2010/06/03

聞く耳を持たない

 とうとう鳩山首相が退陣を表明しました。ピンチに登板するリリーフピッチャーの器じゃなかったのかな。平穏な時代なら案外国民に支持されて長続きしたかもしれません。

 政治の問題はさておき、「国民が聞く耳を持たなくなった」という言葉が私はどうも気になって……。「聞く耳を持たない」には「相手の話を頑として受け入れない」頑固一徹な悪いイメージを感じるのですが、そんなことないですか? この言葉を聞くと、「私はしっかり仕事をしてきたのに、(頭が固い)国民は全然わかってくれず話も聞いてくれなくなった。(まったく心外なことだ) 国民を納得させられない私も悪いけど」というように受け取れてしまいます。

 あ、そういうこと? 自分の仕事のせいで国民にそっぽを向かれてしまったという認識はない? それならこの言葉が適切かもしれません。

 「私の不徳の致すところ」と反省しているなら、もっと別の言葉を使えばよかったのに、と思って書き始めましたが、思いがけない方向にまとまりました。

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2009/11/16

ああ、なつめさん……

 昨夜、ネットニュースで「大浦みずきさん死去」の文字を見て、目を疑いました。一夜明けてもまだ信じられません。信じたくありません。

 なつめさん(大浦さんの愛称)は、私の35年程のヅカファン歴の中で最高のダンサー。宝塚の男役の制服とも言える黒燕尾が一番似合い、シャープに粋に軽やかにしなやかにカッコよく(どんな言葉を使っても不十分な気がします)踊って、数々の名場面を残してくれたトップスターさんでした。上手なダンサー、カッコいい男役は今も昔もたくさんいますが、なつめさんは別格で、登場すると舞台の空気が変わるように感じました。

 『ショー・アップ・ショー』『ヒーローズ』『ジタン・デ・ジタン』『ジャンクション24』などなど、なつめさんが2番手からトップ時代の花組のショーに名作が多いのはなつめさんの存在があればこそ。当時の花組には若手までスターがそろっていて、その後のトップを多く輩出していますが、なつめさんの背中を見て育った花組出身スターはどこか違うような気さえした程です。

 一昨年、ダンスリサイタル『DANCIN' CRAZY』で拝見したのが最後になってしまいました。あの日観た『レビュースコープ』のジェラシーのダンスが宝物です。

 なつめさん、あなたに巡り会えてよかった……。心からご冥福をお祈りいたします。

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2009/05/11

三木たかしさんご逝去

 作曲家の三木たかしさんがお亡くなりになりました。先日亡くなった忌野清志郎さんと同じ喉頭がんで……才能ある方が相次いで亡くなられて本当に残念です。

 三木たかしさんはヒデキファンの私にとって思い入れのある作曲家さん。一昨年、阿久悠さんご逝去の時に書いた記事から引用しますと――

1976年の「君よ抱かれて熱くなれ」を手始めに、「ジャガー」「若き獅子たち」「ラストシーン」「ブーメランストリート」「セクシーロックンローラー」「ボタンを外せ」「ブーツをぬいで朝食を」「炎」「ブルースカイブルー」まで、私がヒデキに一番夢中になっていた時期と重なる3年間にリリースされた曲はほぼ全て"阿久悠作詞"でした。

この阿久悠さん作詞の歌の前半、「ボタンを外せ」までは三木さんの作曲でした。さらに――

また77年には、全曲阿久さん作詞による創作ミュージカル「我が青春の北壁」に主演しています。

このミュージカルも全曲三木さんが作曲されました。後年、劇団四季のミュージカル『李香蘭』『夢から醒めた夢』などの作曲も担当されており、劇場で三木さんの美しいメロディーを堪能したものです。

 そして、カラオケではテレサ・テンの「つぐない」「愛人」を何回歌ったことでしょう。素敵な歌をたくさん作曲してくださった三木たかしさん、どうか安らかにお眠りください。心からご冥福をお祈りいたします。(大好きな「若き獅子たち」を聴きながら……)

