2008/08/04

第11回お江戸オフ

 暑中お見舞い申し上げます。一年で一番暑いこの季節は一年で一番ビールが美味しい時! だから今年もビールオフ。というわけで、上野精養軒のビアガーデンに行ってきました。蓮の花咲く(夕方なのでつぼみだけど)不忍池を眺めながら飲むビールはまさに極楽の味。夜景に変わるもまたをかし……遠くに花火など見ゆるはいとをかし……夏の夜の幸せのひとときでした。

Img_0302Img_0305

 お江戸オフですからね、ビールを飲む前に短めのコースを歩きました。
千代田線「湯島」駅→湯島天神→(うさぎや)→(つる瀬)→旧岩崎邸庭園→不忍池→上野精養軒

 お江戸の天神様詣でも亀戸天神平河天満宮に続いて、湯島天神で3つ目になります。縁起によれば5世紀の創建で3つの中で一番古いけれど、現在の社殿は平成7年造営の立派なもの。私が前回、四半世紀前に訪れた時は明治の社殿だったらしい。江戸時代は、目黒不動、谷中感応寺と並ぶ三富の一つでした。

Img_0295Img_0294

 旧岩崎邸は明治29年完成の三菱創始者・岩崎弥太郎の長男久弥氏の邸宅。江戸時代は越後高田藩中屋敷。現存するのは洋館、和館、撞球室(ビリヤード場)の3棟ですが、完成当時は1万5000坪の敷地に20棟以上の建物があったそうです。洋館の外観の美しさもさることながら、ミントンのイスラム風タイル、金革紙の壁紙など内装も豪華絢爛で、往時の暮らしが偲ばれます。

Img_0297Img_0301

 この岩崎邸を設計したのはイギリス人の建築家、ジョサイヤ・コンドル。以前のお江戸オフで訪れたニコライ堂旧古河邸のほか、かの鹿鳴館もコンドルの設計です。本郷オフで東大を訪れた時、コンドルの銅像を目にしましたが、その時は「この人、誰?」で終わった記憶が……。東京をあちこち歩いていると、いろいろ繋がりが見えてきてますます面白いです。

 今回のおみやげは「うさぎや」のどら焼き。ちょっと一服は「つる瀬」のわらび餅。甘味もぬかりなく押さえています。どら焼きは私にはちょっと甘すぎ。それよりも、くっきもさんお手製!のバナナケーキとくまさんのおみやげの「都電もなか」のほうがずっと美味しかった! ごちそう様でした。

 お仲間たちの記事がアップされ次第、ご紹介してTBをお送りしたいと思います。
真夏の江戸オフ・昼下がり (陶片木さん)
第11回お江戸オフ(その1) (ぶんぶんさん)
第11回お江戸オフ (アリスさん)
第十一回お江戸オフ (桜桃さん)
第11回お江戸オフ その1 (くっきもさん)
真夏のお江戸オフ (TOKIKOさん)

| | コメント (10) | トラックバック (6)

2008/06/18

「ペリー&ハリス展」と柳橋

 江戸東京博物館で開催中の「ペリー&ハリス展」に行ってきました。「篤姫展」に続いて、今年2度目の江戸博でしたが、同じ時代を別の角度から眺めることができて有意義な特別展でした。

 折りしも、大河ドラマ『篤姫』ではハリスの将軍謁見の場面が終わったばかり。それに関する展示もあり、興味深く見ました。畳を重ね合わせた上に椅子を載せて家定が座ったのは史実。ハリスの日記に「(家定は)短い沈黙の後、自分の頭をその左肩を越えてグイッと後方へ反らしはじめた。同時に右足を踏み鳴らし、これが三~四回くり返された」という記述があったそうです。現在読書中の『徳川将軍家十五代のカルテ』によれば、これは脳性麻痺による症状らしい。うつけのふりをして見栄を切ったのはドラマの演出というわけですが、うまく処理したものですね。と、ついついドラマネタに力が入ります(笑)。

 幕末はずっと昔のことのようですが、約150年前ですから様々なものが現存しています。日米和親条約や修好通商条約の批准書を始め、ペリーやハリスの肖像画、日米間それぞれの献上品、随行の画家が日本を描いた絵などを音声ガイドを聞きながら見て回りました。

20080617022008061704

 江戸博見学後は、両国橋を渡って隅田川の対岸へ、さらに柳橋を渡って柳橋の鰻屋さん「よし田」(食べログ)で昼食。目の前で捌いて蒸して焼いてくれた鰻はたいへん美味しゅうございました! このお店の方から、市丸さん(昭和の芸者・歌手)の旧宅を改造したルーサイトギャラリーを教えていただいて、隅田川が見える粋な日本家屋を訪問。思いがけず、かつての柳橋の風情を感じることができました。

20080617032008061701

 鰻とビール少々でお腹を満たした後、さらに、鳥越神社と蔵前神社まで散策。江戸時代には幕府の米蔵が立ち並び、「蔵前風」と呼ばれた粋な札差ファッションが生まれたこのあたりも、今は問屋街で何の名残もありません。千貫神輿で有名な鳥越神社のことは知っていましたが、綱吉が京都の岩清水八幡宮を勧請したという蔵前神社はまったく初耳でした。

 そうそう、江戸博で買ってきた「麩一」の麩まんじゅうを冷やして食べたら、とっても美味しくて大満足。「志満ん草餅」とさんざん迷ったけれど、この季節はこちらで正解でした。

 陶片木さん、ペリー展のチケットありがとうございました! 同行のぶんぶんさん桜桃さんにも感謝! お二人の記事にトラックバックを送らせていただきます。

| | コメント (7) | トラックバック (2)

2008/06/06

目黒オフ《番外編》

Hyakudan お花見オフから早2ヵ月あまり、再び目黒を訪れました。今回の目的は、目黒雅叙園の百段階段見学。ふだんは週末のみ事前予約のうえ見学できますが(食事付き)、現在「百段階段×源氏物語」というイベント開催中につき、予約も食事もなしで見学OK(入場券1500円)。

