2019/04/10

京都の桜 2019

 ココログがリニューアルされて不具合が続いているらしい。新しいココログに適応できるか、試しに更新してみることにしました。1年3カ月ぶりの更新です。

 3月末に宝塚に遠征した後、京都に1泊してお花見をしてきました。京都のソメイヨシノはまだ咲き始めで、早咲きの枝垂れ桜が満開を迎えたタイミング。4年前の4月に訪ねた際、見頃を過ぎていた醍醐寺を再訪して、醍醐のお花見を満喫しました。

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 9時の開門を待って境内に入った頃は観光客がまばらで、朝の清涼な空気の中を散策していると心が洗われていくようでした。

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 三宝院の太閤桜も霊宝館の枝垂れ桜も満開。この時期に訪ねることができて、なんという幸運でしょう。醍醐寺は昨年9月の台風21号により甚大な被害を受け、桜を含めて多数の大木が倒れて切断されたそうです。太閤桜も太い枝が折れてしまったとのこと。にもかかわらず、こうして花を咲かせてくれて嬉しいかぎりです。桜の醍醐寺を去りがたく、お昼前までぶらぶら歩き回りました。

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 醍醐寺を後にして祇園に向かい、まず建仁寺を訪ねました。祇園にあるのに、何故か今まで行ったことがなかったのです。俵屋宗達の風神雷神図も見ました。レプリカとはいえ、建仁寺で見ることに意義があるはず。

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 そして、400年前に醍醐の花見を楽しんだであろう北政所・寧々が眠る高台寺へ。ここの枝垂れ桜も満開でした。

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 最後は、円山公園の枝垂れ桜。30年程前にライトアップされたこの桜を見上げて、豪華絢爛で妖しいほどに美しい姿に圧倒されたことを思い出します。当時と比べるとだいぶ衰えたものの、祇園の老桜はいまだ健在! 京都の桜たちにパワーをもらった1日でした。

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 なんとか更新できたようです(笑)。

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2016/06/09

お伊勢参り(その7) 名古屋城と徳川園

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 「尾張名古屋は城でもつ」というフレーズにも謳われ、金のシャチホコで有名な名古屋城。徳川家康が天下普請を命じて築城し、慶長17年(1612)に完成しました。家康の9男の義直が初代藩主として入り、江戸時代を通じて御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。

 その初代天守閣や本丸などほとんどの建物は昭和20年の空襲で焼失したことを知ってびっくりしました。せっかく昭和まで残っていたのに、残念です。現在の天守は昭和31年に鉄筋コンクリートにて再建されたもの。
 
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 平成21年(2009)から本丸御殿の復元工事が始まり、工事が完了した2/3程の部分が公開されています。完成は2018年の予定。豊富な資料が残されており、忠実に再現されているそうです。

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 名古屋城を後にし、バスで徳川園まで移動しました。徳川園は、尾張藩2代藩主・光友が隠居所として屋敷を造営したことを起源とし、明治22年(1889)からは尾張徳川家の邸宅となった場所です。左上の黒門はその邸宅の遺構。ほとんどの建物は空襲で焼失してしまい、平成13年から日本庭園として再整備されて、平成16年から公開されています。

 徳川園に隣接する徳川美術館には、尾張徳川家に伝えられた数々の重宝が展示されています。浮世絵展が開催されていましたが、旅行3日目の疲れが出て集中力なくざっと回っただけでした。この日ののべ歩数:22338歩。気温が高く、日差しも強くて、ぐったりくたびれました。

Img_1229_3 帰りの新幹線の車窓から見た富士山のシルエット。6時半過ぎに通過したので、ぎりぎりで見ることができました。

 この旅行の後、サミットの行事として各国首脳が伊勢神宮を参拝したため、メディアで伊勢神宮が取り上げられることが多く、興味深く見聞きしました。そんなタイミングでお伊勢参りができてよかったです。さて、次の新しい社殿を参拝することができるかどうか……天照大神のみぞ知る、ですね。

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2016/06/06

お伊勢参り(その6) 熱田神宮

 6月になったのにまだGWの記事が終わっていません。

 5月5日。お伊勢参りの旅3日目は、熱田神宮を参拝し、名古屋城を見学するという名古屋観光初心者コースをまわりました。亡き父の郷が愛知県だったので、半世紀程前に家族で行ったことがありますが、ほとんど記憶がないため、初めてのようなものです。

