2017/09/12

第6回 東海道踏破オフ≪箱根越え≫ その5

こちらの続き)

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 箱根峠のバス停から山中城跡までバスで移動しました。バスだとほんの7分程。バス停の近くの旧東海道を少し歩いて、旧道歩きの気分を少し味わいました。

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 山中城は16世紀に北条氏が築城した城で、小田原城の支城の一つ。北条氏の滅亡により廃城になったため、北条氏独特の城郭の構造を残しています。三島市が1970年代から公園として整備改修し、日本100名城にも選定されました。

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 起伏に富んだ広大な敷地に「障子堀」や「畝堀」など特徴的な堀が残されています。石垣はなく、空堀や土塁など土だけの山城は珍しいらしい。桜越しに富士山を眺められて、何枚も同じような写真を撮りました。

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 再びバスに乗って、三島大吊橋「スカイウォーク」で下車。三島スカイウォークは観光目的で造られた全長400mの日本一長い歩行者専用の吊り橋で、平成27年末にオープンしました。上の歪んだパノラマ写真は吊り橋全体と富士山を1枚に収めたもの。

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 大勢の人が行き来するため、吊り橋の中程はギーギー音を立てながらかなり揺れました。しっかりした建造物なので怖くはありませんが、何となく心細い感じ。雪を頂く富士山を飽きるほど眺められて満足しました。


(つづく)

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2017/09/06

第6回 東海道踏破オフ≪箱根越え≫ その4

こちらの続き)

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 この日のお宿は、関所から程近い夕霧荘。旅館の方のおもてなしの心が気持ちよく、お料理も美味しく、コストパフォーマンス良好な旅館でした。箱根駅伝のゴールに近いので、駅伝の際は関係者の定宿だそうです。

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 4月16日は朝から雲ひとつない快晴! 朝食前に芦ノ湖までお散歩しました。下の写真は、箱根駅伝の記念碑とゴールのポール。

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 9時前に夕霧荘を後にして、三島を目指して歩き始めました。ところがスタート直後、箱根峠までの道をうっかり間違え、旧道に入らずに東海道の車道を歩いてしまいました。左下の道が私たちが歩いた道。途中、見晴らし台もありました。右下が、本来歩くべき挟石坂。図らずもだいぶ楽をしてしまったようです(笑)。

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Img_0191_2 箱根峠のバス停で踏破組の4人(写真の右奥)と別れて、ゆれいさんとバスに乗りました。前日の疲労が残る脚で三島までの道を下る自信がなかったので、残念ながら別行動です。

つづく

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2017/08/02

第6回 東海道踏破オフ≪箱根越え≫ その3

こちらの続き)

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 畑宿一里塚の先から見晴らし茶屋までは最も険しい難所で、旧東海道は七曲りと呼ばれるつづら折りの県道と大きく湾曲する箱根新道と絡み合うように上がっていきます。西海子坂の急坂、橿の木坂の急階段、思い出すのもつらい。私は常にしんがりなので、メンバーの後ろ姿の写真しかありません。

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 さらに、猿も滑るほどの坂という猿滑坂の階段を上がり、追込坂を登りきると甘酒茶屋に出ました。あっつい甘酒を飲みながら、しばしの休憩。芦ノ湖までもう一息です。

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 「あとは下りだけ」と聞いたような気がしましたが、まだまだ上りが続きました。箱根馬子唄の碑を越えたあたりで眺望が開け芦ノ湖が見えてようやく下り坂にかかります。雨がぽつぽつ落ちてきて、一同レインウエアを羽織って足早に進みました。本降りになる前に芦ノ湖に出たい。急げ急げ。

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 関所破りで処刑されたお玉を供養するお玉観音堂の鳥居を通過。お玉が入水したというお玉が池が近くにあるけれど、寄る余裕はなく先を急ぎました。箱根の美しさを世界に紹介したケンペルとバーニーの碑を過ぎるとまもなく旧道の終点、興福寺に到着しました。

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 芦ノ湖畔に出たら雨は上がり、雲がだんだん切れて青空が見え始めました。けれども、道はまだ続きます。国道と杉並木の旧道をさらに30分弱歩きました。もうへとへとでしたが、平坦な道だから踏ん張りました。下中央の写真は、一里塚跡。日本橋から24里目です。

