今日のグーグルのタイトルはこれ、と惑さんの記事で知ってさっそく保存しました。今日は0系新幹線のさよなら運転の日です。
この0系車両は、1964年(昭和39年)10月1日の新幹線開業時に東京-大阪間を走った初代の新幹線。先月末、定期運転を終え、今日のさよなら運転をもって引退するそうです。
開業まもなく、父親に連れられて東京駅の新幹線ホームまで見に行き、この車両と共に記念写真を撮った身としては感慨もひとしおです。オリンピックが開催されたあの年、薄いクリーム色に紺のラインの雄姿はまさに「夢の超特急」そのもので、日本人の誇りだったように思います。子供にとってもあこがれの存在で、当時の子供はよくこの姿を描いたものでした。
父の郷が名古屋近郊だったので、翌年の夏休みの帰省時から毎年利用できて、嬉しくて嬉しくて……。初めて乗った時の興奮をいまだに覚えています。外の景色が飛んでゆく感覚、独特の揺れと音、トンネルに入ると痛む耳……在来線の特急とは何もかも違いました。検札にまわってくる車掌さんのユニフォームもひときわ格好よく、車内販売のお姉さんもお洒落に見えて、子供心に「さすが新幹線は違う」と思ったものです。
当時は食堂車とビュッフェを連結していましたが、名古屋まででは食堂車を利用する時間がなく、車内販売のカレーライスを食べるのが楽しみでした。冷たい駅弁ではなく、温かいカレーライスを食べられるのがとても新鮮だったのです。発泡スチロールの器やプラスチックのスプーンの感触が蘇ってきます。
その後、大阪万博に行った時も、修学旅行に行った時も、この車両でした。私にとって、新幹線はずっとこの姿この顔です。
すっかり懐古モードになり、本日2つめの記事を書いてしまいました。懐古とミーハーが私のウィークポイントらしい(苦笑)。惑さんの「今日のgoogle081214(0系新幹線 さよなら運転)」と、涼さんの「さよなら 夢の超特急」にトラックバックを送らせていただきます。
0系新幹線、44年間お疲れ様でした! そして、どうもありがとう!
追記(12月15日):
◇「はしれちょうとっきゅう(走れ超特急)」という童謡があることを桜桃さんの記事で知りました。TBをお送りいたします。
その他、初期の新幹線で思い出したこと
◇車内放送用のチャイムは「鉄道唱歌」だった。
◇電話室があって、車内から電話できるのが画期的だった。自宅から電話がかかって呼び出されたことがあったっけ……びっくりした!
◇富士山がきれいに見えると「進行方向右手(左手)に富士山が見えています」と放送があった。浜名湖付近では「ただいま、東京-大阪の中間地点を走っています」という放送も毎回あった。
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