<熱田神宮>

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 熱田神宮の主祭神である熱田大神とは、三種の神器の一つ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を御霊代とする天照大神のこと。景行天皇43年創建と伝えられ、2013年に創祀千九百年大祭が行なわれました。本宮の社殿は明治26年(1893)に尾張造から伊勢神宮と同じ神明造に改められ、現在の社殿は平成21年に造営されたものです。

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 下調べを怠り上記のウンチクを知らずに訪ねたので、伊勢神宮と同じような社殿に驚き、草薙剣が御神体と知って驚き、お伊勢参りの後、参拝してよかったと思いました。しかも5月5日は神輿渡御神事の日で、運よく神輿の行列を見ることができました。

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 参道や、本宮の周回の「こころの小径」の緑が美しく、すがすがしい気持ちで歩きました。この日は参道で写生大会が行なわれており、大勢の親子が熱心に写生していました。






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 正門の近くにある上知我麻(かみちかま)神社と別宮八剣宮。


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2016/05/27

お伊勢参り(その5) 松阪

 お伊勢参りは前の記事までですが、旅はまだ続きます。

 「伊勢から名古屋までの間で見るべきものは?」と調べたら、松阪の街が面白そうでした。小さな街で3時間もあれば主な観光スポットを回れるのも好都合です。というわけで、宇治山田から近鉄特急に乗って14時過ぎに松阪に途中下車しました。18時過ぎの名古屋行き特急を予約していたので、4時間程の滞在時間がありました。

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 下調べ不足のため、まず駅前の観光情報センターに駆け込み、散策マップをいただいて簡単な説明をお聞きしました。

松阪駅→三井家発祥地→松阪商人の館→本居宣長宅跡→旧長谷川邸→松坂城跡→本居宣長ノ宮→夕食「洋食屋牛銀」→松阪駅

<三井家発祥地>

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 三井中興の祖で、延宝元年(1673)江戸・本町に三越の前身「越後屋」を開業した三井高利の生誕の地。元和8年(1622)生まれの高利は14歳から江戸で修行、28歳で松阪に戻って金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸に進出しました。

Img_1189 往時の建物は何もなく、左上の門は大正に建てられたもの。この近くに真新しい観光客用の休憩所があり、三越のライオンが鎮座していました。


<松阪商人の館>

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 江戸時代、商人の町として栄えた松阪には江戸店持ちの豪商が数多くいましたが、ここはその中でも筆頭格の小津家の旧家です。3代目小津長弘は承応2年(1653)に大伝馬町に紙店、元禄11年(1698)隣地に木綿店を開業しました。

 現在も創業以来の場所で営業を続けています。その「小津和紙」のビルを知っているので、昔と今とが繋がり興味深かったです。三越もしかり。後述する長谷川家も含めて、ごく近所にこうした豪商の本家があるのには驚きました。

<本居宣長宅跡>

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 「商家の並びに本居宣長の家?!」と訝ったら、本居宣長は享保15年(1730)に上記の小津家の二男として生まれたそうです。小津家の先祖は本居家という武士で、本居宣長は途中から先祖の姓を名乗りました。京都で医学を学んだ7年間を除いて、12歳から亡くなる72歳までこの地に住み、医師をしながら、35年かけて『古事記伝』を執筆しました。

 ここにあった邸宅は現在、松阪城跡に移築されています。実は見逃しました(今頃発覚)。

<旧長谷川邸>

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 豪商・長谷川家の邸宅。右の俯瞰写真はパンフレットから取り入れましたが、20室以上からなる主屋を取り囲むように5つの蔵が建っているのがわかります。建物だけでなく、生活道具や商業資料も良好に保存されています。蔵の千両箱を開けたら大判小判まで出てきたらしい。平成25年に長谷川家から松阪市に寄贈され、昨年から一般公開が始まりました。

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 歌川広重の『東都大伝馬街繁栄之図』。左手前のお店「たんもの はせ川」と書いてあるのが長谷川家の東京店です。3代目政幸が江戸に出て木綿仲買になった後、元禄15年(1702)に大伝馬町に新店を開業しました。江戸から明治にかけておおいに繁栄し、その後も会社経営が続けられましたが、2014年に解散したようです。

<松坂城跡>

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 松阪市だけど、松坂城。明治に地名の表記が松坂から松阪になったそうです。

 天正12年(1584)近江の蒲生氏郷が南伊勢を与えられて松ヶ島城に入城し、その後、新たに松坂城を築城。城下町建設にあたり、旧領の近江商人を呼び寄せたことが「松坂商人」の始まりになりました。江戸時代になり、南伊勢は紀州藩領となって松坂城代が置かれました。

