2017/01/10

武蔵野吉祥七福神めぐり

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 2017年が明けて早10日。今更ではありますが、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 2010年に始めた七福神めぐりも今年で8年目。2か所巡った年もあるので、今回が10か所目になります。今年は7日に夫の実家から程近い武蔵野吉祥七福神を巡ってきました。ちなみに、武蔵野七福神というのは埼玉県にありまして、こちらは吉祥寺の吉祥が付きます。

Image1 この武蔵野吉祥七福神めぐりは地元商工会議所が主催するイベント色の高い七福神めぐりで、紙袋入り色紙セット(2000円)には、色紙のほか、バス無料乗車券、手ぬぐい、地粉うどんが入っています。6か所の寺社のうち、2つはやや遠いので、1月1日から7日まで七福神めぐり用の特別バスが運行していて、このバスを利用できるというわけ。七福神めぐりは歩いてこそと思いつつ、3回利用してしまいました。この日ののべ歩数11227歩。

井の頭線「井の頭公園」駅→①井の頭弁財天<大盛寺>⇒②杵築大社(恵比寿神)⇒③延命寺(寿老人、毘沙門天)⇒④大法禅寺(福禄寿)→⑤武蔵野八幡宮(大国様)→⑥安養寺(布袋尊)→「吉祥寺」駅
(⇒はバス利用)

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①井の頭弁財天<大盛寺>

20170107_170110_0014_2 井の頭公園の中にある弁財天。詳しいウンチクはこちらの記事へ。昔の記事を読むと、「へぇ、そうなんだ」と新鮮な気持ちで読めるほど忘れています。

 余談ながら、この日、井の頭公園はサイホーンの巣でした(笑)。

②杵築大社(恵比寿神)

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 杵築大社(きずきたいしゃ)は出雲大社の旧名。この杵築大社は、江戸初期に出雲の松江藩初代藩主・松平直正が当所を御用屋敷と定めたのが始まりとされています。高さ10mの富士塚があるから見ようと思っていたのに、すっかり忘れてしまいました。

③延命寺(寿老人、毘沙門天)

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 寛文10年(1670)、関前村の開村にあたり、神仏習合のもと、鎮守八幡神社として造立され、明治維新の神仏分離令により、延命寺と関前八幡神社(隣接)に分離されました。

④大法禅寺(福禄寿)

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 寛永10年(1634)、江戸麻布桜田町(現・六本木)に開創され、昭和7年に現地に移転しました。吉祥寺の繁華街から少し入った住宅街の中にあります。

⑤武蔵野八幡宮(大国様)

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 延暦8年(789)、坂上田村麻呂が江戸水道橋付近に創建したと伝えられます。江戸初期、水道橋付近にあった吉祥寺という名のお寺とその門前町が大火で焼失し、吉祥寺は駒込に移転(訪問時の記事)、住民は武蔵野の地に移住させられ、そこを「吉祥寺村」と名付けました。それが吉祥寺という地名の由来です。移住に際して八幡社を遷座し、吉祥寺村の鎮守として祀ったのがこの武蔵野八幡宮の始まりです。

⑥安養寺(布袋尊)

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 武蔵野八幡宮付近にはお寺が多く、安養寺、光専寺、蓮乗寺、月窓寺を総称して「四軒寺」と呼ばれています。この安養寺の開山は寛永元年(1624)ということなので、吉祥寺村の開村以前からあったようです。


 そうそう、色紙の中央の金文字、これは当たりなんですって。普通のは黒い墨字ね。賞品の入浴剤1個はともかく、酉の字が金色で幸先いい! 年女の1年、穏やかな日々でありますように。


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2016/01/14

東海七福神めぐり

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 三連休の中日10日に七福神めぐりをしてきました。今年は旧東海道品川宿の東海七福神です。七福神めぐりは本来は元旦から七草までの間に巡拝するものですが、この東海七福神のように15日までご開帳しているところもあります。

 品川宿は2009年後半に2回に分けて歩いていますが、あれから6年以上経っていることにびっくり! 今回は七福神めぐりをしながら、途中いくつかの寺社にも寄り、旧東海道を5キロ程歩きました。所要時間は約4時間(休憩含む)、1万5千歩強。その後、増上寺に行ったので、のべ2万歩以上歩きました。

 こちらの七福神めぐりは、寺社名が印刷された色紙(1000円)を買うと各寺社で無料でご朱印をいただけます。墨書きしていただくありがたさがない半面、お金がかからずスピーディーに進行できました。宝船も買い求めました。

京浜急行「新馬場」駅→①品川神社(大黒天)②養願寺(布袋尊)③一心寺(寿老人)④荏原神社(恵比寿)東海寺⑤品川寺(毘沙門天)海晏寺海雲寺鮫洲八幡⑥天祖諏訪神社(福禄寿)鈴ヶ森刑場跡・大経寺⑦磐井神社(弁財天)→「大森海岸」駅
(リンク先は過去記事)


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①品川神社(大黒天)

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 ウンチクは前回訪問時の記事へ。

Img_0772_2 好天に恵まれて、初詣客で賑わっていました。23区内最高峰の富士塚(右上の写真)に登り、ほころび始めた梅を愛で、こいつは春から縁起いいわえ。

②養願寺(布袋尊)