追記:Wikipediaによると、宝塚のショー『夢は世界を翔けめぐる―THE WORLD HERITAGE 2001―』(星組)も担当されていました。どんなメロディーだったか、思い出せなくて残念。


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2009/03/17

侍ジャパン

 昨日の侍ジャパンの快勝は痛快でしたね。明日の韓国戦が楽しみ……ぜひ前の試合の雪辱を果たして欲しいです。韓国とはこの先、最高3試合を戦うことになるので、韓国戦の勝敗は大きな鍵。決勝戦でも対戦できたらいいなぁ。

 それにしても――実況アナの「侍ジャパン」の連呼には辟易します。「日本(チーム)」と言えばいいのに、いちいち「侍ジャパン」と言うのは業務命令なんでしょうか? 耳障りもいいところ。真剣勝負の国際試合の中継で愛称を使うのはおかしくありませんか? 番組を盛り上げようとしているのだとしたら、かえって逆効果。充実したいい試合は、淡々とした実況ほど興奮が伝わると思います。

 それに、この○○ジャパンという呼び方もだんだん鼻に付いてきました。トルシエジャパン、長嶋ジャパンあたりまでは新鮮に感じられましたが、岡田ジャパン、王ジャパン、星野ジャパン、なでしこジャパン……もう食傷気味です。マスコミにとって便利だし、応援する時に使いやすいのは確かですけど。この記事の書き出しだって、「昨日のWBCの日本チームの快勝」と書かずに済むわけだし……。

 気になり始めるとますます気になってしまいますが、今後の試合では、こんなことなど忘れさせてくれるような熱戦を期待したいと思います。頑張れ、侍ジャパン!(笑)

追記(3月24日):
 侍ジャパン、ついにやってくれました! 優勝V2おめでとう!!! 今日の決勝戦は観ているだけで胃が痛くなるようなシンドイ接戦でした。それだけに余計に嬉しいです。野球の面白さを存分に満喫できた3週間でした。

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2009/02/02

浅間山の降灰

 浅間山の降灰で車がこんな状態になっていました。昨夜2時前に噴火した時の灰が調布市まで到達したようです。

200902020853000_2

 ふとんを干すためにベランダの手すりを拭こうとしたら、いつになく白い粉のようなものがついていました。「これ、何?」としばし考えて、「あ、浅間山の灰?」と気づいたわけです。そこで駐車場の車を見に行ったら、案の定……。昨日乗った時は、一昨日の雨で洗い流されてきれいだったので間違いありません。

 地元はもっとひどい状態でしょうね。これ以上大きな噴火が起きて、被害が拡大しませんように。

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2008/12/14

0系新幹線、お疲れ様!

Shinkansen 今日のグーグルのタイトルはこれ、と惑さんの記事で知ってさっそく保存しました。今日は0系新幹線のさよなら運転の日です。

 この0系車両は、1964年(昭和39年)10月1日の新幹線開業時に東京-大阪間を走った初代の新幹線。先月末、定期運転を終え、今日のさよなら運転をもって引退するそうです。

 開業まもなく、父親に連れられて東京駅の新幹線ホームまで見に行き、この車両と共に記念写真を撮った身としては感慨もひとしおです。オリンピックが開催されたあの年、薄いクリーム色に紺のラインの雄姿はまさに「夢の超特急」そのもので、日本人の誇りだったように思います。子供にとってもあこがれの存在で、当時の子供はよくこの姿を描いたものでした。

 父の郷が名古屋近郊だったので、翌年の夏休みの帰省時から毎年利用できて、嬉しくて嬉しくて……。初めて乗った時の興奮をいまだに覚えています。外の景色が飛んでゆく感覚、独特の揺れと音、トンネルに入ると痛む耳……在来線の特急とは何もかも違いました。検札にまわってくる車掌さんのユニフォームもひときわ格好よく、車内販売のお姉さんもお洒落に見えて、子供心に「さすが新幹線は違う」と思ったものです。

