2016/04/05

皇居の桜 2016

 今日も今日とて曇り空。午前中まで降っていた小雨はようやく上がったようです。今夜は年に一夜限りの野川のライトアップ。どうか、もう雨が降りませんように。

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 3月31日に撮った、国立劇場前の神代曙です。この日は、皇居の近くに住む友人のお誘いでお花見に出かけ、国立劇場から半蔵濠、代官町通りを歩きました。いったん友人宅で休憩した後、千鳥ヶ淵のライトアップも見て、皇居の桜を堪能しました。咲きしぶっていた桜がどっと咲いて満開宣言が出た日。皇居の桜は5~6分咲きでしたが、夜まで暖かく、絶好のお花見日和でした。1日の違いでこうも違うとは。

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 国立劇場の駿河小町と小松乙女。国立劇場の前庭ではさくらまつりが開催中で、ほうじ茶がふるまわれていました。歌舞伎や宝塚の舞台の桜のような、紅色が混じった華やかな桜が多く、まさに春爛漫といった風情。青空を背景にした桜はやはり美しさが際立ちます。

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 半蔵門を望む半蔵濠の桜。菜の花の黄色との彩りが美しい。

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 千鳥ヶ淵の桜。満開まであと一息。

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 夜の千鳥ヶ淵。数時間のうちにまた少し開いたかも?

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 東京タワーが見える撮影スポットを友人に教わり、人波に揉まれながら必死にiphoneで撮った1枚をトリミングしました。ブレているけれど、気に入っています。

 毎日のようにこのあたりを散歩している友人のガイドで、今きれいに咲いている桜を愛で、いろいろ説明してもらったり、撮影スポットを教えてもらったり、とても有意義なお花見ができました。友人の心遣いが何より嬉しい1日でした。

 この後、九段下勤務の夫と落ち合って千鳥ヶ淵をまた逆行し、半蔵門駅まで歩きました。のべ16645歩。

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2016/02/22

五百羅漢図展 競演

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 増上寺の「狩野一信の五百羅漢図展」と森美術館の「村上隆の五百羅漢図展」をハシゴしてきました。

 増上寺の五百羅漢図展は本堂地下の宝物展示室で前期後期の入れ替え制で20幅ずつ展示されています。現在は第41幅から60幅。2011年に江戸東京博物館で全100幅が公開されたときに見学して以来の再会でした(そのときの記事はこちら)。何度見ても見飽きることがない心に深く突き刺さる絵です。

 この宝物展示室は昨年4月にオープンしたばかり。ここに常設展示されている台徳院殿霊廟(2代将軍・徳川秀忠の霊廟)の模型が素晴しい。博物館や史料館によくある模型とはレベルが違います。明治43年(1910)にロンドンで開催された日英博覧会に東京市が出品したもので、当時増上寺に存在した霊廟を10分の1のスケールで本物と同じ工程で精巧に再現してあります。博覧会閉幕後は英国王室に贈呈され、ロイヤルコレクションとして保管されてきましたが、宝物展示室オープンに際して増上寺に貸与されることになり修復復元されました。

 明治末期とはいえ、旧幕府の霊廟の模型を海外で公開したのは意外ですが、霊廟の装飾建築がそれほど優れていたということでしょう。東照宮と同じような霊廟が戦災で焼失してしまったのはつくづくもったいなく残念なことです。

 この宝物展示室と徳川家墓所が共通券で1000円だったので、墓所初参拝の夫と墓所も拝観しました。ちょうどボランティアの方のガイドが始まったところで、興味深いお話を聞けて有意義な時間でした。

Img_0910 実は、増上寺に行った一番の目的は干支の起き上がり小法師。お正月に買い損ねたので、ようやく手に入れることができました。

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 芝東照宮の隣りにこじんまりした梅林があり、見頃を迎えて芳しい香りが漂っていました。