 百段階段とは、昭和10年に完成した雅叙園の旧木造館にある階段で、建物が行人坂の急坂に沿って建っているため、7つの大部屋を99段の直線階段で結ぶ構造になっています。各部屋にはそれぞれ異なる趣向で螺鈿や浮き彫り彫刻など豪華絢爛な装飾が施されていて、かつては「昭和の竜宮城」と呼ばれたそうです。

 最も豪華な「漁樵の間」はまさに竜宮城という雰囲気で、現在はだいぶ色あせているものの、金ぴか(すべて純金)で色とりどりの浮き彫り彫刻が今にも動き出しそうな何とも不思議な空間です。写真撮影禁止だったので、興味のある方は雅叙園のサイトの「目黒雅叙園を知る」というバナーをクリックして動画をご覧ください。

 このイベントは、雅叙園創業80周年を記念して、辻村ジュサブロー作の人形「源氏絵巻縁起」と、映画「千年の恋 ひかる源氏物語」で使用された衣裳を百段階段沿いの各部屋に展示したもの。ジュサブローの源氏の世界は小さいのに細部まで精巧に作られていて見事でした。そうそう、十二単の衣裳を羽織らせてもらって写真を撮り合いました。羽織っただけでも重みがあって、すぐに肩がこりそう。

 雅叙園を見学後、正門前の「サント・スピリト」でイタリアンのランチ。手打ちパスタがとても美味しかった。前菜、パスタ、デザートを完食した後、前回の目黒オフで行きそびれた大鳥神社にお参りし、茶屋坂まで足を伸ばしました。

Img_0286Img_0290

 大鳥神社は2006年に鎮座1200年を迎えた目黒区最古の神社。浅草の鷲(おおとり)神社(第3回オフで訪問)と並んで、江戸時代から酉の市が開かれていました。

 茶屋坂は江戸時代に江戸から目黒に入る坂道で、現在、茶屋坂と呼ばれるバス通りから少し入ったところにあります。江戸時代にはこの坂の途中に「爺々が茶屋」という茶屋があって、代々の将軍が鷹狩りの際に立ち寄ったとされています。落語「目黒のさんま」はこの茶屋が舞台、というかきっかけになっているそうな。広重の江戸百景によれば、富士山が見える見晴らしのよい場所だったようです。

 茶屋坂からさらに恵比寿ガーデンヒルズまで歩き、恵比寿麦酒記念館のビールで散策の疲れを癒しました。目黒散歩の後は恵比寿のビールに限る! 

 ぶんぶんさんの記事と桜桃さんの記事にトラックバックを送らせていただきます。

| | コメント (9) | トラックバック (2)

2008/05/26

第10回お江戸オフ《川越》その2

こちらの続き)

 喜多院から川越城へまたひたすら歩く一行。この日は川越に詳しい埼玉在住のメンバーにガイドをおまかせして、お気楽についていきました。童謡「とおりゃんせ」の"天神様の細道"を通り抜け、三芳野神社にお参りして、川越城に到着。ランチの予約時間が迫っているので、本丸御殿と家老詰所を慌しく見学して、さらに歩き続けます。
Img_0262Img_0263

 立派な佇まいの「幸ずし」の2階のお座敷で昼食。蒸し暑い中、かなり歩いて汗ばんでいたので、ビールがさぞかし美味しいだろうと思いつつ、ぐっと我慢。酒豪揃いのメンバーの真似をしてはこの後、歩けなくなります。飲ませていただいた一口の美味しかったこと! もちろん、ちらし寿司も美味しくいただきました。

 そして、いよいよ土蔵造りが立ち並ぶメインストリートへ。ひときわ高くそびえる時の鐘。このあたりの風景は幕末あたりにタイムスリップしたみたいで、何だかわくわくしてきます。3時の時の鐘を聞いて、さらに盛り上がる私たち。おみやげ購買欲もむくむく上昇して、あれこれ買いあさりました。おみやげ購入のためのグルメマップはぬかりなく印刷してきたもんね(笑)。

Img_0268Img_0267



 途中、菓子屋横丁で芋ビール休憩。皆さん、本当にお強い! 私は芋コーヒー。バニラのような甘い香りがするコーヒーでした。駄菓子屋の一角で丸テーブル(飴を作る台)を囲む一行7人……何ともステキな光景です。

Img_0271Img_0274

 時間に余裕があって、雨が降り始めなかったら、もっとゆっくりぶらぶらして一軒一軒お店を回ってみたかったな。最後に蔵造り資料館を見学してから、駅に向かいました。道々でさらにおみやげを買い足しながら。写真はこの日の成果……すでに半分以上、なくなりました。

2008052401

 ご一緒してくださった皆様、いろいろお世話になりました。おかげさまでまたまた楽しい1日を過ごせました。それから、詳しいおみやげ情報を教えてくれたアナタにも感謝! 以下、お仲間の素敵な記事をご紹介します。TBを送りますので、届かなかったらご一報を。

第十回お江戸オフ (桜桃さん)
第10回お江戸オフ(その1) (ぶんぶんさん)
お江戸オフ*川越編 (TOKIKOさん)
お江戸オフ(川越編) (陶片木さん)
江戸オフ会 小江戸川越編 (hichaさん)

| | コメント (10) | トラックバック (1)

第10回お江戸オフ《川越》その1

 お江戸オフも10回目を迎え、節目の記念にちょっと遠出をして川越まで出かけました。お江戸オフならぬ小江戸オフ。非日常の古い街並みを歩いたせいか、池袋から30分ほど電車に乗っただけなのにもっと遠くまで出かけた気分になりました。心配していた雨もラスト30分降られただけで、歩いて歩いて食べて買って(昼間ゆえ"私は"飲まず)、大満足の1日でした。川越、とっても気に入りました。そして、ゆかいなお仲間たちに感謝!