Img_0784Img_0783_5 こちらは初訪問。こじんまりしたお寺です。本尊は虚空蔵菩薩で「品川の虚空蔵さま」と呼ばれて親しまれてきました。

③一心寺(寿老人)

Img_0787Img_0788 幕末の安政2年(1855)に品川宿の町民たちが建立した寺で、開基は井伊直弼によると伝えられています。
 ここも初めての訪問でした。小さいお寺ながら旧東海道に面しており、成田山の提灯が目立つのに、前回は素通りしてしまった? いや、この前を通らなかったのかも。

④荏原神社(恵比寿)

Img_0791Img_0790 ウンチクはこちら



⑤品川寺(毘沙門天)

Img_0796Img_0799 ウンチクはこちら

 六地蔵を見て思いました。今年は、まだ見ぬ六地蔵、巣鴨の真性寺(前回訪問時、修復中だった)と東浅草の東禅寺(未訪問)のを見たい。
 
⑥天祖諏訪神社(福禄寿)

Img_0808Img_0806 古くは神明宮、諏訪社と称し、海に面して立会川をはさんで祀られていました。かつての浜川町、元芝地区の氏神様。

Img_0810 鈴が森処刑場跡の少し手前で「濱川神社」の石柱を発見。どうやら神社はマンションの2階部分にあるようですが、公開されていません。
 品川区による立て看板には「浜川神社は、江戸時代天明の頃に修験者・教光院了善が厄神大権現として祀ったことに始まる。明治維新後、神社となり浜川神社と称した。」と書いてありました。教光院は松本清張の『天保図録』に登場するらしい。興味深い。

⑦磐井神社(弁財天)

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 平安時代の神社名鑑にあたる「延喜式神名帳」にも記載されている古社で、鈴森八幡宮とも呼ばれていました。
 名前の由来の「磐井の井戸」が境内の前、第一京浜に面して残されています。以前はここまで境内だったらしい。万病に効く霊水で、心正しい人が飲めば真水、邪心をもつ人が飲むと塩水になるとされていました。


 以上、七福神めぐりを終えて、大森海岸駅から京浜急行(浅草線)で大門まで直行し、芝大神宮と増上寺もお参りしました。

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 芝まで行った目的は増上寺のお猿の置物でしたが、残念ながらこの時点では完売していました。入荷した頃を見計らって、またそのうち出向きたいと思います。

 ふぅ、ようやく七福神めぐりの記事を書き終えました。次は昨年の忘年会オフの記事を書かなくちゃ!

(「七福神めぐり」のカテゴリーを作りました)


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2015/01/07

新宿山ノ手七福神めぐり

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 2015年が始まりました。我が家は喪中ですが、年賀状が届かないこと以外は例年とあまり変わらないお正月でした。忌中明けなら初詣も差し支えないようなので、恒例の七福神めぐりにも出かけました。七福神のご朱印をいただかないと新年を迎えた気がしません。

 今年は4日に新宿山ノ手七福神を巡ってきました。こちらの七福神はかなり広範囲にあるうえ、配置的にも少々巡りにくいのが難点。途中で大江戸線を利用してショートカットしました。年間を通じて七福神のご朱印をいただけるせいか、巡拝客はさほど多くなく、筆書きの個性的なご朱印をあまり待たずにいただけました。目の前で書いていただけるとありがたみが違います。

 今年は穏やかな1年でありますように。皆様にとっても、よい1年でありますように。

丸ノ内線「新宿御苑前」駅→①太宗寺(布袋尊)→成覚寺→正受院→西向天神社→②法善寺(寿老人)③抜弁天厳島神社(弁財天)④永福寺(福禄寿)⑤稲荷鬼王神社(恵比寿)→大江戸線「東新宿」⇒「牛込柳町」→⑥経王寺(大黒天)→試衛館跡→⑦善国寺(毘沙門天)→JR「飯田橋」駅

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①太宗寺(布袋尊)

Img_5301Img_5299 内藤新宿の名前に残る内藤家の菩提寺。江戸六地蔵の一つが置かれています。14回お江戸オフで訪問。

<成覚寺>

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 新宿の遊女が葬られた「投げ込み寺」。遊女の霊を供養した「子供合埋碑」(写真中央)があります(宿主は遊女を子供と呼んでいた)。右の写真は、旭地蔵と恋川春町のお墓。旭地蔵は、遊女と客の心中者を供養したお地蔵様。

<正受院>

Img_5308Img_5306 成覚寺に隣接したお寺。奪衣婆像があります。奪衣婆は三途の川を渡る亡者の衣服を剥ぎ取る老婆。

<西向天神社>

Img_5311Img_5309 高台にある大久保の鎮守。社殿が大宰府の方に向かって西向きに建っているため、こう呼ばれるようになりました。富士塚があります。

②法善寺(寿老人)

Img_5313 日蓮宗において法華経を守護する女神・七面明神像が祀られています。



③抜弁天 厳島神社(弁財天)

Img_5317Img_5315 源義家が奥州征伐に向かう際、宿営して、遥か遠い厳島神社に向かって戦勝を祈願した場所といわれ、帰途にそのお礼として厳島神社を勧請したと伝えられています。

④永福寺(福禄寿)

Img_5318Img_5319_2江戸初期創建の曹洞宗寺院。



⑤稲荷鬼王神社(恵比寿)

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 江戸・天保年間に、大久保村の氏神の稲荷神と熊野から勧請した鬼王権現を合祀して、稲荷鬼王神社となりました。ここにも富士塚があります。

