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2013/12/18

第44回お江戸オフ≪忠臣蔵討ち入り≫その1

 12月14日といえば、忠臣蔵の討ち入りの日。今年最後のお江戸オフがたまたま12月14日に決まって、お江戸三婆(三人娘改め)協議の結果、両国の吉良邸跡から高輪の泉岳寺までの討ち入り凱旋コース(約12キロ)を歩くことにしました。

 3人の愛読書、宮部みゆきさんの『平成お徒歩日記』の最初の章がこのコースで、以前から「歩いてみたいね」と話していたんです。とはいえ、いざとなると及び腰になる三婆、いや二婆(約1名はいつだって前向き)。でも、この先これ以上の好機はなさそうなのでチャレンジすることに決めました。いつ歩くの?――今でしょう!(2013流行語大賞受賞語使用) こんな酔狂な企画にお付き合いいただいたメンバーに感謝しています。

JR両国駅12:30集合→吉良邸跡→→お茶「ドトール築地聖路加」15:15出発→→泉岳寺17:00着→(地下鉄)→宴会「もんじゃ近どう新橋店」18:00~

 コースは下の地図のとおり。元禄15年12月15日早朝(赤穂浪士は14日夜に集合して、翌朝吉良邸を襲撃した)、討ち入りを果たした大石内蔵助以下、四十七士が吉良上野介の首級を掲げて、浅野内匠頭の墓所がある泉岳寺まで歩いた道筋です。

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 「御船蔵の後通り、永代橋より鉄砲洲へかかり、汐留橋筋、金杉橋、芝へ出候て、泉岳寺へ参候」という赤穂藩士の記録が残っており、それから推定したコースです。下の古地図は、Google Earth の1858年の地図。

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 以下、Google Earthの古地図で場所を確認しながら、ルートをたどります。凱旋ルートはグリーンのマーク、それ以外は白の○。

①吉良邸→一之橋

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<吉良邸跡>

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 討ち入りがあった元禄時代には敷地2550坪の広さでしたが、現在は「本所松坂町公園」としてほんの一部が残るのみ。討ち入り後、幕府に没収され、その後、松坂町になりました。

 以前、訪ねた時は閑散として薄気味悪かったけれど、「義士祭」のこの日は、付近一帯の通りに出店が並び、お祭りというよりバーゲン会場のような賑わいでした。吉良上野介はあちらで苦笑していることでしょう。初めてご対面した上野介像は2011年に造られたそうです。

<回向院>

Img_4325c_2 討ち入り後、浪士一行は回向院に集まることになっていましたが、関わりを持ちたくない寺側に断られ、そのまま泉岳寺を目指しました。回向院については、前回訪問時の記事に詳しい説明あり。

<一之橋>

Img_4335 古地図を見るとわかるように、最も近い両国橋を渡るのが順当ですが、15日は幕府の登城日のため、江戸の中心部を通ることを避け、一行は南下して堅川にかかる一之橋を渡りました。

<前原伊助宅跡>

Img_4333 吉良邸と一之橋の間で立て看板を見つけました。浅野家家臣・前原伊助は刃傷事件後、吉良家の屋敷替えに伴ってこの地に移り住み、「米屋五兵衛」と偽名を使って店を営みながら、吉良家の動向を探ったと記されています。

<江島杉山神社>

Img_4337 江戸時代、盲人を統括した総禄検校・杉山和一の屋敷跡地。和一は徳川綱吉を治療して、その褒美としてこの土地を拝領し、江ノ島弁財天を勧請したと伝えられています。元禄6年に拝領したそうなので、討ち入り時、和一はここに住んでいたことになりますね。上の古地図には「弁天」と書いてあります。


つづく

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コメント

無知ながらも企画に参加させていただいた事に感謝です!本当に楽しく感慨深かったです(*^_^*)

投稿: みるきい | 2013/12/18 11:41

回向院はあのとき義士たちを受け入れていればと
きっと後悔しているんじゃないかと思いました。(^_^;)
吉良亭から歩く姿は、腕がないものや足のないものとか
悲惨な姿だったとどこかで聞きました。
その姿で短い時間で泉岳寺まで移動した義士たちは、
早く死に場をと求めていたんでしょうか?
賑わっている吉良亭も行きたかったなぁ。
しっかり治して、みなさんにくっついてまた来年もしっかり歩きたいです。

投稿: 陶片木 | 2013/12/18 11:42

じぇじぇじぇ!!(゚ロ゚屮)屮
いつのまにか三婆にされてる~!!

先日はお世話になりました。
うんちく記事続きも楽しみにしています。

私はようやく終えました。やっと大掃除できる~♪後でTBさせていただきますね。

投稿: ぶんぶん | 2013/12/18 13:26

みるきいさん、陶片木さん、ぶんぶんさん、コメントありがとうございます。
冷たい雨が降ってきましたね。雪になって積もらないといいけど。

>みるきいさん

 先日はお付き合いいただき、ありがとうございました。毎日5キロ走っているみるきいさんにとって、12キロはたいした距離じゃなかったでしょ? 珍しい体験ができたと思ってくださいまし(^^)。これに懲りず、来年もよろしくね!

>陶片木さん

 討ち入りで疲れた義士たちを休ませ、甘酒でもふるまったら、回向院の名声は語り継がれたのにね。

 怪我人を支えながら、12キロを2時間で歩いたとはすごい健脚ですね。昔はそれが普通だったのか? 

 腰を完治させて、来年はがんがん歩きましょうね!

>ぶんぶんさん

 謙遜謙遜(^^)。自分の妻を愚妻っていうようなものよ。ま、若いぶんぶんさんには失礼と思ったけどね。あ、約1名の不満そうな顔も浮かぶ;;;

 記事完成おめでとう! 面倒だけど、やり始めると結構楽しくて、あれこれ入れたくなりますね。私も早いとこ終わらせて、大掃除と年賀状に取りかからなちゃ!

投稿: Tompei | 2013/12/18 18:01

まだまだお若い三人娘さんですよ!

相変わらずわかりやすいレポートありがとうございます。
怪我をしてのあの距離ですか…なんかあのパレードの様な元気な凱旋を想像してたので、ちょっとしんみり

投稿: ゆれい | 2013/12/19 10:23

>ゆれいさん

 おはようございます。レスが遅くなってごめんなさい。

 「三人娘なんてよく言うよ」という天の声が聞こえたのでね。娘でもあり婆でもあり、ってとこかな(^^ゞ

 私のイメージでは、ヅカの忠臣蔵のBGMにのって(^^)勇ましく行進する四十七士、なんだけど、実際は「関わりになりたくない」雰囲気だったのかもね。

投稿: Tompei | 2013/12/20 07:23

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