11時「川越市」駅集合→喜多院→三芳野神社→川越城→昼食「幸ずし」→蔵の街並み・菓子屋横丁(時の鐘、蔵造り資料館)→「川越」駅

Img_0249Img_0250

 まずは、喜多院。そもそも、川越に興味を持ったきっかけは、江戸検定に出題されたこの問題。「川越の喜多院には徳川将軍お誕生の間という部屋が残されています。その将軍は誰でしょう?」 正解は「3代家光」ですが、私はしっかり間違えまして、以来、家光誕生の間を見たいと思っていました。

 何故、喜多院に家光誕生の間があるのか? 喜多院のサイトによると次の通り。

寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立)を除き堂宇はすべて焼失しました。そこで3代将軍徳川家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てました。家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためです。

 つまり、家光が生まれた慶長9年(1604年)にはまだ江戸城の本丸はなく、大奥は紅葉山にあったことになります。江戸城の一部を移築するほど、喜多院を重視したのは、住職の天海大僧正が家康の参謀として幕府創生期に大きな役割を果たし、徳川家と深い関わりがあったため。徳川家の菩提寺の一つ、寛永寺を創建したのも天海です。

 喜多院が「川越大師」と呼ばれているのは、元三大師(慈恵大師)を祀っているから。ちなみに、佐野厄除け大師のご本尊も元三大師ですが、川崎大師や西新井大師は弘法大師。大師は大師でも違う大師とはややこしい。元三大師は天台宗、弘法大師は真言宗で宗派も違うのに、双方のお寺とも厄除けをご利益にしているのも不思議です。何だか人間様の事情が絡んでいるような気がしてしまいます。

 長くなったので、あとは解説つき写真でお茶を濁します。そして、続きはその2へ。

Img_0252Img_0256

(左)小堀遠州流枯山水書院式曲水の庭園 
(右)五百羅漢

Img_0261Img_0258

(左)仙波東照宮(家康の遺骸を久能山から日光へ移葬の途中、ここに寄って法要した)
(右)日枝神社(赤坂日枝神社は大田道灌がここから分祀した)

| | コメント (6) | トラックバック (3)

2008/05/22

目黒オフ《復習編・その4》

こちらの続き)

Img_0167 目黒川にかかる太鼓橋を渡ると行人坂に出ます。行人坂と言えば、江戸三大大火の一つ「行人坂の大火」(1772年)の火元。この大火の原因は、坂の途中にある大円寺の寺僧が窃盗目的で放火をしたと言われています。放火犯は小塚原で火刑に処され、大円寺は以後70年以上再建を禁止されたとか。この火災による死者の供養のために造られたのが釈迦三尊や五百羅漢の石仏群です。

 そんな大円寺にお七地蔵というお地蔵様があります。恋しい人会いたさに放火して火焙りにされた(1683年)、あの八百屋お七のお地蔵様。何やら因縁めいていますね。元々は今の雅叙園の場所にあった明王院というお寺にありましたが、明治時代に明王院の廃寺に伴い、隣りの大円寺に移されたそうです。

 明王院とお七の繋がりは、というと、お七の恋の相手、寺小姓・吉三が事件後、僧侶となって西運と名乗り身を寄せたのが明王院でした。西運はお七の菩提を弔うため、目黒不動と浅草観音の間、往復10里の道を念仏を唱えながら隔夜歩く1万日日参の行を27年半かけて成し遂げて、お七地蔵を作ったそうです。この念仏行に出かける前に水垢離をとったと伝えられる「お七の井戸」が今も雅叙園の入口付近にあります。西運はまた、行人坂に石畳を敷いたり、目黒川に橋を架けたりして、社会貢献もしたらしい。お七の目に狂いはなかったようですね。

 目黒のお話はとりあえずこれにて終了。これで心置きなく次のオフの予習ができます。次回はちょっと遠出して川越まで出かけます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/19

目黒オフ《復習編・その3》

こちらの続き)

 次のお江戸オフが今週末に迫ってきて、気がつきました……前回の復習編が完結していない!(汗) 尻切れとんぼのままでは気持ちよく次のオフを迎えられないので、自分のためにまとめておきます。

 というわけで、五百羅漢寺から。このお寺は情緒もへったくれもないビルになっているうえ、拝観料300円と有料なので、危うく素通りするところでした。ところがここは由緒あるお寺だったのです。

 そもそも私は、五百羅漢が何なのか、まるでわかっていませんでした。羅漢とは釈迦の弟子のこと、五百羅漢とは第1回の仏典編集に集まった500人の弟子を指します。中国や日本では五百羅漢に対する信仰が生まれて図像や彫像が作られました。

Gohyakurakan このお寺には江戸時代に作られた彫像が安置されています。現存しているのは300体程ですが、全536体を一人の禅師が十数年かけて作ったというから驚きます。等身大に近い大きさの彫像がずらっと並んだ羅漢堂や本堂は荘厳であり、正直言って薄気味悪くもありました(写真はリーフレットから)。らかんさんのお名前にちなんだお言葉をありがたく心に刻みつつ歩きましたが、悲しいかな頭に残らないので小冊子を購入しました。

 この五百羅漢寺は江戸時代には本所(今の江東区)にあり、北斎の富嶽三十六景や広重の名所江戸百景にも描かれた有名なお寺でした。明治以降、衰退して、明治41年に目黒に移転。その後、荒廃期を経て、昭和56年に現在のお堂が完成して羅漢像を安置したそうです。

 移転と言えば、羅漢寺の隣りにある海福寺も江戸時代には深川にありましたが、水害に遭って明治43年に移転してきました。永代橋墜落供養塔があるのはそのためです。

 最後に、五百羅漢つながりの話を少々。このあと訪ねた大円寺には五百羅漢の小さな石像があります。これは行人坂の大火の犠牲者を弔うために造られたもの。そして、この週末に出かける川越の喜多院にも五百羅漢があるので、心して見てきたいと思います。

(続く、かも)

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2008/04/11

沖縄旅行(7)沖縄みやげ

200803192132000_2 買い求めた沖縄みやげの数々です。海ぶどう、沖縄そば、シークワーサーぽん酢、油みそ、紅いもガレット、紅いもタルト、亀の甲せんべい、塩せんべい、ピーナッツ黒糖、タンナファンクルー、サーターアンダギー、それから写真にはないけど、島らっきょうの塩漬け。駄菓子が多いですね(笑)。泡盛はありません……家では飲まないので。

