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2014/09/29

第49回お江戸オフ≪赤坂・虎ノ門・新橋≫その1

 9月20日土曜日のお江戸オフから早くも9日が経過して、明日で9月も終わろうとしています。さっさとまとめないとどんどん忘れてしまう! 重い腰を上げてようやくPCに向かっています。

銀座線「赤坂見附」駅14時集合→豊川稲荷→日枝神社→虎ノ門→金刀比羅宮→ 虎ノ門ヒルズでお茶→栄閑院(猿寺)→天徳寺→青松寺→愛宕神社→浅野内匠頭終焉の地→塩竃神社→宴会:鼎泰豐(カレッタ汐留)18時~

 デング熱蔓延中につき、虫除けスプレーでガードして蚊に刺されないように気をつけながら歩きました。のべ12000歩程度。

Tora


<豊川稲荷>

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 お江戸オフで豊川稲荷を訪ねたのは、2011年12月17日以来2度目。由緒などはその時の記事に書きましたが、その中に次のくだりがあります。

町奉行の大岡越前守忠相が拝領地の三河から豊川稲荷を勧請し、自邸で屋敷神として祀ったのが始まり。当初、赤坂一ツ木の大岡邸では午の日と毎月22日に一般庶民の参拝を許していました…

上記の大岡邸は、古地図を拡大すると現在の豊川稲荷と通りをはさんで斜向かいにあったことがわかります。

 この日、再訪したのは、3年前にお借りしたままの融通金(右の写真)をお返しするため。本来は翌年お返しするべきものなんです。お礼参りをしたいというぶんぶんさんと意見が合ったので、コースに組み入れました。

<日枝神社>

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 日枝神社も2011年以来の再訪なので、詳しくは過去記事へ。参拝後、山王男坂の石段を下りました(右の写真)。今はほとんどの人が外堀通り側から行き来しますが、江戸時代はこちらが表参道でした。

<首相官邸>

Img_5118 日枝神社から下りて道路を隔てた高台に首相官邸があります。こちらは裏側らしい。ニュースなどでおなじみの姿とは印象が違います。



<溜池>

Img_5119_2 虎ノ門に向かう途中、「溜池発祥の碑」を発見。「溜池は江戸時代のはじめ、江戸城の防備を兼ねた外堀兼用の上水源として作られ水道の発祥地ともなり、徳川秀忠時代には鯉、鮒を放し蓮を植えて上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となった…」と書いてあります。古地図を見るとよくわかりますね。明治8年から埋立てが始まり、明治21年に赤坂溜池町ができました。

 広重の江戸百には4枚も溜池が描かれています。絵になる場所だったのでしょうね。せっかくなので4枚とも貼っておきます。順番に、「紀の国坂赤坂溜池遠景」「虎の門外あふひ坂」「赤坂桐畑」「赤坂桐畑雨中夕けい」。ちなみに、桐畑とは溜池の西岸にあった桐の栽培地のこと。古地図を拡大すると、「溜池」の字の左の辺りに「桐畑ト云」と書いてあります。

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<虎ノ門>

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 虎ノ門は江戸城の門の一つでしたが、明治に入って門が撤去された後も駅名や地名として残りました。左の写真は、地下鉄虎ノ門駅の入口付近にある「江戸城外堀跡地下展示室」。外堀の石垣が一部残されています。右の写真は、虎ノ門の交差点のそばにある虎ノ門碑。

<金刀比羅宮>

Img_5130 虎ノ門のオフィス街のど真ん中に鎮座する金比羅さん。かの有名な香川県の金刀比羅宮の分社です。江戸時代、讃岐国丸亀藩主・京極氏が自国の金比羅大権現の分霊を江戸屋敷内に勧請しました(古地図に「京極」の字が見えます)。毎月10日のみ江戸市民の参拝を許可していました。

 東京には同じような由来を持つ旧藩邸内の寺社がいくつかありますが、この日は豊川稲荷、金刀比羅宮、塩竃神社(記事その2へ)と偶然3つも訪ねました。そのほか、水天宮(訪問時の記事)もそうですね。

 文政4年奉納の鳥居には、四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)の彫刻が施されています

Img_5152_2 金比羅さんあたりから雨がぽつぽつ落ちてきたので、虎ノ門ヒルズに駆け込んでティータイムにしました。旧跡を訪ねるのも面白いけれど、新しいスポットはやはりわくわくします。


