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2017/04/20

第5回 東海道踏破オフ≪戸塚~藤沢≫ その2

こちらの続き)

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 戸塚宿を出てまもなく、大坂というなだらかな坂道に入ります。江戸時代はもっと急な坂で、坂の上から見晴らしがよかったらしい。この大坂には昔の松並木の一部が残されており、旧東海道の面影をほんの少ししのぶことができます。ほかに古いものといえば、庚申塔くらい(左下)。また、少し先にお軽勘平道行碑(右下)があります。歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の名場面にちなんで建てられたもの。

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 さらに進むと右手前方に富士山が見えました。どんな時でも富士山が見えるとテンションが上がりますが、江戸時代の旅人もきっと同じ思いだったでしょうね。まもなく原宿の一里塚跡(右下)。日本橋より11里目。塚の付近に立場茶屋があったので、原宿と呼ばれるようになったそうな。我々も現代版茶屋のマックで休憩しました。

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 影取町の名残りの松(左下)を通りすぎ、影取の地名の由来となった池がある諏訪神社(右下)に手を合わせて先を急ぎました。

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 横浜市戸塚区から藤沢市に入ってまもなく、旧東海道松並木跡碑(左下)が建っています。その先から始まる遊行寺坂(別名、道場坂)の途中に遊行寺の一里塚(中)(江戸から12里目)と藤沢宿の江戸方見付跡(右下)があります。遊行寺坂は箱根駅伝の中継でお馴染みですね。

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 正式名称、清浄光寺(しょうじょうこうじ)は時宗総本山。今では通称の遊行寺のほうが知られています。時宗宗祖の一遍上人は、「南無阿弥陀仏」の念仏を集団で踊りながら唱和する踊り念仏によって極楽往生に至れる、と大衆に説いて諸国を旅したので、遊行上人と呼ばれました。初代の一遍から4代目に当たる呑海が1325年に清浄光寺を開山したと言われています。

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Img_1823 夕暮れ時で広々とした境内にはほとんど人影もなく、樹齢700年といわれる大銀杏が静かに堂々と枝を広げていました。富士山のシルエットが夕焼けに浮かんで美しかった。

 遊行寺の門前にある「ふじさわ宿交流館」という資料館は残念ながらすでに閉館していました。境川に架かる藤沢橋の近くには江の島弁財天道標や藤沢宿の案内板がありましたが、辺りはすでに薄暗く、この日の東海道歩きはここで断念しました。次回は交流館見学から始めることにします。

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 この後、JR藤沢駅まで歩いて、さいか屋内の居酒屋で乾杯しました。三条大橋まで513キロ中、51キロ踏破。ようやく1割歩いたことになります。先は長いけれど、少しずつ進んでいることは確か(笑)。この日の歩数はiPhoneの機種変更で不明ですが、2万歩は超えたようです。


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第5回 東海道踏破オフ≪戸塚~藤沢≫ その1

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   広重「東海道五拾三次之内 戸塚(元町別道)」

 先週末、箱根越えをしてきました。その前にこの第5回の記事を仕上げたかったのに、まだ後編の途中を執筆中。とりあえず前編をアップして弾みをつけます。

 2017年1月21日。
JR戸塚駅 13:30集合→お茶:原宿「マクドナルド」→宴会:藤沢さいか屋「花鳥風月」

20161112_2066 この日の記録に入る前に、広重の浮世絵「戸塚」について説明しておきます。浮世絵に描かれた橋は柏尾川に架かる吉田大橋。これは前回、戸塚駅に着く前に渡った右の橋です。タイトルの「元町別道」とは、橋のたもとから分岐していた鎌倉への道のこと。浮世絵に描かれた道標には「左かまくら道」と書いてあります。

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 この日のスタートは戸塚駅。まず、JR東海道線上の歩行者用デッキを越えます。かつてここには「開かずの踏切」として知られる大踏切がありましたが、2014年にこのデッキが完成し、翌15年には地下車道が開通しました。デッキの下に東海道の説明板が設置されています。

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 線路を越えるとまもなく「内田本陣」「脇本陣」「澤邊本陣」の跡地が続き、戸塚宿の中心部に入ります。戸塚宿は江戸から10里にあたり、1泊目の旅人や鎌倉、江ノ島の参詣客で賑わいました。『東海道中膝栗毛』の弥次・喜多も戸塚に泊っています。

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 八坂神社と富塚八幡宮。富塚(とみづか)八幡は戸塚の総鎮守で、境内に富属彦命(とつぎひこのみこと)の古墳があると伝えられ、これを「富塚」と呼んだことが「戸塚」の地名の由来とされています(別説あり)。

Img_1796 上方見付跡。江戸方見付から約2.2キロの距離。江戸時代と同じように、京に向かって左に松、右に楓の木が植えられています。


つづく


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