第4回 東海道踏破オフ≪保土ヶ谷~戸塚≫ その1

広重「東海道五拾三次之内 保土ヶ谷(新町橋)」
2016年11月21日。この日は保土ヶ谷駅集合でしたが、私は少し手前の相鉄線「天王町」駅から歩いて、歩いてない部分を多少補いました。
相鉄「天王町」駅→JR「保土ヶ谷」駅11:30集合→(権太坂)→休憩「ケンタッキー 東戸塚イオン」→宴会:戸塚「はなの舞」→戸塚駅

天王町駅から旧東海道を少し戻って橘樹神社からスタート。歩き始めるとまもなく帷子(かたびら)橋(左上)を渡りますが、この橋こそ広重の浮世絵で描かれた新町橋の現在の姿で、昭和39年に帷子川が付け替えられるまでは今の駅前公園側にありました。
保土ヶ谷駅で集合後、駅前商店街を進みましたが、保土ヶ谷宿もご多分にもれず当時の面影はまったくありません。何の変哲もない道路に○○跡の立て看板があるのみ。
(左から順に)
助郷会所跡
問屋場跡
高札場跡


さらに進むと、ようやく江戸時代のものを発見しました。左下は金沢横町の道標4基。この場所は金沢・浦賀への追分に当たります。右下は本陣跡に残る本陣門。保土ヶ谷宿の本陣は北条家の家臣苅部家の子孫が代々務めました。

本陣の付近には3軒の脇本陣がありましたが、いずれも看板のみ。旅籠屋本金子屋跡の家屋はいかにも昔の旅籠屋風ですが、これは明治の建築です。

帷子川沿いに出たあたりに保土ヶ谷の一里塚(日本橋より8里)と上方見付の跡地があります。宿場の出入口には見付という土手のような構造物が設けられていて、江戸寄りを江戸見付、京寄りを上方見付といいました。右下は川の対岸に見える外川神社。

樹源寺、稲荷神社を通り過ぎ、いよいよ権太坂を上ります。
(つづく)
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