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 そして、ついに関所到着! 左下の写真のタイムスタンプは15:43。10時過ぎに箱根湯本駅を出てから、昼食、休憩を含めておよそ5時間半かかりました。私がだいぶ足を引っ張りましたが、なんとか予定時間内に歩ききりました。やったね! ひさしぶりに訪ねた関所は立派に改装され、関所らしくなっていました。平成19年(2007)に完全復元されたようです。

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 遠見番所がある高台から眺めた関所と芦ノ湖。湯本から歩いてきて眺める芦ノ湖はいつもとは違う感慨をそそりました。

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Img_0679 この日のメンバー全員で撮った写真を小さく載せておきます。
 iPhoneの記録によれば、のべ歩数24215歩、上がった階数191階。

つづく


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2017/06/15

第6回 東海道踏破オフ≪箱根越え≫ その2

こちらの続き)

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 2017年4月15日、ついに箱根越えの日がきた。今までさまざまなシチュエーションで何度となく箱根に行きましたが、まさかこの私がこの歳で箱根湯本から芦ノ湖まで歩くことになろうとは。平地ならともかく、アップダウンに弱くて山登りは苦手なのに。ま、旧東海道が箱根を通るのだから仕方ない。「歩けるところまで歩いて、ダメならバスを利用しよう」とバス停を下調べして、いささか弱腰で当日を迎えました。

 そうそう、この日の朝、総武線で人身事故があってLeafさんがロマンスカーに間に合わず、東海道線で迂回して途中合流を余儀なくされました。初っ端からアクシデント発生でひやひやしましたが、大きな変更なく全員で歩くことができて何よりでした。

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 箱根湯本駅でぶんぶんさん、くっきもさんと落ち合って、いざ出発! キャリーサービスを利用して、不要な荷物は宿送りにして身軽になりました。まず早川に沿って三枚橋まで歩き、旧東海道に出ます。

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 早雲寺も正眼寺もしだれ桜が美しい。桜を見るとテンションが上がります。まだ普通の舗装道路なので緊張感もなく浮かれ気分でした。思ったより気温が高くて暑いのが不安材料。

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 そして、いよいよ石畳の始まり。箱根の旧東海道は雨や雪が降るとぬかるんで旅人が歩きにくかったため、江戸初期に幕府が石畳を敷かせました。現在もその一部が残っているのです。最初は旧道らしい風情があって心が浮き立ちましたよ、最初だけね。石畳の道は凸凹していて足元が安定せず歩きにくいことこの上なし。このあたりで体調不良のゆれいさんはバスに乗り、遅れてやってきたLeafさんと合流しました。

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 須雲川を渡るあたりまではハイキング気分で歩きました。森林浴が気持ちいいい。この後、須雲川探勝歩道に入ってしまったので、少し東海道から外れたようです。

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 石段が始まりました。割石坂から先はほとんど石段、と言ったら大げさですが、記憶の中ではそんな感じです。この辺でくっきもさんにストックをお借りしました。なんと、貸出用のストックを2本持参して参加してくださったのです。ありがたやありがたや。このストックがなければ、私は途中でリタイアしていたでしょう。ストックを使って歩くのは初めてでしたが、不安定な足元を支え、腕の力も利用して登れるので、心身の負担がだいぶ軽減しました。くっきもさん、本当にありがとうございました。

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 割石坂、大沢坂を上ると畑宿の集落に入ります。畑宿は箱根越えの中間地点の宿として栄え、江戸時代は茶屋が軒を連ねていました。箱根寄木細工の発祥地でもあり、今も寄木細工の工房や土産屋が複数あります。

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 おそばの桔梗屋さんで昼食。冷えた麺を粘り気の多いとろろにつけて美味しくいただき、元気を回復しました。総勢7名の団体なのにタイミングよく待たずに座れてよかった!