⑥経王寺(大黒天)

Img_5327Img_5328 こちらの大黒天は、江戸時代、「火伏せの大黒天」として信仰を集めました。

<試衛館跡>

Img_5329Img_5330 後の新選組局長・近藤勇が道場主を務めた天然理心流の道場「試衛館」があった場所。試衛館は市谷甲良屋敷(甲良氏が幕府から拝領した土地を町人に貸していた商店街)にあったと言われています。

 事前にネットで調べたら、「柳町病院の裏」ということだったので、病院横の道を入ってぐるっと回ってみましたが発見できず。再び同じ道を歩き、病院裏の路地を恐る恐る入ったところにこの標識がありました。近くに今にも壊れそうなお稲荷さんがありました。

 前々から行ってみたかった場所です。土方歳三が沖田総司が山南敬助が永倉が藤堂が…(以下略)通い、新選組が生まれるきっかけとなった場所です。なのに、この扱い。それでも、現場に立った感慨はありました。

⑦善国寺(毘沙門天)

Img_5332 江戸時代から「神楽坂の毘沙門天」として信仰されてきました。毘沙門天信仰から狛犬ではなく石虎が置かれています。29回お江戸オフで訪問。

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2014/01/09

調布七福神めぐり

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 今年はお正月休みが長かったため、5日に地元調布の七福神も巡ってみました。この七福神は京王線の仙川から6つ先の西調布まで広範囲にわたるため、全行程車で巡拝。七福神めぐりは歩いてこそと思うけれど、歩いたら1日がかりになりそうなのでね。そんな長距離のせいか、曇り空の寒い1日だったせいか、巡拝している人をあまり見かけませんでした。アピール度低し。深大寺と常性寺(調布不動)以外は初訪問で、この機会に訪ねることができて有意義だったけれど、もうひとつ盛り上がらない七福神めぐりでした。

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 以下、訪ねた順に写真だけ貼っておきます。

常性寺(布袋尊)

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昌翁寺(寿老人)

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明照院(弁財天)

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 右端の写真は、明照院に隣接する高台に鎮座する糟嶺神社。

西光寺(大黒天)

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 仁王門の横に近藤勇の座像があります(右端)。調布出身の近藤勇は、鳥羽伏見の戦いに敗れた後、甲陽鎮撫隊を編成して甲府に向かう際、この寺で休息したとのこと。

<布多天神>

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大正寺(恵比寿)

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祇園寺(福禄寿)

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深大寺(毘沙門天)

Img_4464Img_4467_2 平安時代作の毘沙門天像は、白鳳仏とともに釈迦堂に安置されています。


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2014/01/06

亀戸七福神めぐり

 あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 2014年が平和で明るい1年でありますように。
 亀戸七福神の福が皆様のもとに届きますように。

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 今年も恒例の七福神めぐりの記事から始めます。日本橋山手(目黒)隅田川谷中深川と有名どころをめぐり終え、今年は少しローカル少しマイナーな亀戸七福神を回ってきました。実家のある押上から歩いて回れるという理由。混んでいなかったのでご朱印をいただく順番待ちがほとんどなく、約3時間1万歩弱で押上に戻ってこられました。色紙400円、手書きのご朱印各300円。どこも『江戸名所図会』に載っている寺社ですが、亀戸一帯は戦災で焼けたため、古い建物は残っておらず風情のない建物ばかりなのが惜しまれます。

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 以下、押上から回ったため、亀戸駅起点の一般的な回り方とは違います。

押上→柳島妙見堂→①天祖神社(福禄寿)→梅屋敷跡→②香取神社(恵比寿神・大黒神)→③常光寺(寿老人)→石井神社→④東覚寺(弁財天)→⑤普門院(毘沙門天)→亀戸天神→⑥龍眼寺(布袋尊)→押上

<柳島妙見堂>

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 まず、柳島橋の西詰(墨田区側)にある柳島妙見堂に寄りました。この写真は柳島橋を渡った江東区亀戸側から妙見様を撮ったもの。修繕中のマンションの1階に本堂が入っています。ウンチクなどは以前訪ねたときの記事参照。ご朱印をいただき、甘酒をふるまっていただき、いざ七福神めぐりのスタート!

天祖神社(福禄寿)

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 室町時代に⑥の龍眼寺とともに創建されたと伝えられ、古くは神明宮と呼ばれた柳島の総鎮守。境内にある太郎稲荷(右端の写真)は江戸時代に筑後立花家下屋敷(浅草田圃)にあったお稲荷さんの分社のようです(太郎稲荷は第6回江戸検定で出題されたので気になって調べました)。

<梅屋敷跡>

Img_4395Umeyashiki_3 広重の『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』に描かれた梅屋敷があった場所。とりわけ「臥龍梅」で有名でした。明治末期の大雨で浸水してすべての梅が枯れ、廃園になった、と立て看板に記されています。
 このあたりは江戸から明治にかけて、花や緑が多い風流な場所だったんですね。今はまったく面影がなくて残念!