 このうち重たいものやかさばるものは旅行前に沖縄のスーパー「サンエー」のサイトで注文して、帰宅翌日に受け取りました。送料が1000円弱かかったけれど、これは正解。現地であれこれ悩んだり、重い荷物を持たずにすんで楽チンでした。

200803181456000 ぽん酢や油みそを除いて、もう何も残っていません。もっと食べたいのは島らっきょうと海ぶどう、そして、塩せんべい。島らっきょうと海ぶどうは国際通り近くの第一牧志公設市場で購入しました。生ものや食料品はこの市場で安く買えます。ただし、ここで島らっきょうを買うと、密封されていないので臭います。途中でニオイに気がついて、ファスナー付きビニール袋を含めて3重4重にしたのに、それでも飛行機の中でニオイを放っていました。でも、美味しかったので満足!

 油みそは以前、沖縄出身の友人から手作りのをいただいて美味しかったので買ってみました。沖縄ではおにぎりの具と言えば、これらしい。我が家では炒め物などにも使って重宝しています。シークワーサーぽん酢は、慣れないせいか味が薄く感じられて、ちょっと微妙。

Sanpin そうそう、おみやげには買ってこなかったけれど、現地ではさんぴん茶をたくさん飲みました。軽めのジャスミン茶と言えばいいかな。あの味が恋しいです。

 というわけで、沖縄旅行記もようやくおしまい。読んでくださった皆様、長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/10

沖縄旅行(6)沖縄料理

 お江戸の勉強はちょっと飽きたので一旦お休みして、ひさびさに沖縄旅行の話に戻りたいと思います。そう、こちらもまだ完結していないんです(汗)。すみませんねぇ、だらだら続いて……。今日はグルメ編です。

Img_0046 沖縄初日の夜は那覇市内の沖縄料理居酒屋「うりずん」へ。5人の団体ゆえ東京から予約を入れて万全の体勢で出かけたら、写真の本館の前にある別館2階のお座敷に通されました。こじんまりしていていい雰囲気。適度に歩き疲れ、過度にお腹が空いた我ら5名、様々なお料理を堪能しました。

 ゴーヤーチャンプルー、ジーマーミ豆腐、海ぶどう、もずく、ソーキ、ラフテー、沖縄そば、など次から次に注文。沖縄料理は初めてでしたが、どれも美味しくてオリオンビールと泡盛が進みました。とくに気に入ったのは、ドゥル天(沖縄特産の田芋をすりおろして、豚肉、かまぼこ、しいたけなどと練り合わせ、揚げたもの)と島らっきょうの浅漬け。ガツガツ食べまくったので写真はありません。はっきり言ってあまり絵にはならないし……。でも、美味しくてヘルシー! 支店が新丸ビルにあるようなので、今度行ってみたいと思います。

Soki このほか、万座の近くの「元祖海ぶどう本店」でソーキそばを、空港の「天龍」でソーメンチャンプルーを食べました。どちらも鰹だしが効いていて美味! ここでちょっと沖縄そばをご紹介しましょう。麺は太目の中華麺を少し平たくした感じで、ぼそぼそした食感でコシがありません。スープは主に鰹だしの和風で色は薄め。そこに豚の三枚肉、かまぼこ、ねぎ、紅しょうがを入れたものが沖縄そば、三枚肉の代わりにソーキ(豚のあばら肉)を入れたものがソーキそばです。どことなく懐かしい味がしてクセになります。

 こうして沖縄料理がとても気に入った私ですが、旅行から戻って数日後、偶然にもまた沖縄料理を食する機会に恵まれました。銀座の「ぱいかじ」で別の飲み会があったのです。どぅる天も島らっきょうも食べられて嬉しかった! 沖縄そばの麺で作った焼きそばも美味しかった。沖縄でもここでもミミガー(豚の耳)にはまだ挑戦していませんが、どんな味なのか、ちょっと気になります。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008/04/08

目黒オフ《復習編・その2》

こちらの続き)

 次はいよいよ目黒不動尊。実は目黒不動は2度目――30年程前、節分に訪れたことがあります。ヒデキが豆まきをしたのでね(爆)。「目黒不動? 何でそんなマイナーなところで」と思ったものです(ごめんなさい)。当然、裃姿のヒデキのことしか目に入らず、境内のことはまったく記憶にありません。

Img_0158 桜の花で彩られた仁王門は美しく、男坂の急な石段の上のある本堂は立派で、風格のあるお寺でした。この目黒不動(泰叡山瀧泉寺)は西暦808年創建の古いお寺で、1624年に3代将軍徳川家光によって本堂が再建されて以後、徳川幕府の庇護を受けて繁栄するようになったとのこと。江戸時代には庶民の行楽地として親しまれたそうです。

 東京には五色不動(目黒、目白、目赤、目青、目黄)があり、家光が天海僧正の発議によって江戸の5箇所の不動尊を選定したとされていますが、五色不動という名称が登場するのは明治末以降のことでこれは史実ではないようです。江戸時代に実際にあったのは目黒不動、目白不動、目赤不動で、目白や目赤の命名には家光が関わったと言われています。黒、白、赤があるから、後年、密教の陰陽五行説と関連させて青と黄をこじつけたのかもしれませんね。

 いずれにしても、目黒不動が家光と関わりがあるのは史実と考えてよさそうです。家光が目黒で鷹狩りをした際、愛鷹が行方不明になったのでこのお寺で祈願したところ、たちまち本堂前の松(鷹居の松)に鷹が戻ってきたという話は伝説にしても。

Tokko 瀧泉寺という名称の由来とされる「独鈷の滝」という霊泉が石段下にあります。開山以来、今日まで枯れたことがないそうな。水掛不動に見とれ、写真を撮ってこなかったので、お寺の公式サイトから拝借してきました。