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 桔梗屋さんから程近く、集落のはずれに畑宿の一里塚(日本橋から23里)があります。塚がそのままの形で残っています。右の写真は一里塚の先から撮ったもの。そしてまた石畳が続きます。


つづく

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2017/06/08

第6回 東海道踏破オフ≪箱根越え≫ その1

 またまた更新が途絶えていました。先月、パソコンを買い替えてWindows10に移行したため、新しい環境になじめず、重い腰がますます重くなっていました。iPhone7からGoogleフォトにアップロードした写真を新しいパソコンにダウンロードする、それだけのことで躓きます。

 言い訳はほどほどにして本題に入りましょう。4月に箱根越えをしたときの記念すべき記録です。

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    広重「東海道五拾三次之内 箱根(湖水図)」

・4月15日(土)

   新宿 8:30(はこね71号)
   ↓
   箱根湯本 9:53

   箱根湯本→元箱根

   宿泊:「夕霧荘」

・4月16日(日)

   元箱根→三島
   
   三島 17:20(こだま664号)
   ↓
   東京 18:16

 「箱根越えのお泊りオフは季節のよいときに行きましょう」ということで、藤沢から先を飛ばして箱根に行ってきました。途中は後日ちゃんと繋ぎます。天候の変わりやすい季節で天気予報に一喜一憂しながら当日を迎えましたが、ほとんど雨に降られず、桜と富士山を愛でながら峠越えができました。

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 2017年4月16日の湖水図。広重の浮世絵にも芦ノ湖の左奥にうっすら白い富士山が描かれていますが、この日も白い富士山が見えました。

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 浮世絵の右下に坂を下る大名行列の菅笠が見えます。この坂は東海道が芦ノ湖に差し掛かる最後の下り坂「権現坂」。そして、こちらが現在の権現坂を下るメンバー一行です。このあたりで雨がポツポツ落ちてきたので、見晴らしはよくないけれど、芦ノ湖の湖面が見えています。

 実は、体力脚力に自信のない私は1日目だけ旧東海道を歩いて、2日目は別行動でバスを利用しながら三島に出ました。そのあたりの詳しい行程は次回以降の記事で。

つづく

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2017/04/20

第5回 東海道踏破オフ≪戸塚~藤沢≫ その2

こちらの続き)

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 戸塚宿を出てまもなく、大坂というなだらかな坂道に入ります。江戸時代はもっと急な坂で、坂の上から見晴らしがよかったらしい。この大坂には昔の松並木の一部が残されており、旧東海道の面影をほんの少ししのぶことができます。ほかに古いものといえば、庚申塔くらい(左下)。また、少し先にお軽勘平道行碑(右下)があります。歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の名場面にちなんで建てられたもの。

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 さらに進むと右手前方に富士山が見えました。どんな時でも富士山が見えるとテンションが上がりますが、江戸時代の旅人もきっと同じ思いだったでしょうね。まもなく原宿の一里塚跡(右下)。日本橋より11里目。塚の付近に立場茶屋があったので、原宿と呼ばれるようになったそうな。我々も現代版茶屋のマックで休憩しました。

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 影取町の名残りの松(左下)を通りすぎ、影取の地名の由来となった池がある諏訪神社(右下)に手を合わせて先を急ぎました。

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 横浜市戸塚区から藤沢市に入ってまもなく、旧東海道松並木跡碑(左下)が建っています。その先から始まる遊行寺坂(別名、道場坂)の途中に遊行寺の一里塚(中)(江戸から12里目)と藤沢宿の江戸方見付跡(右下)があります。遊行寺坂は箱根駅伝の中継でお馴染みですね。

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 正式名称、清浄光寺(しょうじょうこうじ)は時宗総本山。今では通称の遊行寺のほうが知られています。時宗宗祖の一遍上人は、「南無阿弥陀仏」の念仏を集団で踊りながら唱和する踊り念仏によって極楽往生に至れる、と大衆に説いて諸国を旅したので、遊行上人と呼ばれました。初代の一遍から4代目に当たる呑海が1325年に清浄光寺を開山したと言われています。

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Img_1823 夕暮れ時で広々とした境内にはほとんど人影もなく、樹齢700年といわれる大銀杏が静かに堂々と枝を広げていました。富士山のシルエットが夕焼けに浮かんで美しかった。

 遊行寺の門前にある「ふじさわ宿交流館」という資料館は残念ながらすでに閉館していました。境川に架かる藤沢橋の近くには江の島弁財天道標や藤沢宿の案内板がありましたが、辺りはすでに薄暗く、この日の東海道歩きはここで断念しました。次回は交流館見学から始めることにします。