香取神社(恵比寿神・大黒神)

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 亀戸が亀島という島だった頃からの古社で、江東区最古の神社。亀戸の総鎮守。

常光寺(寿老人)

Img_4406Img_4403 本尊の阿弥陀仏は江戸六阿弥陀の六番。境内には六阿弥陀を示す江戸初期の道標があります。


<石井神社>

Img_4408_2 民家の狭間にある小さな神社。俗に「おしゃもじ稲荷」といわれ、咳の病を治す神として信仰されてきました。

東覚寺(弁財天)

Img_4410Img_4412 室町時代の創立。不動明王が祀られ、亀戸不動ともいわれました。

普門院(毘沙門天)

Img_4414Img_4413_2 室町時代に橋場(現・台東区)に創建され、江戸初期に現在地に移りました。その際、誤って梵鐘を隅田川に沈め、鐘ヶ淵の地名の由来になったといわれています。
 木々が生い茂るにまかせた鬱蒼かつ雑然とした境内が印象的。『野菊の墓』を書いた伊藤左千夫の墓がありますが、見逃しました。

<亀戸天神>

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 ほっておいても初詣客が集まる亀戸天神は亀戸七福神には入っていません。この日も参拝の順番待ちの列が太鼓橋、鳥居から参道を越え、蔵前橋通りまで延々と続いていたため、本堂の横で手を合わせただけで失礼しました。
 くずもちの船橋屋も長蛇の列。一休みしたいところでしたが、ぐっと堪えて先を急ぎました。

龍眼寺(布袋尊)

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 室町時代の創建。江戸時代には「萩寺」と呼ばれ、秋には百種もの萩を愛でる文人墨客で賑わいました。
 ここの萩も水害で駄目になってしまったのでしょうか? 萩寺にちなんで境内には小さな萩のトンネルがあるほか、池には鯉が泳ぎ、小奇麗に整備されています。


Img_4427 最後にお約束の(?)スカイツリーの写真。ソラマチは予想通りごった返していましたが、早めに出かけて何とか待たずにレストランに入れました。11月から3回続けて銀座アスター。この日のライトアップは紫色の「冬雅」。紫のツリーを間近で見たのは初めてでした。

 七福神めぐりは楽しいけれど、お正月の実家訪問はぐったりくたびれます。このぐったり感、毎年ひどくなるようで……。おっと、新年早々、ぼやいてはいけませんね。今日から日常に戻って、また1年頑張ろう。

 
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2013/01/07

深川七福神めぐり

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 皆様にとって2013年が希望に満ちた年になりますように。

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 今年も七福神めぐりの記事からスタートします。2日の実家訪問の前に深川七福神を回ってきました。毎年のことながら、実にせわしい七福神めぐり! 9時半ごろ家を出て、いったん車を押上の実家近くに駐車して、地下鉄で門前仲町に向かったのが11時前。清澄白河から押上に戻ったのが3時過ぎなので、正味3時間半程でした。もちろん休憩はなしです。当初、車を森下近辺に置くつもりでしたが、スカイツリーの人出を考えると早く押上に駐車したほうがよさそうに思って回り道しました。

 こちらの七福神の色紙はあらかじめ寺社名が印刷してあり、その上にご朱印を押していただくだけなので、ご朱印をいただく時間がさほどかかりません。そして、安い(色紙1000円、ご朱印各100円)。谷中隅田川山手(目黒)のように目の前で筆で書いていただくほうがありがたみがあるけれど、これもありかなと思いました。

 初っ端の深川不動と富岡八幡宮はたいへんな人出で、ここだけで小1時間かかりましたが、あとは数分から10分以内の順番待ちで詣でることができました。コースの途中には採茶庵、間宮林蔵のお墓などの史跡があり、また時間にゆとりがあれば、清澄庭園、江戸資料館、芭蕉記念館にも寄ることができるので、深川を満喫するコースと言えそうです。ご開帳は1月15日までなので、今度の3連休にいかがでしょう?

門前仲町駅→深川不動→①富岡八幡宮(恵比寿神)→②冬木弁天堂(弁財天)→深川えんま堂→③心行寺(福禄寿)→採茶庵跡→④円珠院(大黒天)→間宮林蔵の墓→⑤龍光院(毘沙門天)→阿茶局のお墓(雲光院)→霊巌寺→⑥深川稲荷(布袋尊)→万年橋→芭蕉稲荷→⑦深川神明宮(寿老神)→清澄白河駅

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<深川不動>

Img_2975 深川不動、富岡八幡宮の詳細は、昨秋の深川オフの記事参照。
 不動尊、八幡宮周辺は狭い参道に屋台が立ち並び、参拝客が列をなし、ごった返していました。日本人は日頃たいして信心深くないのに、新年を迎えると神仏に祈りたくなるようです。子供からお年寄りまで寒空の下で辛抱強く並んでいました。

富岡八幡宮(恵比寿神)

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 恵比寿様は深川不動寄りの小さな社に祀られています。
 前回見逃した横綱力士碑を見かけました。富岡八幡宮は江戸時代に初めて勧進相撲が行われた場所です。

冬木弁天堂(弁財天)

Img_2980Img_2981 江戸時代、木場の材木豪商・冬木氏が邸内に安置した弁財天に由来しています。この弁財天は関東大震災で焼失しましたが、昭和28年に現在の弁天堂が再建されました。右の写真は、弁天様の神使、へびの祠。
 ちなみに、この辺りの地名はいまなお「冬木」。

心行寺(福禄寿)

Img_2984Img_2983_2 江戸初期に京橋より移転した、岩国城主・吉川氏ゆかりの寺。関東大震災と戦災で2度にわたって焼失後、再建されました。

<採茶庵跡・芭蕉稲荷>

Img_2985 採茶庵(さいとあん)とは、松尾芭蕉の門人・杉山杉風の別宅で、芭蕉が奥の細道の旅に出た場所です。芭蕉はそれまで住んでいた隅田川の畔の芭蕉庵を引き払った後、旅立ちまでしばらくこの採茶庵に逗留。ここから船に乗り、仙台堀から隅田川に出て千住まで遡って、千住から歩き始めました(千住オフの記事参照)。

Img_3006Img_3009 採茶庵から歩いて10分程の芭蕉庵の跡には芭蕉稲荷が建っており、近くの隅田川沿いに芭蕉記念館分館の小さな庭園があります。ここからの眺めが気持ちいい!

