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2015/06/09

島津山から池田山へ(その2)

こちらの続き)

<雉子神社>

Img_5875 創建は15世紀と言われ、大鳥明神を祀っていました。江戸時代、徳川家光が鷹狩りの途中、一羽の白いキジがこの神社に逃げ込んだのを見て、「雉子宮と称すべし」と命じ、以後「雉子ノ宮」と改称されました。

 島津山と池田山の間の高台に面した神社。かつての境内にビルが建てられ、社殿はそのビルの1階部分にあります。大きな鳥居をくぐり石段を上がると、近代的なビルの中に厳かな神社の空間があり、そのギャップに面喰いました。

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Img_5874 江戸時代まで雉子神社の別当寺だった宝塔寺が隣接していますが、現在改修中でした。






<ねむの木の庭>

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 かつて池田山にあった皇后・美智子様の生家正田邸の跡地が品川区立の公園として公開されています。この数日前に両陛下が訪問され、美智子様のお名前に因んだバラ「プリンセス・ミチコ」を観賞されたばかりでしたが、残念ながらバラはすでに剪定されていました。

Img_5778 5月半ばに生田ばら苑で撮った「プリンセス・ミチコ」の写真を貼っておきます。






<池田山公園>

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 池田山の名称は、この高台一帯に江戸時代、岡山藩池田家の下屋敷があったことに由来しています。この池田山公園はその下屋敷の奥庭の部分。高台の縁の窪み(前の記事の地形図参照)が池になっていて、その池を中心とした高低差がある回遊式庭園です。

 四方から池をのぞきこむような地形になっているので、池まで下りると木々の緑が迫ってくるような何ともいえない雰囲気でした。雨模様の夕方近くだったせいか、薄暗くて気味が悪かった。この記事に書くにあたって調べたら、パワースポットだそうです。富士山から発する龍脈の通り道らしい。

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Img_5896 白金台駅に出る途中、オープンしたてのプラチナドンキを発見! 高級住宅街の白金台仕様のドンキホーテはあの派手な色彩ではなく、白やプラチナ基調の落ち着いた外観です。この写真を撮った直後、「○○現代の者ですが、この辺りにお住まいですか?」と声をかけられたことを記念に書いておきましょう(笑)。

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2015/06/03

島津山から池田山へ(その1)清泉女子大

 清泉女子大学が本館として使っている旧島津侯爵邸を一般公開していることを知って、見学ツアーに申し込んでみました。5月29日、送っていただいた見学許可証を持参して、いざ訪問! 見学後、近くを散策しました。

五反田駅→ランチ「トラットリア・アリエッタ」→清泉女子大→宝塔寺・雉子神社→ねむの木の庭(美智子皇后の実家跡)→池田山公園→白金台駅

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 清泉女子大の敷地は江戸時代、仙台伊達藩の下屋敷として130年間使われた場所で、その後、明治6年(1873)から旧薩摩藩の島津公爵家の所有となりました。この建物は、ジョサイア・コンドルの設計によって、大正6年(1917)に落成したルネッサンス様式の洋館です。

 第二次大戦前に日本銀行に売却するまで島津家が使用し、戦後はGHQの管理下に入り、昭和29年まで駐留軍将校の宿舎として使われました。その後、清泉女子大が日銀から土地と建物を購入し、昭和37年に大学を移転し、現在に至っています。

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 学生ガイドが4~5人に1人ずつついて、詳しく説明しながら、建物内を案内してくれます。私たちの担当はこの日デビューの学生さんで、緊張しながら初々しく説明してくれました。学長室、会議室、教室などに使用する一方で、時間と手間をかけて一般公開していることに頭が下がります。建物の美しさもさることながら、大学のそんな姿勢に感銘を受けました。

 写真撮影は不可でしたが、かつてのバンケットホールは聖堂として使われ、卒業生の結婚式などに利用されているそうです。そうそう、現在放送中のテレビドラマ『天皇の料理番』のロケがあったそうですよ。どんなふうに使われているか、放映が楽しみです。

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 ロビーのお花は結婚式の名残り。ステンドグラスには丸に十の字の島津家の紋が入っています。

