――古都ラハイナ。ラハイナはハワイ王国建国当時の首都でした。ハワイ王国が存在したのは1795年から1893年までの100年程で、その前半の首都がラハイナ、後半がホノルル。19世紀には世界的な捕鯨の中心地でもありました。現在は国立歴史保護地区として定められ、史跡が点在しています。と同時に、カアナパリやカパルアなどのリゾート客がショッピングや食事を楽しむ一大観光ゾーンです。

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 この上下3枚の写真は、到着した日の夕方出かけた時のもの。ウエスティン・シェラトンの無料シャトルバスで30分程です。ショップやレストランが並ぶ海沿いのメインストリートはどこか懐かしいような雰囲気が漂う情緒のある街並みでした。海側のレストランは海にせりだした店内で潮風を受け波の音を聞きながら、そして海に沈む夕陽を見ながらお食事できます。先日後楽園のお店に行ったばかりの「ババガンプ」もありましたよ(左下)。この日は「チーズバーガー・イン・パラダイス」ででっかいチーズバーガーを食べました(右下)。

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 日を改めて、買い物かたがた史跡めぐりに出かけました。が、炎天下のそぞろ歩きは無謀でした。干上がって焦げそうになったので、志半ばで断念。レストランに入ったら、暑すぎて絶好の展望席が空いたままでした。

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 左:ラハイナ港(かつては捕鯨船で賑わっていましたが、現在は観光船のたまり場になっています) 右:パイオニア・イン(1901年オープンのラハイナ最古のホテル。今も宿泊できます)

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 左:コートハウス(捕鯨全盛期の1859年に建てられた裁判所) 右:ウォーターフロント砦跡(荒くれ者の船乗りに対抗するために建てられた砦。1964年復元)

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 左:バニヤンツリー(ラハイナのランドマークになっている大樹。全米で最大) 右:レストラン「キモズ」(海に浮かんでいるのはラナイ島)

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2013/10/26

ハワイ旅行2013 (2) マウイ島カアナパリ

 今回の旅行はマウイ島のカアナパリに4泊、オアフ島のワイキキに2泊。マウイ島は新婚旅行以来、約20年ぶりでしたが、その時はワイレアに滞在したので、カアナパリは初めてです。

 カアナパリはマウイ島で最初に開発されたリゾート地で、5キロ近く続くカアナパリビーチに沿ってホテルやコンドミニウムが立ち並び、その内側に2つのゴルフ場があります。かつてハワイ王国の首都だったラハイナの街から10分程なので、ショッピングや食事に出かけるのに便利です。

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 ホテルはシェラトン・マウイ。海に突き出た崖「ブラックロック」に面したカアナパリ最古のホテルです。ワイレアの新しいホテル群に比べるとゴージャスな雰囲気はないけれど、ハワイらしい落ち着いた空間でのんびり過ごせました。

 現地で初めて知ったのですが、マウイ島はアメリカ人にとても人気があるらしい。マウイ島への旅行客の8割がアメリカ人、1割がカナダ人、日本人はわずか3%だそうです。日本人だらけのワイキキとは違って、「外国」を満喫できます。リゾートと古い街ラハイナが隣り合っているところに魅力があるのかもしれませんね。リゾート内にも「ホエラーズ・ビレッジ」というショッピングモールがあって、ホテルから歩いて行かれるのでたびたび足を運びました。

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 ゴルフ場はロイヤルコースとカイコースがあり、1ラウンドずつプレーしてきました。ゴルフ場の景観がリゾートの一部になっていて、道路に面してコースがあります。塀もネットもないので、走行中の車や散歩している人にボールが当たりかねず、へっぽこゴルファーとしてはびくびくものでした。他人様に迷惑をかけずにすんでよかった。日差しが強くてバテ気味でしたが、こんなにきれいな写真を残せて嬉しいかぎり。

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 カアナパリ-ラハイナ間をさとうきび列車が1日数往復しているので、ラハイナまで乗ってみようかと終点プウコイリ駅まで歩いて行ったら、あいにく線路修理中で止まっていました。昔、乗ったので、懐かしく思ったんです。当時はぴかぴかの車両に満員の乗客で賑わっていましたが、今はうらぶれた感じでちょっと淋しかった。カイコースでラウンド中、列車が走ってきたので思わずカメラを向けました。

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 ブラックロック(ハワイ語で「プウケカア」)では毎日サンセットの時間にダイバーが崖沿いにトーチを灯し、ブラックロックから飛び込む儀式が行なわれます。この日は晴れて夕日がきれいだったので、大勢の人が浜辺に出て儀式を見守りました。

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2013/10/24

ハワイ旅行2013 (1)

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 14日から21日まで、夫の還暦&定年の記念にハワイに行ってきました。夫が元気に還暦を迎え、つつがなく定年まで勤め上げることができて、まずは感謝。老親たちが何とか達者で、置いて出かけられる状況だったことにも感謝。そして、台風続きの最中、影響なく出かけ帰れてほっとしています。

 「またハワイかよ」と言われそうだけど、またハワイです。世界中に行ってみたいところはたくさんあるけれど、行きたいところはハワイなんです。病気ですね。この人生はハワイ病を全うするしかなさそう。

 これからしばらくハワイの話が続きますので、よかったらお付き合いくださいませ。

 最初の写真は、マウイ島カアナパリのシェラトンマウイにて。遠くに見えるのはモロカイ島。下の写真は、ダイヤモンドヘッドを望むワイキキの海。

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2013/10/09

第43回お江戸オフ≪小石川≫その2

こちらの続き)