 右上の写真の左側の一段高い場所が天守跡。石垣が美しく整備されて、松阪の街が一望できる気持ちのよい公園でした。城内に歴史民俗資料館と本居宣長記念館がありましたが、残念ながら見学する余裕がありませんでした。炎天下を歩いてぐったりしていたし、宿を出てから冷やししるこしか食べてなかったので、見学より食事を選んだ次第。

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  御城番屋敷






<本居宣長ノ宮>

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 本居宣長を祀った学問の神様。ご朱印には「しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山さくら花(敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花)」の歌が書いてあります。


Img_1187_2 約9時間ぶりのお食事。古い家並みが残る一画にある松坂牛の老舗「牛銀」の系列の洋食屋さんにて高級牛丼をぺろっといただきました。

 この日の歩数24101歩。7時半過ぎに名古屋駅近くのホテルにチェックインするとバタンキューでした。

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2016/05/20

お伊勢参り(その4) 内宮周辺

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 内宮参拝を終えて、おはらい町からおかげ横丁へ。まだ11時前でしたが、すでにかなりの人出でした。甘味で一服したいと思っても、待たずに入れるお店がなかなか見つかりません。しかも、日差しが強くて暑い。ぐったりしながらおはらい町通りの果てまで歩いて、ようやく赤福五十鈴川店で冷やしぜんざいをいただき生き返りました。

<猿田彦神社>

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 猿田彦大神は、ニニギノミコトが高天原から地上に降りたとき(天孫降臨)、道案内をした国津神。このことから「みちひらき」の神様として、万事を良い方向に導いてくれると言われています。

 おはらい町から徒歩3分程。

<月読宮>

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 月読尊は天照大神の弟で月の満ち欠けを教え暦を司る神様。右から月読荒御魂宮②、月読宮①、伊佐奈岐宮③、伊佐奈弥宮④の4つの宮が並んでいて、①から④の順にお参りするようにと立て看板に書いてありました。

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 猿田彦神社から月読宮までは1、5キロ程。歩けない距離ではないけれど、路線バスを利用して1キロショートカットしました。参拝後、五十鈴川駅まで10分弱歩いて、隣り駅の宇治山田まで近鉄で移動。駅で伊勢みやげを買い求めて、荷物をピックアップしました。次の目的地・松阪に向かいます。

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2016/05/17

お伊勢参り(その3) 内宮

5月4日

 朝からよく晴れて混雑が予想されるので、早めに行動開始。ホテル発8時半の送迎バスで鳥羽駅に向かい、近鉄で宇治山田に出て、コインロッカーに荷物を預けました。内宮、猿田彦神社、月読宮を参拝して戻ってくる予定です。

 ちなみに、今回のお伊勢参りは近鉄の「伊勢神宮参拝きっぷ」という周遊券を利用しました。往復の特急券ほか、現地伊勢での特急券やバスも含まれていて便利でお得。混雑時でなければ、レンタカーという方法もありますが、今回は電車とバスで正解でした。

<伊勢神宮 内宮>

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 正宮。天照大神をお祀りする伊勢神宮の中で最も尊いお宮です。三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)が天照大神の御神体として奉斎されています。階段下からの撮影のみ許可。

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 鳥居(左上)をくぐって五十鈴川(右上)に架かる宇治橋を渡り、神苑の横の参道(左下)を進みます。右下は五十鈴川御手洗場(みたらし)。本来はこの川辺でお清めしますが、この日は川の水量が多かったため、近くの手水舎ですませました。

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Img_1139  青空と新緑が眩しい好天に恵まれ、どこを切り取っても絵になる写真が撮れました。森の木漏れ日の中を歩くのも気持ちがいい。こんな日に参拝できるなんて、ありがたやありがたや。

 森の奥に見える鳥居をくぐると神楽殿があり、その奥に正宮があります。




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 正宮をお参りした後、荒祭宮(あらまつりのみや)、風日祈宮(かぜひのみのみや)の順に参拝しました。


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2016/05/13

お伊勢参り(その2) 二見

 近頃、観光客の荷物を当日中にホテルや空港に送ってくれるサービスが増えているらしい(5/11読売朝刊)。伊勢でそのサービスを利用したばかりです。近鉄伊勢市駅(または宇治山田駅)で荷物を預けると、夕方までに宿に届けてくれるので、身軽でお伊勢参りができるというわけ。これは本当にありがたい! このサービスのおかげで二見に寄ることができました。