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 見学後、学生用のカフェで一服させていただきました。現役女子大生に混じる4人の旧女子大生の姿をご想像下さい。

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 庭園のフウの木は樹齢約200年で、仙台藩の藩邸時代には「高尾もみじ」と呼ばれていた、と説明板に記されていました。仙台藩、島津家、日銀、GHQ、清泉女子大と所有者の変遷をずっと見守ってきたんですね。

Gotanda

 上の地形図を見るとわかるように、清泉女子大(島津邸)は高台にあり、この辺りは通称「島津山」と呼ばれています。島津山は広い敷地の豪奢なお屋敷が並ぶ高級住宅街で、お山の下とは雰囲気を異にしています。

 島津山を下りた一行は次のお山「池田山」を目指しました。

(続く)


*その他のコンドル設計の建物

  旧岩崎邸
  旧古河邸
  ニコライ堂
  三菱一号館(復元)


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2015/06/02

第52回お江戸オフ≪中野≫ その2

こちらの続き)

<哲学堂公園>

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 東洋大学の創始者で哲学者の井上円了が創建した施設。77か所の哲学的建造物を巡りながら散歩することで哲学修養ができる道場として造られました。 円了さんはここを哲学宗の本山「道徳山哲学寺」と呼んでいたらしい。左の写真は、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った四聖堂。明治34年の建設当初は哲学堂と称したので、それが公園名になりました。右の写真は、哲学堂公園のシンボルタワー(?)六賢台。

 常識門あり、宇宙館あり、髑髏庵あり、絶対城あり。なんとも不思議な雰囲気が漂う公園です。残念ながら、哲学はさっぱりわかりませんでした。春と秋に建物の内部を公開しているので、それを見れば少しは理解できるかも? 緑が多く、桜や紅葉の時期に訪ねてみたくなりました。

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<新井薬師>

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 正式名称、新井山梅照院薬王寺。天正4年(1586)創建。徳川秀忠の五女で後水尾天皇の中宮になった東福門院和子がこの寺の薬師如来に眼病平癒を祈願したところ、回復したとされることから、とくに眼病平癒のご利益があると言われています。「め」の字が表裏ふたつ書かれた絵馬(左下の写真に写っています)を売っています。

 境内にある井戸水は名水として知られ、一般に開放されています。空の2ℓペットボトルを何本も持参して汲んでいる人に続いて、私も汲んで飲んでみたら、何となくおいしい気がしました。静かで落ち着いた境内はお薬師さんにふさわしく心癒される空間でした。

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<中野犬屋敷跡>

Img_5833 中野区役所前に「中野犬屋敷跡」の碑とオブジェがあります。生類憐みの令を出した徳川綱吉の統治時代、この辺りには約30万坪の犬屋敷(犬囲い)があり、10万匹以上の犬を飼育していました。5つの囲いにはそれぞれ犬小屋、餌場、日除け場、子犬養育場などがありました。

 30万坪といえば、だいたい1キロ四方。現在の中央線の線路を挟んだ広大な敷地でした。線路より北の地区の旧町名「囲町」はこの犬囲いに由来しています。ちなみに、南の地区の旧町名「桃園」は、徳川吉宗が犬屋敷の跡地に桃を植えたことに由来しています。


<中野サンプラザと中野ブロードウェイ>

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 サンプラザは数年後に解体されることが決まったらしい。ここであと何回コンサートを見られるのか。

 時間潰しで入ったブロードウェイが面白すぎる場所でした。意外にも初めて足を踏み入れたんです。1966年開業のショッピングモール兼集合住宅。レトロな建物の内部は複雑で入り組んでいて、2階より上には「サブカルチャーの聖地」とも「オタクの聖地」とも言われる不思議な世界が展開していました。

 明治寺の百観音、哲学堂公園の建造物、犬屋敷、サブカルチャーのブロードウェイ……強引にコレクション繋がりで並べてみました。中野にはそういうものが集まりやすい空気があるのかもしれません。

 締めくくりはコース料理と飲み放題の宴会。ボリュームのある美味しいお料理に満足、満腹な夜でした。


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