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 満足感にひたりつつ増上寺を出て六本木ヒルズに移動しました。六本木はもうパスしようかとも思いましたが、予定通り行ってよかった! 村上隆さんの五百羅漢図、これまたすごかった! 五百羅漢図に限らず、村上ワールドは強烈なパワーを放っていて、よくわからないながらも圧倒されました。

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 村上さんの五百羅漢図は、青竜、白虎、朱雀、玄武の4つのパートに分かれていて全長100mあります。東日本大震災後にいち早く支援の手を差し伸べてくれたカタールに感謝を込めて、震災の翌年2012年にドーハで発表されました。村上さんのスタッフのほか、日本中の美大から200人以上のスタッフを募って、約1年で完成させたそうです。その資料も展示してありましたが、絵を描くというより、アニメ製作のような印象でした。そうそう、村上さんが触発されたという増上寺の五百羅漢図も2幅展示されてました。

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 斎藤工の音声ガイドがなかなかよかったです。いい声でした(笑)。いやいや、斎藤工だから借りたわけではありませんよ。ちなみに、階下の「フェルメールとレンブラント展」のほうは玉木宏。ターゲットがわかりますね。ミーハーな話で終わります。

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2016/01/14

東海七福神めぐり

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 三連休の中日10日に七福神めぐりをしてきました。今年は旧東海道品川宿の東海七福神です。七福神めぐりは本来は元旦から七草までの間に巡拝するものですが、この東海七福神のように15日までご開帳しているところもあります。

 品川宿は2009年後半に2回に分けて歩いていますが、あれから6年以上経っていることにびっくり! 今回は七福神めぐりをしながら、途中いくつかの寺社にも寄り、旧東海道を5キロ程歩きました。所要時間は約4時間(休憩含む)、1万5千歩強。その後、増上寺に行ったので、のべ2万歩以上歩きました。

 こちらの七福神めぐりは、寺社名が印刷された色紙(1000円)を買うと各寺社で無料でご朱印をいただけます。墨書きしていただくありがたさがない半面、お金がかからずスピーディーに進行できました。宝船も買い求めました。

京浜急行「新馬場」駅→①品川神社(大黒天)②養願寺(布袋尊)③一心寺(寿老人)④荏原神社(恵比寿)東海寺⑤品川寺(毘沙門天)海晏寺海雲寺鮫洲八幡⑥天祖諏訪神社(福禄寿)鈴ヶ森刑場跡・大経寺⑦磐井神社(弁財天)→「大森海岸」駅
(リンク先は過去記事)


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①品川神社(大黒天)

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 ウンチクは前回訪問時の記事へ。

Img_0772_2 好天に恵まれて、初詣客で賑わっていました。23区内最高峰の富士塚(右上の写真)に登り、ほころび始めた梅を愛で、こいつは春から縁起いいわえ。

②養願寺(布袋尊)

Img_0784Img_0783_5 こちらは初訪問。こじんまりしたお寺です。本尊は虚空蔵菩薩で「品川の虚空蔵さま」と呼ばれて親しまれてきました。

③一心寺(寿老人)

Img_0787Img_0788 幕末の安政2年(1855)に品川宿の町民たちが建立した寺で、開基は井伊直弼によると伝えられています。
 ここも初めての訪問でした。小さいお寺ながら旧東海道に面しており、成田山の提灯が目立つのに、前回は素通りしてしまった? いや、この前を通らなかったのかも。

④荏原神社(恵比寿)

Img_0791Img_0790 ウンチクはこちら



⑤品川寺(毘沙門天)

Img_0796Img_0799 ウンチクはこちら

 六地蔵を見て思いました。今年は、まだ見ぬ六地蔵、巣鴨の真性寺(前回訪問時、修復中だった)と東浅草の東禅寺(未訪問)のを見たい。
 
⑥天祖諏訪神社(福禄寿)