<深光寺>

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 本堂前に滝沢馬琴のお墓があります(左)。右の写真は茗荷坂から見える石碑、石像の数々。

<伝通院>

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 正式名称、無量山伝通院寿経寺。伝通院(でんづういん)は徳川家康の生母・於大の方の法名で、家康が亡き母の遺骨をこの地に埋葬し、近くにあった寿経寺を移転して院号を伝通院としました。

 江戸時代から残っていた山門や本堂は第二次大戦の空襲で焼失し、現在の本堂は昭和63年に戦後2度目に再建されたもの。山門は昨年2012年に再建されたばかりで、芳しい檜の香りがしました。

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 左は於大の方、右は千姫の墓所。

 千姫は家康の孫で、2代秀忠とお江の娘。7歳で豊臣秀頼と結婚し、大阪城落城の際(千姫18歳)、助け出されて再婚し、70歳まで波乱万丈の生涯を送りました。こんな長生きだったとは今回初めて知りました。いつが一番幸せだったのかな。

 幕末には新選組の前身「浪士組」がこの伝通院に集結し、中山道を京に向かいました。いわば、新選組誕生の場所です。

<慈眼院(澤蔵司稲荷)>

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 澤蔵司(たくぞうす)とは草創期の伝通院で学んだ優秀な修行僧の名。澤蔵司は修行後、和尚の夢枕に立ち、「私は千代田城の稲荷大明神である。世話になったので、当山の守護神になりましょう」と言ったそうな。そこで、この慈眼院が別当寺となって、澤蔵司稲荷が建立されたと伝えられています。神仏習合時代のお話なので、お稲荷さんのお寺もありなのでしょう。

 本堂の正面には鳥居がなく普通のお寺の外観ですが、霊窟「お穴」に下りる石段には鳥居が立ち並んでいます。窪地ゆえ、あたりは薄暗く、霊窟という言葉にふさわしい気味の悪い空気が漂っていました。

<善光寺>

Img_3895 伝通院の塔頭・縁受院として創建され、明治17年に善光寺と改称し、信州の善光寺の分院になりました。この善光寺を通り、澤蔵司稲荷に上がる坂を善光寺坂といいます。


<春日局像>

Img_3899 春日という地名は、徳川家光の乳母・春日局が拝領した町屋に由来しています。後楽園駅に近い礫川(こいしかわ)公園に春日局像が建っています。



 雨にもかかわらず、よく歩いたでしょう?(自画自賛) 多くの写真に雨粒がついているのは、デジカメのレンズを拭いても拭いても濡れるから。霧雨って意外と厄介です。濡れると冷たいわ、でも体は汗ばんで暑いわ、一年中で一番快適な季節のはずなのに、快適とは程遠い散策になりました。ぜひともリベンジしなければ! というわけで、来年のお花見は播磨坂と小石川植物園に決定です。

 ビールで乾杯して、おしゃべりに花を咲かせれば、オフはやっぱり楽しい! とくにこの日はお仲間のお祝い事が多くて笑顔がいっぱいの宴会となりました。

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2013/10/08

第43回お江戸オフ≪小石川≫その1

 今年のお江戸オフは雨に祟られている。昨年まではあんなに高い晴天率を誇っていたのに、何故?! 今回10月5日も霧雨が降り続くあいにくの空模様ゆえ、メインの小石川植物園をカットして、小石川界隈を1時間少々歩いてきました。霧雨にまみれて顔も髪も服もバッグも靴もしっとり、いや、じっとり濡れました。

「サンマルクカフェ茗荷谷駅前店」15時集合→林泉寺(しばられ地蔵)→深光寺(滝沢馬琴の墓)→福聚院(とうがらし地蔵)→伝通院→慈眼院(澤蔵司稲荷)→善光寺→源覚寺(こんにゃく閻魔、塩地蔵)→宴会「ババガンプシュリンプ」17時半~

 小石川にはユニークなお地蔵様たちがそろっていたので、まずご紹介しましょう。しばられ地蔵、とうがらし地蔵、塩地蔵、それに、こんにゃく閻魔(今回はカットしたけれど、豆腐地蔵もあり)。しばられ地蔵以外は食べ物に関連があるのが面白いですね。

しばられ地蔵(林泉寺)

Img_3879 みんなの健康を願って、縄をしばる某メンバー。お地蔵様のそばに祈願用の縄が数本用意されていました。
 しばられ地蔵の元祖は葛飾区の南蔵院らしい(南蔵院の公式サイト)。南蔵院は江戸時代、実家に程近い業平にあったと知って、俄然興味が湧きました。いつか行ってみたい。

とうがらし地蔵(福聚院)

Img_3886 咳止め、ぜん息治癒のご利益あり。
 文京区の公式サイトによれば、ぜん息持ちなのに好物のとうがらしをやめられないで亡くなったおばあさんをあわれんで、近所の人がお地蔵様を造ってとうがらしを供えたのが始まりだそうな。

塩地蔵(源覚寺)

Img_3898 お地蔵様に塩を盛って、身体健康を祈願します。
 江戸初期の源覚寺開創以前からこの地にあったらしい。




こんにゃく閻魔(源覚寺)

Img_3897 源覚寺の閻魔堂に安置されている閻魔像は「こんにゃく閻魔」と言われ、眼病治癒の閻魔様として信仰を集めています。
 こんな言い伝えあり。「江戸中期、眼病を患った老婆が祈願したところ、夢の中に閻魔大王が現われ『私の片目をあげよう』と言った。目が治った老婆は感謝のしるしに好物のこんにゃくを断って供え続けた」。この閻魔像の右目は割れて黄色く濁っているのです。

 その他のお寺は次の記事にまとめます。


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