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2016/01/26

第56回お江戸オフ≪神田≫ その2

こちらの続き)


<万世橋>

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 万世橋は神田川に架かる橋の1つ。秋葉原に近いので、爆買いツアーの観光バスがひっきりなしに行き来していました。神田川沿いのJR中央本線の線路下には2013年に「マーチエキュート神田万世橋」という商業施設がオープンしました。煉瓦造りの高架橋アーチを利用した洒落た空間が昌平橋に向かって続いています。

 ここには2006年まで交通博物館がありました。私も小学生時代に見学した記憶があります。交通博物館が開業したのは昭和11年(1936)。昭和18年に中央本線の万世橋駅が廃止されるまでは駅に併設されていました。

Img_0731 万世橋駅は明治45年(1912)、甲武鉄道のターミナル駅として開業しました。後に東京駅を設計した辰野金吾による赤煉瓦造りの豪華な駅舎で、駅前には複数の系統の市電が走り、銀座と並ぶほどの繁華街だったようです。しかし鉄道が延長され、7年後に東京駅が開業するとターミナル駅の役目は終わり、さらにその後、神田駅と秋葉原駅が新設されて乗客数は急減していき、やがて廃止に至りました。右の写真は、マーチエキュート内に展示されている旧万世橋駅舎のジオラマ。この駅舎は関東大震災で焼失しました。

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Photo_2 マーチエキュート、交通博物館、万世橋駅とさかのぼり、さらに昔、江戸時代にはこの場所に江戸城外郭門の1つ「筋違御門」があり、江戸城から上野寛永寺に通じる御成道が通っていました。門の内側には火除地が設けられ、道が八方向に通じるので「八つ小路」と呼ばれていました。

 右の浮世絵は、広重の江戸百の「筋違内八ツ小路」。筋違門は右手前方向で絵にはなく、堤のそばに立つ小屋は辻番所で、その奥に昌平橋が架かっています。右奥の小高い丘の中腹に神田明神のお社が見えます。

Photo_3 もう1枚、江戸百から「昌平橋聖堂神田川」。右下に昌平橋が少し見えています。手前の堤と向こう側の坂道が誇張されています。白壁の中に湯島聖堂(昌平坂学問所)があります。

 私たち一行もこの昌平橋を渡り、神田明神に向かいました。





<講武稲荷>

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 秋葉原の電気街の裏手に講武稲荷の小さなお社があります。由緒案内板によると、安政4年(1857)の鎮座。この土地には幕末に幕府が設置した講武所の町屋敷があったので、講武稲荷と呼ばれるようになったようです。

 昌平橋の北側のこの辺りはかつて「神田旅籠町」といい、中山道や日光街道を利用する旅人用の旅籠が多くありました。

<神田明神>

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 2015年最後の訪問場所は神田明神。押し詰まった年の瀬の日没近い時間にもかかわらず、参拝客の列ができていました。「今年1年無事にお江戸オフを続けることができ、ありがとうございました。東京タワーに登り、日光に遠征し、充実した1年でした」と手を合わせました。

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 末広町駅に出るために男坂の石段(左の写真)を下りましたが、ここを通ったのは初めてのような気がします。正面から出入りしただけではこの高低差が実感できません。江戸百の「神田明神曙之景」で東側を見下ろしている構図が納得できました。

Img_0745 末広町に出る途中、「滝沢馬琴住居跡」の立て看板を発見。






Img_0746 忘年会は恒例のもんじゃ! 今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

 と、思いきり間が抜けた記事ですが、今週末の新年会オフの前に更新できてほっとしています。さーて、今年はどこを歩きましょうか?!