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円珠院(大黒天)

Img_2986 江戸享保年間の創立で、江戸時代から深川の大黒天として有名でした。

Img_2987 このあたりにはやや大きい浄心寺をはじめ、小規模なお寺がたくさんあります。戦災後の建築ばかりですが、その中で浄心寺の古い石灯籠に目を奪われました。

<間宮林蔵のお墓>

Img_2988_3 浄心寺の近く、民家と民家のはざまに立っています。
 間宮林蔵は伊能忠敬に測量を学び、幕府の命により北地探検と測量に従事して、「間宮海峡」を発見しました。晩年は不遇で深川でひっそり亡くなったそうです。

龍光院(毘沙門天)

Img_2989 江戸慶長年間に馬喰町に創立後、大火による焼失・移転を2度経て、深川の現在地に移転しました。その際、鬼門除けに毘沙門天が安置されました。

<阿茶局のお墓>

Img_2990 徳川家康の側室、阿茶局のお墓。お寺の名「雲光院」は阿茶局の法号です。



深川稲荷(布袋尊)

Img_2994_2 江戸寛永年間の創立。西大稲荷という別称は、旧地名の深川西大工町に由来しています。



<万年橋>

 小名木川にかかる最初の橋。広重の江戸百の『深川万年橋』が印象的で、一度渡ってみたいと思っていました。今は富士山が見えるわけもなく、ただの橋です。

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深川神明宮(寿老神)

Img_3013Img_3011 深川最古の神社。江戸幕府開府以前に家康が摂津(大阪)の深川氏にこのあたりを開拓させた際、深川氏が鎮守の宮として伊勢皇大神宮を勧請して創建しました。深川という地名はこの深川氏に由来しています。


 ふぅ……回るよりまとめるほうがたいへんです。今年最初の記事なので、なるべく手抜きしないで書いてみました。

 最後は、しつこくもスカイツリー。これで当分は出ないはずです。七福神めぐりの後、予約なしにソラマチ31階のレストランに行ったら、次のお客の予約時間までの隙に何とか入店できましたが、お正月特別料金でたいへん高うございました。お味はそれなりなのに。ま、スカイツリーが迎える最初のお正月だからご祝儀ご祝儀。それにしても、私が押上に行くといつもブルーなのは何故?!

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七福神めぐり, 江戸・東京 | | コメント (8) | トラックバック (0)

2012/01/06

谷中七福神めぐり

 あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 2012年は明るく穏やかな1年でありますように。
 谷中七福神の福が皆様のもとに届きますように。

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 一昨年から我が家の恒例行事になった七福神めぐり、今年も行ってきました。今年は「江戸最古」という谷中七福神。2日の実家訪問の前にあわただしく休憩なしで回りました。ご朱印をいただく待ち時間を含めて、のべ3時間半あまり。万歩計を忘れたけれど、5キロ以上歩いたはずです。 ここのご朱印は七福神の絵が描かれた和紙にいただくのが正式ですが、我が家は色紙にしました。色紙500円、ご朱印各300円。

 初めて回った日本橋七福神は都心、目黒は山の手、隅田川は下町、そして谷中は昔ながらの風情が残った寺町とそれぞれ雰囲気が異なり、それぞれのよさがあります。昭和の匂いが漂う谷中を歩き、広大な谷中霊園を横切り、上野動物園の狭間を通り、変化に富んだ道のりでした。谷中の七福神様は「江戸最古」のキャッチフレーズにふさわしく威厳のあるお姿が多い印象でした。

 七福神のご利益をいただけて、ご朱印集めは楽しく、街歩きは面白い。ますます七福神めぐりの魅力にはまりました。ご開帳期間のうちにもっと回りたい気もしますが、また来年のお正月のお楽しみとしましょう。

JR田端駅→①東覚寺(福禄寿)→②青雲寺(恵比寿)→③修性院(布袋尊)→④長安寺(寿老人)→⑤天王寺(毘沙門天)→⑥護国院(大黒天)→⑦不忍池弁天堂(弁財天)→上野駅
(下の地図とは逆に歩きました)

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東覚寺(福禄寿)

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 室町時代に創建されたお寺で、福禄寿は近くにあったお寺から明治時代に遷座されました。
 不動堂前の仁王像(写真左)は江戸寛永年間(1641)に建てられたもので、赤紙仁王尊と呼ばれ、赤紙を自分の患部と同じ場所に貼って病気の治癒をお願いします。お線香2本と赤紙2枚が1セットで200円。私も胃のあたりに赤紙を貼ってきました。本堂の裏手には傾斜を利用したこじんまりとした庭園もあり、なかなかユニークなお寺です。