Img_0808Img_0806 古くは神明宮、諏訪社と称し、海に面して立会川をはさんで祀られていました。かつての浜川町、元芝地区の氏神様。

Img_0810 鈴が森処刑場跡の少し手前で「濱川神社」の石柱を発見。どうやら神社はマンションの2階部分にあるようですが、公開されていません。
 品川区による立て看板には「浜川神社は、江戸時代天明の頃に修験者・教光院了善が厄神大権現として祀ったことに始まる。明治維新後、神社となり浜川神社と称した。」と書いてありました。教光院は松本清張の『天保図録』に登場するらしい。興味深い。

⑦磐井神社(弁財天)

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 平安時代の神社名鑑にあたる「延喜式神名帳」にも記載されている古社で、鈴森八幡宮とも呼ばれていました。
 名前の由来の「磐井の井戸」が境内の前、第一京浜に面して残されています。以前はここまで境内だったらしい。万病に効く霊水で、心正しい人が飲めば真水、邪心をもつ人が飲むと塩水になるとされていました。


 以上、七福神めぐりを終えて、大森海岸駅から京浜急行(浅草線)で大門まで直行し、芝大神宮と増上寺もお参りしました。

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 芝まで行った目的は増上寺のお猿の置物でしたが、残念ながらこの時点では完売していました。入荷した頃を見計らって、またそのうち出向きたいと思います。

 ふぅ、ようやく七福神めぐりの記事を書き終えました。次は昨年の忘年会オフの記事を書かなくちゃ!

(「七福神めぐり」のカテゴリーを作りました)


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2015/12/03

豪徳寺と代官屋敷

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 きりっと晴れた師走の朔日、紅葉が見たくなって豪徳寺に行ってみました。うーん、ちょっと遅かったかな。4年前に訪ねた時、真っ赤に色づいていたモミジの木は落葉していました。まだ青い葉ばかりの木もあったけれど、そういう木はもうきれいに色づきそうにありません。全体的に今年の色づきはいまひとつなようです。

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 とはいえ、赤や黄色に彩られた境内でゆく秋を惜しみながら静かなひと時を過ごせて満足しました。このお寺の風情は好きです。あ、井伊直弼のお墓もお参りしてきましたよ。

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 世田谷線の宮の坂駅まで戻って、駅のお散歩マップを見たら、隣りの上町駅の先に代官屋敷を発見。思い立って歩くことにしました。昨年の世田谷オフに参加できなかったので、メンバーの中で私だけ行ってないんです。iphoneがあるので知らない場所も楽々歩けて便利……なはずがやっぱり迷いました。

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 世田谷代官屋敷。江戸時代の中期以降、彦根藩は世田谷に20ヶ村の飛地領地を有していましたが、その大名領の代官だった大場氏の役宅です。昭和42年に解体修理が行なわれ、江戸時代の姿が復元されました。

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 隣接した世田谷区郷土資料館もざっと見学してきました。そうそう、世田谷のボロ市はこの近くの商店街で行なわれることを知りました。ボロ市の始まりは天正時代の楽市で400数十年の歴史があるそうです。現在は12月15、16日と1月15、16日に700軒近い露店が並ぶらしい。機会があったら行ってみたいです。

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2015/06/09

島津山から池田山へ(その2)

こちらの続き)

<雉子神社>

Img_5875 創建は15世紀と言われ、大鳥明神を祀っていました。江戸時代、徳川家光が鷹狩りの途中、一羽の白いキジがこの神社に逃げ込んだのを見て、「雉子宮と称すべし」と命じ、以後「雉子ノ宮」と改称されました。

 島津山と池田山の間の高台に面した神社。かつての境内にビルが建てられ、社殿はそのビルの1階部分にあります。大きな鳥居をくぐり石段を上がると、近代的なビルの中に厳かな神社の空間があり、そのギャップに面喰いました。

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Img_5874 江戸時代まで雉子神社の別当寺だった宝塔寺が隣接していますが、現在改修中でした。






<ねむの木の庭>

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 かつて池田山にあった皇后・美智子様の生家正田邸の跡地が品川区立の公園として公開されています。この数日前に両陛下が訪問され、美智子様のお名前に因んだバラ「プリンセス・ミチコ」を観賞されたばかりでしたが、残念ながらバラはすでに剪定されていました。