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2016/01/20

第56回お江戸オフ≪神田≫ その1

 昨年12月26日の忘年会オフの記事を更新できずに年を越してしまいました。これを終えないとどうにも落ち着きません。

 この日は神田界隈を少し歩き、神田明神に年末のお礼参りをした後、恒例のもんじゃ忘年会で締めくくりました。

15時 JR神田駅→お玉が池跡(お玉稲荷、種痘所跡碑)→柳原土手跡碑→柳森神社→旧万世橋駅跡(マーチエキュート内)→講武神社→神田明神→銀座線末広町→新橋→17:30~ 「新橋近どう」


<神田紺屋町>

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 神田駅から歩き出してまもなく「神田紺屋町」の町名由来板を発見。紺屋町の名の由来は、かつてこの辺りに藍染めを手がける染物屋が軒を連ねていたことによります。右の浮世絵は、広重の江戸百の「神田紺屋町」。

 神田界隈は江戸初期から職人町が形成され、同じ職種の職人たちが一か所に固まって住み、その職種を町名としていました。その多くは住所表示改正で消滅しましたが、この神田紺屋町のほか、神田北乗物町、神田鍛冶町、神田須田町などは現在も残っています。


<お玉が池跡>

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 江戸時代を舞台にした小説や時代劇によく出てくるお玉が池は、現在の岩本町の交差点あたりにありました。江戸初期には不忍池と同じ程の広さがあったようですが、後期には徐々に埋め立てられて宅地化され、幕末にはすでに池はなかったとのこと。

 お玉が池の名前の由来は、池の近くに住む「お玉」という娘が二人の男性からの求愛に悩んで池に身投げしたことから。お玉の霊を慰めるために建てられたお玉稲荷が現在もあります。

 お玉が池といえば、幕末に北辰一刀流の道場「玄武館」があった場所として有名ですが、同じ時代この界隈には儒学者や漢学者が多数居住し、江戸の学問の中心地でした。蘭方医による種痘館「お玉ヶ池種痘所」も安政5年(1858)この地に創設されました。

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(左上から順に)
お玉ヶ池跡の碑
お玉ヶ池種痘所跡地(東大医学部発祥の地)
お玉ヶ池種痘所記念碑
お玉稲荷

(玄武館跡の碑は現在工事中で撤去中)

<柳原土手跡>

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 万世橋から浅草橋に至る神田川南岸には江戸時代、柳を植えた柳原土手と呼ばれる土手があり、よしず張りの古着屋や古道具屋が並んでいました。右の写真は、神田川に架かる和泉橋から上流を撮ったもの。左側がかつての柳原土手。

Img_0714_2Img_0715_2 柳森神社に向かう途中の柳原通りには戦前の看板建築の商店が今も残っています。




<柳森神社>

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 室町時代、太田道灌が江戸城の鬼門除けとして現在の佐久間町一帯に多くの柳を植え、鎮守として祀ったのが始まり。万治2年(1659)の神田川掘割の際に現在地に移りました。新橋の烏森神社、日本橋七福神の椙森神社とともに、江戸三森の一社と言われました。

 上の写真は柳原通りの道路越しに撮った写真ですが、神田川に向かって石段を下りた低地に境内があります。こじんまりした境内には本殿のほか、金比羅宮、福寿社、力石などがごちゃごちゃ配置されています。

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 福寿社(右端の写真)には、5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が信仰していた福寿神(おたぬき様)の像が祀られています。「たぬき=他を抜きんでる」ことから立身出世のご利益を求めて、大奥で崇拝されていたようです。明治に入ってこちらに合祀されました。

Img_0717Img_0720 小さい富士塚があったらしい。見逃しました。力石や猫はしっかりスマホに収めたのに。

 長くなったので、後半は次の記事へ。

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2016/01/14

東海七福神めぐり

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 三連休の中日10日に七福神めぐりをしてきました。今年は旧東海道品川宿の東海七福神です。七福神めぐりは本来は元旦から七草までの間に巡拝するものですが、この東海七福神のように15日までご開帳しているところもあります。

 品川宿は2009年後半に2回に分けて歩いていますが、あれから6年以上経っていることにびっくり! 今回は七福神めぐりをしながら、途中いくつかの寺社にも寄り、旧東海道を5キロ程歩きました。所要時間は約4時間(休憩含む)、1万5千歩強。その後、増上寺に行ったので、のべ2万歩以上歩きました。

 こちらの七福神めぐりは、寺社名が印刷された色紙(1000円)を買うと各寺社で無料でご朱印をいただけます。墨書きしていただくありがたさがない半面、お金がかからずスピーディーに進行できました。宝船も買い求めました。