Img_0161 また、このお寺の裏手には青木昆陽のお墓があります。昆陽は江戸中期の儒学者で、8代将軍吉宗に命じられて、飢饉の際の救荒作物として知られていた甘藷(さつまいも)を試作し普及に尽力した人物。お墓には愛称で「甘藷先生之墓」と書かれていました。

続く

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008/04/05

目黒オフ《復習編・その1》

 先日のオフの記事は、桜と夜景に浮かれてお勉強の部分をカットしてしまいましたが、目黒は思いのほか興味深いところなので復習しておきたいと思います。毎回、オフ前に下調べをしているのにほとんど頭に入っていないため、後からわかることが多く「もっと真剣に見てくるんだった」と後悔することばかりです。

 目黒と言えば、目黒不動。江戸検定(第1回2級)にも出題された「江戸の三富」の1つの有名なお寺なので、ここはぜひ訪れたいと思っていました。(三富とは、今の宝くじにあたる富くじで人気のあったお寺で、あと2つは湯島天神と谷中の感応寺(現・天王寺)。)逆に言えば、目黒不動さえ行けばいいだろうと高をくくっていましたが、なかなかどうして興味をそそられるお寺がいくつもありました。

Img_0152 コース順にまず安養院。チベット美術館なるものがある不思議なお寺で、ユニークな石仏がたくさんありました。調べてみると、チベット仏教と関係があるわけではなく、先代の住職さんが趣味で収集したものらしい。尾張屋板切絵図には「養安院」とありますが、誤植のようです。

 次は蛸薬師成就院。蛸薬師と言えば、京都の蛸薬師(通りの名にもなっている)を思い浮かべますが、由来がまったく違う別物で関連はないようです。万病が治る「おなで石」が有名で、寛政の改革の松平定信もこれでイボを治したそうな。現在も1500円也の「おなで石」入りお守りを売っています。

Oshizu また、この成就院にはお静地蔵というお地蔵様が7体並んでいます(実は私、現地でこれを見逃し、看板を撮った写真に頭だけ写っていたという罰当たり者)。このお静地蔵は2代将軍徳川秀忠の側室、お静の方の発願によって奉納されたとのこと。徳川家関係の話となれば、しっかり押さえておかなければ! 今年の江戸検定のお題が「江戸城(将軍と大奥)」なのでとりあえずね。以下、自分のためのメモ代わりなので、興味のない方は飛ばしてください。

 秀忠の正室は、浅井長政とお市の方の三女お江与(小督)。恐妻家として知られる秀忠は正式には側室を持たなかったものの、乳母の侍女だったお静に手を付け懐妊させてしまいます。そして生まれた子が後の保科正之ですが、お静は懐妊を願って観音像を3体、子の成長を願って3体、城主となった大願成就のお礼に阿弥陀如来像を納めたとされています(成就院公式サイトより)。

 さらに、このお寺にはもう一つエピソードがあります。3代将軍家光が目黒の鷹狩の途中、このお寺に参拝し和尚と話をした時に異母弟の存在を知ったというもの。その後、家光は有能な保科正之を可愛がり取立てて会津藩主にしたほか、死に臨んで次期将軍・家綱の後見を依頼したということです。

 このあたりの話をちゃんと把握してから実際に訪ねれば、もっと興味を持って見物できたのに……。どこまでが史実でどこからが脚色かは定かではないけれど、歴史を楽しみ散策を楽しむには面白い話ですよね。

続く

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/04/04

円山公園の枝垂桜

 まだ続く桜の話題。でも、京都に行ったわけではありません。

 最近は江戸江戸と騒いでいますが、実は京都が大好きな私。とくにこの季節には京都の桜に思いを馳せて、今すぐにでも飛んで行きたい気分になります。そんな私の心を癒してくれるのが、なおくんさんのブログ「ねこづらどき」。毎日アップされる京都の桜の美しい写真をうっとり眺めている次第です。

 ところがそこで、円山公園の枝垂桜が年々衰えていることを知り、目を疑うような悲しい姿を見てしまいました。円山公園の枝垂桜と言えば、京都を象徴する桜と言っても過言ではありません。また、私の心の桜でもあります。過去に2、3回、開花時に遭遇できましたが、とくに夜、ライトアップされた姿は妖しいばかりの美しさでただ圧倒されました。

 2枚の写真を比較してみてください。上は1992年に私が撮ったアナログ写真をスキャンしたもの。下はなおくんさんが今年3月29日に撮影したもの。16年の間にこんなにも変わってしまって、本当にショックです。なおくんさんによれば、原因は根腐れ、虫の害、カラスの害など、複合的なものらしく、復活のための様々な努力が行なわれているそうですが、なかなか効果が現れないようです。

Maruyama1992_2

Maruyama2

 この枝垂桜(一重白彼岸枝垂桜)は2代目で、初代が樹齢220年で昭和22年に枯死した後、昭和24年に植栽されたもの。昭和3年に初代の種子を採って育成された木で、現在80歳だそうです。枝垂桜としてはまだ壮年期と言えますね。何とか復活して、またあの堂々とした姿を甦らせてほしいものです。

 東京の桜もこの週末で散ってしまいそう……この時期は何となく感傷的になります。これからが葉桜の季節なんですけどね。

 なおくんさんの記事「京都・桜事情2008 円山公園」にトラックバックを送らせていただきます。

追記: なおくんさんからいただいたコメントの一部をコピーさせていただきました。

最初はカラスが枝に止まって糞を落とす事から枝枯れが起こりはじめました。見かけ上は木の最上部が枯れている程度だったのですが、ある年に台風によって枝を支えていた台がめくれ上がり、大切な枝が折れるという打撃を受け、衰えが一気に顕在化しました。
そして、一時は虫によって幹が蝕まれ、最近土を変えたところ、大きな根が根腐れを起こしていた事が判ったそうです。
次から次へと危機を迎えてはその都度乗り越えてきているのですが、いかんせん、この衰え様は隠す事が出来ません。桜守の佐野藤右衛門さんが手を尽くしておられる様なのですが、その藤右衛門さんですらどうしたらよいのか判らないそうですね。
何とも心許ない状況なのですが、でもいつかは必ず復活すると信じたいです。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/04/01