青雲寺(恵比寿)

Img_0998Img_0997 佐倉藩主堀田氏が創建に関わった禅寺で、修性院とともに花見寺と呼ばれていました。江戸時代に「ひぐらしのさと」と呼ばれた日暮里周辺には月見寺や雪見寺もあり、雪月花の景勝地でした。
 文化7年(1810)に建てられた滝沢馬琴の筆塚(写真右)があります。

修性院(布袋尊)

Img_1001Img_1000 身延山久遠寺系の日蓮宗の寺で、天正年間に石神井に創建され、寛文3年(1663)に現在地に移転されました。花見寺の一つで、その中でも随一の花見客で賑わったといいます。
 布袋像はどっしりとした大きなもので、寺を囲む塀には微笑ましい布袋様の絵が描かれています。

長安寺(寿老人)

Img_1011Img_1010 寿老人像を安置した長安軒という小さなお堂がこの寺の基で、寛文9年(1669)、老山和尚が長安寺を開創しました。それより400年も前の年号が刻まれた板碑が残されています。

天王寺(毘沙門天)

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(左から、本堂、毘沙門堂、五重塔跡)

 鎌倉後期に日蓮聖人の弟子が開創、元禄12年(1699)天台宗に改宗。天保4年に天王寺と改称されるまで感応寺といい、江戸三富の一つとして(他は、湯島天神、目黒不動)賑わいました。広大な伽藍は幕末の上野戦争で灰燼に帰し、明治初期に寺域の大半が都営の谷中霊園になりました。上野戦争で焼け残った五重塔は昭和32年(1957)、心中による放火で焼失しました。
 毘沙門天は比叡山から移された、伝教大師作といわれるもの。
 歴史あるお寺ですが、現在の本堂などは新しく建てられたものでかつての面影はまったくありません。残念!

徳川慶喜墓所

 七福神とは関係ありませんが、ぜひ記録しておきたい!

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 「私は前に見たからいい」と言ったんですが、夫が行きたがって再訪しました。そうしたら、なんと、オフのとき見たものとは違う? 前回見たのはお隣りの一橋家のお墓だったようです。薄気味悪くてよく見てなかったんですね。
 これが正真正銘の徳川慶喜のお墓。美賀子夫人のお墓と並んでいます。神式の円墳。慶喜は自分の葬儀を神式で行うように遺言したそうです。

護国院(大黒天)

Img_1028Img_1024 寛永寺を創建した天海僧正の弟子・生順が開創し、その後数回の移転を経て現在地に至っています。本堂は享保7年(1722)に再建されたもの。大黒天は像と画像があり、画像は徳川家光から贈られたものと伝えられています。
 上野戦争や第二次大戦で焼失を免れた本堂は300年近い歴史の重みを感じました。

不忍池弁天堂(弁財天)

Img_1030Img_1031 寛永寺建立の際、不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島に似せた中の島を築いて弁財天が祀られました。当時のお堂は昭和20年の東京大空襲で焼失し、昭和33年に現在の建物が再建されました。
 弁天堂のまわりにはふぐ供養碑、包丁塚、めがねの碑、鳥塚など、たくさんの石碑が建っています。

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2011/01/06

隅田川七福神めぐり

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 前の記事に書いたように、2日に隅田川七福神めぐり(公式サイト)をしてきました。押上の実家に行く前にまわるため、お正月にしては早起きして9時に車で出発。10時過ぎに実家の近くのコインパーキングに駐車して、スカイツリーを見物がてら業平橋駅まで歩き、東武線で鐘ヶ淵まで移動して歩き始めました。

鐘ヶ淵駅→①多聞寺→(木母寺、隅田川神社)→②白髭神社→③向島百花園→④長命寺→⑤弘福寺→⑥三囲神社→押上

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 3年前にお江戸オフで歩いたコースと同じです。今回はご開帳中なのでご朱印とご分体をいただいてきました。ご朱印@500円、ご分体@400円、色紙200円、宝船1000円……正直かなりの出費です。ここのご神体は黒いので華やかさに欠けますね。などと文句を言っては罰が当たります。各寺社にはスタンプが用意してあるので、色紙にスタンプを集めるとお手軽な参拝土産になりそうです。

 思ったより多くの人が七福神めぐりをしていて、どこも参拝客の列ができていたため、4時間近くかかりました。お天気もよく、スカイツリーを見ながらの新年の散策はとても気持ちよかったです。途中、きび団子を立ち食いし、長命寺の桜餅を食べながら一服し、じまん草餅を買い求め、お口もお腹も大満足。例年は七草までですが、今年は三連休までご開帳されているので、皆様もいかがですか?