続く


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2014/09/09

見沼通船堀オフ(その2)

 あれから早くも2週間が経とうとしています。下書きを少しずつ書き足して、ようやく完結させました。最初の勢いでさっさと仕上げないと駄目ですね。

 この日のルートは次のとおり。

東浦和駅9:20集合→附島氷川女体神社→稲荷社→水神社→通船堀→鈴木家→稲荷社→昼食「はすみ」→木曽呂の富士塚→(車)→氷川女体神社→(車)→調(つき)神社→武蔵浦和駅

 見沼の畔には大小の神社が点在しています。その中の最大のものが大宮の氷川神社。東京・埼玉周辺に200以上ある氷川神社の総本社で武蔵国一宮です。この大宮氷川神社は見沼の水神を祀ったことから始まったとする説もあります。さらに、見沼周辺には氷川女体神社と中山神社(別名:中氷川神社)があり、3社で一体の氷川神社を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していたとも考えられています。

 また、見沼には竜神伝説が数多く残されています。周辺の人々は竜神を沼の水の化身として畏れ崇めていたのでしょう。時には災いをもたらす沼に対する人々の思いがしのばれます。

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 以下、訪問順ではなく、街道の並び順に記します。

<附島氷川女体神社>

Img_5052 昼食後に訪ねた氷川女体神社(後述)の分社。見沼溜井の造成時に水没した氷川女体神社の社領の替地として与えられた土地に祀られたようです。




<稲荷社>

Img_5053 由緒によれば、享保年間の創立。ということは、見沼干拓による新田開発に際して、この地に住み着いた人々が勧請したと思われます。



<鈴木家>

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 幕府から通船堀の差配役を任されていた鈴木家の住宅。江戸時代後期の建築です。母屋の奥にある蔵などの建物もこの日は公開されていました(通常は週末のみ)。

<水神社>

Img_5057 見沼通船堀が開通した翌年の享保17年創建。本殿は関東大震災で全壊し、再建されました。






<稲荷社>

Img_5086 見沼が沼地だった時代に氷川女体神社の御船祭の御旅所が置かれていた場所。由緒には、寛政年間に京都伏見大社から稲荷大明神を分霊する許しを得た旨が記されています。


<木曽呂の富士塚>

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 見沼代用水と通船堀の連絡点のそばに寛政12年築造の富士塚があります。高さ5.4m、直径20m。お体めぐりの火口や胎内くぐりの穴(現在は埋没)まである本格的なものです。もちろん登山してきました。翌日、筋肉痛気味でしたよ(大汗)。


<氷川女体神社>

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 通船堀から車で10分程走った見沼を臨む台地にあります。主祭神は奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)。氷川神社の主祭神である須佐之男命(スサノオノミコト)の妻で、「男体社」の氷川神社に対して「女体社」というわけです。社殿は4代将軍徳川家綱の命によって建てられたもの。文化財を多く所蔵し「埼玉の正倉院」とも呼ばれているようですが、残念ながら一般公開されていません。

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 この神社の祭祀「御船祭」は古くは見沼で行われていましたが、沼が干拓されてからできなくなったため、池の中に丸い島を築いた祭祀場を設けて、御船祭の代わりに「磐船祭」を行なってきました(明治初めまで)。その遺跡(左上)が今も残されています。空気が重い感じがして、そそくさと引きあげました。

 右上の写真は、ご神木にできた熊の顔のようなコブ。テレビ「ナニコレ珍百景」でも紹介されたそうです。地元の方がわざわざ教えてくださいました。

Img_5097 上記の磐船祭祀遺跡を含めて見沼氷川公園として整備されていて、その中に唱歌「案山子」の発祥の地モニュメントがあります。山田のなかの一本足のかかし…♪






<調(つき)神社>

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 この日最後に訪れたのは浦和の調神社。地元では「調宮(つきのみや)」と呼ばれて親しまれています。調(つき)が月と同じ音であることから、月に縁のある兎が神の使いとされて、狛犬ではなく狛兎が置かれるなど、兎の石像や彫刻、絵馬などを境内のあちこちで見つけられます。

 この後、武蔵浦和まで歩いて駅でお茶をして解散しました。見沼のことを知って、通船堀の実演を見学して、面白いオフでした。大宮氷川神社にもそのうち行ってみよう!


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