野川の夜桜

Img_0234

Nogawa1

 調布市を流れる野川の桜ライトアップ。4年前の記事で触れたことがありましたが、画像のアップはこれが初めてです。

 このライトアップは1年に1日限り3時間だけ、アークシステムという照明機材の会社が主催してくださるものです。18年前、この会社が自分たちのお花見のために1本の桜の木をライトアップしたことがきっかけとなり、それが評判を呼んで次第に規模が拡大したとのこと。今では長さ650メートルにわたってライトアップされ、市役所や警察の協力もあり、多数のボランティアにも支えられて地元の一大イベントになっています。

 映画やCM撮影用の特殊な照明機材を使用するため、わずかな雨に濡れることも厳禁なので、桜の満開期に直前の天気予報を見計らって日程が決められ、同社のサイトで発表されます。それにもかかわらず、官民が連携してここまでのイベントができるのは、「今年もこのライトアップを見たい」というみんなの熱い思いがあるからに違いありません。

Img_0224up 本当に素晴らしいんです! 「生きていてよかった……日本人でよかった……」と思うほど。そんな美しさが少しでも皆さんに伝わればいいのですが……。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2008/03/31

第9回お江戸オフ

 またまたお江戸オフです。2ヵ月に1度くらいの割合なのに、すぐに次がやって来る気がします。

 さて、このオフには3度のお楽しみがあります。まず、コースを考える楽しみ。これは私がほぼ独占してしまって申し訳ない。当日の楽しさは言うまでもありませんね。そしてもう1つ、参加の皆さんのオフに関する記事を読む楽しみ。頭の中で考えていたコースを実際に楽しく歩いて、みんなの個性あふれる記事に記録されていくのはとっても嬉しくて大満足。今更、自分の記事は書かなくても……という気にさせてくれます。これが言いたかったんです! 3つのお楽しみの後に、記事を書く苦しみ(?)あり(前置き長すぎ)。

 今回のコースは目黒。江戸時代の目黒は江戸の近郊にあたり、目黒不動の門前町として賑う一方、一帯は将軍の鷹場に指定されていました。広重の名所江戸百景などの浮世絵にも複数登場しています。

13時「不動前」駅集合→安養院→蛸薬師→目黒不動→羅漢寺→海福寺→目黒川太鼓橋→大円寺、行人坂→「雅叙園」お茶→(目黒川を北上)→中目黒駅→(日比谷線)→恵比寿「ビアステーション」

Img_0149_2Img_0154_2

Img_0153_2Img_0159_2

Img_0166_2Img_0177_2




Img_0178_2Img_0179_2

 2ヵ月前に決めた日程に合わせて咲いてくれたかのような満開の桜に迎えられて、一同ご満悦。桜は神社仏閣や水辺に似合いますね。きれいとは言い難い目黒川を魔法のように美しく変身させてくれます。そして、人の心を浮き立たせてくれる。お花見気分のまま、飲み放題の宴会を満喫した後、気がつけば、六本木ヒルズの52階で夜景を眺めていました。どこまでも続く東京の夜景は息を飲むほど美しい。150年前まで江戸だったとはとても信じられません。

 あ、お寺の説明などが全然ありませんね。そのうち、お江戸の勉強編を書くつもりです(と、記事には書いておこう)。

200803311624000 ご一緒してくださった皆様、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしています。以下、素敵な記事の数々をご紹介して、トラックバックを送らせていただきます。
サプライズオフ会(目黒で桜) (惑さん)
桜オフ (陶片木さん)
目黒川お花見オフ (Leafさん)
第9回お江戸オフ会(1) (くっきもさん)
お江戸オフ・目黒 (TOKIKOさん)
第9回お江戸花見オフ (ぶんぶんさん)
第九回お江戸オフ (桜桃さん)
お江戸オフにお邪魔♪ (アリスさん)
江戸オフ会 目黒川でお花見 (hichaさん)

| | コメント (11) | トラックバック (7)

2008/03/28

沖縄旅行(5)美ら海水族館

 沖縄から帰って10日……日が経つにつれ、旅行記を書く気力が衰えます。お花見の記事をアップする前に何とかまとめておかなくては!

 さて、沖縄3日目。お昼前に1人が帰京、1人が風邪で発熱し、残る3人で美ら海(ちゅらうみ)水族館に行きました。帰京した友人は2泊の予定でツアー外で参加。往復の飛行機もホテルも別々でしたが、さほど違和感なく楽しめたようです。パッケージツアーだと融通がきかず、エキストラベッドを入れてもらえないのです(怒)。

 いきなり3人になったシビックの車内はどことなく寂しさを漂わせながら、海岸線を北上して美ら海水族館へ。このあたりから雲行きがだんだん怪しくなってきて、海のマリンブルーも沈んで見えました。

 美ら海水族館は平日だというのにかなりの混雑ぶり。シーズンオフのこの季節にこれほど旅行者が多いとは思いませんでした。世界最大のアクリルパネルを使った大水槽の真ん前の席を陣取り、遅めのランチ。ジンベイザメやマンタの餌やりも見学して、この水族館の目玉「黒潮の海」を満喫しました。

Img_0131Img_0134

Img_0137Img_0136

 外に出たら、雨がぽつぽつ降り出していましたが、めげずに「オキちゃん劇場」のイルカショーを見学。雨が次第に本降りになってきたので、その他の施設は見ないでホテルに戻りました。美ら海水族館の付近は国営沖縄記念公園になっていて、植物園や郷土村があったり、きれいなビーチもあるので1日ゆっくり遊べそうです。

 これ以降、翌日、那覇空港に着く直前までずっと雨が降り続きました。風邪っぴきの友人の熱は翌日下がったので、ほっと一安心。「何はともあれ、元気が一番」を実感した旅でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/03/25