Img_5778 5月半ばに生田ばら苑で撮った「プリンセス・ミチコ」の写真を貼っておきます。






<池田山公園>

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 池田山の名称は、この高台一帯に江戸時代、岡山藩池田家の下屋敷があったことに由来しています。この池田山公園はその下屋敷の奥庭の部分。高台の縁の窪み(前の記事の地形図参照)が池になっていて、その池を中心とした高低差がある回遊式庭園です。

 四方から池をのぞきこむような地形になっているので、池まで下りると木々の緑が迫ってくるような何ともいえない雰囲気でした。雨模様の夕方近くだったせいか、薄暗くて気味が悪かった。この記事に書くにあたって調べたら、パワースポットだそうです。富士山から発する龍脈の通り道らしい。

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Img_5896 白金台駅に出る途中、オープンしたてのプラチナドンキを発見! 高級住宅街の白金台仕様のドンキホーテはあの派手な色彩ではなく、白やプラチナ基調の落ち着いた外観です。この写真を撮った直後、「○○現代の者ですが、この辺りにお住まいですか?」と声をかけられたことを記念に書いておきましょう(笑)。

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2015/06/03

島津山から池田山へ(その1)清泉女子大

 清泉女子大学が本館として使っている旧島津侯爵邸を一般公開していることを知って、見学ツアーに申し込んでみました。5月29日、送っていただいた見学許可証を持参して、いざ訪問! 見学後、近くを散策しました。

五反田駅→ランチ「トラットリア・アリエッタ」→清泉女子大→宝塔寺・雉子神社→ねむの木の庭(美智子皇后の実家跡)→池田山公園→白金台駅

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 清泉女子大の敷地は江戸時代、仙台伊達藩の下屋敷として130年間使われた場所で、その後、明治6年(1873)から旧薩摩藩の島津公爵家の所有となりました。この建物は、ジョサイア・コンドルの設計によって、大正6年(1917)に落成したルネッサンス様式の洋館です。

 第二次大戦前に日本銀行に売却するまで島津家が使用し、戦後はGHQの管理下に入り、昭和29年まで駐留軍将校の宿舎として使われました。その後、清泉女子大が日銀から土地と建物を購入し、昭和37年に大学を移転し、現在に至っています。

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 学生ガイドが4~5人に1人ずつついて、詳しく説明しながら、建物内を案内してくれます。私たちの担当はこの日デビューの学生さんで、緊張しながら初々しく説明してくれました。学長室、会議室、教室などに使用する一方で、時間と手間をかけて一般公開していることに頭が下がります。建物の美しさもさることながら、大学のそんな姿勢に感銘を受けました。

 写真撮影は不可でしたが、かつてのバンケットホールは聖堂として使われ、卒業生の結婚式などに利用されているそうです。そうそう、現在放送中のテレビドラマ『天皇の料理番』のロケがあったそうですよ。どんなふうに使われているか、放映が楽しみです。

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 ロビーのお花は結婚式の名残り。ステンドグラスには丸に十の字の島津家の紋が入っています。

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 見学後、学生用のカフェで一服させていただきました。現役女子大生に混じる4人の旧女子大生の姿をご想像下さい。

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 庭園のフウの木は樹齢約200年で、仙台藩の藩邸時代には「高尾もみじ」と呼ばれていた、と説明板に記されていました。仙台藩、島津家、日銀、GHQ、清泉女子大と所有者の変遷をずっと見守ってきたんですね。

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 上の地形図を見るとわかるように、清泉女子大(島津邸)は高台にあり、この辺りは通称「島津山」と呼ばれています。島津山は広い敷地の豪奢なお屋敷が並ぶ高級住宅街で、お山の下とは雰囲気を異にしています。

 島津山を下りた一行は次のお山「池田山」を目指しました。

(続く)


*その他のコンドル設計の建物

  旧岩崎邸
  旧古河邸
  ニコライ堂
  三菱一号館(復元)