 当時は食堂車とビュッフェを連結していましたが、名古屋まででは食堂車を利用する時間がなく、車内販売のカレーライスを食べるのが楽しみでした。冷たい駅弁ではなく、温かいカレーライスを食べられるのがとても新鮮だったのです。発泡スチロールの器やプラスチックのスプーンの感触が蘇ってきます。

 その後、大阪万博に行った時も、修学旅行に行った時も、この車両でした。私にとって、新幹線はずっとこの姿この顔です。

 すっかり懐古モードになり、本日2つめの記事を書いてしまいました。懐古とミーハーが私のウィークポイントらしい(苦笑)。惑さんの「今日のgoogle081214(0系新幹線 さよなら運転)」と、涼さんの「さよなら 夢の超特急」にトラックバックを送らせていただきます。

 0系新幹線、44年間お疲れ様でした! そして、どうもありがとう!

追記(12月15日):

「はしれちょうとっきゅう(走れ超特急)」という童謡があることを桜桃さんの記事で知りました。TBをお送りいたします。

その他、初期の新幹線で思い出したこと
◇車内放送用のチャイムは「鉄道唱歌」だった。
◇電話室があって、車内から電話できるのが画期的だった。自宅から電話がかかって呼び出されたことがあったっけ……びっくりした!
◇富士山がきれいに見えると「進行方向右手(左手)に富士山が見えています」と放送があった。浜名湖付近では「ただいま、東京-大阪の中間地点を走っています」という放送も毎回あった。

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2008/12/12

続・N95マスク

200812111028000 というわけで、N95マスク第2弾。1870が届いたので、さっそく試着してみました。

 折りたたんである部分を開くと、写真のような形になります。8000と同じように2本のゴムを後頭部の上下にかけて着用すると、折りたたみの下の部分がアゴの下にしっかり入ってアゴを包み込む感じになります。密着性も着用感も8000よりかなりよく、これなら実用できそうです。

 とは言え、これをつけている姿は尋常ならざる雰囲気。普通の使い捨てマスクの代わりにこれを付けて外出したら、他人様の視線を浴び、さりげなく避けられそうです。これはあくまでも新型インフルエンザ用ですね。

 もちろん、マスクを用意すれば対策OKというわけではなく、厚生労働省のサイトには「災害時と同様に外出しなくても良いだけの最低限(2週間程度)の食糧・日用品等は準備しておくのがよいでしょう」と書いてあります。そちらのほうはとくに準備していない片手落ちの私(汗)。

 大地震と違って、いきなりこの場で発生して被害を受けるわけではなく(そういう可能性もゼロではないけれど)、どこかで発生した後、徐々に感染が拡大して被害が及んでくることになりそうだから、それから準備する猶予時間があると考えるのは甘い? でも、そうなると、パニックにならないとも限らないから、それなりの心積もりはしておいたほうがいいんでしょうね。

 新型インフルエンザを頭の片隅に置きつつ、まずは、忙しい年末、風邪をひかないように乗り切りたいものです。うがいや手洗いを励行しましょう!

N95マスク(折りたたみ式) 1870
3M社製 N95マスク 【型番8000N95】

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2008/12/07

N95マスク

200812060937000 ネットをさまよっていたら、「新型インフルエンザ対策をしなくちゃ!」という思いにかられて、勢いでマスクを購入してしまいました。「N95マスク」という米国労働安全衛生研究所認可の微粒子用マスクです。

 が、根がケチな私……買ったのは一番安い3Mの8000というマスク。1枚100円程の使い捨てタイプです。これが届いたんですけど、密封されていない紙箱にむきだしのままマスクが入っていて、ちょっとびっくり。普段買っている安い使い捨てマスクだって、ほとんど個別包装されているというのに。こんなので大丈夫? それに、カップ型だから携帯できないし……。