沖縄旅行(4)ブセナテラス

 沖縄に行きたい、沖縄に行くならブセナテラスに泊りたい、やっぱりオーシャンビューがいい……記念旅行だからいいよね。若い頃はユースホステルや民宿を利用したり、オーシャンビュー以外をチョイスして旅をしていた私たちも、今回はちょっと贅沢をしました。

 1日目は系列のナハテラス、2日目からブセナテラスに2泊。そりゃあ、いいホテルはそれだけのことがあります。とくにリゾート地のホテル選択は旅行そのものの印象を左右しますからね。ラッキーなことに、両ホテルともホテル側の事情でワンランク上の部屋にランクアップされたので、さらにいい思いができました。

 ナハテラスのエグゼクティブスイートです。広くてゆったり。テレビの液晶画面が大きい。そして、寝室とバスルームの間に扉がある! タオルは全て1人2枚ずつセット、バスローブ利用可。私たちにはもったいないくらいリッチな空間でした。

Img_0040Img_0045

 待望のブセナテラスは噂に違わぬ国内屈指のリゾートホテルでした。海外のリゾート地にいるような錯覚を覚えるほどで、非日常の世界にどっぷりひたれます。バルコニーで海を眺めているだけで心が癒されていく感じ。フレンドリーなサービスで気持ちよく過ごせました。一つ難を言えば、壁が薄いのか隣りの部屋の声が聞こえること。いいホテルだけにとても残念。

Img_0115Img_0092

 このブセナテラスの敷地内には、2000年の沖縄サミットで使用された会議場など「万国津梁館」という施設があります。クリントンやブレアは別棟のコテージに泊ったのかしら? 津梁館の一角に、沖縄サミットを決定した小渕元首相の銅像が建っていました。

Img_0116Img_0113

 そうそう、ブセナテラスもナハテラスも正式名称は「ザ」が付きます。「ザ」を入れずにカーナビで検索したら、「該当なし」と出て困りました。もう一つの系列ホテル、ジ・アッタテラスにもいつか宿泊してゴルフをしたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/03/24

沖縄旅行(3)琉球村、万座毛

 沖縄2日目は、那覇のホテルから海岸線を北上して次のホテルまで移動。ハイブリッドのシビックは5人を乗せて快調に走りました。

 那覇を出てしばらくすると、右手に普天間基地、嘉手納基地などの米軍施設が延々と続きます。耳に馴染みはあるものの遠い存在だったこれらの基地を実際に目にしてみると、言葉にまとめられないいろいろな感情や思いが湧きました。基地周辺の道路沿いにはアルファベットの看板を掲げた商店が並び、米軍関係のYナンバーの車が目に付きます。沖縄が基地の島であることを改めて思い知らされました。

 そんな感慨もすぐに観光モードに戻って、車内はとにかく賑やか。レンタカーなので他人様に迷惑をかけないのが幸いでした。途中、「琉球村」という看板を見つけて寄ってみることに……誰もどんなところか知らないのが私たちらしい。

Img_0050Img_0057

 琉球村は沖縄の旧家が移設された小規模なテーマパークで、有料で染物や織物、陶芸などを体験できます。沖縄の雰囲気にひたり、しぼりたてのさとうきびジュースを飲んで、一同満足。ここからみんなのお土産購買意欲がいきなりハイになり、以降、帰りの空港まで続くのでした。若い頃はこんなじゃなかったはず……ふと思う私。

 私はここで陶器のシーサーを購入。シーサーは沖縄の建物の屋根や門に据え付けられている魔除け・幸運招きの獅子の像。雄雌一対で、雄は口を開けて幸運を招き、雌は口を閉じてそれを逃がさないようにしているそうです。阿吽の狛犬や仁王につながりそうですね。

 さらに北上し、万座毛で再び下車。「こんな海が見たかったのよ!」と感激しつつ、絶景を堪能しました(こちらの写真も参照)。思えば、このメンバー(多少の変化あり)で北海道や能登やハワイなどいろいろな海を見てきたけれど、この歳になって沖縄の海も一緒に見ることができて幸せでした。沖縄の海に感謝、仲間に感謝!

Pmanza3

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/03/22

沖縄旅行(2)首里城

 沖縄に着いて、そのまま空港からレンタカーで首里城に直行。守礼の門を見たら、「沖縄にやって来たんだな」と実感が湧いてきました。意外に小さかったけれど。そういえば、この守礼の門は二千円札の絵柄になっていますが、最近はあまり見かけませんね。

Img_0022Img_0024

 首里城は、15世紀から450年続いた琉球王朝の王城。といっても、当時の建物はほとんど沖縄戦と大学建設で破壊され、現在の建物や城壁は1992年に復元されたそうで、今なお建設工事が続いています。「首里城跡」として世界遺産に登録されていますが、その中で唯一、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は世界遺産になっています。ただし、この門は御嶽(森)の拝殿としての役割を持っていて、くぐれません。

Img_0026Img_0028

Img_0029_2Img_0030_2

Img_0032Img_0035_2

 守礼の門、歓会門、瑞泉門、漏刻門などの門をくぐり抜けながら登っていくと、ようやく正殿に到着。写真を見ていただけばおわかりのように、赤が基調の派手な色合いで、中国の影響を強く受けていることがうかがえます。正殿内部も赤と金色で彩られていて、日本のお城とはまったく違う趣きです。建物も異国風ですが、蘇鉄などの熱帯植物がその印象を一層強めていました。

 復元されたものではあるけれど、琉球王朝という国が確かに存在していたことを感じながら、興味深く見学しました。時間切れで、近くの玉陵や石畳道に行かれなくて残念。ツアー料金を節約するために遅めの飛行機にしたせいで、あっという間に夕暮れになりました。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008/03/21

沖縄旅行(1)

Pmanza4_2

 というわけで、沖縄に行ってきました。まずは沖縄の海の写真をご覧ください。旅行前にデジカメを新調したので、惑さんの十八番のパノラマ写真に挑戦してみました。万座毛(まんざもう)から万座ビーチホテル方面を撮ったものです。