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2015/03/31

墨堤の桜 2015

 春のうららの隅田川……昨日、吾妻橋から言問橋までひとめぐりしてきました。その前に江戸博を見学し、"どぜう"ランチを堪能しましたが、まずは「季節もの」の桜の写真をアップしておきます。

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 隅田川の桜はこのブログ初登場。生まれ育った押上に近い桜の名所なのに、なんと20年以上もここの桜を愛でていませんでした。お江戸オフ三婆&special guest ロバートさんとご一緒にお花見ができて、しみじみと嬉しい1日でした。

 ちなみに、墨堤とは「隅田川の堤」のことですが、向島界隈の堤をとくにそう呼ぶようです。墨堤は江戸8代将軍吉宗の時代から桜の名所として知られています。

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 隅田公園内にある牛嶋神社。本所の総鎮守で、江戸時代は「牛の御前」と呼ばれていました。関東大震災後の護岸工事が行なわれるまで、500メートル程北の弘福寺に隣接していました。

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Img_5471 この隅田公園の場所には江戸時代、水戸徳川家の下屋敷があり、明治維新後も関東大震災で家屋が全壊するまで水戸徳川家の当主が住んでいました。明治天皇が行幸されたようで、記念の石碑が立っていました。

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 思いがけず、桜とスカイツリーのコラボ写真が撮れて一同ご満悦。途中で引き返さず、言問橋を渡って来た甲斐がありました。いや、スカイツリーは別にしても、墨田区側に渡ってこそ隅田川の桜のよさがわかるというもの。浅草に近い対岸に比べると花見客も少なめでおすすめです。

<おまけ>

 水戸徳川家つながりで、上屋敷(小石川後楽園)の枝垂れ桜の写真を貼っておきます。先週27日に訪問しました。

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2015/03/25

国立劇場の桜 2015

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 今季初めての桜だよりです。長らく更新が途絶えましたが、桜の開花とともに冬眠から覚めました。

 昨日、都心に転居した友人宅を訪ねた際、半蔵門あたりを散策しました。お濠端のソメイヨシノはまだほとんど咲いていませんでしたが、三宅坂の国立劇場の前だけ早咲きの桜が4分程度咲いて華やいでいました。

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 以下、写真の順に、花びらの先に紅色が残る華やかな「小松乙女」(最初の写真も)、白い花をつける楚々とした「駿河桜の実生」(実生:種子から生長した植物)、淡い桃色が混じった可愛らしい「神代曙」。このほか、開花前の「仙台屋」や「八重紅枝垂」など、国立劇場の前庭はさまざまな桜の花を楽しめるお花見スポットです。

 それにしても、この界隈が日々のお散歩コースとは、なんという贅沢さなんでしょう!

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小松乙女

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駿河桜の実生

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神代曙

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2015/02/05

雅叙園と庭園美術館

 東京は先週に続き、積雪の予報が出ています。今のところ、みぞれですんでいますが、これから雪に変わるんでしょうか。交通に影響が出るようなことになりませんように。こんな寒い日はブログ記事でも更新しよう。

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 この前の週末、目黒の雅叙園と庭園美術館をハシゴしました。夫が百段階段を見てみたいと言うもので。私は7年前(2、3年前のような気がする)に訪ねたことがあり、その時の記事にウンチクを書きました。今回のリーフレットに百段階段の説明書きがあったので貼っておきます。

 この時期は毎年「百段雛まつり」が行なわれているそうで、今年は第6弾、瀬戸内に伝わる雛人形が展示されています。岡山藩主から拝領した高さ80cmもある「享保雛」、檜皮葺の御殿飾り雛、鞆の浦のお雛様など、豪華な百段階段の装飾がかすむ華やかさでした。でも、古いお人形はどこか薄気味悪さも漂わせていますね。

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 その後、昨年秋に新装オープンした庭園美術館にも行ってきました。