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 この後、JR藤沢駅まで歩いて、さいか屋内の居酒屋で乾杯しました。三条大橋まで513キロ中、51キロ踏破。ようやく1割歩いたことになります。先は長いけれど、少しずつ進んでいることは確か(笑)。この日の歩数はiPhoneの機種変更で不明ですが、2万歩は超えたようです。


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第5回 東海道踏破オフ≪戸塚~藤沢≫ その1

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   広重「東海道五拾三次之内 戸塚(元町別道)」

 先週末、箱根越えをしてきました。その前にこの第5回の記事を仕上げたかったのに、まだ後編の途中を執筆中。とりあえず前編をアップして弾みをつけます。

 2017年1月21日。
JR戸塚駅 13:30集合→お茶:原宿「マクドナルド」→宴会:藤沢さいか屋「花鳥風月」

20161112_2066 この日の記録に入る前に、広重の浮世絵「戸塚」について説明しておきます。浮世絵に描かれた橋は柏尾川に架かる吉田大橋。これは前回、戸塚駅に着く前に渡った右の橋です。タイトルの「元町別道」とは、橋のたもとから分岐していた鎌倉への道のこと。浮世絵に描かれた道標には「左かまくら道」と書いてあります。

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 この日のスタートは戸塚駅。まず、JR東海道線上の歩行者用デッキを越えます。かつてここには「開かずの踏切」として知られる大踏切がありましたが、2014年にこのデッキが完成し、翌15年には地下車道が開通しました。デッキの下に東海道の説明板が設置されています。

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 線路を越えるとまもなく「内田本陣」「脇本陣」「澤邊本陣」の跡地が続き、戸塚宿の中心部に入ります。戸塚宿は江戸から10里にあたり、1泊目の旅人や鎌倉、江ノ島の参詣客で賑わいました。『東海道中膝栗毛』の弥次・喜多も戸塚に泊っています。

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 八坂神社と富塚八幡宮。富塚(とみづか)八幡は戸塚の総鎮守で、境内に富属彦命(とつぎひこのみこと)の古墳があると伝えられ、これを「富塚」と呼んだことが「戸塚」の地名の由来とされています(別説あり)。

Img_1796 上方見付跡。江戸方見付から約2.2キロの距離。江戸時代と同じように、京に向かって左に松、右に楓の木が植えられています。


つづく


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2017/02/04

第4回 東海道踏破オフ≪保土ヶ谷~戸塚≫ その3

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 東戸塚から帰るゆれいさんと別れて、三婆は先を急ぎました。すでに4時を過ぎていましたが、この日のゴール戸塚まで歩かなければなりません。福寿観音(左下)を通りすぎ、品濃坂を下りきって歩道橋(中央)を渡り、旧道(右下)に入る頃には日没が迫ってきました。

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 iphoneに収まっている次の写真はプテラとミニリュウ(笑)。小さな川のそばの住宅街を歩いている途中、レアキャラを捕まえて盛り上がったっけ。赤関橋(左下)を渡る頃には日が落ちて月が出ました。その後は往来の激しい国道一号線をひたすら進むのみ。

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 不動坂(左下)の交差点の近くに神奈川名木百選の「益田家のモチの木」があります。暗くて確認できなかったけれど、たぶんこの木(右下)。この付近には護良親王の首洗い井戸があるというので探してみましたが、見つかりませんでした。暗くなっても歩くことはできるけれど、史跡見物は明るいうちじゃない駄目ですね。

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 いったん国道を離れ、ふたたび戻るとまもなく戸塚宿に入ります。江戸方見付跡、一里塚跡(日本橋より10里)があり、柏尾川に架かる吉田大橋を渡って少し歩くと戸塚駅です。この辺りのことは次回のオフの記事にも書く予定。通りすがりの「はなの舞」で10里越えの祝宴となりました。

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 Googleマップによる実測では、三条大橋まで513キロ中、約43キロ歩きました。これからはこの数字を追っていきます。この日ののべ歩数24453歩。上がった階数21階。

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2017/01/31

第4回 東海道踏破オフ≪保土ヶ谷~戸塚≫ その2 権太坂

こちらの続き)