 4日間の夢のような時間は瞬く間に過ぎ、再び日常に戻って洗濯物の山と格闘しています(お天気が悪くて乾かない!)。写真を見て、「ああ、本当にみんなで沖縄に行ってきたんだなぁ」と実感しているような次第。あれこれ抱えているお年頃なので、出発当日、空港で顔を合わせるまでは少し不安でした。

 熱を出してダウンした友人がいたり、最後の日にどしゃぶりの雨に降られたり、全てが万々歳というわけではなかったけれど、それも含めていい思い出がまた一つ増えました。そして、また新たに「還暦になったらハワイに行こう!」と誓い合って(?)います。この先、一山も二山もありそうですが、何とか乗り越えて、みんな元気でその日を迎えたいものです。

 沖縄の話は何回かに分けてアップするつもりなので、よろしかったらお付き合いください。

Pbusena_2

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2008/02/04

第8回お江戸オフ

 2週間ぶりの更新はまたお江戸オフの記事です。日頃サボリがちな私も、このオフに関してはレポート提出を義務付けられた学生のような心境でPCに向かうようなわけで……。お仲間の個性あふれる記事がどんどんアップされると何だか妙にあせります。

 今回は隅田川七福神めぐり。今年最初のオフだから1年の幸せを願って、というのが表向きの理由。しかしてその実状は、もんじゃにつなげるため(爆)。お江戸オフは今年も宴会第一でまいります。この日のコースは次のとおり。

13時鐘ヶ淵駅集合→多聞寺(毘沙門天)→木母寺、隅田川神社→白髭神社(寿老人)→向島百花園(福禄寿)→長命寺(桜餅で休憩)→弘福寺(布袋尊)→三囲神社(恵比寿・大黒天)→(言問橋)→ 浅草寺→もんじゃ「ひょうたん」
《太字が七福神》

200802020420080202062008020207

 七福神は江戸時代中期に今の顔ぶれに決まって、その頃から七福神詣でが盛んになったそうです。この隅田川七福神は、文化年間に百花園(当時は新梅屋敷)が開園後、始まったとか。今や全国至る所に七福神があって、東京だけでも、隅田川のほか、日本橋、谷中、深川など20ヵ所以上あります(こちらのサイト参照)。本来は1月1日から7日までに巡拝するもので、その期間中は七福神がご開帳され、七福神の人形やご朱印をいただけるコースが多いようです。

 人生初の七福神めぐりが、生まれ育った地元の隅田川で嬉しいかぎり。30年以上も徒歩圏内に住んでいながら、百花園以外初めての神社仏閣ばかりでした。若い頃は地元の下町なんて見向きもせず、目新しいお洒落なスポットばかりを求めて遊び歩いていたのに、多摩の入口に住む今になって1時間以上かけて出かけていくのは不思議なものです。年を取った証拠……だとしても、こんな楽しいお仲間ができたうえに地元を再発見できて、年を取るのも捨てたものではありません!

 このコースのもう一つのお楽しみは甘味めぐり。向島界隈は江戸時代から有名な長命寺の桜餅をはじめ、言問団子(江戸末期創業)、志”満ん草餅吉備子屋のきびだんごなど、美味しい甘味が目白押しです。きびだんごと桜餅をイートインし、さらにおみやげを買い込む一同。私は控えめに桜餅だけしか買ってこなかったことが悔やまれます。

 メインのもんじゃが盛り上がったことは言うまでもありません。もんじゃ最高! 

 ご一緒できた皆様、いろいろお世話になりました。お手製のぐい呑み、手作りクッキー、バレンタインチョコ、イタリアみやげ、北海道みやげ、などなど、ありがとうございました(手ぶらですみません)。最後にみんなの記事を紹介して、TBを送らせていただきます。

第八回お江戸オフ (桜桃さん)
福を呼ぶ「隅田川七福神&もんじゃ」コース (TOKIKOさん)
お江戸オフ、隅田川七福神ともんじゃの旅 (陶片木さん)
甘~いオフ会(隅田川七福神めぐり) (惑さん)
墨田川七福神&もんじゃオフ (Leafさん)
第8回お江戸オフ (ぶんぶんさん)
お江戸オフ会17568歩の旅 (hichaさん)

| | コメント (10) | トラックバック (7)

2007/12/19

第7回お江戸オフ

 お江戸オフも回を重ねること7回目、今年最後の忘年オフとなりました。となれば、大切なのは忘年会の会場選び(笑)。諸々の条件を勝ち抜いた(?)しゃぶしゃぶ食べ放題の「しゃぶ禅」を予約してから、設定した散策コースは次の通り。名付けて「大名、旗本屋敷の趣を感じる紀尾井町コース」。

 14時「半蔵門駅」集合→平河天満宮→赤坂見附跡→弁慶橋→清水谷公園→紀尾井坂→喰違見附跡→迎賓館→消防博物館→「しゃぶ禅」四谷店

0712150207121503

 平河天満宮は、室町時代に太田道灌が江戸城を築いた際、城内に建立したものが、徳川家の江戸城築城に伴い、今の場所に移転されました。もともと平川門の近くにあったので、平河天満宮というわけ。

 紀尾井町という名前は、江戸時代、このあたりに伊徳川家(現・赤坂プリンス)、張徳川家(上智大学)、彦根伊家(ニューオータニ)の中屋敷があったことに由来しています(江戸時代の切絵図にも「紀尾井坂」と書いてある)。ちなみに、それぞれの上屋敷は、紀伊:赤坂御用地、尾張:市ヶ谷防衛庁、彦根:桜田門近く。

0712150507121508

 当時、江戸城の外堀に面していたこの地域は赤坂御門と四谷御門、その間の喰違土橋で対岸に渡れるようになっていましたが、その名残が現在の見附跡です。ニューオータニの辺りのお堀は外堀の一部。その続きは埋め立てられて、上智のグランド、四谷駅周辺になっています。

 こんなふうに書くと歴史を語りながら歩いているように思われそうですが、実際は三々五々、雑談しながら歩いて、ポイント地点でちょっと歴史に触れる程度。あとは各自の予習復習にかかって