 庭園美術館は旧朝香宮邸とその庭園(閉園中)を生かした東京都の美術館。江戸時代は高松藩松平家の下屋敷で、明治になって陸軍の火薬庫が置かれた後、皇室財産となり、昭和8年(1933)に朝香宮邸が建設されました。宮家の退去後は吉田茂の外務大臣公邸として使われ(1947~50)、その後は西武鉄道の白金プリンス迎賓館として19年、プリンスホテル本社として7年使用された後、東京都に売却され、昭和58年(1983)に都立美術館として一般公開されました。

 沿革をこんなに細かく書くつもりはなかったのに、途中26年間も西武の所有だったことを知ってびっくりしたのでつい長々と書いてしまいました。美術館のリーフレットにも、館内で放映されている美術館の説明にも、西武の「せ」の字も出てこなかったんです。どうやら、西武は白金台プリンスホテルを建設しようとしたけれど、住民の反対運動で中止になったので、都に売却したらしい。ホテルにならなくてよかった!

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 この建物の外観はシンプルですが、内部はアール・デコ様式の装飾が施されていて、ため息の出る美しさでした。朝香宮ご夫妻がパリに長期滞在していた時に1925年のパリ万博(通称:アール・デコ博覧会)を見学し感銘を受けて、帰国後に「アール・デコの館」と称されるこの邸を建設したそうです。オブジェやシャンデリア、床や壁の装飾はもちろん、送風口などの細部に至るまでアール・デコにこだわった芸術品のような邸宅です。この企画展では一部屋しか撮影できませんでしたが、いつか撮影可能な日に出かけてカメラに収めたいと思います。

 雅叙園の百段階段が完成したのが昭和10年、朝香宮邸の完成が昭和8年。装飾に凝った和と洋の建物が同じ時代にこんな近くに建てられたのは面白い偶然ですね。

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 家事などの合間に書いていたら、もう6時を過ぎてしまいました。幸い、積雪は免れたようです。


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2015/01/30

「東京駅100年の記憶」

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 東京ステーションギャラリーで開催中の「東京駅100年の記憶」を見てきました。最近までこのギャラリーの存在さえ知らなかったけれど、東京駅復元前の1988年からあったらしい。北のドーム部分(向かって左側)を利用し、赤煉瓦の壁をいかしたギャラリーで、ギャラリーそのものを見学するだけでも価値があります。

 左下の写真は館内の階段。まわりの煉瓦は創建当時のもので、合間の木材の多くが黒焦げになっています。空襲で焼けた名残りでしょうか?

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 東京駅は大正3年(1914)12月20日、新橋と上野を繋ぐ路線の中央停車場として開業しました。辰野金吾の設計によるルネッサンス風赤煉瓦造りの駅舎が6年半もの歳月をかけて建設されました。

 関東大震災ではびくともしなかった駅舎は、昭和20年5月の東京大空襲で屋根と内装のほとんどを焼失してしまいます。その応急修理として、ドームを角屋根にし、全体を2階建てにした、いわば仮駅舎が60年あまりも持ちこたえました。建て替え計画が何度も浮上しましたが、赤煉瓦駅舎保存の市民運動にも支えられ、開業当時の形態に復原して保存されることになったわけです。

 こうした歴史が写真や模型、図面、映像によってわかりやすく説明されていました。

 
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 丸の内のジオラマ。左から、1914年開業時、1964年(東京オリンピック開催年)旧駅舎、2014年復原時。東京駅がまるで、絵本の「ちいさいおうち」のようですね。東京駅を題材にした絵や写真、東京駅が登場する小説の抜粋もなかなか楽しめました。私がまず思い出すのは、松本清張の『点と線』。もちろん、展示されていましたよ。

 ついでに、昨年末の100周年記念特別ライトアップの写真を貼っておきます。東京の歴史を背負ったこの美しい建物が解体されなくて、本当によかった!

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 ところで、今日から「100周年記念Suica」購入の受付が始まりますよ。ご希望の方は申込みをお忘れなく! 公式サイト

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