 権太坂といえば、箱根駅伝の往路2区の難所で選手があえぎあえぎ走る姿が目に浮かびますが、駅伝のコースは国道1号で旧東海道とは別の道です。このユニークな名称は、旅人が耳の遠い老人に坂の名前を聞いたところ、自分の名前を聞かれたと勘違いした老人が「権太」と答えたことに由来するとか、坂の改修工事を手がけた藤田権左衛門の名に由来するとか、複数の説があります。

 ごく普通の住宅街を抜けて、湾曲した狭い上り坂がしばらく続きます。勾配はさほど急ではないけれど、来た道を振り返るとだいぶ上ってきたことがわかりました(右下)。

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 横浜横須賀道路に架かる橋(左下)を渡った先に、権太坂の標石(右下)があります。この辺りは平坦な尾根道で高校と小学校が並んでいます。

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 さらに行くと武蔵国と相模国の国境に出て、旧東海道は境木地蔵まで国境と重なっています。先に進む前に、逆方向に少し離れたところにある投込塚(左下)に寄りました。江戸時代、難所の権太坂で行き倒れた旅人や馬をこの辺りに葬ったようで、昭和の宅地造成の際、骨が発掘されたとのこと。旧東海道に戻って進むと、趣きがある若林家(右下)の家屋が見えてきます。ここにはかつて牡丹餅が名物の立場茶屋がありました。立場(たてば)とは街道沿いの休憩所のこと。

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 若林家の先には境木地蔵があり、境内には武蔵と相模の国境と定められた楠の木が立っています。境木はこの辺りの地名にもなっています。

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 境木地蔵の前から焼餅坂(左下)を下りました。焼餅は立場茶屋の牡丹餅に由来。その先は品濃坂となり、まもなく品濃一里塚跡(日本橋から9里)があります。切通しの坂道の両側に小高い塚がかろうじて残っており、かつての東海道を彷彿させる道筋でした。

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 けれども、旧街道の風情にひたる間もなく、すぐ先には高層マンション群が広がり東戸塚駅に繋がっています。その一角のイオンのフードコートにて一服しました。

つづく


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2017/01/26

第4回 東海道踏破オフ≪保土ヶ谷~戸塚≫ その1

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  広重「東海道五拾三次之内 保土ヶ谷(新町橋)」

 2016年11月21日。この日は保土ヶ谷駅集合でしたが、私は少し手前の相鉄線「天王町」駅から歩いて、歩いてない部分を多少補いました。

相鉄「天王町」駅→JR「保土ヶ谷」駅11:30集合→(権太坂)→休憩「ケンタッキー 東戸塚イオン」→宴会:戸塚「はなの舞」→戸塚駅

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 天王町駅から旧東海道を少し戻って橘樹神社からスタート。歩き始めるとまもなく帷子(かたびら)橋(左上)を渡りますが、この橋こそ広重の浮世絵で描かれた新町橋の現在の姿で、昭和39年に帷子川が付け替えられるまでは今の駅前公園側にありました。

20161112_1751_2 保土ヶ谷駅で集合後、駅前商店街を進みましたが、保土ヶ谷宿もご多分にもれず当時の面影はまったくありません。何の変哲もない道路に○○跡の立て看板があるのみ。
(左から順に)
 助郷会所跡
 問屋場跡
 高札場跡
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 さらに進むと、ようやく江戸時代のものを発見しました。左下は金沢横町の道標4基。この場所は金沢・浦賀への追分に当たります。右下は本陣跡に残る本陣門。保土ヶ谷宿の本陣は北条家の家臣苅部家の子孫が代々務めました。

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 本陣の付近には3軒の脇本陣がありましたが、いずれも看板のみ。旅籠屋本金子屋跡の家屋はいかにも昔の旅籠屋風ですが、これは明治の建築です。

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 帷子川沿いに出たあたりに保土ヶ谷の一里塚(日本橋より8里)と上方見付の跡地があります。宿場の出入口には見付という土手のような構造物が設けられていて、江戸寄りを江戸見付、京寄りを上方見付といいました。右下は川の対岸に見える外川神社。

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 樹源寺、稲荷神社を通り過ぎ、いよいよ権太坂を上ります。

つづく

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