前の記事から2ヵ月近く経ち、明日から早10月。猛暑と豪雨の夏が終わり、爽やかな秋空が広がっています。金木犀が咲く頃から紅葉が終わるまでの時期は私の一番好きな季節。暑さ寒さに弱く、湿気は苦手で、花粉症持ちの軟弱体質ゆえ、この季節だけ活動的になれるんです(笑)。ようやくブログの更新をやる気になりました。
9月12日の第54回オフは、前回カットした中野坂上界隈から西新宿まで歩きました。
丸の内線「中野坂上」15時半集合→白玉稲荷→宝仙寺→宝仙寺三重塔跡 →中野象小屋跡→成願寺→中本一稲荷→淀橋→成子天神(富士塚)→淀橋浄水場跡碑・策の井跡・→宴会18時~「三間堂 新宿エルタワー店」
<白玉稲荷神社>
もとは宝仙寺境内にありましたが、明治の神仏分離以後、この地に分祀されました。拝殿の奥に、明治の銘が記された鳥居(右の写真)が保存されています。
<宝仙寺>
平安後期、源義家が奥州征伐の帰途、父頼義の建てた大宮八幡宮の近くに創建したと伝えられ、室町時代に現在地に移転しました。
宝仙寺は江戸時代、庶民に親しまれ、また歴代将軍の崇敬も篤く、御鷹狩りの際の休憩所に利用されました。江戸初期に境内飛び地に建立された三重塔は江戸六塔の一つ。その三重塔は第二次大戦の空襲で焼失し、かつて建っていた場所(現在の区立十中の敷地内)に石碑(右の写真)が建てられています。現在の三重塔は平成4年(1992)に再建されたもの。
三重塔の手前に写っている小山のようなものは石臼塚。この界隈はかつて蕎麦の製粉が盛んでしたが、機械化により使われなくなった石臼が放置されていることに心を痛めた宝仙寺の住職が供養のために建てました。
『江戸名所図会』の宝仙寺の項には「馴象の枯骨」について詳しく書かれています。以下、その概略。享保13年にベトナムより連れてこられた番(つが)いの象が長崎に到着後、牝象は死に、牡象は京都で従四位を賜って天覧に供し、江戸で将軍(吉宗)の上覧を受けた。その後、中野に象厩(ささや=象小屋)を建てて20年ほど飼われ、死後、骨を宝仙寺に収めた。後半には、象の大きさや鼻のしくみ、餌について説明あり。
象は当初、浜御殿(浜離宮)で飼われていましたが、飼育がたいへんなので中野の源助さんにまかされたようです。その象小屋の跡地に立て看板が立っています(朝日が丘公園の一画)。ちなみに、象の骨も戦災で焼失しました。
<成願寺>
室町時代、紀州出身の鈴木九郎が中野の地に移り住んで財を成し、この界隈に邸宅を構えて「中野長者」と呼ばれていました。九郎は一人娘の病死を嘆き悲しみ仏門に入って名を「正蓮」と改め、邸宅を寺に造りかえました。それがこの成願寺です(成願寺の公式サイトの説明)。
しかし、『江戸名所図会』によると、「一人の娘にはかに死して蛇形を顕せしが、春屋禅師の法化によつて畜身を解脱し、上天することを得たり」と書いてあります。娘が蛇女になった?!
幕末には新選組の近藤勇が妻と娘をこのお寺に預けていました。近藤勇が板橋で処刑された後、その遺体を三鷹に運ぶ途中、ここに寄ったという説もあります。
境内墓地には佐賀藩支藩の鍋島家の墓地があります。
<中本一稲荷>
かつては「高稲荷」と呼ばれて、300年の歴史があるらしい。現在の名前は旧地名の「
中野
本町通り
一丁目」から。急な石段の上に小さなお社があります。
<淀橋>
淀橋は神田川に架かる青梅街道の橋で、現在は中野区と新宿区の境界。前回のオフの
記事に書いたように、かつてはこの橋名に由来した淀橋区という区名がありました。
新宿区側にあった「淀橋の由来」という立て看板を読んで、一同びっくり! 要約すると――淀橋の名は徳川家光が名づけたと言われている。それ以前は「姿見ずの橋」などと呼ばれていたが、その理由は、中野長者が自分の財産を地中に隠す際に手伝ってくれた人を殺して神田川に投げ込んで姿が見えなくなったからだ。鷹狩りでこの地を訪れた家光はこの話を聞いて「不吉でよくない。景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるよう」と命じた。
熊野神社を勧請し、成願寺を造った中野長者は信心深い善人だとばかり思っていました。いや、この話が真実かどうかはわかりませんけどね。中野長者は周囲の人々からよく思われてなかったんでしょうね。『江戸名所図会』の娘が蛇形云々という話も然り。がめつくお金儲けをしていたのに、突然改心してお寺を造ったりして、何かあったに違いない、と噂されたのかも?
<成子天神の富士塚>
前回、成子天神を訪ねた際、この富士塚を見逃しました。高さ12m、新宿区一高い富士塚です。大正9年建造。成子天神のウンチクは前回のオフの
記事へ。
<淀橋浄水場跡碑>
前回のオフでは時間切れで探しきれなかった石碑です。新宿エルタワーの駅と反対側の入口付近にあります。淀橋浄水場の説明は
こちらの記事へ。
<策(むち)の井跡>
徳川家康が鷹狩りの帰りに策を洗ったと伝えられる井戸の跡地。浄水場碑の近くに目立たずにひっそりとあります。
この日は洪水の被害が出た大雨が上がりひさびさに晴れて蒸し暑い1日で、1万5000歩近く歩いたら結構汗をかきました。なのに、気がついたら、おでんのお鍋を注文していた! 今シーズン初のお鍋でした。
さーて、次の55回オフはちょっと遠出します。楽しい報告ができますように!
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