 ところが、次のバスや電車まで小一時間あったため(事前チェック不足)、タクシーを利用してしまいました。ちょっと散在。

<二見興玉神社>

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 夫婦岩の沖合700mの海中に沈む、猿田彦大神ゆかりの霊石「興玉神石」を遙拝する神社。夏至の前後には夫婦岩の真ん中から太陽が出て、しかも富士山をシルエットにした日の出を拝めるそうです。

 正式なお伊勢参りはこの神社から参拝するそうですが、場所的にこの順番になりました。晴れてないのがつくづく惜しまれます。週間天気予報では旅行期間は雨の予報だったので、旅行中、傘をささずにすんだことをラッキーと思いましょう。

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 この後、鳥羽の宿に直行しました。鳥羽の海が窓いっぱいに広がる部屋でしたが、どんより曇った空からやがて雨が落ちてきました。

 そして、一夜明けると……

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2016/05/10

お伊勢参り(その1) 外宮

 3年ぶりにゴールデンウィークに旅行に出かけました。2年前のGWに母が入院し、その秋に義母が亡くなって以来、初めての夫婦2泊旅行。母も義父もなんとか元気に暮らしているので実現できました。

 今回の旅行はお伊勢参り。私は約30年ぶり、夫は初めての伊勢神宮です。夫が暦通りの休みなので、GWの真っ只中の3連休に出かけることになりました。

5月3日

東京→(新幹線)→名古屋→(近鉄)→伊勢市

<伊勢神宮 外宮>

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 伊勢神宮の正式名称は「神宮」。皇大神宮(こうたいじんぐう=内宮)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう=外宮)のほか、別宮、摂社、末社、所管社を合わせて125社の総称を伊勢神宮といいます。内宮には、皇祖神であり日本国民の総氏神である天照大神が祀られ、外宮には、天照大神のお食事を司る豊受大神が祀られています。

 日本一の神社、日本の聖地などともいわれ、日本人なら一度は訪ねてみたい場所です。今月末に開催される「伊勢志摩サミット」を前に海外からも注目されているようで、外国人観光客が増えているそうです。サミットの際、各国首脳が訪問する可能性もあり(サミット初日の半日間、一般参拝が中止されている)。

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 外宮→内宮の順に参拝するのが正式(前回は内宮→外宮と回ってしまった)。鳥居の前で一礼して、手水舎で手と口をそそぎます。いつもはいい加減ですが、ここでは自然にそういう気持ちになるのが不思議でした。鳥居をくぐると清浄な空気が漂っていて、身も心も清められていくような気がしました。

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 まず、正宮(最初の写真)をお参りし、多賀宮、土宮、風宮の順に参拝しました。それぞれの社殿の隣りには遷宮前まで社殿が建っていた土地(古殿地)があります。左上の写真は正宮の古殿地。右は正宮の近くにある川原祓所。しめ縄に囲まれた三つ石で、遷宮の際に川原大祓が行なわれる場所です。昔はここまで川だったらしい。

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Img_1096  (順に)
多賀宮
土宮
風宮




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 外宮を参拝後、せんぐう館を見学。2013年の第62回式年遷宮を記念してオープンした博物館で、外宮正殿の実物大模型は一見の価値があります。赤福で一服した後、別宮の一つ月夜見宮まで歩きました。


<月夜見宮>

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 翌日に参拝した月読宮と同じく月読尊を祭神としています。何故、月読宮と月夜見宮があるかは謎。ちょっと調べたけれど、複雑でよくわかりませんでした。


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2015/11/09

第55回お江戸オフ≪日光≫ その5

<東照宮>

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Img_5957_2 特別祈祷ツアーは10時スタート。巫女さんの案内で境内を見学した後、拝殿の将軍着座の間で特別祈祷を受けます。

 まず始めに、五重塔内部の心柱を見学しました。現在の五重塔は最初の塔の焼失後、文政元年(1818)に再建されたもの。塔を貫く心柱は懸垂式で四重から吊り下げられて浮いています。この心柱は免震機能も果たしていて、スカイツリーの制振システムにも応用されたそうです。

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 左の写真は、表門を入ってすぐの上神庫。右は、陽明門の左手奥の薬師堂あたり。