京浜急行「新馬場」駅→①品川神社(大黒天)②養願寺(布袋尊)③一心寺(寿老人)④荏原神社(恵比寿)東海寺⑤品川寺(毘沙門天)海晏寺海雲寺鮫洲八幡⑥天祖諏訪神社(福禄寿)鈴ヶ森刑場跡・大経寺⑦磐井神社(弁財天)→「大森海岸」駅
(リンク先は過去記事)


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①品川神社(大黒天)

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 ウンチクは前回訪問時の記事へ。

Img_0772_2 好天に恵まれて、初詣客で賑わっていました。23区内最高峰の富士塚(右上の写真)に登り、ほころび始めた梅を愛で、こいつは春から縁起いいわえ。

②養願寺(布袋尊)

Img_0784Img_0783_5 こちらは初訪問。こじんまりしたお寺です。本尊は虚空蔵菩薩で「品川の虚空蔵さま」と呼ばれて親しまれてきました。

③一心寺(寿老人)

Img_0787Img_0788 幕末の安政2年(1855)に品川宿の町民たちが建立した寺で、開基は井伊直弼によると伝えられています。
 ここも初めての訪問でした。小さいお寺ながら旧東海道に面しており、成田山の提灯が目立つのに、前回は素通りしてしまった? いや、この前を通らなかったのかも。

④荏原神社(恵比寿)

Img_0791Img_0790 ウンチクはこちら



⑤品川寺(毘沙門天)

Img_0796Img_0799 ウンチクはこちら

 六地蔵を見て思いました。今年は、まだ見ぬ六地蔵、巣鴨の真性寺(前回訪問時、修復中だった)と東浅草の東禅寺(未訪問)のを見たい。
 
⑥天祖諏訪神社(福禄寿)

Img_0808Img_0806 古くは神明宮、諏訪社と称し、海に面して立会川をはさんで祀られていました。かつての浜川町、元芝地区の氏神様。

Img_0810 鈴が森処刑場跡の少し手前で「濱川神社」の石柱を発見。どうやら神社はマンションの2階部分にあるようですが、公開されていません。
 品川区による立て看板には「浜川神社は、江戸時代天明の頃に修験者・教光院了善が厄神大権現として祀ったことに始まる。明治維新後、神社となり浜川神社と称した。」と書いてありました。教光院は松本清張の『天保図録』に登場するらしい。興味深い。

⑦磐井神社(弁財天)

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 平安時代の神社名鑑にあたる「延喜式神名帳」にも記載されている古社で、鈴森八幡宮とも呼ばれていました。
 名前の由来の「磐井の井戸」が境内の前、第一京浜に面して残されています。以前はここまで境内だったらしい。万病に効く霊水で、心正しい人が飲めば真水、邪心をもつ人が飲むと塩水になるとされていました。


 以上、七福神めぐりを終えて、大森海岸駅から京浜急行(浅草線)で大門まで直行し、芝大神宮と増上寺もお参りしました。

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 芝まで行った目的は増上寺のお猿の置物でしたが、残念ながらこの時点では完売していました。入荷した頃を見計らって、またそのうち出向きたいと思います。

 ふぅ、ようやく七福神めぐりの記事を書き終えました。次は昨年の忘年会オフの記事を書かなくちゃ!

(「七福神めぐり」のカテゴリーを作りました)


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2016/01/04

謹賀新年

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   あけましておめでとうございます。
   本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ここ数年、年頭は七福神めぐりの記事で始めていますが、今年はこの週末にめぐる予定なので、年賀状に使った東照宮の三猿の写真を貼ってみました。

 穏やかで暖かいお正月ですね。我が家は例年どおり両実家訪問で始まりました。4月に94歳になる義父と元旦に89歳になった実母がそろって一人暮らしのまま年越しできてやれやれです。が、2人ともこの1年で随分年取った印象で、今年もいろいろありそうな予感。

 親たちをサポートしながら、日々の生活をこなし、楽しみの時間を持つには、心身の健康が一番と痛感しています。実は今年は前厄なので、昨日深大寺で護摩札をいただいてきました。そういう年齢であることを受け止めつつ、気持ちは若く柔軟でありたいな。

 夫は今日から新しい職場に通勤です。いい出逢いがたくさんありますように。

 穏やかに年明けた2016年が平和で明るい1年でありますように!


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左:池上本門寺(1月1日)
右:深大寺(1月3日)

 

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