 隅田川七福神の歴史は古く、江戸末期に百花園が開園した後、そこに集う文人墨客が考えたと伝えられています。安政の大地震以後いったん途絶え、明治32年に復活しました。前回オフの時の記事は手抜きなので、以下簡単にご紹介します。

多聞寺(毘沙門天)
006008 本尊が毘沙門天(多聞天)でお寺の名前もそこから。関東大震災にも戦災にも遭わなかったので、茅葺の山門や本堂などは昔の面影を残しています。狸塚があり、「たぬき寺」とも呼ばれています。

白髭神社(寿老神)
018020 主祭神の猿田彦命は千客万来・商売繁盛・交通安全などの神様。隅田川七福神を考えた文人たちは寿老人を見つけられず、白髭明神=白い髭の神から寿老神に当てたと言われています。

向島百花園(福禄寿尊)
021023 文化元年(1804)に骨董商・佐原鞠塢が造った庭園。当初は梅の木が主体で、亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と言われていました。百花園の名は酒井抱一の命名。福禄寿尊像は佐原鞠塢が本草の神として信仰していたものです。

長命寺(弁財天)
026 3代将軍徳川家光は鷹狩りの途中で腹痛を起こし、このお寺の井戸水で薬を飲んだらすぐに治ったので、井戸水を「長命水」と命名しました。そこで、寺名も「長命寺」と改められました。弁財天は河(水)の神。このお寺の弁財天は琵琶湖竹生島の弁財天の分身です。
 門前の「長命寺桜もち 山本や」は創業1717年の老舗で、初代が考案した桜餅を今も売り続けています。

弘福寺(布袋尊)
028 中国風の建物が目を引く黄檗宗の禅寺。布袋尊は七福神の中でただ一人実在した中国の禅僧で、弥勒菩薩の化身と言われています。境内に祀られている咳の爺婆尊像は風邪除けの信仰を集めています。

三囲神社(大國神、恵比寿神)
030032 「みめぐり」神社と読みます。14世紀半ば、三井寺の僧が荒れた祠を再建した時、出土した神像のまわりを白狐が3回回ったことから「三囲」の名が付いたとされています。三囲の名にあやかって、越後屋の三井家が守護神としており、大國・恵比寿も元は越後屋に祀られていたもの。紫の幕に「三越」の名が入っているのも納得です。本殿は震災、戦災を免れた安政の建築。

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木母寺の蝋梅、隅田川神社の白梅

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2010/01/12

山手七福神めぐり

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 三連休にまた七福神めぐりに出かけました。不況ゆえかゴルフのお誘いもなく暇そうな夫を連れ出して……。今回は「江戸最初」という触れ込みの元祖山手七福神。確か「江戸最古」は谷中七福神と聞いていたけれど、最初と最古はどちらが先? ま、どっちでもいいけど(笑)。ちなみに、「元祖」に対して、「新宿」山手七福神というのもあります。

 私は七福神ダルマだけでよかったんですが、夫が御朱印も欲しいと言い張りまして、ご覧の通り両方いただいてきました。御朱印をいただくのは初めてでしたが、お寺の名前や日付を筆で書いてくださるので有難みがあります。御朱印300円、ダルマ500円、かなりの出費ではあります。ダルマはおみくじ入りで、その内訳は大吉3、吉1、中吉1、小吉2でした。

 コースは、東急目黒線「不動前」駅から①目黒不動、②蟠龍寺、③大円寺、④妙円寺、⑤瑞聖寺、⑥覚林寺の順に回って、南北線の「白金高輪」駅まで歩きました。妙円寺に神様が二人いるので6つです。お寺でいただいたチラシによると、この回り方は「商売繁盛祈願」、逆回りは「無病息災、長寿祈願」だそう。後から知りました。

 こちらの七福神は日本橋とは逆で、すべてがお寺さん。目黒や白金に古くからある由緒あるお寺ばかりです。目黒不動と大円寺は2008年3月のお江戸オフ以来、ほかは初めて詣でました。目黒不動と五百羅漢寺(七福神ではないけれど寄った)で小一時間かかったので、休憩30分を含めてのべ4時間半位でした。御朱印をいただくのに少々時間がかかったお寺もあり。

Map

目黒不動<瀧泉寺>(恵比寿神)
Img_1941Img_1952 西暦808年創建の古い寺院で、1624年に3代将軍徳川家光が本堂を再建後、徳川幕府の庇護を受けて繁栄しました。江戸時代には庶民の行楽地として親しまれました。
 恵比寿様は仁王門横の弁天堂(写真右)に祀られています。

蟠龍寺<岩屋弁天>(弁財天)
Img_1955Img_1954 1709年、行人坂付近にあった称明院がこの地に移転、改名して再建されました。ご本尊は阿弥陀如来。弁天様は岩窟内に安置され「岩屋弁天」と呼ばれています(写真右)。
 美人・美肌にご利益がある「おしろい地蔵」があるそうですが、何てこった、お参りしそびれました。

大円寺(大黒天)
Img_1958 江戸初期に建てられた大日如来堂に始まると伝えられています。江戸の三大火の一つ、行人坂の火事の火元と言われ、その大火の犠牲者を弔う五百羅漢の石像が並んでいます。本堂に安置されている大黒天は江戸三大大黒天の一つ。

妙円寺(福禄寿尊・寿老人尊)
Img_1964Img_1963 妙見大菩薩をご本尊として、江戸初期に開かれたお寺で、「白金の妙見様」として親しまれてきました。
 七福神めぐりの中間にあるせいか、参拝者が集中して、御朱印をいただくのに時間がかかりました。雑然とした中で淡々と筆を走らせる若いご住職(?)に感服。

瑞聖寺(布袋尊)
Img_1965 1670年に江戸で最初に建立された黄檗宗の寺院。仏殿は1757年の再建と推定され、昭和末期に4年にわたる解体修理が行なわれました。品川寺の鐘などと共に、このお寺の半鐘がジュネーブで発見されました。