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 陽明門(左)も拝殿(右)も修理中。最初の写真の唐門は修理が終わってぴかぴかでした。この平成の大修理は平成36年まで続き、陽明門、本殿、拝殿などの修理は平成31年までに終わる予定です。東京オリンピックの年には美しい陽明門を見られますね。

 そしていよいよ、特別祈祷。将軍着座の間とは歴代将軍が本殿参拝の前に控える部屋で、将軍は天井に葵の紋がある位置に座ったそうです。特別祈祷ではツアー一行20数名のうち1人だけがこの位置に座り、玉串を奉納することができます。なんとそのお役目を我らが代表ぶんぶんさんが行ないました。特別のなかの特別! 御利益がありそうです。

Img_5978 ツアーに奥宮参拝が含まれてなく、奥宮まで行かれなかったことが最大の心残りです。薬師堂(家康の本地仏は薬師如来)の鳴龍も見なかったし。効率はよいけれど自由がないのがツアーというもの。今回はこれでよかったけれど、修理が終わったらオフシーズンにゆっくり回りたいと思います。


<輪王寺>

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 輪王寺の三仏堂も修理中。右の写真は工事用の覆いに描かれた絵です。修理が完了した千手観音を近くで拝んだり、工事の様子を回廊から眺めたり、工事中ならでは参拝ができました。説明してくださったお坊さんのお話も面白かった。寺社を修理しながら維持していくことはお金がかかるせいか、この輪王寺も東照宮も、前日訪ねた中禅寺も「ここでしか買えない」お守りセールスが盛んでした。

 ちなみに、輪王寺の三仏とは千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音で日光三社権現(日光三山)の本地仏です。仏が神の形を取って仮に現れたとする神仏習合の考え方で、千手観音が男体山の形で現れたということになります。

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 回遊式庭園「逍遥園」の紅葉がちょうど見頃でした。日光の紅葉を青空をバックに見たい、という願いがかないました。この後、宿に戻って荷物を取って日光駅まで歩きました。24日10185歩、25日18911歩。

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 日光オフの記事を仕上げてオフの全行程が終わりました。日光に行かれて本当によかった!

 


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第55回お江戸オフ≪日光≫ その4

 日光2日目のメインイベントは東照宮での特別祈祷。お江戸オフ初のお泊り企画の目的地を日光に決めたのは、江戸幕府を開き江戸の街を作った東照大権現こと徳川家康を祀った東照宮を参拝するためでした(距離的にもちょうどよいしね)。徳川家康を神として祀ってから400年目の四百年式年にあたる今年行かれたのも何かのご縁かも。

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 日光山内は1999年に世界遺産に登録されましたが、その範囲は東照宮、二荒山神社、輪王寺の建物群とそれを取り巻く遺跡すべてが含まれます。そもそも日光は男体山など日光三山を御神体とした山岳信仰の霊場で神仏習合の地でしたが、明治の神仏分離令以後、二荒山神社と輪王寺に分離されました。日光の開山は奈良時代の僧、勝道上人が輪王寺の起源となる四本龍寺を開いたことに始まります。

 徳川家康が死去したのは1616年。遺言により翌年、久能山から日光に改葬されて社殿が造られました。現在のような壮麗な社殿に建て替えられたのは1630年代、孫の徳川家光によります。その家光も遺言により東照宮近くに葬らました(現在の輪王寺大猷院)。

 ウンチクはきりがないのでこの位にして……。この日は特別祈祷ツアーをはさんで、大猷院、二荒山神社、東照宮、輪王寺の順に回りました。事前にわかっていたことでしたが、東照宮の陽明門や輪王寺三仏堂、二荒山神社本殿が改修中だったのは残念! 

<輪王寺大猷院>

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 1653年に造営された徳川家光の霊廟。東照宮より小規模で色調を抑えた印象でしたが、手の込んだ華麗な装飾は徳川将軍家の威光を放っていました。東京の寛永寺と増上寺にもこの規模の霊廟があったはずで、戦災で焼失したことが今さらながら惜しまれます。四百年式年なので特別に家康の御位牌が公開されていました。

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<二荒山神社>

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 二荒山とは男体山のことで、男体山・女峰山・太郎山の日光三山を御神体として祀っています。奈良時代、勝道上人が二荒山の神を祀る祠を建てたことに始まったとされています。中禅寺湖畔に中宮祠、男体山山頂に奥宮が鎮座。

 本殿が改修中のため、御神木の写真しかなく……。一番右は縁結びの御神木。杉とナラの宿り木が1本になっています。

(2日目後半は次の記事へ)

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