第60回お江戸オフ≪深川≫ その1
まもなく3月になるというのに、2016年の記録が終わっていません。
年末のオフは東海道には出かけず、東京を軽く歩いた後、恒例のもんじゃ忘年会になりました。ひさびさにお江戸オフの復活です。2016年12月10日、北風が強く寒い1日でした。
ちなみに、このブログに第59回オフの記録がないのは、私は途中参加で記事を書いていないため。「お江戸オフ記録帳」のこちらの記事に記録してあります。
東京メトロ東西線「門前仲町」14時集合→富岡八幡宮→三十三間堂跡碑→深川不動尊→黒船稲荷(鶴屋南北住居跡)→住吉神社→津波警告の碑(平久橋詰)→(深川ギャザリアでお茶)→洲崎神社→繁栄稲荷→「木場」駅⇒「内幸町」駅→忘年会:「近どう 新橋店」17時~
(このコースは元々、雨天で流れた新年会オフ用のもの)
<富岡八幡宮>
お江戸オフで富岡八幡宮を訪ねたのは第1回、第37回に続いて3回目。深川七福神めぐりでも参拝しているので、もうおなじみの場所です。正面の鳥居と伊能忠敬の像の写真はブログ初掲載。江戸時代の測量家・伊能忠敬は深川黒江町(現・門前仲町)に住み、測量旅行の旅立ちの際には必ず富岡八幡を参拝していたことから、平成13年にこの像が建てられました。
富岡八幡の境内にある八幡橋。元々、楓川の弾正橋として架けられた国産第一号の都内最古の鉄橋。弾正橋が廃橋となり、ここに移設されました。
<三十三間堂跡碑>
江戸時代、富岡八幡宮の東側に、京都の三十三間堂を模した三十三間堂がありました(古地図参照)。規模も本家と同じ、南北66間(約120m)、東西4間(約7m)あり、通し矢が行なわれました。明治初期に廃寺となり破却。右の浮世絵は、広重「江戸百 深川三十三間堂」。
跡地の碑がなかなか見つからずにうろうろしました。
<深川不動尊>
何度も訪れているのでウンチクは割愛。
<黒船稲荷(鶴屋南北住居跡)>
黒船稲荷は、浅草黒船町から移り住んだ住民によって建立された神社。『東海道四谷怪談』などの作者・四世鶴屋南北は晩年、黒船稲荷の境内に居を構え、75歳でこの場所にて亡くなりました。古地図を見ると、境内はかなり広かったようです。
<住吉神社>
江戸時代、この地の南方は海浜で、享保年間に佃島漁民に網干場の土地が与えられ深川佃町と呼ばれました。佃島の住吉神社より分霊して建てられたのがこの住吉神社です。
(つづく)
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