覚林寺(毘沙門天)
Img_1972Img_1969 加藤清正の位牌や像を安置していることから、「白金の清正公(せいしょうこう)さん」と呼ばれています。加藤清正が朝鮮出兵から帰国した際、連れ帰った王族の子が長じて出家し、熊本藩の中屋敷だったこの土地に開山しました。清正公堂(本堂)は1865年再建の権現造り。

Img_1961 休憩は庭園美術館のカフェ「茶洒」にて。料亭「金田中」が手がける和風カフェです。 白玉とコーヒー!(お抹茶もあったらしい)をいただきました。美味しかった! 庭園を散策したかったけれど、先を急ぐため、お茶のみ。次回はゆっくり美術館鑑賞と庭園散策、そしてこちらでお食事をしたいです。

 ほかにも少し寄り道したので、いつかご披露するつもりです。思えば、品川も日本橋もまだ完結していないのだった(大汗)。ま、のんびりまいります。よろしかったら、お付き合いくださいませ。

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2010/01/07

日本橋七福神めぐり

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 昨日、日本橋七福神を巡ってきました。七福神めぐりは一昨年のお江戸オフで隅田川七福神を回って以来2度目。今回は正式に新年の七草までに出かけてご神像をいただいてきました。ご神像一体300円、宝船1600円也! ま、縁起物ですからね。

 七福神がある人形町、小伝馬町界隈は15年程通勤していた場所で土地勘があるので、一人でも平ちゃらと思いきや、やはりウロウロしました。日本橋七福神は全て神社ですが、水天宮以外は街中の小さなお宮さんなのでかなり見つけにくい。でも、そのウロウロが楽しかった! 昔歩いた道をひさしぶりに歩いたら、当時の自分に戻ったような気がして背筋が伸びました。多少は変わっているものの、人形町のよさがまだ残っているのは嬉しいかぎり。

 コースは下の地図とは逆に、①寶田恵比寿神社、②椙森神社、③笠間稲荷神社、④末廣神社、⑤松島神社、⑥水天宮、⑦茶の木神社、⑧小網神社の順に回りました。そう、七福神なのに8社あって、①と②は同じ恵比寿様です(①寶田恵比寿はご神像配布なし)。以下、写真と簡単な説明をしておきます。

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寶田恵比寿神社(恵比寿神)
Img_1912 もとは今の皇居前にあった寶田村の鎮守でしたが、江戸初期の江戸城拡張に際して村人と共にこの地に移されました。10月19、20日の恵比寿講はべったら市として有名。

椙森神社(恵比寿神)
Img_1913 水天宮以外で唯一、狭いながらも境内らしい境内を持つ神社。江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、江戸名所図会にも載っています。富札興行を記念した富塚碑があります。

笠間稲荷神社(寿老神)
Img_1919  江戸末期、常陸の笠間稲荷神社より分霊して、笠間藩主牧野家の下屋敷に建てられた神社。

末廣神社(毘沙門天)
Img_1920 江戸初期に吉原がこの地にあった当時、その地主神、産土神として信仰されました。ちなみに、現在も残る「大門通り」の大門は旧吉原の大門のこと。

松島神社(大国神)
Img_1922 この辺りが海洲だった頃、松の茂る島にあった祠を松島稲荷と言っていたのが始まり。旧地名の松島町は稲荷の名からつけられました。現在はビルの1階にあります。別名、大鳥神社で11月には酉の市が行なわれます。

水天宮(弁財天)
Img_1925Img_1924  福岡県久留米市にある久留米水天宮の分社。江戸中期に久留米藩主の有馬家が三田の上屋敷に分霊を勧請したのが始まりで、明治に入り有馬家の中屋敷があった今の場所に移転されました。
 肝心の弁財天(写真右)は水天宮の境内に祀られていて、水天宮とは直接関係ありません。
  

茶の木神社(布袋尊)
Img_1926 江戸時代、この地は佐倉藩堀田家の中屋敷でその守護神として祀られていました。社の周囲に茶の木が巡らされていたため、この名がついたとされています。
 ところが、この由来は信憑性が乏しいようです。ここに堀田家の中屋敷があったことは確認されていません。

小網神社(福禄寿・弁財天)
Img_1932 約550年前に創建された古社で、地名の小網町も旧名の小網稲荷から付けられました。現在の社殿は昭和初期に再建されたもの。東京銭洗い弁天としても有名です。11月には奇祭どぶろく祭りが行なわれます。

 こうして調べてみると、七福神というのはほとんどこじつけのようですね(笑)。とは言え、新年に神仏を詣でるのはやはり気持ちがよく、物見遊山気分も満喫できて、七福神めぐりが気に入りました。ほかの七福神もぜひ歩いてみたい!

 もちろん、おみやげも買ってきましたよ。「壽堂」の「黄金芋」という焼き芋もどきの和菓子。多めにまぶしたニッキの香りがたまりません。昨日も道路の反対側を歩いていたらニッキの香りが漂ってきて、思わず引き寄せられました。店構えもいい雰囲気でしょ? 本当は「柳屋」のたい焼きも買ってきたかったんですが、30分待ちということで泣く泣くあきらめました。

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 七福神めぐりのほかにも少々歩いたので、次の記事に続けます(こちらの記事)。そうそう、東野圭吾の『新参者』に出てきたお店のモデルになったお店の写真も撮ってきたので、『新参者』の記事に貼っておきます。ほかにもいろいろ思い当たるお店が見つかりました。


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