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2014/08/28

見沼通船堀オフ(その1)

Img_2 さいたま在住の桜桃さんのお声かけで、昨日このイベントに行ってきました。題して「見沼通船堀 閘門開閉実演」。実は、どんなことが行なわれるか、実際に現地で見るまでよくわかっていませんでしたが、これがなかなか興味深いものでした。そして、お江戸オフにふさわしい題材でした。




 「そもそも、見沼って何?」 これは、wikipediaからお借りした地図ですが、地図上の水色の区域はかつて見沼という沼地でした。縄文時代まではこの辺りまで東京湾が入りこんでいて、その後、海岸線が後退して沼地になったそうです。いやー、埼玉にこんなに広い沼地があったとは初耳でびっくりしました。

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 見沼の歴史。江戸初期に関東郡代伊奈氏が見沼の南端に堤防「八丁堤」を築いて灌漑用の溜池を造成しましたが、この「見沼溜井」は十分には機能しませんでした。その後、享保年間になって、8代将軍徳川吉宗が新田開発を奨励したため、井沢弥惣兵衛為永が見沼溜井の干拓に着手し、東西に2本の用水路を開削しました。それが、現在も残る見沼代用水路東縁、西縁です。

 為永はさらに、2本の代用水路とその間を流れる芝川を結ぶ運河を開削し、代用水路と江戸との間を舟で行き来できるようにしました。かつての八丁堤付近に設けられたこの運河が「通船堀」です。ふぅ、やっと出てきた、通船堀。

 この通船堀の問題点は、代用水路と芝川の3mの水位差。そのままでは船が通れないので、東西の通船堀にそれぞれ2か所の関(閘門)を設けて、この関で水位を調節しながら船を上下させて通しました。そう、あのパナマ運河と同じ「閘門式運河」なのです。なるほど! この記事をまとめながら、ようやく理解できた次第。

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 現在の閘門は復元されたものですが、開閉の手順はかつてのまま。幅18cmの角落(かくおとし)と呼ばれる板を1枚ずつ関枠にはめて水を堰き止めます(左上)。1枚分水位が上がると、次の板を水中に落として前の板の上に取り付けます。右上の写真は下流から見たもの。関の向こう側は水位が上がっていることがわかります。これを繰り返し、次の関と同じ水位にして船を通すしくみです。残念ながら現在は、船は二の関の先には進めません。

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 最初は水位が低く船は岸に上がっていましたが(左上)、閘門を閉めると水位が上がって船が水に浮かびました(右上)。

 水が溜まるのに結構時間がかかって(板が傷んでいて水が漏れる)、のんびりまったり江戸モードの時間進行でした。『見沼通船舟歌』なる歌や踊りも披露されました。雨が降りそうで降らない涼しい日でよかった。この前後に神社などいくつか回ったので、次の記事に続けます。


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2014/08/26

花火2題 2014夏

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 24日日曜日は調布市花火大会でした。今年は順延なし、この日限りの一発勝負なので、天候が不安定な折から心配していましたが、無事開催できました。広島をはじめ、各地で豪雨による大きな被害が出ている中、こうして穏やかに花火を眺められるのはありがたくて申し訳ないような気持ちでした。

 毎年同じような、うまくもない写真ですが、奮闘の記念に貼っておきます。カメラを持っていると、ついつい花火撮影に熱が入ってしまい「撮影>鑑賞」になりがちなので、今回はできるだけカメラなしで肉眼で楽しもうと心がけました。音と風圧を全身で感じながら、花火を愛でられる幸せよ!

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 一方、下のしょぼい花火は7月26日開催の隅田川花火大会のもの。20年ぶりに実家の屋上に上がって花火を見たら、1.5キロ程離れた第一会場の方向にビルが建ったため上半分しか見えませんでした。調布のように尺玉(10号)が上がれば、十分楽しめそうですが、隅田川は最大が5号だから低めで小さいのが残念。それでも、趣向をこらしたコンクールの花火を母と審査(?)しながら見られて感慨深いひとときでした。

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 第二会場の花火もいちおう見えるんです。ほら、スカイツリーの足元に小さく! スカイツリーは近すぎて、てっぺんまで入りません。

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