 気を取り直して、いざ試着。普通のマスクと違って、耳にかけるのではなく、2本のゴムを後頭部の上下にかけるしくみ。これが結構きつい……髪の毛は乱れるわ、顔はつぶれるわ、圧迫感があって長くつけていたくない感じ。バンデミック(世界的大流行)が起こったら、そんなことは言っていられませんが……。もっと問題なのは、アゴのあたりが何となく心もとない。ちょっとずれたら、ウィルスが侵入してきそうで不安です。サイズが私の顔に合っていないのかもしれません。

 というわけで、懲りずにまた別のタイプを注文してしまいました。今度は、折りたたみ式の1870タイプ(@約200円)。個別包装のもあるけれど、ケチって個別包装になっていないものにしました。届いて試着したら、また報告するつもりです。

 もちろん、こんなマスクを使うことがないように願うばかり。情報に踊らされてマスクを購入したおバカなヤツとなれば幸いです。現代の進んだ医学と情報網によって、新型インフルエンザの大流行を阻止できますように。厚生労働省のサイトに詳しい情報が出ていますので、参考までに。

3M社製 N95マスク 【型番8000N95】
N95マスク(折りたたみ式) 1870

(続きはこちら


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2008/11/21

渋谷駅に巨大壁画

Shibuya1

 井の頭線で渋谷に出たら、マークシティの連絡通路に壁画がお目見えしていました。夏頃から設置工事が実施されていましたが、今週ついに公開されたようです。タイミングよくカメラを持っていたので、ひさびさにパノラマ写真に挑戦。つなげたら歪んでしまったけれど(もっと真ん中で撮るべきだった!)、雰囲気は伝わるでしょうか。

 これは岡本太郎作「明日の神話」(幅30m、高さ5.5m)。原爆炸裂の瞬間をテーマに、1968年にメキシコで制作されたものです。その後、行方不明になりましたが、2003年にメキシコ郊外で発見されて、日本で修復。美術館での一般公開後、招致合戦を制して、この度の恒久設置に至りました。

 公開直後のせいか、立ち止まって眺める人やカメラに収める人が多く、美術館のワンシーンのようでした。この場所のために描かれたかのようにサイズもぴったりで、鮮烈で迫力ある壁画は渋谷という街にふさわしいように思います。見ていると、岡本太郎さんの顔が浮かんできました。

 今回初めて知ったのですが、岡本さんは50年近く渋谷から程近い南青山で暮らし、作品を制作されていたそうなので、この壁画の渋谷での恒久設置を喜んでいらっしゃるのでは……。アトリエ兼住居は現在、岡本太郎記念館になっています。

200811201418000おまけ
青学のイチョウ
正門付近はまだ青々としていますが、
奥の方はだいぶ黄葉していました。

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2008/09/25

王監督、お疲れ様でした!

 ソフトバンクの王監督がとうとうユニフォームを脱ぐことになりました。本拠地ヤフードームで胴上げされる映像が繰り返し流れるのを見て、つい思ってしまう……「これが優勝決定の胴上げだったらなぁ」。優勝を花道に勇退させたかった! 優勝したらしたで、「また来年も」と思うんでしょうね。とにかく王監督には、勝ち負けという大きなストレスから離れてゆっくり体を休めていただきたいです。

 ホームランを連発して数々の記録を打ち立てた現役時代の王選手はもちろんカッコよかったけれど、14年間福岡で様々な困難を乗り越えて監督を務めあげたことで、人間的にますます好きになりました。王監督が長年にわたってパリーグの九州の球団の監督をしていたことは、ジャイアンツ偏向のプロ野球界にとって大きな意味があるように思います。そう言う私もG党ですけど。

 そう、小学校時代、創立50周年の式典に卒業生の王選手が来賓としてやって来たあの日から、私は王選手のファンになり、巨人ファンになったのでした。「世界の王」と同じ小学校出身なのがちょっと自慢です。

 「休んで欲しい」と言いつつ、「王監督でもう一度WBC優勝を」と期待したい気持ちも少々……いや、山々。体調的に難しいかもしれませんね。まずは残り8試合、悔いのない試合をして有終の美を飾ってください。第二の野球人生、お疲れ様でした。

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